No.19 殺菌剤耐性いもち病菌の出現
●いもち病殺菌剤(MBI-D剤)
イネいもち病は水稲の重要病害だが,最近は育苗箱に施用するだけで長期に効果の持続するMBI-D剤(ウイン剤,デラウス剤,アチーブ剤など)などが汎用されている。MBI-D剤は次の特性をもっている。すなわち,いもち病菌はメラニンを合成して自らの細胞壁の強度を高めてイネに侵入するが,メラニン合成を阻害されると,細胞膜の強度が低下して侵入できなくなる。メラニンの合成過程の脱水反応を阻害するタイプの薬剤がMBI-D剤(シタロン脱水酵素阻害型メラニン合成阻害剤)と呼ばれ,カルプロパミド,ジクロシメットまたはフェノキサニルを有効成分とする製品が販売されている。また,メラニン合成過程の還元反応を阻害する薬剤(MBI-R剤:パワーリード箱粒剤,ピロキロン剤など)も販売されている。MBI-D剤は育苗箱の土壌に施用するが,水溶解性が低いため,本圃に移植された後も,根圏土壌に保持されて,徐々にイネに吸収される。そして,イネ体内の根や葉鞘基部の導管に微結晶として保持されて,そこから新しい葉や茎に再配分されて,効果が長期に持続する。
●耐性菌の出現と拡大
MBI-D剤に耐性を持ついもち病菌の発生が2001年に初めて佐賀県で確認された。すなわち,それまではMBI-D剤でほぼ完全な防除効果が得られていたのに,2001年に佐賀県北西部の水稲で,この薬剤による防除効果が半減し,2002年にはほぼ佐賀県全域で防除効果が激減した(山口純一郎・古田明子・口木文孝.2003.MBI-D系統薬剤耐性イネいもち病菌の種子伝染と佐賀県における発生分布:山口純一郎・古田明子・宗和弘 .2003.佐賀県におけるMBI-D系統薬剤耐性イネいもち病菌の発生と防除薬剤)。そして,2002年には九州全県や中国,四国地方でも発生が確認され,2004年には栃木県の県北(栃木県農務部経営技術課.2005.イネいもち病薬剤耐性菌の発生と対応)や,岩手県の北上市でも発生が確認された(岩手県農業研究センター病害虫部病理昆虫研究室.2005.MBI-D 剤耐性イネいもち病菌の発生とその対策)。
●耐性菌の起源
九州沖縄農業研究センターの地域基盤研究部病害生態制御研究室は,いもち病菌株をDNAレベルで識別する方法(DNAフィンガープリントパターン)を用いて,九州各地から分離された耐性菌株を調べたところ,地域によって3つのグループが存在することが判明した。すなわち,福岡県などの耐性菌はSa5,佐賀県で蔓延した耐性菌はSa4,大分県と宮崎県の耐性菌はSa18であった(図)(九州沖縄農業研究センター.2005. 農薬の効かない"いもち病菌"が九州全域に発生)。また,鳥取県の耐性菌はSa8で,九州のものとは異なった(鳥取県農業試験場環境研究室.2005.薬剤耐性いもち病菌の発生状況)。
これらの結果から,MBI-D剤による処理によって,地域によって異なる遺伝子変異を持った菌株が生き残って特異的に増殖し,当該地域で伝播していったと考えられた。つまり,耐性菌の起源は単一ではなく,複数の起源に由来すると推定されたのである。このことは,未発生地域でも,MBI-D剤の連用によって耐性菌が出現するリスクが存在することを意味する。そして,保菌種子の流通によって耐性菌が拡散していることも疑われる(九州沖縄農業研究センター.2005)。
●なぜくり返される耐性菌の出現
1971年のポリオキシン耐性のナシ黒斑病菌やカスガマイシン耐性のイネいもち病菌の出現以来,耐性菌薬剤耐性菌が出現している。耐性菌株が自然突然変異で生じた場合,薬剤という選択圧によって感受性菌が死滅し,耐性菌が増殖して経済的被害を大きくする。突然変異による耐性菌株の最初の出現頻度自体を下げることはできないものの,同一薬剤を連用することは,特定の選択圧を強化して,当該薬剤に耐性な菌株の集積を助長することになる。このため,総合的病害虫・雑草管理実践指針案は,「農薬を使用する場合には,特定の成分のみを繰り返し使用しない」ことを管理ポイントに上げている。
これは病害虫防除で化学農薬を使用する際の基本だが,省力で効果の持続する農薬が販売されれば,農業者は当然その農薬を頼りにしたくなる。しかも,MBI-D剤については,農薬関係者は耐性菌が出現しないと考えていたようで,油断があったようである。メラニン合成阻害剤はMBI-D剤だけではないが,安易な期待を戒めて,農薬散布の基本を守ることが必要であろう。
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