No.380 世界中の農業を有機農業に転換するには食餌の変更が必要

●有機農業に対する半世紀前の評価

 1974年のアメリカ科学振興協会(AAAS:雑誌 Science の発行元)の年次総会で,パネリストは、有機農業に対して次のように評価した。
 有機農業は科学的にナンセンスで,食糧について流行を追いかける変人の領域であって,大衆を混乱させ驚かせて食糧費用を余計に払わせる偽科学と評価した(W. Lockeretz What Explains the Rise of Organic Farming? in Edited by W. Lockeretz. ORGANIC FARMING: An International History. CAB International 2007.)。
 しかし,その後,化学肥料や化学合成農薬に依存した農業の集約化が一段と進展し,化学資材による水質汚染,化学合成農薬の作物残留,化学肥料による作物体の硝酸塩濃度の上昇などによって,食糧の安全性に加えて,水質汚染や農薬散布による野生生物の減少などが懸念されるようになった。このため,農業によって引き起こされた環境ダメージを防止し,“健康に良い高品質の食糧を消費したい”という社会的願望が高まり,過度な化学資材への依存からの脱却が大きな課題となった。このため,化学資材を使用しない有機農業への関心がさらに大きく高まり,北アメリカとヨーロッパを中心に有機農産物の需要が高まり,それに供給する有機農産物の生産が北アメリカやヨーロッパでの生産だけでは足りずに,途上国がその不足分を生産して輸出するようになり,世界的に有機農産物の生産と消費が飛躍的に拡大した。
 有機農業では化学資材の使用を原則として排除するので,慣行の集約農業で問題になった,水質汚染,農薬残留などの環境への悪影響が大きく低下する。しかし,以前から有機農業の環境影響として問題になっていたことの一つに,有機農業では単位面積当たり土壌からのN2O(亜酸化窒素,酸化二窒素または一酸化二窒素)排出量が少ないのに,作物生産量が慣行農業よりも少ないため,単位生産物量当たりでみると,地球温暖化ガスのN2O量が多くなるとされた。これが正しいとすると,有機農業を拡大してゆくと,多くの環境問題は改善されるものの,慣行農業よりも面積を増やして生産物量を慣行農業と同じ水準に維持すると,N2Oが慣行農業よりも多くなってしまうことになる。このため,有機農業は温室効果ガスの排出量については,慣行農業よりも多くしてしまう弱点を抱えてしまう。
 しかし,有機農業のこの“弱点”は正しくない。もっと大切な問題があることを下記の論文が指摘している。その概要を紹介する。
 S. Clark (2020) Organic Farming and Climate Change: The Need for Innovation. Sustainability 2020, 12, 7012. 7pp.

●有機農業と慣行農業による土壌からのN2O排出量

 上述したように,有機農業では慣行農業でよりも単位面積当たり土壌からのN2O排出量が少ないのに,単位生産物量当たりでみると,地球温暖化ガスのN2O量が多くなるとされていた。このことをSkinnerらの論文で見てみよう(表1) (Skinner, C. ; Gattinger, A. ; Muller, A. ; Mäder, P. ; Flie bach, A. ; Stolze, M. ; Ruser, R. ; Niggli, U. (2014) Greenhouse gas fluxes from agricultural soils under organic and non-organic management − A global meta-analysis. Science of Total Environment. 468, 553-563.

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 表1は,単位面積当たりと単位収穫物量当たりのN2O排出量を調べた合計12の研究論文をメタ分析を行なった結果の一部である。論文数が全体で12,そのうち11が耕地(水田を除く)だが,これらは年間を通してN2Oの排出を測定したものである。

メタ分析:既に刊行されている複数の文献の研究結果を集めて特定項目についての研究結果を統計解析し,個別の研究では得にくい,共通する結果や新たな結果の確認を行なう解析手法(詳しくは環境保全型農業レポート「No.257 有機食品と慣行食品の安全性と品質をめぐる意見の対立」を参照)。

 表1に示すように,全体の土地利用と耕地の双方とも,単位面積当たりのN2O排出量は有機栽培のほうが小さく,単位収穫物量当たりのN2O排出量は,以前には有機栽培の方が大きいとされていたが,複数の論文の結果を集めてみると,差は当初観察されていたよりは小さかった。そして,Skinner らは,単位生産物量当たりの排出量が慣行管理に匹敵するには,有機の収量が9%増える必要があると計算した。
 また,Tuomisto らはヨーロッパでの研究を使ってメタ分析を行なった。一部の生産物グループでは生産方法によって差があるものの,慣行生産に比べて有機生産からの温室効果ガスの排出量が少ないとか多いといった,全体的傾向を認めなかった。
彼らは,有機のオリーブ,牛肉や“一部の作物”で温室効果ガスの排出量が少ないが,有機ミルクではCH4(メタン)やN2Oの量が多く,年間のミルク生産量が少ないために,単位生産物量当たりでは排出量が多かったことを報告した。従って,多様な生産物を通してみると,生産物量当たりでは,文献中の結果は混じりあっており,一般化は不確かと結論した(Tuomisto, H. L. ; Hodge, I. D. ; Riordan, P. ; Macdonald, D. W. (2012) Does organic farming reduce environmental impacts? A meta-analysis of European research. J. Environmental Management. 112, 309-320.)。

●生産プロセスは農産物のライフサイクル全体のごく一部に過ぎない〜家畜肉類の消費を減らすことが必要

 その後,農産物の生産プロセスだけでなく,その後の流通,消費,廃棄までの全プロセス(ライフサイクル)における温室効果ガスの排出を評価(ライフサイクルアセスメント)する研究が行なわれた。その結果,有機生産と慣行生産のプロセスで排出される温室効果ガスは,ライフサイクル全体のわずか12-15%しか占めず,生産プロセスの後の洗浄,包装や輸送のような他の段階が残りを占めていることが判明した。このことは,有機と慣行の農産物の生産プロセスからの温室効果ガスの排出の違いだけを論ずるのでは視野が狭いことが指摘された。
 Treuらは,ドイツにおいて,慣行と有機の食餌でどのような食材がどれほどの量だけ食されているかを統計から分析し,その生産から消費までで発生する温室効果ガスの排出量を比較した。
慣行食餌は単位面積当たり温室効果ガスの排出量の多い肉類を平均で約45%も多く含むのに対して,有機の食餌は,肉類よりは単位面積当たりの温室効果ガスの排出量の少ない,野菜,果実や豆類を慣行食餌よりも多く含んでいたことが注目された。このことから慣行の食餌のほうが有機の食餌よりも温室効果ガスの排出量が多くなると推測される。それにもかかわらず,慣行農産物だけを購入している人の食餌と有機農産物を多く購入している人の食餌は,ともにほぼ同じ量の約1250 CO2相当量/人・年の温室効果ガスを排出していた。これは,特に豚肉と鶏肉が多いために,慣行食餌では単位食餌当たりの温室効果ガスの排出量が押し上げられたのに対して,有機食餌では収穫量が低いために,より多くの面積の農地での生産を要して,温室効果ガスの排出量が押し上げられたためと理解された。
 輸送での排出も,有機の食餌のほうが,生産の場が少ないためにより遠くまで生産物を運搬しなければならならず,温室効果ガスの排出量が若干高かった。著者らは,家畜ベースの食餌を少なくするようにすることのほうが,有機生産を拡大するよりも温室効果ガスの排出を削減するのに有効であろうと指摘している(Treu, H. ; Nordborg, M. ; Cederberg, C. ; Heuer, T. ; Claupein, E .; Hoffmann, H .; Berndes, G. (2017) Carbon footprints and land use of conventional and organic diets in Germany. Journal of Cleaner Production. 161, 127-142.)。
 Mullerらは,2050年に世界中の農業が100%有機農業に転換した際の結果を,温室効果ガスの排出を含む環境影響の範囲で予測した。
 彼らは,有機システムでは単収が平均で低く,従って,人間の消費用のエネルギーと蛋白質の利用可能性を同じに維持するためには,もっと多くの土地が必要になることを認めていた。彼らはまた,廃棄物,肉類の消費量,耕地での家畜生産を減らす行動面や技術的な変化の影響も分析した。考えうる一連のシナリオとして,“有機生産を60%,食糧と競合する飼料の50%に削減,食糧廃棄物を50%削減なら追加の農地をほとんど要しない”とした。彼らは,100%有機生産に転換しても温室効果ガスの排出量の50%を削減が達成できるとしたが,それは同時に家畜生産,肉類消費や食糧廃棄物が削減された場合だけであるとした(Muller, A. ; Schader, C. ; El-Hage Scialabba, N. ; Bruggemann, J. ; Isensee, A. ; Erb, K. H. ; Smith, P. ; Klocke, P .; Leiber, F .; Stolze, M. Strategies for feeding the world more sustainably with organic agriculture. Nature Communnications. 2017, 8, 1290. 13pp.)。