No.373 ナノ農薬の概要

●はじめに

 環境保全型農業レポート「No.372 ナノ肥料の概要」でナノサイズの肥料の概要を紹介した。今回は,農業分野で,最近ナノ肥料と同様に活発に開発研究が行なわれている,ナノ農薬の概要を下記の文献をベースにして紹介する。
E.A. Worrall, A. Hamid, K.T. Mody, N. Mitter and H. Pappu (2018) Nanotechnology for Plant Disease Management. Agronomy 8(12):285. 24pp.

●ナノ農薬とは何か

 ナノ農薬は,10から100ナノメートルの範囲の大きさに剤形した農薬機能をもったナノ粒子であるが,次の2つのタイプが存在する。
(注)ナノメートルは,10億分の1メートル(10-9m=100万分の1ミリメートル:10-6mm)

  • 農薬機能を有する物質のナノ粒子(農薬機能を持たない添加物などの物質を含まない)。
  • 農薬機能を有する物質を,農薬機能のない物質(担体)の表面や内部の孔隙に保持させたナノ粒子。

(1)農薬機能を有する物質のナノ粒子

(A)金属ナノ粒子

 ナノ農薬として研究されている物質の多くは,銀,銅,二酸化チタンや金などの金属粒子である。しかし,金属粒子ないし無機金属化合物を主成分にした農薬で,現在日本において登録されているものは,ボルドー液(殺菌剤として使われる硫酸銅と消石灰の混合溶液),金属銀水和剤(水稲種子消毒剤),リン化亜鉛(殺鼠剤)といった程度である。
 登録には至っていないが,研究段階では,植物病原菌を寒天培地全体に接種した後,その表面に小さな円形ろ紙を置き,そこに特殊な方法で製造した銀ナノ粒子の懸濁液を滴下して培養すると,銀ナノ粒子によって殺菌される病原菌の場合には,銀ナノ粒子が拡散したろ紙周縁部に菌の生えない透明帯が生ずる。こうした検定方法によって,Alternaria alternata(タバコ赤星病菌,イチゴ黒斑病菌),Sclerotinia sclerotiorum(菌核病菌),Rhizoctonia solani(リゾクトニア菌),Botrytis cinerea(灰色かび病菌)などに抗菌作用を示すことが確認されている。
 菌核病菌やリゾクトニア菌は,広範囲の作物を犯す多犯性土壌伝染性病原菌の代表で,これらの菌がいったん畑に集積すると,防除は極めて難しく,その跡に栽培できる作物が事実上なくなってしまうほどの恐ろしい土壌伝染性病原菌である。これらの難防除病原菌の防除に銀ナノ粒子が使えれば,大きな防除効果がえられよう。
 しかし,銀ナノ粒子を実際に畑にどのように施用するのか,作物の食物としての安全性は大丈夫か,土壌生態系に及ぼす影響には問題がないかなど,今後研究を重ねて,登録が認められなければ,現場で使用できない。

(B)キトサン

 植物の細胞壁の主成分は高分子多糖類のセルロースだが,菌類の細胞壁の主成分はキチンである。キチンは窒素を含む高分子多糖類で,キチンが脱アセチル化したものがキトサンである。キチンやキトサンを土壌に添加すると,キチンを分解する酵素(キチナーゼ)やキトサンを分解する酵素(キトサナーゼ)を生成する微生物が土壌で増殖してきて,糸状菌などの真菌類の細胞壁を損なって土壌の病原性真菌類を防除することが知られている(宮下清貴 (1996) キチナーゼと土壌病害の防除.『農業技術大系』土壌施肥編 第1巻 土壌と根圏IV+156の8〜12.農文協
 キトサンの抗菌作用メカニズムは,この他にも指摘されている。キトサンナノ粒子は植物組織にウイルス耐性を誘導して,アルファルファ,チョウジ,ピーナッツ,ジャガイモやキュウリのモザイクウイルスによる感染に対して植物組織にウイルス耐性を誘導する。キトサンナノ粒子は,フザリウムによる根腐れ,トマトの根腐れ,ブドウのボトリティス菌による房腐れ,イネのPhyricularia grisea(イネいもち病などの病原菌)の防除のような抗菌作用を示すが,細菌に対しては有効が乏しい。
 キトサンそのものは水に不溶だが,アミノ基の存在により高分子電解質の性質を示し,薄い無機酸や有機酸水溶液などにキトサン塩となって溶解する。そして,金属や各種酸性物質の吸着能を持っている。それゆえ,キトサンは抗菌作用を有するナノ粒子単独と同時に,農薬機能を持った成分のナノ担体としての可能性も有している。

(2)農薬有効成分の担体としてのナノ粒子

 ナノ粒子は,効果的なナノ農薬を開発するために,殺虫剤,殺菌剤,除草剤などの有効成分を封じ込めたり,カプセルに包み込んだり,吸収したり,付着させたりする担体として使用されることも多い。以下に紹介するのが,担体として使用される一般的なナノ粒子である。

(A)担体を用いたナノ殺虫剤の事例

  • 担体を用いたナノ殺虫剤の開発は,主にハスモンヨトウ,ナミハダニ,オオタバコガをターゲット害虫として研究されている。
  • シリカナノ粒子:シリカナノ粒子は,サイズ,形や構造を制御して目的に合った担体を合成しやすい。通常球形で細孔を有しており,その孔に農薬を保持して有効成分を保持し,持続的に放出するとともに,有効成分を紫外線による破壊から保護する。ケイ素が様々な非生物学的や生物学的なストレスに対する植物の耐性を高めることが,文献で指摘されている。このため,シリカナノ粒子はナノ農薬開発のための選択肢として当然のように考えられている。
  • キトサンナノ粒子:キトサンは,疎水性であるために水への溶解度は低い。このため,キトサンは通常,共重合体,有機物や無機物と混合して難溶性を改善している。キトサンは反応性のアミンやヒドロキシ基を有しており,こうした反応基を化学的に修正したりして,キトサンの性質を改善できる。たとえば,キトサンを葉や茎の表皮に良く付着して接触時間を長くすることで,有効成分の病害虫や雑草への吸収を容易にする。
  • 固体脂質ナノ粒子:殺虫剤の,散布後における有効成分の蒸発や揮散の軽減が課題になっている。エッセンシャルオイル(植物が産出する揮発性の油で精油ともいう)には昆虫の忌避や殺虫機能を持ったものも多いが,空気,光や高温の存在下では化学的不安定性のために急速に揮散してしまい,殺虫剤としての利用が難しいケースが多い。しかし,オキナヨモギのエッセンシャルオイルをガラスビンに入れただけの場合に比べて,エッセンシャルオイルを固体脂質ナノ粒子でカプセル化した場合には,48時間後に揮発分を45.5%に抑えることができた。

(B)担体を用いたナノ殺菌剤の事例

  • 殺虫剤と同様に,有効成分の低水溶性問題,揮発の低減を改善し,緩やかに効果を発揮するための持続的放出の安定性を向上させて,殺菌剤の効力を高めて,施用する有効成分量の低減を図るためにナノ粒子担体が用いられている。
  • 最も良く研究されているナノ粒子担体は,ポリマー(ポリ塩化ビニル,ポリビニルピリジンなど),シリカとキトサンである。殺菌剤のメタラキシルを中孔質のシリカナノ粒子に保持(カプセル化)させると,土壌における溶脱が減少した。30日間で,メタラキシル単独だと溶脱が76%にも達したのに,カプセル化したメタラキシルだと11.5%に低減した。
  • 植物への付着能力が高い特性を生かし,細菌のゴースト(細胞内容物のないぬけがら)を担体として用いて,殺菌剤のテブコナゾールを保持させた。そして温室内で,この殺菌剤を保持させたゴースト懸濁液を, 6つの植物(イネ,ダイズ,キャベツ,ワタ,オオムギ,トウモロコシ)に散布して付着させた後に,豪雨のように灌水したときの残存付着量を調べた。

 蛍光でラベルした殺菌剤を保持してないゴーストが最も良く付着していたのはイネの葉(葉に残っていたのは55%),最も低かったのはダイズの葉(葉に残っていたのは10%)であった。
 6つの全ての植物について,テブコナゾールを保持したゴーストを処理した場合と,市販のテブコナゾール処理だけを行なった場合について,広範囲の病原糸状菌を接種して比較した。降雨を受けなかった植物は,1つの例外を除き,ゴーストを担体として用いた場合も市販製品処理と同様に高い防除を示した。しかし,植物に1時間の豪雨処理を行なってから病原糸状菌を接種すると,大部分のグループは1つの例外を除くと,市販製品処理のようには防除を示さなかった。そして,テブコナゾールを保持したゴースト処理をしてから24時間後に作物に1時間の豪雨処理を行なうと,テブコナゾールを保持したゴーストは,市販テブコナゾール処理と同じかそれよりも高い防除を示した。

(C)担体を用いたナノ除草剤の事例

  • 除草剤のナノ担体研究では,他の農薬に比べて,除草剤によって生ずる環境影響の低減,すなわち,非ターゲット生物への毒性の低減をより重視している。
  • 除草剤のナノ担体として様々なものが試みられている。ポリマー(イプシロン-カプロラクトンなど),キトサンに加えて,pH依存性ポリマーで被覆したモンモリロナイト,ナノサイズのチューブ状のハロイサイトと板状のカオリナイトなどの粘土鉱物,中心部が空洞になった貝殻の形の炭酸マンガン,アミノ基が有効化された酸化鉄(II,III), 鉄の磁性ナノ粒子やナノサイズの籾殻,固体脂質ナノ粒子などが現在までに使用されている。
  • シマジンやアトラジンを保持した固体脂質ナノ粒子は, 標的植物のセイヨウノダイコンに施用すると,除草剤単独の場合に比べて,出芽前に施用すると殺草効果がもっと高く,出芽後に施用すると同程度の効果を示した。そして,非標的植物のトウモロコシでテストすると,植物生育への影響が観察されなかった。
  • 廃棄物の籾殻を機械的にナノサイズの粒子に粉砕し,それに2,4-Dを保持させた。このナノ粒子に保持された2,4-Dは,2,4-D単独よりも標的のアブラナ属植物に対して良好な除草有効を示した。土壌における溶脱も,除草剤がナノサイズの籾殻に結合していると減少することも認められた。

●ナノ農薬への期待と問題点

 ナノ農薬は,現在の病害虫管理技術に革命を起こす可能性を持っている。ナノ農薬の開発は次の利点をもたらすことができる。すなわち,

  1. 水難溶性農薬の溶解性の改善
  2. ナノ粒子への保持による農薬の生物利用性と有効性の向上
  3. 保存期間の延長と有効成分の放出制御
  4. 有効成分の標的生物に対する特異的な放出とpH依存放出
  5. ナノ粒子担体への有効成分の保持による有効成分の破壊の遅延化,紫外線に対する安定性向上や降雨による溶脱低減
  6. 選択的毒性の向上と農薬耐性の克服

 このようにナノ農薬は環境と人間の健康に対しても好ましい可能性を有している。開発されたナノ農薬は開発のまだ極初期段階にある。このため,土壌や環境中でのナノ農薬の有効性や毒性についてさらに詳しく研究する必要がある。ナノ農薬に関する多数の研究のうち,圃場試験を実施したのはたった2つにすぎず,現場での実証研究が乏しい。また,ごく少数の研究しか経時的試験が行なわれておらず,長期試験が現在なされていないことである。また,ナノ農薬の使用方法などに関する基準に関する法律を制定するためのデータが欠如している。ナノ農薬の使用を一般に可能にするには,法的規制を整備する必要がある。