No.40 イギリスの農薬使用規範
研修と資格取得が義務
イギリス(イングランドとウェールズ)は1990年に農薬の安全使用に関する規範(Code of Practice for the safe use of pesticides on farms and holdings (Green Code))を施行していた。しかし,EUの「食品衛生法」(EC Regulation 852/2004)が改正され,2006年1月から,人間および家畜の消費する農産物を生産する者に対して全ての植物保護剤(農薬)の使用記録を作成・保存することが義務づけられた。EUの法律改正に整合するように,農薬使用規範が改正され,2005年12月15日から施行された。改正された農薬の安全使用に関する規範 (Code of practice for using plant protection products)は,農薬をプロとして農業,園芸,工業用地・運動施設・公園等,林業で使用する者に適用される。規範は関係法律に準拠したもので,農薬使用に関して裁判沙汰になったときには,この規範を遵守したか否かが問われることになる。新規範は2006年2月13日に刊行された。新規範の概要を紹介する。
●農薬使用規範の構成
全166頁に及ぶ大著で,最初の18頁で農薬の危険性と非常時の対処法や,規範の法的位置づけを説明した後,研修と資格,散布計画の立案と散布農薬の調合,農薬散布作業,農薬廃棄物の処置,記録保持について,注意事項を丁寧に記している。
記述の中で次が注目される。
(1)輪作,品種,栽培方法,肥料,代替方法などを勘案して,農薬使用量を最小にする努力を強調している。
(2)散布者の被爆防止(18頁)と野生生物と環境の保護(12頁)について厳しく注意喚起している。
(3)農薬使用者に研修と安全使用資格の取得を義務づけている。
(4)農薬使用時の注意事項を具体的に記述している。
(5)農薬使用について驚くほどの数の記録作成と保持を義務づけている。
いくつかの注目点を下記に紹介する。
●研修と資格取得
規範改正の主眼は農薬使用記録の作成と保持にあるが,まず注目されるのが,プロとして農薬を使用する全ての者は農薬の安全使用に関する研修を受けた後,試験に合格して安全使用資格を取ることが義務づけられていることである。資格を有していない者は有資格者の指導の下に農薬を使用することになるが,指導者は農薬の調合から後始末までの全過程を注視して指導することが義務づけられている。
農業で農薬を使用しようとする者は民間団体のNPTCで資格テストを受験する。テストは必須単位(関連法規,農薬の人体・自然に対する危険性,農薬の不適正使用による危険性,安全使用方法,非常時の対処方法,健康チェック方法,記録保持など)と散布方法別の選択単位からなる。そのための研修は農科大学,研修機関等が開催している。くん蒸剤の使用には別の資格が必要となっている。資格は永久だが,農薬使用者の場合は有資格者の団体(the National Register of Sprayer Operators)に所属して,そこから提供される新情報によってプロ能力を絶えず向上させることが求められている。また,農薬販売者には別途の資格と研修がある。
日本では「農薬取締法」の第十二条の三において,『農薬使用者は,農薬の使用に当たっては,農業改良助長法 (昭和二十三年法律第百六十五号)第八条第一項 に規定する普及指導員若しくは植物防疫法 (昭和二十五年法律第百五十一号)第三十三条第一項 に規定する病害虫防除員又はこれらに準ずるものとして都道府県知事が指定する者(注:農薬管理指導士)の指導を受けるように努めるものとする。』とされ,農薬を使用する農業者の研修や資格は規定されていない。
●注意事項が具体的
イギリスの農薬使用規範では,農薬の調合,撒布,後始末の各過程について,注意事項がかなり具体的に記載されている。例えば,農薬使用前の注意事項を詳しく解説した後,下記項目をチェックリストで確認することを求めている。
(1)研修を受講し,資格を所得したか。
(2)製品ラベルを読み理解したか。
(3)イギリスの健康安全委員会事務局(HSE: Health & Safety Executive)のCOSHH評価を行ったか(後述)。
(4)最新の人体保護装身具を用意したか。
(5)水質汚濁農薬を使用する場合は水辺周辺に緩衝帯を設けることをDEFRA(イギリスの農林水産省)の発行する農薬地域環境評価(LERAPs: Local Environment Risk Assessment for Pesticide)で確認したか,ハチなどの昆虫を保護するための注意事項を養蜂協会,地表水や地下水を保護するための注意事項を確認したか。
(6)餌場など家畜の出入りする場所を汚染しないように考慮したか。
(7) 製品ラベルの指示にしたがって農薬散布区域に家畜や人間が一定期間立ち入らない措置を講じたか。
(8)環境保護地域や公道などに農薬を散布する際には許可を得たか。
(9)隣接者,養蜂者などに農薬散布の通告をし,注意書きを表示したか。
(10)農薬散布器具が正常に機能することを確認したか。
(11)非常時の備えとして,肌や目が農薬に暴露された際の救急器具を備えたり,緊急連絡先などをオペレータに確認したりしたか。
(12)農薬を散布地まで安全かつ適法に移動させることを確認したか。
(13)作業に合った農薬を選択し,必要量の計算を確認したか。
(14)残った農薬や製品容器などの安全かつ適法な後始末方法を確認したか。
日本では農薬のドリフトがポジティブ制度施行で問題になっている。農林水産省の「農薬の飛散防止対策の手引き」では,飛散をできるだけ少なくするために,下記を記している。
(1)散布量が多くなりすぎないよう気をつけましょう。
(2)風の弱い時に風向に気をつけて散布しましょう。
(3)散布の方向や位置に気をつけて散布しましょう。
(4)細かすぎる散布粒子のノズルは使わないようにし,散布圧力を上げすぎないようにしましょう。
これに対して,イギリスの農薬規範では,基本論として,風が強いときに撒布しないことに加えて次を記している。ドリフトの少ない散布に適した条件は,冷涼多湿で,風速0.9〜1.8 m/sec,隣接地や脆弱地の方向から風が吹いているときである。乾燥して温度の高い天候のときには,散布したミストが蒸発して小さくなり,ドリフトのリスクが高まる。このため,下記天候のときは散布しないことを記している。
・ 晴天で風がわずかかない朝または夕方には,大気層の撹乱がなく,ドリフトが大気にとどまりやすく,予期しない風の動きで思わぬところに飛散しやすい。
・ 湿度の低い暖かで風の弱い晴天の午後。
・ 気温が30℃以上のときには,上昇気流が生じてドリフトが思わぬところに飛散する。
そして,煙のたなびき方や枝の揺れ方などの自然現象から風速を判断して,農薬散布機使用上の注意を表にしてまとめている(表1)。
●記録の作成と保存
驚くほどの数の記録を作成し保存することが義務づけられている(表2,3)。
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