No.85 気候緩和評価モデル
〜農業の多面的機能の定量的評価
●農業の多面的機能
農業は経済活動として農産物を生産し,農業者の所得と地域経済を支えている。これと同時に,農村コミュニティの活力や伝統文化を支え,洪水防止や景観形成などを行なって,国民生活に貢献している。このように,農業が農産物生産機能とともに発揮している様々な機能を総称して多面的機能と呼んでいる。国際的には,多面的機能=農産物生産機能+その他の機能(「他面的機能」)と理解されている。「他面的機能」は無償で提供されているので,公益的機能とも呼ばれている。ただし,日本では,「食料・農業・農村基本法」で「他面的機能」だけを多面的機能と規定したことから,多面的機能に農産物生産機能を含まない解釈が一般化してしまっている。
「全国環境保全型農業推進会議」の環境保全型農業推進憲章は,その「基本理念」の中で,「環境に対する負荷を極力小さくし,さらには,環境に対する農業の公益的機能を高めるなど,環境と調和した持続的農業」を「環境保全型農業」と規定している。この意味で農業は環境負荷をできるだけ起こさないことはもちろん,農業活動を通じて公益的機能を維持・増進することが求められている。
●気候緩和機能の定量的評価
農業の持つ公益的機能の一つに気候緩和機能がある。農地が転用されて,工場,住宅地などからなるコンクリートジャングルの都市になると,気温が上昇して夜温も下がりにくくなって,住民は高温の過酷な夏を過ごさなければならなくなる。こうした例をもって,「農地は都市に比べて,気温上昇を抑えて,気候緩和機能を持つ」と表現される。
しかし,これまで気候緩和機能はこの表現のように定性的に論じられて,ここの農地をどれだけ住宅地に転用したら,地域の気候条件はどう変わるかといった定量的評価ができなかった。地域に現存する農地が地域環境の緩和に役立っており,農地を転用すると,地域環境がこれだけ悪化するといった気候緩和機能の定量評価が可能になると,行政的にも農業の意義を主張しやすくなる。また,都市計画サイドにしても,都市内や周辺の農地の気候緩和機能を活用した都市計画を立案することが可能になる。そうしたことを可能にするソフトが開発された。
●開発された「気候緩和評価モデル」
気候緩和機能を定量評価するソフトは「気候緩和評価モデル」と呼称されている。その概要は,井上君夫・大原源二・脇山恭行・中園 江(中央農研),木村富士男・黒川知恵・日下博幸・井上忠雄(筑波大学),後藤伸寿・吉川 実(みずほ情報総研),菅野洋光・佐々木華織(東北農研),畠中昭二(関東農政局)(2007) 農業・農村の気候緩和機能の評価モデル.農業・食品産業技術総合研究機構.平成18年度共通基盤研究成果情報.に記されている。これがどのようなシミュレーション式によるのかは複雑なので割愛する。
全国版気候緩和評価モデルver.2.3には,全国の気候データ,国土数値情報や海面水温データなどの計算に必要なデータが全て格納されている。対話形式で,どの区域を対象にして,そこの土地利用をどのように変更し,いつの時点の気候データを計算させるかを指定する。パソコンが結構な時間をかけて計算する(750 MB以上のメモリーを持つパソコンが必要)。そして,計算結果として,二次元の降水量,短波放射量,土壌水分,顕熱フラックス,潜熱フラックス等,および三次元の風速ベクトル,気温,混合比等を図化できる。これらによって簡単に気候緩和機能量の差異を調べることができる。このモデルの最小空間分解能は250 mである。
全国版気候緩和評価モデルver.2.3は膨大なデータベースを格納した巨大なソフトだが,そこから関東だけの計算ができる関東版が作成されている(中央農業総合研究センター (2007) 「気候緩和評価モデルでここまで解かる」.農林水産研究高度化事業に係わる研究成果集.関東版DVD付き)。この関東版は2007年2月20日に気候緩和評価モデルの説明会が中央農業総合研究センターで開催されたが,その際に参加者に配布された。
●つくば市周辺地域における農地の減少にともなう夏期の気温上昇
関東版にはいろいろな解析事例が掲載されている。その一つが,筑波研究学園都市開発前後における夏期晴天時の温度分布の上昇である。土地利用データとして,学園都市建設初期の1976年と完成後の1997年のデータを用いて,2004年8月2日12時の晴天時の気温分布をシミュレートした(図1)。その結果,つくば市・土浦市の西部,北西部と南部では広域にわたって顕著に温度が上昇したことが確認された。この原因として,つくば市周辺の温度上昇には学園都市の建設によって農地・林地が減少したことが強く影響しているが,この他にも,他の中小都市の開発によって農地・林地が転用されたことに加え,図には表示してないが,東京周辺で高温域(30℃以上)の面積が約3倍に拡大したことの影響も推定される。
●見沼地区における水田の減少にともなう夏期の気温上昇
埼玉県のさいたま市と川口市にまたがる約1,260 haの見沼田圃と呼ばれる地区は,かつて一面の水田であったが,現在では水田が大幅に少なくなっている。水田の減った1997年の土地利用を,水田のまだ多かった1987年の見沼地区周辺(約15km四方)の土地利用データで置き換えて,2001年7月12日の真夏日における気温がどう変わるかを計算し,その気温差が図示された(図2)。1987年当時の土地利用データで計算すると,7月12日の見沼地区の13時の気温は約32℃で,すでに都市化が進んでいた大宮,浦和の約35℃より明らかに低かった。そして,1997年の土地利用で水田と斜面林が大きく減少した区域(緑から赤色の部分)では13時の気温が0.5℃から2.5℃上昇し,20時には僅かな上昇と計算された。
●その他の応用事例
関東版には,気候緩和評価モデルのその他の応用事例として下記が紹介されている。
(1) 熊本市北東部の水田41 km2を市街地に変更すると,当該41km2の夏期の気温が上昇するだけでなく,熊本市全体にわたってヒートアイランドが拡大する。
(2) 広島市の中心部に3×2 kmの森林緑地を設けたとすると,緑地化した場所では夏期日中の気温が1〜1.5℃低下するとともに,北東側では3 kmくらい風下まで気温が0.5℃以上低下する。
(3) 京都・大阪周辺で市街地に隣接した林地が都市化してしまうと,ヒートアイランドが拡大する。
(4) 最高気温が31.9℃になった2004年7月23日の札幌市周辺60×60 kmについて,気温,風向,風速の水平方向と1600 mまでの垂直方向の分布から,この日の札幌市のヒートアイランドは地形風(地形の影響を受けて局地的に吹く強い風)によって強化されたと推測される。
●気候緩和評価モデルの可能性
日本では,ある区域内の農地や森林をすべて宅地や工場に変えてしまう仕方で土地開発がなされている。その結果,農地や森林が果たしてきた公益的機能が消失し,ヒートアイランド現象や,集中豪雨時に多量の雨水が下水道からあふれる都市型洪水などが起きて,社会的にも問題となっている。
「都市とは,農地や森林を排除した地域」という考えに立った都市計画がこれまで行われてきた。しかし,これからは農地や森林と共存した都市計画がなされることが望まれる。それが無理だとしても,都市の安全性や環境条件を確保するために,農地を含めた緑地の計画的配置と保全に努力する都市計画が望まれる。そのために,気候緩和評価モデルが活用されることが期待される。
全国版気候緩和評価モデルver.2.3あるいは関東版についての問い合わせは,開発の中心になった中央農業総合研究センター農業気象災害研究チーム 井上君夫氏(電話029-838-8514)にお願いしたい。
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