●抗生物質の不適切な使用が耐性菌の蔓延を助長
抗生物質による感染症の治療は劇的な効果を示し,抗生物質は世界で広く使用されている。しかし,抗生物質の普及にともなって,抗生物質耐性菌が出現し,治療薬としての抗生物質の効果が失われたケースが少なくない。治療薬としての抗生物質の効果を保持するために,WHO(世界保健機構)は抗生物質の使用の厳格化を訴えている。今日,抗生物質が最も多く使用されているのは,人間の疾病の治療薬としてではなく,家畜の成育促進のための飼料への多量の抗生物質添加である。
環境保全型農業レポートは,これまでに下記の記事を紹介してきている。
・No.344 抗生物質の飼料添加を廃止すれば耐性細菌の出現が減少する
・No.341 抗菌剤の幼畜や幼児への投与は成長促進・肥満をもたらす
・No.158 アメリカが飼料への抗生物質添加禁止に動き出す
・No.80 抗生物質の代わりに茶葉で豚を飼育
・No.16 家畜ふん堆肥中の抗生物質耐性菌
これらの記事は,人間や家畜飼料に投与した抗生物質の一部が,その後環境に放出されて,ごく低濃度で,抗生物質耐性菌の出現や拡散にどのような影響を与えるのかについて論究していない。この問題について,既往の文献の整理によって環境中の抗生物質濃度を調べることから始めた,下記の研究レビューがある。その概要を紹介する。
L.K.M. Chow, T.M. Ghaly, M.R. Gillings(2021) A survey of sub-inhibitory concentrations of antibiotics in the environment. journal of environmental sciences 99: 21?27.
●抗生物質耐性の脅威
抗生物質耐性は,21世紀には人類に対する最大の脅威の1つとなっている。院内感染症を起こしている病原細菌の約70%は,少なくとも1つのタイプの抗生物質に耐性である。その耐性菌は多様な抗菌剤に対する耐性遺伝子を別の耐性細菌から獲得して,ますます耐性が高まって行く。そして,多剤耐性菌の増加とともに,有効な抗生物質が激減し,抗生物質耐性細菌の感染による死亡者が,世界で現在年間70万人から2050年には1000万人になると推計されている。
耐性細菌が蔓延していなければ,比較的安価で,感染症に対して顕著な治療効果を有する抗生物質が多用されて,2000年と2015年の間に抗生物質使用量が1日服用量で計量すると65%増加し,さらにこうした傾向が続くと,抗生物質の使用量は2030年には200%に増加すると予想されている。さらに抗生物質耐性菌の蔓延によって病院の入院期間が長くなり,経済的負担を増やし,特に低所得国で問題になろう。現在の趨勢であれば,抗生物質耐性菌による感染の影響は世界経済を2008年の世界金融危機に似たレベルの程度まで損ない,さらに2830万の人々を極度な貧困に追いやると予想されている。
細菌は,2つの方法で耐性を獲得している。一つは突然変異である。もう一つは,親から子への上下の伝達でなく,耐性菌から近くに生息する別の細菌株に遺伝子を水平伝達する仕方で耐性を獲得している。人間の治療,農業,水産養殖や家畜生産での抗生物質の使用によって,抗生物質耐性菌が生き残る巨大な選抜圧が微生物群集にかけられている。
しかし,医療や家畜飼養で使用されている抗生物質は,生体内ではわずかにしか代謝されていないことが多く,治療服用量の90%もが無変化で排出されうる。しかも抗生物質は標準の排泄物処理では除去されず,人間の排泄物流出液または家畜排泄物の作物への施肥を介して環境に放出されているのに加えて,作物への散布,埋立地の溶脱液,医薬品工場の排水を介して直接環境に入り込んでいる。このため,環境中の抗生物質濃度がどのくらいの濃度なのか,濃度によっては抗生物質耐性細菌が選抜されて増えていることが予想される。しかし,環境中の抗生物質濃度は断片的にしか把握されていない。
●抗生物質の環境濃度に関する文献調査
著者らは水環境中の抗生物質濃度を実測した文献をデータベースで検索し,1999年から2018年に刊行された40論文を一次データソースとした。
文献ごとに,報告された抗生物質(9つの抗生物質クラスに属する39の異なる抗生物質)の名称,濃度を記録し,可能な場合には,最低,最高,平均または中央値の濃度を記録した。サンプル数,検出頻度,場所,環境タイプ(水環境中の水と堆積物),検出方法,出典を濃度とともに記録した。887の環境抗生物質濃度が記録され,そのうちの212は堆積物サンプル,675は水サンプルのもので,ヨーロッパ,アジアと北アメリカのものであった。得られた具体的データは付属資料に詳しく書かれている。
●最小増殖阻止濃度と最小選抜濃度
抗生物質の細菌に対する作用の強さを比較するのに,最小増殖(発育)阻止濃度Minimum Inhibitory Concentration (MIC)と最小選抜濃度Minimum Selectable Concentrationとが使われている。
最小増殖阻止濃度は,抗生物質などの薬剤が細菌の増殖を完全に阻止するのに必要な最小の濃度(単位はμg/mL)で,この値が小さいほど有効性が高いことを示す。表1は,これまでになされた抗生物質の最小増殖濃度を調べた文献から,抗生物質の種類別に多様な検定した細菌種での結果を著者らがまとめたデータセットから作表したものである。
抗生物質は,最小増殖濃度未満であっても細菌の増殖に影響を与える。抗生物質耐性を有してはいても増殖の遅い細菌は,低濃度の抗生物質が存在する条件で,感受性よりも増殖が有利になって,選抜されやすくなる。それに加えて,最小増殖濃度未満の抗生物質の存在下で,突然変異や水平遺伝子伝達による耐性遺伝子の他の細菌細胞の耐性化を助長して,耐性細菌を選抜してゆく。この低濃度で耐性細菌の集積を選抜する最小の抗生物質濃度を最小選抜濃度といい,最小増殖阻止濃度の通常1/4と1/230(0.25〜0.0043)の間にあるとされている。この低い濃度条件下であっても,たった1回の耐性の創出が新たに起きれば,その耐性遺伝子が他の細菌に急速に拡散してゆく。
●水環境中の抗生物質濃度
水環境の水と底質の堆積物について抗生物質濃度を測定した文献を調べると,測定された抗生物質濃度の大部分は最小選抜濃度未満で,無影響と考えられる濃度(最小生育阻止濃度の1/230未満)であるが,表2に示すように,最小選抜濃度よりも高い事例も少なくない。例えば,アジスロマイシンの最小増殖阻止濃度の最小値は8μg/Lで,その無影響濃度は0.0358μg/Lだが,水で観察された最大濃度は0.088μg/Lを超えている。著者らがまとめたデータベースでは,環境サンプルの約2%の抗生物質濃度は,広範囲な細菌について観察された最小増殖阻止濃度の範囲と重複しており,最小選抜濃度と重複している事例はこれよりも多い。こうした濃度ではかなりの数の細菌が抗生物質耐性に関して強力な選抜圧下にあるといえる。
●抗生物質汚染には法的規制がない
環境に流出した抗生物質は低濃度であっても,抗生物質耐性細菌の創出や集積を助長して,人間の健康に脅威を与えている。こうした物質は汚染物質として法的規制の対象となって然るべきであろう。病院の排出液が高濃度の抗生物質を含有していることは証明されている。しかし,大部分の国で病院の排出液は,家庭廃液に分類されて,都市下水システムに入り込んでいる。
これを防止するには,人間や家畜の排泄物を処理して,抗生物質を除去できることが望ましい。しかし,抗生物質を除去するために排泄物を化学処理することは一般的でなく,それを行なうと,化学処理によって水を汚染するリスクが生ずる。さらに抗生物質の代謝産物は一般になお活発な抗菌作用を持っている。抗生物質の除去は理想的には,逆浸透膜のような物理的方法で抗生物質の約90%が除去できる。抗生物質の光分解は一般的で効果的な方法の1つであるが,このプロセスは時間と広いスペースを要する。
そうした処理技術でなく,抗生物質の消費量を減らす方が現実的である。特に低所得国で非常に効果的になりうる。例えば,きれいな水と基本的な公衆衛生が可能になれば,下痢性疾患が減り,ワクチンを効果的に使用できれば,今後の抗生物質の必要性を減らすことができる。また,人間の健康に大切な抗生物質は温存し,農業で使用してはならない。WHOは人間の健康に必須な抗生物質のリストを公表している。我々はこうした抗生物質の農業での使用を,人間の疾病の措置における有効性を保全するために,世界的に禁止しなければならない。
なお,一般に糞尿中における抗生物質の半減期は2〜100日の間と試算されており,施用するまでに十分な時間をかけ,土壌と混合するのが,現在の対処方法となっている。