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No.212 EUの有機農業における家畜飼養密度と家畜ふん尿施用量の上限
●はじめに有機農業は環境にやさしいといわれている。確かに化学農薬を使用しないため,それによる作業者の健康や野生生物に対するダメージがなく,農産物に付着した残留農薬による人間への健康影響の心配もない。 この他にも,有機農業は有機物を施用するから,土壌有機物レベルを高めて,土壌構造を発達させ,土壌の養分ストックを高めて,収量を持続的に高めるとされている。これと同時に,土壌有機物レベルの向上とともに,土壌生物が増えて,食物連鎖が活発化して,農業生態系の生物多様性が向上する。さらに,土壌中には分解しにくい腐植物質レベルが高まって,二酸化炭素を長期に蓄積するので,温室効果ガスとしての二酸化炭素の安全な長期固定にも貢献するとされている。 また,輪作を行なって裸地期間をできるだけ少なくすることで,土壌表面を作物が保護し,土壌構造の発達とともに,土壌侵食が少なくなる。これによって,作物生産が持続的になると同時に,流出した土壌による水質汚染や水生生物生息地の破壊も減るとされている。 有機農業のメリットとして,他にも様々なことが期待もこめて語られている。しかし,こうした農業生産の持続可能性と環境の保全を図る有機農業が本当になされるかは,有機農業に関する法律や規則がそれにふさわしい具体的な規制を定めているのか,有機農業者はそうした具体的規制をきちんと守った農作業を実践しているかにかかっている。
●「北のクリーン農産物」への意見有機農業ではないが,関連する話題を引き合いに出したい。 北海道は,生産の持続性や農産物と環境の安全性を確保するために,国の規定では求められていないが,独自に「北のクリーン農産物」の表示制度を作っている。この制度では栽培技術を具体的に定め,養分管理については次によって適正施肥を実施することを農業者に課している(環境保全型農業レポート.2004年7月28日号.「一歩進んだ北海道の「北のクリーン農産物」施肥基準」参照)。 (1) 作物によって,3〜5段階に分けた土壌窒素肥沃度水準ごとに施肥量を設定してある。農業者は1〜3年ごとに土壌分析を行なって,自分の圃場の窒素肥沃度水準と適正施肥量を認識する。 (2) 作物の種類ごとに,土壌窒素肥沃度水準別の総窒素施用量の上限値を定めている。そして,有機物資材の種類ごとに,重量当たりの化学肥料相当の窒素換算量を設定し,有機物資材施用量を増やした場合の化学肥料窒素の削減量を計算できるようにしてある。これによって農業者は,有機物資材を施用したときの化学肥料窒素量の削減量を計算できる。それをもとにして農業者は,土壌窒素肥沃度水準別に,有機物資材と化学肥料を合わせた総窒素施用量を,上限値施用量以内に抑える。 (3) 土壌の健全性を確保するために,有機物資材を施用することを義務化し,有機物資材の施用量下限値を設定し,その化学肥料相当窒素換算量と総窒素施用量上限値の差を,化学肥料施用量上限値として設定した。そして,有機物資材の過剰施用は環境汚染や土壌養分の不均衡をもたらすため,有機物資材施用量の上限値も設定した。 その詳細は,上記を記した「肥料及び化学肥料の使用基準」を参照されたい。 この施用基準は科学的に大変優れたものだが,農業者には不人気であると聞く。それは次の理由によるという。 (1) 「北のクリーン農産物」は,有機農産物よりも単価が低い。 (2) その上,養分管理が面倒くさい。 (3) さらに,有機農業であれば,有機物資材の施用量には上限が設定されていないので,野菜など耐肥性の高い作物には多量の有機物資材を施用して,多収を確保できる。 この(3)の理由によって,有機物施用の上限値が設定されていない有機農業で経済的優位をもとめて多量の有機物資材を施用し続けたとすれば,やがて養分過剰が生じて,作物生産の持続可能性もおびやかされ,余剰になった窒素が硝酸などとなって環境汚染を起こす。さらに,農産物中の硝酸濃度も高くなることが懸念される。 有機農業が環境にやさしく,持続可能で,安全で高品質な農産物を生産する農業であることを担保できるようにするには,より具体的な法的規制,あるいは民間ベースの生産基準が必要である。 次に,外国での有機農業における家畜ふん尿施用量の規制の現状を概観してみる。
●有機農業における家畜飼養密度と家畜ふん尿施用量の国際的な規制の状況
1.EUA.1991年および1999年の旧有機農業規則 EUは,1991年6月に作物の生産と加工について有機農業規則を公布した(同年7月に施行)。この法律は当初,有機の作物生産だけを対象としてスタートした。家畜生産に関する規定は遅れたために,このときの有機農業規則ではまだ,飼養密度や家畜ふん尿の施用量上限について論及されることはなかった。 1999年7月に有機の家畜生産に関する規定が追加されて,作物生産と家畜生産を合わせた有機農業規則となった。この改正の際に,有機の家畜では飼養密度を家畜ふん尿窒素で年間170 kg/ha未満にすることが規定された。これは,EUが農業から排出される硝酸やリンの量を規制する硝酸指令(Council Directive of 12 December 1991 concerning the protection of waters against pollution caused by nitrates from agricultural sources (91/676/EEC) )によって,表流水や地下水が農業起因の硝酸に汚染されているかその危険の高い地帯を硝酸脆弱地帯に指定し,当該地帯内では家畜の飼養密度を,原則として家畜ふん尿窒素として年間170 kg/ha以下にすることが規定されていることとの整合性を図ったものである。つまり,環境保全を追求するイメージの有機農業として,この家畜ふん尿窒素で年間170 kg/ha以下の飼養密度を採用したと理解できる。因みにこの飼養密度で飼える搾乳牛は,標準的にはha当たり2頭,肥育用肉牛は2.5頭となる。 家畜の飼養密度だけを規定しても,有機で使用した家畜のふん尿やそれから調整した堆肥などを,無制限に作物に施用できるのであれば,耕種圃場では養分の過剰施用によって環境汚染が引き起こされてしまう。しかし,この有機農業規則は,作物への家畜ふん尿の施用量については規制していなかった。施用量の規制にまで踏み込んだのは9年後の2008年の有機農業実施規則である。 B.2008年の有機農業実施規則 環境保全型農業レポート「No.210 EU加盟国の有機農業に対する公的支援の概要」において,EUが新しい有機農業実施規則で,家畜の飼養密度の上限を家畜ふん尿で年間170 kg N/haに制限し,養分源として施用する家畜ふん尿由来の堆肥,乾燥ふんなどの最大施用量も同じ量に制限していることを紹介した。 これは,EUが,農産物生産過剰の抑制と環境保全,資源の持続可能な使用,動物福祉,食品安全性,栄養,人体の健康,農業経営体の財政的活力向上などを重視した農業を推進する方向に政策をシフトしたのに合わせて,有機農業規則を2007年に全面改正した(Council Regulation (EC) No 834/2007 of 28 June 2007 on organic production and labelling of organic products and repealing Regulation (EEC) No 2092/91 )ことによる。そして,有機農業規則の改正を受けて,有機農業実施規則を全面改正した(2008年9月に成立,2009年1月1日から施行)(Commission Regulation (EC) No 889/2008 of 5 September 2008 laying down detailed rules for the implementation of Council Regulation (EC) No 834/2007 on organic production and labelling of organic products with regard to organic production, labelling and control )。 有機農業規則は,その第12条において,有機農業における植物生産の一般的規準として,次を規定した。
第12条 植物生産規準 そして,新しい有機農業規則に基づく実施規則として,上記の有機農業実施規則が公布された。その前文のパラグラフ12において,家畜ふん尿投入量の上限値の設定の必要性が,「(12) 養分によって土壌や水のような自然資源が環境汚染されるのを避けるために,ヘクタール当たりの家畜ふん尿使用量や,ヘクタール当たりの家畜飼養頭数の上限を設定しなければならない。この上限値はふん尿窒素量に関係したものでなければならない。」と記された。 この前文に対応する形で,有機農業実施規則の「第1章 植物生産」の「第3条 土壌管理と施肥」において,次の規定がなされた。
第3条 土壌管理と施肥 この第1項は,新しい有機農業規則の第12条が,有機による輪作や,有機で飼養した家畜のふん尿などによって養分を確保するのが原則だと規定しているものの,これによって養分を確保できない場合には,慣行飼養され,付属書?で指定された家畜ふん尿など(表1)を,農地面積のha当たり年間170 kg 窒素を超えない範囲で使用することを認めたのである。
ここでひねくれた解釈をすると,有機農業実施規則の第3条は,有機の家畜ふん尿などを確保できない場合を規定していて,有機の家畜ふん尿を自分の経営体で確保できる場合には,有機の家畜ふん尿などを無制限に施用できるのではないか。第3条の2項にある「経営体に適用される家畜ふん尿の総量は,硝酸指令で規定されているように,使用している農地面積のha当たり年間170 kg 窒素を超えることはできない。」は慣行の家畜ふん尿などにだけ適用されるのであって,有機のものは無制限ではないかとの疑念がでるかもしれない。しかしそうした解釈は誤りで,有機の家畜ふん尿などであっても,認められた慣行のものであっても,農地面積のha当たり年間170 kg 窒素を超えることはできない。
2.イギリスのソイル・アソシエーションイギリスのソイル・アソシエーションは1946年に設立された有機農業団体で,自ら有機農業や有機食品の基準を策定し,それに準拠した農業者,加工業者や販売業者の認証も行なっている。 ソイル・アソシエーションは2012年4月に有機基準を改訂した(Soil Association organic standards - farming and growing Revision 16.6 April 2012. 240p. )。 ソイル・アソシエーションの基準は,全ての法的要件,特にEUの有機農業規則834/2007と有機農業実施規則889/2008の要件を遵守している。そして,ソイル・アソシエーションの基準の一部は法律で要求されているよりも厳しくなっており,EUの規則でカバーされていない環境管理や保全,織物や,健康ケア製品や美容ケア製品の基準を有している。 注目すべきは,ソイル・アソシエーションが,家畜ふん尿などの施用量について独自に次の規定を設けていることである。
家畜ふん尿,堆肥および植物廃棄物
3.アメリカアメリカは「国定有機プログラム」(National Organic Program) で,有機農業や有機食品の生産,販売などを規制している。アメリカは,家畜ふん尿などについては,そのふん尿が含有している可能性の高い病害虫による被害から農産物の安全性を確保するために,家畜ふん尿などの処理や施用の仕方に重点を置いた規制を行なっている(環境保全型農業レポート「No.167 アメリカが有機農業ハンドブック2010年秋版を刊行」)。しかし,施用量の上限については規制を行なっていない。
4.IFOAMIFOAM(国際有機農業運動連盟)は,2012年に有機生産・加工の基準集を改正した(The IFOAM NORMS for organic production and processing. Version 2012. 132p. )。 このなかで,「養分および肥沃度資材は,土壌,水や生物多様性を損なわない仕方で施用しなければならない。」,「人間の排泄物は,病原菌や寄生虫のリスクを減らす仕方で処理し,土壌と接触している部分を人間の食用として消費している1年生作物においては,収穫前6か月以内に施用してはならない。」などの要件が記載されているが,施用量の規制はない。
●投入養分総量の規制上記に述べたように,家畜ふん尿とそれに由来する資材に限定しては,投入可能窒素総量がEUでは規制されている。では,家畜ふん尿など以外の,マメ科作物,緑肥,植物起源の堆肥,有機質肥料などの投入物も合わせた投入養分総量がEUの有機農業では規制されているであろうか。残念ながら,そうした規制は,現実的に難しいためか,見当たらない。 しかし,ソイル・アソシエーションの有機基準には次のような記載がある。
4.6 土壌管理 ソイル・アソシエーションは,土壌の多量および微量要素や重金属類などについて土壌分析を実施することを求めており,イギリス国内の関係する土壌分析機関を紹介している。おそらくそこでの土壌診断基準は,イギリスの慣行農業での土壌診断に基づいた施肥の基準書である肥料マニュアル(DEFRA (2010) Fertiliser Manual (RB209) 8th Edition )をベースにしていよう。なお,このマニュアルは,施肥基準(MAFF (2000) Fertiliser Recommendations: for Agricultural and Horticultural Crops (RB209) 7th Edition)を改訂したものである。
●イギリスの有機農業における有機質肥料の取り扱いイギリスの慣行農業を主体とした農家における有機質資材の使用実態調査をみると,全農家数のうち,有機質資材を使用した農家は32%だけで,その圧倒的大部分は家畜ふん尿やそれ由来の資材を使用している。そして,日本の通常の意味での有機質肥料が多い農場外有機質資材を使用している農家割合は,有機質資材使用農家のわずか1%(全体の0.3%)にすぎない(環境保全型農業レポート「No.151 イギリスの有機質資材の施用実態」参照)。このことからイギリスでは購入有機質肥料があまり使用されていないと推定される。 EUの有機農業実施規則の付属書?には,有機農業で使用可能な肥料および土壌改良材が掲載されている。その中には,動物起源の有機質肥料(血粉,蹄粉,角粉,骨粉,魚粉,肉粉,羽粉,羊毛,毛皮など)や,植物起源の有機質肥料(油料作物の油粕,ココア殻,麦芽粕など)が記載されている。これらについては毛皮にだけ,?価クロームが乾物1 kg当たりゼロと記されているほか,特段の注意事項も記されていない。 しかし,ソイル・アソシエーションの基準書には多くの注意事項が記されている。その主要なものを下に記すが,外部から購入する有機質肥料はできるだけ少なくすることと,動物起源の有機質肥料に起因する人畜共通病原菌の蔓延防止に関することである。
・外部からの持ち込み養分に対する必要性を最小にするように,施肥を計画しなければならない。したがって,主要養分源として当初から購入有機質肥料を計画することは許されない。
●おわりにEUが有機農業において家畜飼養密度の上限を定め,それにともなって家畜ふん尿とそれに由来する資材の作物生産のための農地への施用量に上限を設定したことは,環境保全を図る有機農業を担保する上で,画期的であった。 こうした画期的な規制がなされたのは,慣行農業における環境汚染防止に対する取組が,EUでは他の国々よりも前進していることによる。例えば,環境保全型農業レポート「No.203 OECD加盟国における水質汚染」に紹介したが,家畜ふん尿管理の法的規制要件(表2)が,EUではアメリカや日本よりも具体的に進んでいる。農業の環境保全効果に対して国が農業者に支援するためには,支援対象の農業がきちんと環境を保全することが必要である。有機農業は環境保全効果が高いというイメージが先行しながら,実際には大過剰の家畜ふん堆肥を施用して環境汚染を引き起こしているのを黙認しているケースがあってはならない。
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