●持続可能な開発目標
国連は,2015年9月に,2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標として,持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)を採択した(我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ・外務省訳)。目標は17の目標(ゴール)から構成されており,地球上の誰一人取り残さずに17の目標(表1)を達成すべく,発展途上国のみならず,先進国自身が取り組む普遍的なものとされている。
なお,下記の文章の( )内の目標と数値は、表1の目標番号を示す。
●革新的食糧増産システムといえども目標の達成が難しい4つの事例
今後の世界人口の増加と資源の制約を考慮すれば分かるように,目標の多くを達成するには,世界人口を養うのに十分な量と栄養の食糧の持続可能で革新的な増産技術が必要である。しかし,仮にそうした革新的増産技術を開発できたとしても,それを普及するには多くの要素を考慮すべきで,革新技術の実施に伴い,意図しないマイナス影響が生じうることも配慮しなければならない。こうした問題について,デンマークのコペンハーゲン大学のHerreroら,多数の国々の37名の研究者による下記の論文が,4つの革新技術を例にして考察を行なっており,その概要を紹介する。
M. Herrero, P.K. Thornton, D. Mason-D’Croz, et al. (2021) Articulating the effect of food systems innovation on the Sustainable Development Goals. Lancet Planet Health 2021.5: e50-62.
(1)有機廃棄物からの微生物蛋白質の生産
今後10年間に,特に中国やインドなど新興経済国では動物起源食糧の需要が急上昇すると予測されている。その際,食用や飼料用の蛋白質として,現在の農業のカテゴリーに入る家畜の生産する蛋白質でなく,廃棄有機物を餌にした従属栄養微生物や化合物製造の際に生じたメタン,二酸化炭素や水素のような気体を餌に増殖させた独立栄養微生物の蛋白質が,循環型蛋白質として活用されることが予想されている。
例えば,イギリスのクォーン・フード社は,植物病原性カビの一種であるフザリウム菌 Fusarium venenatum を培地で培養して抽出した蛋白質をクォーン(Quorn)という商品名で,肉の代替品として食用の肉製品に加工した冷凍製品の形で,ヨーロッパやアメリカの17か国で50億人前を販売している(典型的なクォーンは蛋白質45%,繊維25%)(Finnigan et al. Mycoprotein: The Future of Nutritious Nonmeat Protein, a Symposium Review.)。クォーンは加工の過程で混合した卵などのために,完全菜食主義者の食べられないものだが,卵などを排除したクォーンは完全菜食主義者にも食されている。また,アレルゲンの含有が確認されているが,アレルギーが発症した事例は極めて低い。
微生物蛋白質の生産は一般にダイズによる代替蛋白質の生産ほど経済的でないが,上述のクォーンは,人間の食糧として経済的に競合できる代替肉となっている。さらに,エネルギーコストが下がり,慣行の食糧コストが上昇したり,環境汚染に課税がなされたりすると,他の微生物蛋白質生産もすぐにますます魅力的な選択肢となろう。ただし,高所得消費者のマーケットで急速に伸びているダイズなどの植物ベースの蛋白質と異なり,循環型の飼料や食糧は大衆の支持を得るのには時間がかかるであろう。
循環型飼料テクノロジーは,いくつかの持続可能な開発目標にプラスにもマイナスにも大きく影響しうる。例えば,微生物蛋白質は,現在主に動物飼料に使用されているダイズ肉に対する需要を減らし,ダイズの収益性を低下させ,ダイズ栽培面積の拡大を低減させ,生物多様性(目標15)や温室効果ガス排出(目標13)に関連した目標にプラスの影響を与えよう。しかし,ダイズは蛋白質以外のものも生産している。その結果,ダイズ油の供給量の減少がヤシ油の生産と消費を増やすことになり,森林伐採(目標15)のスイッチを入れる可能性があり,非伝染性疾病を増加させる可能性もある(目標3)。微生物蛋白質は動物飼料に使用される魚に対する需要を減らし,それ自体は魚群の現存量に改善効果をもたらすであろう(目標14)。
広範囲に採用されたとすると,安価な飼料の供給が家畜価格を引き下げ,畜産物の消費を増やすことになろう。この結果は温室効果ガス排出量を増やし,既に肉の消費量が高いレベル(目標2)に達しているコミュニティにおける肥満や非伝染性疾病を増やす可能性がある。しかし,栄養不良の集団,特に子供や妊婦または授乳を行なっている婦人は,養状態や健康を向上できよう。安価な飼料価格は,規模家畜生産農業者の暮らしに影響しよう(目標1)。
(2)個人別栄養
個人の詳細な代謝データ,健康データや個人の遺伝的特性に合わせて,将来の病気を低減し,個人の腸内細菌の最適化を目指し,個人の要望に合わせた特別の組成の食材の購入,個人の優先事項に基づいて,個人の栄養状態に基づいて,自動的に個人別の食餌ガイダンスと食餌の推奨メニューを作成し,個人の食餌に介入することが提案されている。
個人別の栄養が食餌を改善できるとすれば,それによって非伝染性疾病をかなり減らすことができ,平均余命を向上でき(目標3),慢性疾病の低減によって健康管理費用の節約とともに,経済的及び社会的な相乗便益を生み出すことができる。仮に個人別栄養が健康的な食材に対する需要を高めるとすると,こうした食材の供給増加を助長し,果実や野菜の強力なマーケットを創出し,価格を引き下げ,アクセスしやすさを高めよう(目標2,10)。逆に,より健康的な食糧需要のシフトは,必須栄養素や生理活性化合物に富んだ食糧の価格を押し上げ,それによって健康的な食餌を貧しい消費者が入手しがたくしてしまう(目標2,10)。これに加えて,特定の生産物に対する需要の大幅な伸びは,農業拡大を引き起こし,土地利用の変更と生物多様性の喪失をもたらす(目標15)。平均余命の伸び(目標3)は,人口の増加ももたらし,それによって食糧システムや資源全般に対する圧力を増し,他の目標に対してマイナス影響を与える。退職年齢が変化せず,平均余命が長くなるとすると,従属人口比率<(幼年人口+老年人口)÷生産年齢人口>を高め,社会福祉計画に財政的影響を与えることになる(目標1)。
個人別栄養は,個人の能力や支払う意向に従って個人別の価格差を生じて,社会の中に健康や経済的な不平等を生じよう(目標2,3,10)。企業の作成する推奨メニューは,人々の健康に役立つ製品を供給するよりも,典型的には収入を増やすようにデザインされたものであり,そのため,消費者に必ずしも健康を向上させるとは限らない高価格の超加工食品(注:「糖分や塩分、脂肪を多く含む加工済みの食品。硬化油、添加糖、香味料、乳化剤、保存料など添加物を加え,工業的な過程を経て作られる,常温で保存できたり,日持ちを良くしたりしてある食品」)を購入するよう仕向けることになろう。個人別栄養は食糧システムとのつながりを高め,倫理面から発せられた食糧製品への消費者の需要が高まり(目標14,15),食糧廃棄物が減る可能性がある(目標12)。逆に個人別食餌は消費者を食糧システムから切り離し,社会との結合や消費者の責任が低下する可能性がある(目標11,12)。
(3)農業におけるオートメーションおよびロボット工学
これまでにもオートメーションやロボット工学は,食糧システム全体で使用されており(例えば,移植,収穫や環境モニタリング),さらに有望な応用として,植え付け,生育調査,苗つくり,収穫やハンドリング,家畜飼養,作物や家畜のモニタリング,病害虫防除,屠殺操作,食糧配送などがある。食糧加工プラントの多くでも,オートメーションやロボット工学が食品の安全性を向上させているが,衛生面でさらに導入する余地がある(例えば,清潔で殺菌できる,生肉用の衛生的なグリップ装置など)。
こうした考えられる利用によって,エネルギー経費を引き上げることになるが,食糧の生産や加工の労賃や農薬コストを引き下げることができる。オートメーションは,有害な農薬や危険な装置への暴露を減らして,人間の傷害を減らすとともに,認知バイアスを減らして経営上の意思決定を向上させるのに役立つ。オートメーションは,有害な農薬使用の利用効率も高めることができる(目標12,14,15)。投入物から生ずる廃棄物は,より制御された投与によって,減らすこともできる(目標12)。さらにオートメーションは,感染症の大流行,高齢化や低い人口増加率によって生ずる労働力供給の途絶という脆弱性を減らすことによって,供給チェーンの弾力性を支援できよう。これらのすべての要因は生産を向上・安定化させ消費者に対する食糧価格を引き下げ,それによって飢餓を減らすことになろう(目標2)。
注意すべきは,オートメーションは農業における資本金を大幅に増やすことになり,商業農業における労働や所得機会を大きく減少させるために,経済的および社会的不平等を高める可能性があることである(目標8)。オートメーションは均質な生産システム(例えば,穀物,野菜や果樹の単作)ほど良く稼働できるため,農業の多様性が減少すると予想される。景観は,規模の分布や農場の多様性の変化を介してかなり影響を受け,特に小規模農業者(目標10)や生態系サービスは影響を受けよう(目標14,15)。オートメーションは農業生産における熟練を要しない多数の仕事を減らし,農業労働者の都市への移動をもたらし,賃金の低下,都市での被雇用者や貧困を増やし,やがては適切な社会的支援がないと,社会的対立が高まろう。
とはいえ,オートメーションは,都市化が拡大したり,農業における高齢化によって労働力が制約されたりしている地域では,労働力不足を軽減しよう。さらにロボット工学を広範囲に使用することによって,ロボット装置の設計,製作や修理に関連した技能の必要性が高まろう。全体として,消費と生産の空間的分離が高まり,都市住民に対する土地や自然環境とのつながりはさらに断絶されよう。これに加えて,ロボット装置は,故障,電力の停電やハッキングのために,途絶を生ずる危険がある。
(4)穀物による窒素固定
20世紀における穀物生産の大幅な拡大は,1906年のハーバー・ボッシュ法の発明によって,無機窒素肥料の合成が可能になり,穀物生産の大幅な向上が可能になった。しかし,やがて無機窒素肥料の非効率的な使用が大幅に増え,経済的並びに環境的コスト(例えば,水質汚染)をかけ,持続可能ではないケースが日常化した。一方,空中窒素(N2)をアンモニウム態窒素への固定を,天然にはできない,またはわずかしかできない作物に窒素固定を起こさせることがかなり前進してきている。
いくつかの候補になるメカニズムがある。
- マメ科作物から根粒の共生的窒素固定系を制御している遺伝子を穀物に移す
- 植物根内に共生しているエンドファイトによる窒素ガスの固定の強化
- 根圏に生息する細菌による協同的窒素固定菌の強化
- 窒素固定遺伝子の植物への直接導入
などが考えられている。
なお,空中窒素の固定は多量のエネルギーを消費する反応であり,空中窒素固定遺伝子を組み込んだ作物では,作物の合成した糖を酸化して得られるエネルギーを多量に消費する。このため,無機窒素肥料だけでダイズを生育させた場合に比べて,無機窒素肥料なしで作物に窒素固定させた場合には作物の収量が減少し,ダイズの場合には空中窒素の固定のために,光合成産物がエネルギー源として消費され,その分の収量低下が生じて,無機肥料窒素だけで生産したときよりも収量が3割程度低下するといわれている。
遺伝子組換えに対する消費者,環境や法的規制の懸念に対処することができるとすれば,窒素固定作物は,無機窒素肥料に対する需要とそれに伴う投入コストや,食糧や飼料の低価格を引き下げることができ(目標2),水質汚染(目標6,14)や強力な温室効果ガスである亜酸化窒素の排出(目標13)の削減に役立つであろう。無機肥料の利用による窒素ロス量の低減による効果を確保するには,農業システムが根中の残留窒素や収穫後に土壌に残っている残留窒素を使用する必要がある。しかし,価格の低下によって食糧や飼料の双方に対する需要を高めて,家畜生産の増加を促し,直接的な環境負荷を増やすとなれば,環境保全効果を完全に相殺する可能性がある。
気候変動によって大気中の二酸化炭素濃度が増加すると,糖類の合成が高まり,窒素濃度が高まらないので,作物体の蛋白質濃度が下がると予想されているが,窒素固定穀物では蛋白質含量が増加して,蛋白質濃度の低下がある程度相殺されよう。蛋白質濃度の増加は家畜飼料としての穀物の利用を高めよう。また,穀物や動物性食糧の価格低下によって,これらの消費量が増え,食餌の多様性が低下し,非伝染性疾病が生ずる可能性がある(目標3)。しかし,無機窒素肥料の使用量を大幅に削減できることによって,良く管理された窒素固定穀物は作物のエネルギー消費量や汚染程度を減らし,土壌肥沃度を高めて生物多様性に対する便益が創出されよう(目標12,14,15)。
●論文のねらい
Herreroらは,上記4つの例を引き合いに出して,持続開発目標を達成するために革新的な技術開発を行なったとしても,どの技術であっても,意図した持続開発目標に直接貢献するとは限らず,プラスとマイナスの貢献を行なうのであって,その貢献には意図したもの以外に意図しなかったものもある。さらにその技術が社会的に採用されるか否かには,農業者の意向や社会的支援の有無も大きく影響している。そうした多面的な要素を踏まえて技術を事前評価する必要性を強調している。その詳しい内容は論文を参照いただきたい。