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No.177 キャッチクロップ導入と硝酸溶脱軽減効果
●EUの硝酸汚染軽減対策EUでは人間の飲料に供するは,硝酸(NO3)を50 mg/L(硝酸性窒素(NO3-N)で11.3 mg/Lに相当),亜硝酸(NO2)を0.1 mg/L以下にすることが法律で決められている(日本では硝酸性窒素+亜硝酸性窒素(NO3-N+NO2-N)で10 mg/L以下にすることが水道法で規定されている)。しかし,水道水源の地下水,河川,湖沼,ダムなどの水では,人間活動によって硝酸濃度が高くなり,その一因として農業による硝酸汚染が問題になっている。 EUは1991年に「農業起源の硝酸による汚染からの水系の保護に関する閣僚理事会指令(91/676/EEC)」(硝酸指令)を公布し,農地から排出される水の硝酸濃度を50 mg/L未満にすることなどを規定している。そして,加盟国は硝酸指令に規定された条項の実施状況を4年ごとに欧州委員会に報告し,欧州委員会はそれらをまとめて欧州議会と閣僚理事会に提出することが規定されている。 2004〜2007年の実施報告書では,EU(当時27か国)の地下水の硝酸濃度は,モニタリングステーションの約66%で25 mg/L未満だったが,13%で25〜40 mg,6%で40〜50 mg/L,15%で50 mg/Lを超えていた。それでも,2000〜2003年の前回実施報告書(当時15か国)と比較すると,地下水の硝酸濃度は,モニタリングステーションの66%で,安定ないし減少が示された。しかし,一方で,地下水のモニタリングステーションの34%が硝酸汚染の増加を示し,ベルギー,フランス,スペイン,ポルトガル,ドイツ,アイルランド,イタリア,イギリスでは,ステーションの30%超が増加傾向を示した。とはいえ,アイルランドを除き,これらの加盟国では,水質が改善したステーションの割合のほうが,安定か増加傾向の割合よりも高く,ようやく水質改善の兆しが見えだした(環境保全型農業レポート.No.150 EUの第4回硝酸指令実施報告書)。 硝酸指令は,農業者が農地からの余剰な窒素排出を削減するために義務として守るべき農業方法を優良農業規範として規定しており,守らなければ罰金が課せられる。EU加盟国は,その一方で,規定された条項よりも厳しい農業方法によって,地域の水系の水質や生物多様性などの環境を改善する事業を用意している。それに参加すると,施肥量削減などによる収量低下などによって農業所得が低下する。しかし,収益低下分に対しては,定められた農業方法を守ることを条件に,補償金が支払われている(農業環境対策事業)。とはいえ,土壌に蓄積した硝酸はゆっくりと下方移動するので,農業方法を改善したからといっても,既に蓄積している硝酸による汚染が急速に改善されるわけではない。
●用語解説:キャッチクロップ,春作物・冬作物農地から流亡する硝酸量を減らし,かつ,EUの負担する農業環境対策事業の所要経費をできるだけ少なくするのに,キャッチクロップの栽培が有効であるとの研究を紹介するが,その前に若干の用語を解説しておく。 A.キャッチクロップ キャッチクロップは,日本では通常,「間作」または「間作物」と訳されている。間作は,「既に栽培している作物の畝間や株間に他の作物を栽培する作付け様式」(農業研究機構編著「最新農業技術事典」(2006) 農文協)であり,間作のために植え付ける作物が間作物となる。つまり,間作は同じ圃場に異種類の作物を同時に栽培する。しかし,欧米でのキャッチクロップは,オックスフォードの辞典では,「メイン作物の2つの畦の間に栽培する作物,または,メインの作物が栽培されていない時期に栽培する作物」となっている。また,ヤフーの百科事典では,「通常の2つの栽培時期の間に,遊んでいる土壌を利用したり,不作だったメイン作物(の損失)を補ったりするために栽培する生育の早い作物をいう。(例えば)(1)ダイコン,種球根からのタマネギ,ホウレンソウなどの生育の早い野菜(生育の遅い作物の畦間に栽培),(2)ライムギ,キビ,ソバなどの生育の早い作物,(3)飼料として利用されたり,鋤き込めば土壌肥沃度を増進したりする(青刈り)ダイズのような1年生マメ科作物。」とされている。 要するに,メイン作物の畦間にメイン作物と同時に栽培する作物だけがキャッチクロップではない。ヨーロッパの寒冷地帯では,作物を年1作しか栽培しないケースが多いが,その栽培期間以外の時期にいろいろな目的で植える作物もキャッチクロップである。キャッチクロップを間作物と訳すと,誤解を招くので,ここではキャッチクロップと表記する。 B.春作物と冬作物 下記に紹介する研究は,春作物(spring crops)と春作物の間に栽培するキャッチクロップの効果を論ずるが,春作物は,春に植え付け,その年のうちに収穫する1年生作物のことである。それゆえ,春作物と春作物の間に植え付けるキャッチクロップには,春作物を収穫した後の秋に植え付けて翌春のメインの春作物を植え付ける前に収穫する冬作物も多い。 冬作物は秋に播種して翌年に収穫する作物で,子実を生産する作物では子実生産に低温(越冬)を必要としている。
●紹介する論文EUの農業環境対策事業では,農地からの硝酸排出を軽減する対策として多くの農業方法が実施されている。しかし,その効果は直ぐに現れるものではないため,どの方法ができるだけ少ない経済負担で硝酸濃度の軽減にどれだけ効果的なのかが,明確に評価されているケースが少ない。下記のフランスの研究論文は,春作物の跡にキャッチクロップを導入することが,農地から排出される硝酸濃度を軽減するのに有効で,かつ,慣行栽培に比べた所得損失もわずかですむことを示したものである。Anne Lacroix,Nicolas Beaudoinb,David Makowskic (2005) Agricultural water nonpoint pollution control under uncertainty and climate variability. Ecological Economics 53: 115-127。この概要を紹介する。
●対象地域フランスの中央部から北部にかけて東西に広がるパリ盆地は,東部をドイツやスイスとの国境となっているジュラ山脈などと接している。そこから多数の河川がパリ盆地に流入しているが,その最も主要な河川が中央部を流れるセーヌ川である。パリ盆地のなかにあって,セーヌ川よりも北側でドイツ国境に近いブリュイエール(Bruy醇Qres)集水域を対象地域に著者らは分析を行なった。 この集水域は145 haの栽培農地を持った集約的栽培地帯で,作物の集約化は1950年代から草地を転換して継続的に行なわれている。このため,集水域の地下水の硝酸濃度は,1975年に25 mg NO3/L未満であったが,2000年には約60 mg/Lとなり,1975年以降年間1 mgの割合で増えている。当該地域では1989年以降,(1)施肥基準を守る,(2)春作物の前にキャッチクロップを播種する,(3)窒素の乏しい作物残渣を鋤き込む,などを定めた優良農業規範が履行されている。そして,1996年以降,これよりも環境にやさしい農業方法を守ることを契約した農業者には,EUの農業環境対策事業で所得補償が行なわれている。 当該地域では,地表に降った雨が地下水の帯水層に流入するまでの平均滞留時間は20〜25年と試算されている。1991-97年の6年間の平均年間降水量は709 mm(最小は436 mm,最高は939 mm),平均年間気温は9.8℃(最小は8.5℃,最高は11.0℃)であった。当該地域の,1991-97年に栽培された作物の種類と栽培面積の割合は下記のとおりである。 冬作物(ナタネ 6.1%,オオムギ 12.3%,コムギ37.7%),春作物(オオムギ 2.8%,エンドウ16.4%,シュガービート 17.8%,トウモロコシ1.5%,ヒマワリ 3.8%),被覆セットアサイド(牧草などで耕地を被覆した休閑)1.5%。これらの栽培面積割合の和は99.9%であるから,これらの作物は単独で年に1回だけ栽培されており,同じ圃場に2毛作の形で2種類の作物が栽培されていないことがわかる。
●分析の手法ブリュイエール集水域にある合計145 haの 36の圃場を対象にして,シミュレーションモデルを用いて,設定した6つの農業方法のシナリオを実践したときの収量とそれにともなう所得や地下水に浸透する硝酸濃度などを予測した。 A.シナリオ シナリオ(設定した農業方法)は下記とした。 (1)慣行栽培: 慣行どおりの栽培で,キャッチクロップは導入しない。施肥量は施肥基準量よりも多い。圃場全体の1.5%をセットアサイドする(耕種作物を栽培せずに休閑し,牧草や野草を生育させる)。 (2)総合的施肥管理: 硝酸脆弱地帯における優良農業規範で指摘された,作物の窒素要求量土壌からの天然窒素供給量を踏まえた科学的施肥基準を遵守し,化学肥料窒素施用量を最適施肥量に合わせる。これによって,標準収量を確保し,収穫後に残存する無機態窒素量をできるだけ少なくする。圃場全体の1.5%をセットアサイドする。 (3)総合的施肥管理+キャッチクロップ9月播種: 総合的施肥管理を行なった上で,春作物を収穫した後の9月にキャッチクロップを播種する。圃場全体の1.5%をセットアサイドする。 (4)総合的施肥管理+キャッチクロップ8月播種: 総合的施肥管理を行なった上で,春作物を収穫した後の8月にキャッチクロップを速やかに播種する。圃場全体の1.5%をセットアサイドする。 (5)施肥量削減+キャッチクロップ9月播種: 施肥基準の施肥量から窒素施用量を20%削減した上で,春作物を収穫した後の9月にキャッチクロップを播種する。圃場全体の1.5%をセットアサイドする。 (6)施肥量削減+キャッチクロップ8月播種: 施肥基準の施肥量から窒素施用量を20%削減した上で,春作物を収穫した後の8月に速やかにキャッチクロップを播種する。圃場全体の1.5%をセットアサイドする。 (7)セットアサイド: 限界耕地と呼ばれる生産力の非常に低い圃場を,生産から草地に転換して外すため,圃場全体の17%をセットアサイドする。 なお,これらのうち,施肥量を削減する(5)と(6)およびセットアサイドの(7)には所得補償がなされる。ただし,(2)の総合的施肥管理は脆弱地帯の農業者の義務であり,施肥量を減らしていないので,所得補償はない。また,キャッチクロップを植えても施肥量を削減しない(3)と(4)でも所得補償はない。 B.作物収量,溶脱硝酸濃度の予測 ブリュイエール集水域の気象データや圃場特性データなどのパラメータ,既往の研究も参考にして,既に作成しその有効性を確認してある作物の収穫量予測モデルによって,圃場ごとに,作物の収量や収穫後に土壌に残存する無機態窒素量,圃場から溶脱する硝酸濃度などを予測した。作物収量や残存無機態窒素量は,作物の種類別に,1991〜96年の6年間の日々の気象データ(温度,雨量,日照量),土壌タイプ,土壌の水分含量,播種期日,施肥期日,次作物,間作物の有無などを入力して,年次ごとに予測値を計算した。 また,秋から翌春までの圃場から排水量と溶脱硝酸濃度は,既往の別の予測式を用いて計算した。 C.コスト予測 設定した7つのシナリオを実施した場合の,集水域全体でのそれぞれの所得(収量およびコムギとオオムギの蛋白含量による粗収入,作物の栽培コスト,ならびに,キャッチクロップの栽培コストから所得を計算)を計算した。そして,慣行栽培と比較した所得の減額分をコスト予測額として表示した。設定したシナリオの(2)〜(4)では所得減額分は補償されないが,(5)〜(7)のシナリオでの所得減額分は農業環境対策事業で補償される。その際,EUの所得補償額や作物価格については3つのケースを仮定して計算した。 (a)1997年状況: 作物価格と所得補額を1997年のものとした。コムギ品質と春オオムギ品質に少額の割増金があり,コムギはパン用,春オオムギはビール用として,蛋白含量が満足できる場合に作物価格が高くなる。 (b)アジェンダ2000条件: 1999年の共通農業政策改革にしたがったものとした。穀物価格は15%削減されるが,所得補償額が増え,高品質穀物に対する割増金が多少増額される。 (c)品質割増金増額: 共通農業改革による穀物価格の引き下げによって,穀物市場にゆがみが生ずるかもしれない。それを是正するために,アジェンダ2000状況で高品質穀物に対する割増金を大幅に増やす修正案を予見して設定した。
●分析結果A.コスト予測額 7つのシナリオと3つの条件で行なった結果は,どの条件であっても類似の傾向なので,アジェンダ2000条件での結果を中心に述べる。コスト予測額(集水域全体での年間ha当たりの慣行栽培に比べた平均所得減少予測額)は,気象の違いによって6年間に変動するものの,シナリオ別にはある幅のなかに収まった(表1)。 総合的施肥管理では,施肥基準を超えている施肥量を基準量にまで削減するので,これによって収量が若干減って,所得が減少し,コスト予測額が若干増える。そして,総合的施肥管理を行なった上でキャッチクロップを栽培すると,キャッチクロップの栽培コスト分が所得減になって増える。キャッチクロップを8月に播種する場合は,春作物の収穫直後の労働力不足の時期に臨時雇用を行なわざるをえないので,9月播種よりもコスト予測額が高くなっている。 施肥基準の施肥量から窒素施用量を20%削減すると,収量がかなり減少して,コストが増える。それにキャッチクロップの栽培コストが加算される。 セットアサイドでは収穫物の売上がないので,コストは非常に大きくなる。
B.硝酸予測濃度 集水域では6年間の年間平均降水量は,上述したように709 mm(575〜939 mm)で,農地からの排水予測量は年間217 mm(40〜409 mm)である。降水量の多い年に集水域における農地からの排水量も増え,その中の硝酸の平均濃度予測濃度が高くなる傾向が認められ,排水中の硝酸濃度は年次によってかなり変動した。 慣行栽培では排水中の硝酸濃度が年次で大きく異なり,6年間の最大値と最小値の差が69.5 mg NO3/Lに達した。そして,キャッチクロップを栽培すると,排水中の硝酸濃度が慣行栽培に比べて低下すると同時に,年時間の変動幅も小さくなかった。 どのシナリオでも毎年の硝酸濃度を50 mg/L以下には減らせなかったが,8月にキャッチクロップを播種すると,6年間の平均硝酸濃度が規制値の50 mg NO3/Lを下回ると予測された。
●キャッチクロップ導入効果分析の結論検討した範囲では,少ないコスト負担で,硝酸濃度を引き下げる最適シナリオは,総合的施肥管理と収穫直後の間作物の植え付けの組合せであった。硝酸レベルを規制値の50 mg/L未満に減らすには,このシナリオなら,水道システム(浄水場と水道供給システム)を設置するよりも資金を要しない。水道システムの浄水コスト(減価償却費と運転経費)はフランスでは平均0.27 ユーロ/m3で,農村の小規模プラントでは0.3〜0.5 ユーロ/m3と試算されている。他方,ケーススタディでの最適シナリオである総合的施肥管理+キャッチクロップのコストは,当該地域での水消費量を想定すると,0.06〜0.08 ユーロ/m3となり,浄水プラントよりも安い。 しかし,上記のように,総合的施肥管理,施肥量20%削減,キャッチクロップやセットアサイドの導入では,農地からの排水中の硝酸濃度を毎年規制値以下に下げることはできなかった。この結果は,EUの示す農業管理方法を実施しても,硝酸濃度を急速に減少させることが難しいことを示している。当該集水域での農業生産システムを変更し,例えば,集約的輪作を大幅に減らすべきである。そのためには,共通農業政策の変更が必要にならざるをえない。
●おわりに日本の露地野菜畑では,秋の収穫後,もうけの少ない冬作物を栽培せずに,裸地のまま放置しておくケースが多い。翌春の5月〜6月になれば,露地畑での野菜栽培が開始されるが,梅雨の始まる6月にはまだ野菜の苗が小さく,作物の養分吸収力も弱い。秋の収穫後に土壌に残っていた硝酸が梅雨によって流亡して,地下水を汚染している。こうした露地野菜畑での硝酸溶脱を軽減するのに,冬作物の麦類などを栽培することが有効なことが日本でも確認されている。 輪作を行なって裸地になる無作付期間をできるだけ短くすることが,硝酸の溶脱軽減だけでなく,土壌侵食の軽減,土壌肥沃度の維持増進,土壌生物多様性の富化などの基本である。冬作物だけでなく,2011年度から至急される環境保全型農業直接支援交付金の対象になったカバークロップ,リビングマルチや草生栽培も,地球温暖化防止や生物多様性保全に加えて,硝酸の溶脱軽減にも有効なはずである。
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