No.263 有機農業は当初,生命哲学や自然観の上に創られた

●ヨーロッパにおける有機農業の創始者

有機農業は現在,持続可能な農業の1つに位置づけられ,多くの先進国で,その推進を行政が支援するまでになっている。しかし,有機農業がヨーロッパで1920年代に創設された当初,その考え方や理念は現在とは大きく異なっていた。あえてその時代にタイムスリップして,ヨーロッパにおける有機農業の創始者達の考え方を把握し直し,有機農業の問題点を点検しておきたい。ベースにした文献は下記である。

(1) Kirchmann,H., G. Thorvaldsson, L. Bergström, M. Gerzabek, O. Andr&eaute;n, L-O. Eriksson and M. Winninge (2008) Chapter 2. Fundamentals of Organic Agriculture – Past and Present. in Holger Kirchmann and Lars Bergström Editors (2008) Organic Crop Production − Ambitions and Limitations. Springer. 13- 37.

(2) Kirchmann, H. (1994) Biological Dynamic Farming — An Occult Form of Alternative Agriculture? Journal of Agricultural and Environmental Ethics, 7(2) 173-187.

文献(1)でキルヒマン(Kirchmann)らは,ヨーロッパにおける有機農業の創始者として,オーストリアのルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner),イギリスのレディ・イブ・バルフォー(Lady Eve Balfour) とサー・アルバート・ハワード(Sir Albert Howard),ドイツのハンス・ピーター・ルシュ(Hans-Peter Rusch)およびスイスのミュラー夫妻(Hans and Maria Müller)を取り上げている。これらの人々の概要を上記文献に基づいて紹介する。

なお,文献(1)が収録されている「有機作物生産−ねらいと限界」“Organic Crop Production − Ambitions and Limitations”は,2006年にアメリカのフィラデルフィアで「国際土壌科学会議」が開催された際に,その是非論がなお世界的に話題になっている有機農業について,自然科学の観点から議論を行なったシンポジウムに出された論文をまとめて本にしたものである。この本は,全部で11の話題を取り上げている。いずれも有機農業で話題になっている問題である。また,編者のキルヒマンとベルグストレームは,ともにスウェーデン農業大学の土壌環境学部の所属である。

●ルドルフ・シュタイナー

キルヒマンら(2008)は,有機農業はオーストリアの霊的哲学者のルドルフ・シュタイナー(1861-1925年)によって開始されたと記述している。シュタイナーは,神秘主義の知識を狭いサークルで教えていたが,その後,自然の「フォース」が救いをもたらすという,超自然的で霊的な思想の人智学を創設し,人智学を芸術,建築,医学,宗教,教育学,農業などに応用し,社会的に注目された。日本ではシュタイナー学校が知られている。

シュタイナーが農業に関心を持った1920年代のドイツでは,都市化と工業化に反対し,ベジタリアンの食事,自給自足,天然薬品,市民農園,屋外での肉体活動,あらゆる種類の自然保全を理想とする「生活改善運動」が始まり,これがドイツ語圏で有機農業の先駆的動きの1つとなった。そして,1927/1928年に,最初の「有機」組織である「自然農業・セツルメントコミュニティ」が,化学肥料なしでの果実や野菜の生産を行なうために設立されていた。

こうした背景の下に,化学肥料や化学農薬などを使った農業を行なうことで,食べ物や作物種子の品質劣化や,家畜や植物での病気の増加などが生じ,その原因や対処方法を人智学的に如何に対処するかについて関心を有する者が増えてきた。1924年の聖霊降誕祭の6月7-16日に,シュタイナーがコーベルヴィッツ(現在はポーランドのブロツラフ)で約60名の人達に,8回の講義と4回の質疑応答を行なった。これらの講義の速記録が,『農業講座』と題して後に刊行された(ルドルフ・シュタイナー著・新田義之・市村温司・佐々木和子 (2000) 『農業講座−農業を豊かにするための精神科学的な基礎』全364頁.イザラ書房)。

今日,シュタイナーの提唱した農業のやり方は「バイオロジカルダイナミック農業」(バイオダイナミック農業)」と呼ばれているが,シュタイナー自身はこの講義やその本のなかではこの名称を使っていなかった。「バイオダイナミック農業」という名称は、後に,講義に参加した何人かによって使われるようになり,定着していった。

この講義がバイオダイナミック農業の誕生とされ,ヨーロッパにおける最初の代替農業とされている。また,1950年代にスイス人の夫婦のミュラー夫妻が,バイオロジカル有機農業と称する有機農業方法を開発したが,これはシュタイナーのバイオダイナミック農業をベースの1つにしたものであった。

●バイオダイナミック農業

シュタイナーは,無機肥料や化学農薬による作物や食べ物の質の低下を心配した。当時を振り返ると,ハーバー・ボッシュ法による,窒素ガスと水素ガスからのアンモニア合成が始まった時期で,試験工場が1911年に造られ,実用工場が1913年に完成した。その工場で化学合成したアンモニアを硝酸に酸化させることによって,それまでのようにチリ硝石に依存することなく,火薬を完全合成できるようになった。そして,第一次世界大戦が終わると,火薬の代わりに無機の窒素肥料が合成されるようになった。

合成化学農薬が広く普及したのは、肥料より少し時期が遅れる。農薬として、石灰硫黄合剤,硫酸ニコチンなども使われていたが,DDTが使用され始めたのは1938年以降であった。このためか,シュタイナーは,農薬よりも無機化学肥料の影響を強く懸念していたようである。

A.霊的エネルギー(フォース)

シュタイナーの懸念した作物や食べ物の質の低下は,今日,我々が問題にしている栄養価,安全性,健康増進効果などを問題にする品質の低下ではないことに注意すべきである。

シュタイナーは次のように考えていた。

眼に見える自然の背後には超自然の霊的世界が存在し,この世界は霊的エネルギーに満ちている。霊的エネルギーには地球起源の「地球フォース(力)」と,惑星や月の発する宇宙起源の「宇宙フォース」がある。生物にはフォースが満ちており,生物はお互いにフォースを放出ないし吸収して,相互に反応しあっている霊的存在である。

人類が霊的に成長し,完璧な直観力を獲得するのを助けるのが,霊的なフォースに富んだ食料である。そうしたフォースに富んだ食料の生産を妨害するのが,化学肥料や化学農薬のような人工資材であり,人工資材を使用すると自然におけるフォースの流れが撹乱され,作物の「霊的品質」が低下してしまう。シュタイナーが問題にしたのは,この霊的品質である。

B.調合剤

シュタイナーは,地球および宇宙のフォースをコントロールして,フォースに満ちた農産物を生産する方策として,フォースをコントロールするのに役立つ下記の8種類の調合剤を示した (Kirchman 1994)。

圃場調合剤

(1) 腐植調合剤(500番):乳牛の角をくりぬき,その中に乳牛ふんを入れ,地中(40-60 cm)に埋め,一冬分解させたもの。

(2) シリカ調合剤(501番):乳牛の角に細かく粉砕した石英粉末を満たし,一夏地中に埋め,晩秋に取り出したもの。

500番と501番の調合剤とも,所要期間後に土の中から掘り上げ,内容物を40〜60リットルの温水中で1時間撹拌し,回転方向は2分ごとに変更する。耕地ヘクタール当たり4本の乳牛角の内容物を散布する。腐植調合剤は播種時に採草地と放牧地で使用し,シリカ調合剤は他の作物に使用する。

乳牛の角は,その中に詰めた材料にフォースを受け取って濃縮する特別な力を有する。腐植調合剤は土壌に対する,高度に濃縮された施肥力を有し,地球のフォース含量を高める。シリカ調合剤は,シリカが光や熱とつながった宇宙のフォース含量を高める。

堆肥調合剤

(3) ノコギリソウの花(502番):雄の赤鹿の膀胱の中に押し込めて,夏の間,日差しの下に置き,一冬土壌に埋め,春に掘り出す。土壌が宇宙の放射線を吸収できるようにして,イオウとカリウムの反応をコントロールするのに役立つ。

(4) カミツレモドキの花(503番):乳牛の小腸に入れ,秋に腐植に富む土壌に埋めて,春に掘り出す。カリウムとカルシウムと関係して,作物の健康を維持し,土壌に健康を与えるパワーを仲介し,家畜ふん尿中の窒素を安定化させる。

(5) イラクサの地上部全体(504番):泥炭に埋め,1年間そのまま埋めっぱなしにする。表土の「鉄影響」(訳注:具体的には不明)を取り除き,土壌を「ほどよく」する。

(6) 細断したオーク樹皮(505番):家畜の頭蓋骨に入れ,泥炭に埋め,以前に多量の雨水が流れた場所の土壌に秋に埋め直す。カルシウムを理想的な形で供給し,カルシウムショック(訳注:具体的には不明)の影響を回避する。

(7) タンポポの花(506番):乳牛の腹膜に詰め,一冬土壌に埋めて春に取り出す。植物が大気から正しい量のケイ酸を利用できるようにする。それによって植物が周囲に敏感になり,植物自体が必要なものを吸収できるようにする。

(8) カノコソウの花(507番):水中で抽出する。堆肥や家畜ふん尿の条件を,我々が「リン」物質と呼ぶものと家畜ふん尿とが反応するのに丁度良いようにする。また,温度プロセスをコントロールして,堆肥の山を保護的な温かさで包み込む。

各堆肥調合剤を1〜3 gずつ,堆肥の山に2 mの間隔で深さ約50 cmの穴をあけ、その中に入れる。カノコソウの花の抽出液は5リットルの水で希釈し,堆肥の表面全体に散布する。

ノコギリソウの花,カミツレモドキの花,イラクサ地上部の3つの調合剤は相互に作用しあって,堆肥の山の中で起こる秘密の錬金術に良い条件を与え,それによってカリウムとカルシウムが窒素に変換される。

C.有害生物の防除

満月が植物の生殖(果実形成)に必要な宇宙フォースを放出しており,金星や水星からのフォースも一部の植物に必要である。金星からのフォースは動物の繁殖に必要である。圃場から雑草を除くためには,土壌が満月の宇宙フォースを受け取れないようにすれば,雑草が生き残るのが難しくなる。シュタイナーによると,自然には4年サイクルがあり,4年ごとにプロセスがくり返されている。有害生物の繁殖は,金星から放出されるフォースの影響をとめて防止しなければならない。

雑草防除は,集めた雑草種子を,木を燃やした炎の上で灰化して行なう。灰はマイナスの月のフォースを含んでおり,こうしてつくった灰を撒けば,満月の宇宙フォースの影響を防ぐことができる。雑草生育に対する月の影響は,少量の雑草の灰によって止められ,雑草は殺されてしまう。

害虫防除の方法は,雑草防除の方法と似ている。例えば,ノネズミは,金星がさそり座の中にあるときに,ノネズミの皮膚から製造した灰を撒くことによって追い払われる。シュガービートセンチュウの攻撃を防除するには,太陽がみずがめ座やうお座を横切ってカニ座にいるうちに,センチュウ全体を燃やさなければならない。センチュウの攻撃は,宇宙フォースの一部が,シュガービートの中を葉から根のなかまで深く侵入しているためである。センチュウの存在は,この宇宙フォースの正しくない方向付けの結果である。

●バイオダイナミック農業に対するキルヒマンらの批判

シュタイナーが合成の肥料や農薬を排除したのは,環境上の懸念や,自然の保全や生産物の生化学的品質の低下が,その動機にはなっていなかった。また,シュタイナーは,社会において土壌肥沃度や養分循環をどのように向上させるか,土壌からの養分の溶脱や堆肥化でのアンモニア揮散を減らすかといった環境問題については,何の指示もしなかった。彼は,人間の霊的発展に貢献するために,フォースを食料に如何に導くかを教示したのである。

彼が教示した超自然的世界についての考えは,自然科学とは相容れない。また,上述した調合剤の文末に「カリウムとカルシウムが窒素に変換される」と記しているように,シュタイナーの自然科学についての理解には誤りも多い。

●レディ・イブ・バルフォーとサー・アルバート・ハワード

1920年代にシュタイナーの講義があったものの,1940年代に入って,有機の先駆的な波が到来した。その代表が,イギリスのレディ・イブ・バルフォー Lady Eve Balfour(1899-1990:イギリスの首相アーサー・ジェームス・バルフォーの未亡人)とサー・アルバート・ハワード Sir Albert Howard (1873-1947)で,活動が際立っていた。

バルフォーはイギリスの農業実践者かつ教育者で,1943年に「生きている土壌」The Living Soil (Faber and Faber Ltd, London, UK, 276p.)を執筆した。ハワードはインド在住のイギリスの農学者で,1940年に『農業聖典』(My Agricultural Testament, Oxford University Press, Oxford, UK, 253p.:保田茂監訳,2003年.コモンズ),1947年に『ハワードの有機農業.上下』(The Soil and Health. A Study of Organic Agriculture, The Devin-Adair Company,New York, USA, 307p.:横井利直・江川友治・蜷木翠・松崎敏英訳.1987年.農文協)を刊行した。二人は1946年に,イギリスの有機農業者の団体として今日でも世界的に著名な「イギリス土壌協会」(British Soil Association)を設立した。

●自然ロマン主義

この二人について,文献(1)は下記を記している。

バルフォーは,土壌肥沃度と人間の健康との間には密接な関係があり,土壌腐植と肥沃度の減少は人間の健康の低下をもたらすとし,ハワードは,完全に健康な土壌が,大地の上の生き物の健康の基盤であると主張した。この二人の思想を文献(1)は「自然ロマン主義」と呼び,「無撹乱の自然は調和を実現している。腐植が土壌肥沃度を保証し,健康をもたらす。健康は生得権。」と特徴づけた。

ところで,ドイツの化学者のリービッヒが1840年に『有機化学の農業及び生理学への応用』(Die organische Chemie in ihrer Anwendung auf der Agrikultur und Physiologie)を刊行した。その中で,自らの実験結果に基づいて,植物の養分源は腐植のような有機物ではなく,二酸化炭素,アンモニア(または硝酸),水,リン酸,硫酸,ケイ酸,カルシウム,マグネシウム,カリウムなどの無機物質であるとする「無機栄養説」を唱えた。これを理論的論拠に無機化学肥料の合成が活発化して,第一次世界大戦後の1920年代からその使用が普及し始めた。

ハワードは,「リービッヒ以来,土壌化学に注意が集中し,化学栄養物質の土壌から植物への移行が強調されて,他の考察が無視されたことを心に留めておかれるとよい。」と記している。つまり,化学肥料で供給した無機養分だけで植物が育つかのような論議が流行り,土壌の物理的性質の影響は無視され,菌根菌と根との共生関係による養分の供給など,土壌と生き物との間の共役関係が無視されてしまった。無機化学肥料だけで健康な土壌や作物を育むことはできない,という考えを主張した。そして,ハワードとバルフォーは,次の主張を行なった。

土壌腐植と肥沃度の減少は人間の健康の低下をもたらすとし,無機化学肥料によって収穫量は増えるが,生じた収穫量の大幅な増加によって,土壌の腐植が植物養分として利用されるだけでなく,化学肥料の添加によって土壌有機物の消耗が加速されて,土壌腐植含量が減少するとした。

また,堆肥の多量施用によって土壌肥沃度を高めることは可能だが,土壌へのワラや緑肥の添加は,作物に害作用を与えると論じた。

そして,土壌の腐植含量を維持増進させるために,アメリカの土壌学者キングが,昔の東アジアの国で,トイレ排泄物,食品廃棄物,灰,水路の堆積物や他の自然資源を,部分的堆肥化を行なってから農地にリサイクルしていたことの記述(King, F.H., 1911, Farmers of Forty Centuries or Permanent Agriculture in China, Korea and Japan, The MacMillan Company, Madison, WI, USA, 441p.:杉本俊朗訳 (2009)『東アジア四千年の永続農業 −中国・朝鮮・日本(上・下)』農文協)に注目した。そして,社会で生じた有機廃棄物の土壌への循環によって,土壌肥沃度を永続的に維持できるという考えを着想した。

●バルフォーとハワードに対するキルヒマンらの批判

(1) 上述したように,バルフォーとハワードは,化学肥料の施用によって土壌の腐植含量が減少すると批判した。しかし,これに対してキルヒマンらは,次の批判を行なった(文献(1))。

▼自然ロマン主義の二人が承知しているように,化学肥料の施用で作物収量が増加する。それにともなって作物残渣量が増えて,腐植の原料の生成量が増えている。

▼植物は腐植を直接吸収しているかのごとき表現があるが,収量が増えたのは,植物が腐植を食べたわけではない。

▼腐植の分解速度は様々な環境要因,特に水分と,それより影響は小さいが,温度で規制されている。高収穫作物は低収穫作物よりも多くの水を必要とし,したがって土壌の水分含量を減らす。土壌の水分含量が下がると,腐植の分解速度が低下する。

▼安定同位体の15Nで標識した肥料窒素が,微生物を介して土壌有機物に取り込まれていることが確認されており,無機窒素肥料の添加によって土壌有機物の分解が加速されていないことが示されている。

▼バルフォーとハワードの腐植分解についての見方は,科学的証拠に基づいたものでなく,誤った理解に基づいたものである。

(2) バルフォーとハワードは,堆肥の多量施用によって土壌肥沃度を高めることは可能だが,土壌へのワラや緑肥の添加は,作物に害作用を与えると論じた。しかし,これについてもキルヒマンらは,全ての有機物は堆肥化しなければならないとの記述には科学的論拠がないと批判している。

(3) バルフォーとハワードは,社会で生じた有機廃棄物の土壌への循環によって土壌肥沃度を永続的に維持できるという考えを着想した。しかし,当時の東アジアの国でもそうであったが,有機廃棄物の耕地への循環は労働集約的でコストを要する。このため,有機廃棄物の循環は,村や農場自体レベルといった非常に空間的に小規模での循環システムなら可能であろうが,広域的循環を行なうなら,有機物から養分を抽出した無機肥料や濃縮物での還元となろう。

(4) バルフォーは健康にとって食品の質の重要性を強調した。しかし,食品と健康を論ずる際には,食事内容の構成・組成,調理時の栄養分の破壊防止なども考慮する必要があるが,有機食品の重要性しか論じなかった。したがって,有機食料産物それ自体が人間の健康を改善するとは結論できない。

●ルッシュとミュラー夫妻

ドイツ人の医者兼微生物学者のハンスペーター・ルッシュ (Hans-Peter Rusch: 1906-1977)が,スイス人の生物学者のミュラー夫妻(Hans and Maria M¨ller)の協力を得て,バイオロジカル有機農業 (Biological Organic Agriculture)を提唱した(文献(1))。

ルッシュは生命観として,単純な生物から人間まであらゆる生命体は,同じ価値と権利を与えられており,生命体は自然界で自らの目的のために存在するものはなく,全体のために存在するとの考えを有していた。そして,科学が専門分化したために,生命体総体についての全体的な見方が失われしまったとする。つまり,生命体の生活は生物の相互作用の視点からのみ正しく見ることができる,という全体論的見方を有していた。そして,病気や害虫は自然の破壊プロセスであるが,望ましい性質の生命体とそうでないものの両者が存在していること自体を自然として前提にすべきで,弱い生物を助けるために望まない生物を防除する化学戦争は,危険であるだけなく馬鹿げているとした。

ルッシュは,生態学的に理にかなった農業を模索する研究のなかで,自然生態系におけるリター(植物の落ち葉や枯れた遺体)の分解,土壌層位形成や腐植蓄積を観察し,自らの観察を,自然を真似た農業の実践方法として応用しようとした。

例えば,自然での正常な腐植形成は,自然の土壌層位を撹乱しないときにだけ達成される。土壌耕耘はどんなものであれ,自然の土壌層位の撹乱を避けるために最小にしなければならないとした。また,無撹乱の生態系にある典型的な層位の土壌では,無耕耘の土壌表面で有機物濃度が最も高くなっている。このことからルッシュは,有機肥料や堆肥は土壌に混和して根域に施用するのでなく,表面被覆にだけ使用すべきであるとした。

ルッシュは,腐植を重視する点ではバルフォーとハワード同じで,土壌肥沃度を全ての生命体の基盤とみている。しかし,ルッシュが肥沃度のために最重要視したのは,バルフォーとハワードと異なり,形成された腐植ではなく,腐植形成プロセスであった。

●ルッシュに対するキルヒマンらの批判

キルヒマンらは,ルッシュとミュラー夫妻の考えに次の批判を行なっている(文献(1))。

(1) ルッシュは,自然での正常な腐植形成は,自然の土壌層位を撹乱しないときにだけ達成されるとしたが,無撹乱の生態系では土壌表面に落下したリターが分解されて,無耕耘の土壌表面で有機物濃度が最も高くなっている。しかし,耕地システムでは耕耘によって有機物は作土全体に分散される。そして,土壌有機物の総量は,無耕耘の土壌でよりも耕耘した土壌でより多い。

(2) ルッシュは,水溶性塩類(無機窒素肥料など)の土壌への施用では作物の養分要求を満たせないとし,その最も重要な理由は,養分供給が作物生育と同調していない点であると主張した。これについてキルヒマンらは,次のように批判した。確かに自然生態系では,土壌からの養分供給とその植物による吸収が年間をとおして起こっている。自然生態系では生きた根が常に存在するために,自然生態系で同調しているといえたとしても,耕地システムではこれは当てはまらない。耕耘された土壌では,土壌有機物や有機肥料の養分放出量が,作物要求の最も多い春/夏に少なく,作物要求のほとんどないかない秋に,養分放出量がより多い(著者注:北ヨーロッパのため,季節感が日本と少し異なるように思える。)。このため,耕地システムでは,土壌有機物や有機肥料から無機化された窒素のうち,作物に吸収されないものが多くなり,利用効率は耕地システムで低くなる。

(3) ルッシュは,有機肥料や堆肥は根域に直接施すことには適しておらず,表面被覆にだけ使用すべきであるとした。しかし,根域に施用して植物に障害を起こしやすい有機物資材は,養分に乏しくエネルギーに富んだ資材(執筆者注:C/Nの高い新鮮有機物や木質資材など)だけである。確かに,これを根域に施用した場合には,微生物と植物根が乏しい養分をめぐって競合するので,根域には施用すべきでない。しかし,他の資材なら土壌に混和して根域に施与しても差し支えない。(執筆者注:新鮮有機物施用直後には土壌伝染性病原菌などが一時的に大繁殖しやすく,施用後3-4週間を経過してから播種・定植を行なう。)

●キルヒマンらの有機農業の創始者達に対する見方

キルヒマンらの文献(1)をまとめると,有機農業の創始者の考え方として次のことがいえる。

有機農業の創始者とその信奉者は,分析的な見方よりも全体論的見方,機械論的よりも有機的な研究,ある場合には論理的思考よりも直観/感覚を好んだ。そして,自然についてのある種の哲学的見方に基づいて,有機農業のあり方ややり方を演繹したが,そうしたやり方と科学的証拠の間には,整合性が欠けているケースが多かった。

有機農業の創始者は,自然が環境変化に適応しつつ,自然循環を利用して回復・更新しており,自然に生じているプロセスや機能は理想的なものであって,それらを真似て,自然らしさを有する健全な食料生産を構築しようとした。

その際,彼らは共通する思考の原則を有していた。

(1) 自然が理想であって,自然を支配しコントロールするよりも,自然をパートナーとして自然に協力する。

(2) 人間による技術革新は,一般に自然の手段や方法よりも劣る。

(3) 全ての生き物は全体の健康に貢献している。そして,全ての形態の生命体は,その固有の価値をもって同等であり,人間は他の生物と公平な関係を持たなければならない。

(4) 人間中心主義の見方を排除し,人間と自然は一体化できるとする。そして,人間は自然の乱用に対して対抗策を講ずべきだし,そうすることができる。

この4項目についてキルヒマンらは次の批判を行なっている。

(1) 人間の観点からすると,自然は,一方で美と秩序,他方でカオス,残虐と荒廃の二元的特性を有している。それゆえ,自然を理想として礼賛するだけでは危険である。

(2) 人間は生存のために地球に依存しており,全体として地球を持続できるように自然を養生しなければならない。ウイルスや細菌を含む,全ての形態の生命が同等の価値を有するとすると,病気を起こす生物と闘わないことになる。これは人間の生存の問題を無視することを意味する。こうした位置づけは,最終的には人間社会を破壊することになる。我々は,人間を他の形態の生命よりも尊重しつつ,人間のニーズや環境保護を考慮しつつ,技術革新の努力を加えて,管理の持続可能な形態を探すことが大切である。

(3) 有機農業は,他のもっと優れた可能性のある解決策(技術開発を含めた農業のあり方)を排除するので,有機農業が将来の生産システムになりうるかを論議する必要がある。

(4) 有機農業の創設者は,環境保全の重要性に全く論及しなかった。環境保全の重要性が認識されたのは,1962年のカーソンによる『沈黙の春』”Silent Spring”の刊行以降である。