No.312 有機作物の品質目安としての低硝酸・高ビタミンCの可能性

・有機栽培作物は必ず高品質か

有機栽培作物は,化学合成農薬や抗生物質を原則として使用していない点で,残留農薬や抗生物質耐性菌の不安が少なく,慣行栽培作物よりも品質的に優れている(環境保全型農業レポート「No.240 アメリカ小児科学会の有機食品に対する見解」参照)。

有機農業が1920年代に創設された当時のドイツでは,都市化と工業化に反対し,ベジタリアンの食事,自給自足,天然薬品,市民農園,屋外での肉体活動,あらゆる種類の自然保全を理想とする「生活改善運動」が始まっていた。これがドイツ語圏での有機農業の先駆的動きの1つとなった。こうした動きの上に,1924年にシュタイナーが農業講座を開催し,これが有機農業運動の契機となった。

当時,科学的な植物栄養学はまだ確立されておらず,植物は土壌の腐植を栄養源としており,腐植を含まない無機物だけで植物が健全に育つはずがなく,有機物を施用して土壌肥沃度を維持増進しないかぎり,健全な植物は育たないと考えられていた。したがって,化学肥料で育てられた不健全な作物を食べていては,人間の健康が損なわれるという考えが支配していた(環境保全型農業レポート「No.263 有機農業は当初,生命哲学や自然観の上に創られた」参照)。

消費者は長いあいだ,科学的裏付けのないままに,有機農産物は体に良いと信じていた。1991年にEUが有機農業規則(Regulation (EEC) No 2092/91)を施行してから,EUの国々における有機物農業に関する研究が格段に増えた。

A.「有機と慣行の農畜産物の栄養物含量に差はない」− ダンゴアの結論

有機食品のほうが慣行の農畜産物よりも栄養的に優れていて,健康に良いといわれているが,科学的な検証が十分でない。そこで,イギリスの食品基準庁(FSA)は,このことが科学的に裏付けられるのかの検証を,ロンドン大学衛生熱帯医学大学院のダンゴア(Dangour)を代表者とする栄養公衆衛生研究チームに委託した。食品基準庁は,報告書の提出を受けて,2009年7月に,有機食品と慣行食品の間には栄養や健康効果に大きな差がなく,消費者は食品について正確な情報をえたうえで選択することが必要なことを広報した(環境保全型農業レポート「No.137 有機と慣行の農畜産物の栄養物含量に差はない」参照)。

この報告書の結論については,松永和紀著『食の安全と環境(気分のエコにだまされない)』(日本評論社.2010年.全224頁)にも紹介されている。この報告書で分析対象にした論文は1958年1月1日から2008年2月29日までの50年間に刊行されもので,栄養物などの組成に関する文献が162(作物農産物で137,畜産物で25),健康効果に関する文献が11であった。

この報告書を紹介した松永は,食品基準庁の「栄養的には違いがない」という結論は,有機食品の栄養価論争に終止符を打つものであろうと評価している。

B.その後の研究で栄養的な違いの存在が明確になった

その後も,EUを中心に欧米では,有機と慣行の食品の成分比較の研究が多数行なわれた。その結果,ダンゴアらのまとめた報告書とは大分異なる結果が出されてきた。例えば,ダンゴアらのまとめでは,硝酸やビタミンCも有機と慣行で有意差がないと結論されたが,その後の有機と慣行の農産物の品質を比較した多数の研究論文をまとめてメタ分析した結果,有機農産物では慣行に比べて,有意に硝酸含量が低く,ビタミンC含量が高いなど,多くの違いが明確にされている。その研究例としてニューキャッスル大学のバランスキーによるメタ分析結果を,環境保全型農業レポート「No.281 有機と慣行の作物で,抗酸化物質,カドミウム,残留農薬含量に有意差を確認」に紹介した。

こうした違いの原因として,バランスキーが指摘している点に加えて,次のようなことも影響していると考えられる。

すなわち,ダンゴアらの報告書は1958年以降の研究を分析対象にしたが,EUの有機農業規則が施行されたのは1991年からであり,その法律に準拠していない施肥管理した農産物も,当時は,化学肥料や化学合成農薬を使っていなければ有機農産物として扱っていたと考えられるからである。EUの有機農業規則では,家畜ふん尿やその堆肥の施用量は170 kg N/haを超えてはならないと,上限が設定されている。欧米では,家畜ふん尿とその堆肥に加えて,地力増進作物の輪作によって,土壌肥沃度形成が図られ,購入有機質肥料の施用は施設園芸を除きほとんどない。このため,EUの有機農業基準施行以降の研究では,通常,有機栽培では慣行に比べて,窒素の投入量が少なく,そのため,硝酸含量が少なく,それにともなってビタミンC含量が高くなっていることが,多数の研究を比較したメタ分析によって結論されている。

窒素施用量が少ない有機栽培では,多くの場合,グルコシノレートや抗酸化物質など,健康に良いとされる二次代謝産物含量も高まることが確認されている。環境保全型農業レポートの下記を参照されたい。

「No.229 有機栽培によるグルコシノレートの増加と害虫個体群の変化」

「No.258 有機作物に多い二次代謝産物が,作物の病害虫抵抗性と人間の健康に貢献」

「No.277 イソチオシアネートの抗ガン作用とその含量に及ぼす栽培条件の影響」

「No.296 有機栽培作物で高い抗酸化物質濃度は窒素多用で減少しやすい」

「No. 302 抗酸化物質による亜硝酸の害作用の緩和」

「No.305 なぜ有機栽培で野菜の抗酸化物質が増えるのか?」

・有機と慣行栽培した作物体の硝酸とビタミンC含量の比較事例

欧米の研究報告の硝酸とビタミンC含量の数値そのものを入手することは難しいが,購入した市販有機認証野菜について分析した東京都立食品技術センターの有田と宮田の研究報告は,多種類の野菜の102サンプルについて両者の含量データそのものを掲載している(有田俊幸? 宮尾茂雄 (2004) 有機認証野菜のビタミンC 及び硝酸含有量.東京都立食品技術センター研究報告.13.16‐21.)。そのデータを用いて,野菜の硝酸とビタミンCの含量の関係を調べた。

その際,慣行栽培野菜の平均的な硝酸とビタミンCの含量の代替値として,有田・宮田の報告にも掲載されているが,2004年の五訂食品成分表に記載されている数値を使用した(硝酸含量は野菜類の成分表の備考欄に記載されている)。

野菜の種類ごとの食品成分表の硝酸またはビタミンCの含量を100とし,野菜のそれぞれ分析値のパーセント値を計算し,硝酸とビタミンC含量の関係を図示した(図1)。

image311-f-01

その際,食品成分表の硝酸含量がゼロないし痕跡(trace)のキュウリ,トマト,ナス,インゲン,カボチャ,ピーマン,ブロッコリーとタマネギについては,食品成分表の平均値をゼロで除して商が無限大になるのを回避するために,硝酸含量のデータに1.0を加算して計算を行なった。食品成分表に硝酸含量のデータのないサトイモ,パセリは計算から除外した。また,計算した結果,他の野菜での結果に比べて数値が異常に大きかったチンゲンサイ(2サンプル)とアオジソ(1サンプル)も除外した(除外した野菜は14種類)。このため,22種類の野菜(カブ,コマツナ,ニンジン,ホウレンソウ,ダイコン,カラシナ,シュンギク,タアサイ,ネギ,ヒノナ,キョウナ,ロケットサラダ,ゴボウ,ハダイコン,キュウリ,トマト,ナス,インゲン,カボチャ,ピーマン,ブロッコリーとタマネギ),合計81サンプルの野菜での結果を図示した。

欧米の研究報告では,有機栽培の作物の硝酸含量は大部分慣行栽培のものよりも少ないが,図1では慣行栽培での値(100)を超えているものも少なくない。このことは日本では慣行栽培よりも窒素施用量が多い有機栽培の事例が多いことを反映していよう。そのことによって,かえって硝酸含量の多様なサンプルが提供され,硝酸含量の広い範囲にわたって,硝酸含量が増えるほど,ビタミンC含量が低下するという統計的に有意の関係が認められた。

・有機野菜の品質評価の一次指標としての硝酸とビタミンC含量の可能性

最近は化学分析テクニックの進歩によって,以前よりもはるかに多数の成分を機器によって自動分析できるようになった。こうした分析テクニックを用いて,食品の多数の成分を比較検討するフードミクスという新しい研究分野が生まれている。この手法を用いて有機と慣行の農産物の多数の成分の比較研究もなされている(Anna Vallver?-Queralt, Rosa Maria Lamuela and Ravent?s (2016) Review; Foodomics: A new tool to differentiate between organic and conventional foods Electrophoresis 37: 1784?1794. )。こうしたEUなどの研究によって,慣行農産物に比べて有機農産物では,窒素含量や硝酸含量が低く,ビタミンCや抗酸化物質などの含量が高いケースが多いことが確認されている。しかし,ある有機農産物の品質が優れているか否かを,現実の流通過程のなかで,こうした手法で多数の成分を測定してから判定するのは短時間に行なうのは無理である。

そこで,現実的な指標として,比較的迅速に測定できる硝酸とビタミンCの含量によって,当該有機野菜の品質が高いか低いかを判定することが可能と考えるが,どうであろうか。

すなわち,食品成分表の硝酸およびビタミンC含量に対して,有機野菜の硝酸含量がより少なく,ビタミンC含量がより高いことを確認することが有効と考える。日本の慣行栽培では平均でも窒素過剰栽培のケースが多いが,食品成分表の含量を慣行栽培の平均値とみなせば,硝酸含量がこの値を超えていなければ,当該有機野菜がそれほどの過剰施肥がなされていないと判定できよう。そして,ビタミンC含量が食品成分量の値を下回っていなければ,硝酸によるビタミンCや,保証はないが,抗酸化物質やイソチオシアネートなどの含量の低下が生じていないと,既往の研究を踏まえて推論できよう。

有機農産物なら慣行のものよりも高品質だと鵜呑みにするのでなく,せめて硝酸とビタミンCの含量の品質表示を行ない,これらが慣行に比べた条件を満たしていれば,無薬剤・高品質有機農産物とし,それでなければ,化学農薬や抗生物質を使用していない無薬剤品質農産物として,価格にも差をつける販売戦略が生まれてもよいと考える。ただし,食品成分表には硝酸含量が野菜類にしか記されていないので,こうした論議は野菜類にしか適用できないが,他の品目にもついても硝酸含量を食品成分表に記されることが望まれる。

・再び安定同位体比による有機農産物の判別について

有機農業は工程管理農業であって,そのために認証制度で工程管理のチェックが大切になっている。そして,収穫物だけでそれが有機と慣行のいずれの農産物であるかを判定することはできない。それでもなお,そうした判定が可能な手法に対する願望が存在する。

環境保全型農業レポート「No.209 窒素安定同位体比は有機農産物の判別に使えるのか」に記したように,化学肥料窒素と,魚粉などの有機質肥料や動物性の家畜ふん堆肥の窒素の安定同位体比が異なり,化学肥料窒素よりも動物性資材窒素のほうが高い。このため,動物性資材を施用して栽培した有機農産物の窒素の安定同位体比は,慣行栽培農産物よりも高くなる。しかし,鋤き込んだカバークロップ,ワラ堆肥などの植物質の安定同位体比は化学肥料と同様に低いため,植物質資材を施用した有機農産物を慣行農産物と判定する危険性が極めて高く,有機農産物の判別には使えない。

植物質資材に何ら論及することなく,窒素の窒素安定同位体比の手法をさらに発展させた研究がある。すなわち,植物体から硝酸イオンを抽出し,その窒素と酸素の安定同位体比を比較する手法が公表されている (A. Mihailova, A., N. Pedentchouk and S.D. Kelly (2014) Stable isotope analysis of plant-derived nitrate ? Novel method for discrimination between organically and conventionally grown vegetables. Food Chemistry 154: 238?245 )。

このイギリスの研究では,慣行の化学肥料として硝酸カリウムを使用した。有機栽培では鶏ふんを使用した。動物性窒素肥料を使用したので,作物体中の硝酸の窒素の安定同位体比が慣行農産物よりも高い。他方,硝酸カリウムの硝酸の酸素は,大気中の酸素に由来する。これに対して,有機栽培された作物は,土壌中で鶏ふんから無機化されたアンモニウムが硝化細菌によって生成された硝酸を吸収する。硝化過程で窒素は,土壌水の酸素と結合して硝酸を生じている。土壌水の酸素の同位体比のほうが大気中の酸素よりも低いので,有機農産物中の硝酸の酸素の同位体比のほうが低くなる。これによって慣行と有機の農産物が区別できるというのである。

しかし,イギリスでは年間降水量が600−700 mm程度のところが多いため窒素肥料として硝酸カリウムが使われているが、日本のように雨量の多い国では露地で硝酸カリウムを使うことは滅多になく,アンモニウム肥料を使うことが多い。有機栽培で植物性資材を使用し,慣行栽培で硫酸アンモニウムを使った場合には,この判定手法は全く通用しない。