No.209 窒素安定同位体比は有機農産物の判別に使えるのか

●有機農業の間違えた解釈

コーデックス委員会(国際的な食品基準,ガイドライン,優良行為規範などを策定する国際機関)の有機農産物表示のガイドラインのなかで,「有機農業は一連の環境にやさしい方法の一つである。有機生産システムは,社会的,生態的および経済的に持続可能な最適農業システムを達成することを目指した,特定の明確な生産基準に基づくものである。」と規定されている(環境保全型農業レポ
ート「No.207 有機農業の理念と現実」参照)。

 この規定のように,有機農業は単に化学合成資材を排除して安全な農産物を生産することを目的にした農業ではなく,農業生産を行なっている場とその周辺の環境保全を図ることが重要な使命となっている。そして,過度の化学物質の使用や,伝統的な人間の生き方から大きくずれていると考えている遺伝子組換え生物や下水汚泥の利用なども排除して,できるだけ自然と調和した人間の生き方に戻そうという考えが根底にある。こうした考えに沿った定められた生産基準で生産されることが有機農産物の条件となっている。この基準にしたがって生産された農産物であることを担保しているのが,有機JASなどの認証制度である。

しかし,生産現場から遠く離れた消費者の多くは,有機農業が環境に与えている影響などは目に見えず,農産物そのものが安全でおいしくなければ,高い対価を支払うことに納得できない。そのため,有機農産物は慣行農産物よりも品質的に優れていて,それを収穫後の分析によって証明できることを強く希望している消費者が多い。この理解だと,有機農業は安全・高品質な農産物を生産する高付加価値農業でしかなくなる。

●窒素の安定同位体比

収穫後に農産物が有機であるか否かを判別する方法として,窒素安定同位体比による方法が有効であると提案されている。提案内容の紹介は後に回して,まずはその理解に必要な,窒素の安定同位体比を説明する。

通常の窒素元素は原子量14で,14Nと表記され,大気中の窒素元素の99.6337%を占めている。残りの0.3663%は原子量15の窒素元素で15Nと表記される。いずれも放射線を出さない安定同位体である。生物体や土壌中に存在する14Nと15Nの比は一定ではない。両者の存在比は,試料中の15Nの存在割合(R =15N /14N)で表示される。そして,2つの試料の15Nの存在割合(R)を比較する際には,δ(デルタ)15NN値を用いる。すなわち,

δ15N値=[(試料のR)/(標準試料のR)−1]×1,000

(単位: ‰,パーミル(千分率);1000分の1を1とする単位で,1 ‰=0.1%)

標準試料には,空気の窒素ガスを用いる。このため,δ15N値がゼロなら,試料のRが空気の窒素ガスと同じことを意味し,プラスなら,試料のRが空気の窒素ガスよりも大きく,マイナスなら小さいことを意味する。

化学肥料窒素は空気中の窒素ガスを固定したアンモニアから製造されており,また,マメ科作物などによる生物的窒素も空気中の窒素ガスを固定している。このため,化学肥料窒素や生物的窒素固定を行なっている植物体のδ15N値は,マイナスか,わずかにプラスである。これに対して,動物体や動物の排泄物のδ15N値はかなり大きなプラスの値となっている。こうしたδ15N値の違いを利用して,窒素固定性作物体のδ15N値を分析して,作物が吸収した窒素が,土壌有機物から無機化されたものと,空気中の窒素ガスから固定したものとに,どの割合で構成されているかが解析されている。また,地下水を汚染している硝酸のδ15N値から,農地から流亡してきた化学肥料と,家庭の汚水浄化槽の浄化排水や家畜ふん堆肥とが,どれだけの割合で寄与しているかなどの研究がなされている。

●窒素安定同位体比による有機農産物の判別手法!?

中野明正(野菜茶業研究所:現在,独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構)は,有機JAS認証を受けた果菜類と,スーパーマーケットで購入した同じ種類の認証を受けていない果菜類のδ15N値を比較した。その結果,いずれの果菜類でも有機農産物の表示のあるもののδ15N値は+5 ‰を超え ,有機農産物の値が表示のないものに比べ高かった(図1)(中野明正・上原洋一・渡邊功 (2002) 有機農産物認証を受けた果菜類のδ15N値.日本土壌肥料学会雑誌.73: 307-309;中野明正 (2005) 農業技術大系 土壌施肥編 第4巻 土壌診断・生育診断の基本−農産物品質診断.p.基本371-377)。

さらに,栽培県を18県と中国,分析する野菜試料を25品目,合計106点の市販試料に拡大して同様にδ15N値の分析を行なった。その結果,ほぼ同様の結果が得られ,有機農産物表示のあったものの72%が,また,表示なしの試料の32%が+5.0 ‰以上のδ15N値をとっていた。基準値として+4.0 ‰を採用した場合は,有機農産物表示のあったものの80.4%が+4.0 ‰以上の値をとり,表示なしのものは45%であった。

また,市販品でなく,研究所(民間研究所,公立研究所および野菜茶業研究所)で栽培された129点の試料のδ15N値も分析した。この場合は,有機JASの認証を受けたものでなく,有機物施用区を有機農産物相当とした。この中には家畜ふんと合成緩効性窒素肥料のCDUを併用した区も有機物施用区としているので,厳密な有機JAS農産物ではないことに注意する必要がある。こうした合計129の試料で,δ15N値が+5.0 ‰以上の値をとる試料は88.1%,化学肥料施用区(表示なしに相当)の試料では25.3%であった。基準値として+4.0 ‰を採用した場合は,有機物施用区で97.6%が+4.0 ‰以上の値をとり,表示なしのものは32.2%であった。市販試料に比べ施肥管理がより厳密であったため,明確な結果になったと考えられた(中野明正・上原洋一 (2004) 有機肥料で栽培した野菜と化学肥料で栽培した野菜を判別する基準としての窒素安定同位体比の適用.野菜茶業研究所報告.3: 119-128;中野明正 (2005) 農業技術大系 土壌施肥編 第4巻 土壌診断・生育診断の基本−農産物品質診断.p.基本371-377)。

こうした結果から,中野(2005)は,「有機農産物の認証において,現行では検査員が聞取りで行なうといった手法がとられるが,このような調査を数値的に保証するために,δ15N値が使用できる可能性がある。すなわち,有機農産物と称する農産物のδ15N値がある値(たとえば+5.0 ‰)を下回った場合,それが有機農産物でない可能性が考えられ,詳細に検査する対象とする,という使い方が考えられる。」と結論した。

●有機物資材のδ15N値

下記の既往の文献から,化学肥料や有機物資材のδ15N値を表1にまとめた。

(1) 米山忠克 (1987) 土壌-植物系における炭素,窒素,酸素,水素,イオウの安定同位体自然存在比:変異, 意味,利用.日本土壌肥料学雑誌 58(2),: 252-268

(2) 森田明雄・太田充・米山忠克(1999)肥料の種類の違いが茶園土壌と茶棚のδ15N値に及ぼす影響.日本土壌肥料学雑誌 70(1):1-9

(3) 徳永哲夫・福永 明憲・松丸 泰郷・米山 忠克 (2000)堆肥および化学肥料を施用した水田におけるδ15N値を用いた水稲の起源別窒素量の推定の試み.日本土壌肥料学雑誌 71(4): 447-453

(4) 中野 明正・上原 洋一・山内 章(2003) 堆肥施用がトマトの収量,糖度,無機成分およびδ15N値に与える影響.日本土壌肥料学雑誌 74(6), 737-742

(5) 佐藤紀男・三浦吉則 (2008) 有機質肥料の種類による作物体中δ15N値の変動.圃場と土壌.40(7): 15-18

(6) 西田瑞彦 (2010) 重窒素を用いた直接的手法による水田における有機質資材由来窒素の動態解明.東北農業研究センター研究報告.112: 1-40

原子量14と15の窒素では,生物による利用性に違いが存在する場合(利用性の分別程度が大きい場合)と存在しない場合(利用性の分別程度が小さい場合)とがある。空中窒素の固定では2つの同位体の分別程度が小さいため,固定された窒素のδ15N値は空気とほぼ同じである。このため,空中窒素固定による窒素で生育した植物体のδ15N値は低く,フレはあるが,全体の平均値は0に近い(表1)。

植物遺体が微生物によって分解される際には,軽い14Nの方が早い反応速度で無機化されてアンモニウムに変換され,アンモニウムが硝化細菌によって硝酸に酸化される際にも,14Nの方が早い反応速度で硝化される。このため,分解の遅い土壌有機物には15Nが濃縮され,δ15N値が高くなる(木庭啓介・高橋和志・高津文人 (1999) 安定同位体比を用いた森林生態系における植物−土壌間の窒素動態研究.日本生態学会誌.49: 47-51)。無肥料で栽培した非窒素固定植物体は,15Nの濃縮された土壌有機物が無機化されて放出される,15Nの存在比の高い無機態窒素を吸収する。このため,非窒素固定植物体のδ15N値は窒素固定植物よりも高くなる(表1)。

水域生態系では,経験的に食物連鎖の栄養段階がひとつ上がるごとにδ15N値が3.3 ‰上昇することが知られている(山田桂裕・吉岡崇仁 (1999) 水域生態系における安定同位体解析.日本生態学会誌.49: 39-45)。動物性有機質肥料や家畜ふん堆肥のδ15Nが,植物体や植物性有機質肥料よりも高いが(表1),これは植物を動物が食べた際にこれと同様に動物のδ15N値が高くなるためと理解される。

植物体の15N濃度は,植物が吸収同化する窒素のδ15N値と,植物体での窒素の代謝・転流における同位体分別によって決まる(米山忠克,1987)。したがって,同一植物であれば,植物体のδ15N値は,吸収同化する窒素のδ15N値と密接に関係することになる。事実,佐藤紀男・三浦吉則 (2008) は,化学肥料,有機質肥料や家畜ふん堆肥などを基肥にして,基肥のみで栽培したコマツナのδ15N値 (y) は,基肥に使用した有機物資材のδ15N値 (x) に近似した値となり,両者との間にy = 1.224 x ? 2.322の関係が成立することを,0.1%水準で確認している(佐藤紀男・三浦吉則 (2007) 各種有機質肥料のδ15N値とコマツナ、キュウリのδ15N値の特徴.平成18年度東北農業研究成果情報.も参照されたい)。

●窒素安定同位体比は有機農産物の判別に使えない

上記に示したように,中野は,「有機農産物と称する農産物のδ15N値がある値(たとえば+5.0 ‰)を下回った場合,それが有機農産物でない可能性が考えられ,詳細に検査する対象とする,という使い方が考えられる。」と結論した。しかし,この結論は乱暴であり,次の理由から窒素安定同位体比は有機農産物の判別に使えないと結論するのが当然の帰結である。

(1)動物性の有機質肥料や堆肥を使った場合には作物体のδ15N値が+5.0 ‰を上回るが,植物性の有機物資材では上回れない

作物体のδ15N値が+5.0 ‰を上回るのは,家畜ふん堆肥や魚粕などの動物性堆肥や有機質肥料を使用した場合である。輪作や間作によってマメ科作物を鋤込んだ伝統的な地力維持を行なった有機栽培の場合には,作物体のδ15N値は+5.0 ‰にはとても及ばないと容易に推定される。佐藤・三浦(2008)も,「植物質の有機質肥料を主体とした施肥を行なう場合には,必ずしもδ15N値が高まらず,一般栽培のものとの判別が不能になることを示唆している。」と指摘している。この場合の有機質肥料は文字通りに有機質肥料に限定されるのではなく,緑肥や植物質堆肥も含むと理解される。

(2)化学肥料と家畜ふん堆肥を併用しても作物体のδ15N値が+5.0 ‰を上回るケースが現実に存在しており,+5.0 ‰を上回って必ずしも有機農産物とはいえない

「●窒素安定同位体比による有機農産物の判別手法!?」において,研究所で栽培された129点の試料のδ15N値を紹介したが,その際,中野・上原(2004)は,有機JASの認証を受けたものがろくになかったたであろうが,有機物施用区を有機農産物相当とした。この中には家畜ふんと合成緩効性窒素肥料のCDUを併用した区も,有機物施用区としている。

この中で中野・上原は,家畜ふん堆肥に化学肥料のCDUを併用して栽培したトマト,トウモロコシやエダマメも,δ15N値が+10 ‰を超えていることを観察している。問題はCDUを併用したら有機農産物と称してはならないのに,有機農産物相当として扱っている。つまり,化学肥料と家畜ふん堆肥を併用した慣行栽培でも,+10 ‰を超える事例が現実に存在し,+5 ‰を超えたからといって有機農産物ではない事例が現実に存在している。それゆえ,化学肥料を用いた上で,家畜ふん堆肥施用して,δ15N値が+5 ‰を超えるようにすることはいとも容易であり,+5 ‰は有機農産物の判別基準とするなら,違反行為を助長することになろう。

(3)δ15N値+5 ‰は慣行農産物と有機農産物とを明確に峻別していない

「●窒素安定同位体比による有機農産物の判別手法!?」の項目において紹介したが,市販野菜試料のδ15N値を分析した結果,有機農産物表示のあったものの72%が,また,表示なしの試料の32%が+5.0 ‰以上のδ15N値をとっていた。

市販の農産物は,有機であれ慣行であれ,その栽培方法は多様である。それゆえ,研究所での結果に比べて,市販農産物での品質分析の変動幅が大きい事例が多いことは,世界の有機農産物の品質に関する文献を精査した,イギリスの環境・食料・農村問題省(DEFRA)の委託を受けた,ロンドン大学衛生熱帯医学大学院の栄養公衆衛生研究チームの報告書にも示されている(環境保全型農業レポート.「No.137 有機と慣行の農畜産物の栄養物含量に差はない」)。同報告書のなかで,例えば,野菜などの有機農産物の硝酸濃度は,慣行農産物に比べて,市販品では高いものから低いものまでフレが実に大きいが,研究所などで試験しているものでは,有機農産物の方が慣行農産物よりも低くなっている。このように,研究所の厳密に管理した栽培条件に比べて,市販品の栽培条件は実に幅が広く,そのためにフレが大きくなるのは当然である。

そのことを認識した上で,「市販野菜試料のδ15N値を分析した結果,有機農産物表示のあったものの72%が,また,表示なしの試料の32%が+5.0 ‰以上のδ15N値をとっていた。」との記述は,有機農産物であっても,28%は+5.0 ‰未満であって,その有機農産物の正当性を別の方法で吟味する必要がある。また,表示なしの慣行栽培のものであっても,32%は有機農産物と誤って判定されるとも,言い換えることができる。これは有機農産物と慣行農産物とをδ15N値では区別できないことを示しているに他ならない。

(4)δ15N値のみを根拠に有機栽培茶を判別することは困難との研究結果がだされた

食品総合研究所の林らは,δ15N値によって有機栽培したチャ生葉を判定できるか否かを検討し,次の結果をえた。

(a) 芽と第1〜4葉のチャ生葉のδ15N値は,使用した有機質肥料のδ15N値の影響を受け,高いδ15N値の肥料を施肥するほど高くなる。また,有機質肥料を施肥しても,δ15N値の高い魚粕を施用した場合は,低いナタネ油粕の場合よりも高くなった。

(b) チャ生葉のδ15N値の慣行栽培との差は,ナタネ油粕のようなδ15N値の低い有機質肥料では現れない。しかし,魚粕のような高い有機質肥料を施肥した場合,短期間の施用では明確に現れないが,有機栽培開始から3年後には,芽と第1〜2葉,第3〜4葉,茎の3部位の全ての組み合わせで,両者の間に有意な差が生じた。

(c) 有機栽培したチャ生葉と同程度のδ15N値は,有機栽培ではない市販茶でも高頻度で観測される。したがって,製茶された茶葉のδ15N値は,有機栽培茶の判別標識の一つとしては利用できるが,δ15N値のみを用いて有機栽培茶を判別することは困難である。

(1) 林宣之・氏原ともみ・田中江里・岸保宏・小川英之・松尾啓史 (2012) 有機栽培されたチャ生葉の窒素安定同位体比(δ15N値)の年次変動.平成23年度 食品試験研究成果情報

(2) Hayashi, N/, T. Ujihara, E. Tanaka, Y. Kishi, H. Ogawa and H. Matsuo (2011) Annual variation of natural 15N abundance in tea leaves and its practicality as an organic tea indicator. Journal of Agricultural and Food Chemistry, 59: 10317 – 10321

●おわりに

有機農産物と慣行農産物とを,何らかの分析値によって判別できないかというニーズは古くからある。しかし,多様な有機栽培が実施されているなかで,それは無理である。とはいえ,有機農産物判別法に対するニーズが,有機農業を付加価値の高い農産物を作ることだけが目的の農業と曲解するか,有機農業の認証制度のチェックシステムや生産者の誠実性に対して不信感をもっているためであろう。そうした消費者や流通業者のニーズに応えるとして,科学的厳密性を切り下げして安易に迎合することは許されることではない。

有機農業の理念を消費者や流通業者にもきちんと理解してもらいながら,正しい有機農業の努力を重ねることこそ大切なことであろう。