No.295 花粉媒介動物の減少が食料の栄養素とヒトの疾病に及ぼす潜在的影響

●問題の背景

世界的に,ミツバチや野生ハナバチをはじめとする粉媒介動物の減少が問題になり,その原因としてネオニコチノイド殺虫剤の使用や農村景観の破壊などが指摘されている(環境保全型農業レポート「No.248 ネオニコチノイドとミツバチ消失を巡るEUの動向」,「No.256 日本でもネオニコチノイド系殺虫剤によるミツバチの死亡を確認」,「No.269 ネオニコチノイド殺虫剤が脊椎動物に及ぼす影響」,「No.274 授粉性ハチの種絶滅に農薬よりも農業のあり方が大きく影響」,「No.283 ハチはネオニコチノイド殺虫剤を含む餌を好む」参照)。

植物の受粉にはミツバチやハナバチ以外にも,ハナアブ,甲虫,蝶,アザミウマ,鳥類なども関与しており,まとめて花粉媒介動物と呼ばれている(以下,媒介動物と記す)。

世界の主要な果実,野菜,穀物・豆類のうち,87作物が媒介動物に依存しており,風媒や自家受粉など,媒介動物に依存していないのが28作物である。他方,生産重量でみると,世界の作物生産量の60%は媒介動物に依存しておらず,媒介動物に依存しているのは35%,不明が5%とされている(Klein A-M, Vaissiere BE, Cane JH, et al. (2007) Importance of pollinators in changing landscapes for world crops. Proc Biol Sci. 274: 303?13.)。

また,世界で摂取されているビタミンCの90%超,ビタミンAの40%程度など,微量栄養素のかなりの部分は,媒介動物の介在で生産された食料に由来している(Eilers EJ, Kremen C, Greenleaf SS, Garber AK, Klein A-M. (2011) Contribution of pollinator-mediated crops to nutrients in the human food supply. PLoS One. 6(6) e21363.)。

媒介動物が栄養素生産に最も大きく貢献している地域は,微量栄養素欠乏疾病が最も多い地域でもある。これに加えて,媒介動物減少の影響による果実,野菜,種実類(ナッツ・種子)の不十分な摂取も,心臓血管疾病,糖尿病,食道ガン,肺ガンを含む,非伝染性疾病のリスク要因となっている。子供や妊婦に必須な微量栄養素のビタミンAや葉酸も媒介動物減少の影響を受け,摂取不足によって,伝染性疾病による死亡率が増加し,失明や神経管欠損症の発症が増加する。したがって,媒介動物の減少によってこれらの疾病リスクも高まると予想される。

そこで,媒介動物の減少による果実,野菜,種実類の収量減少にともなう栄養素の摂取量の減少と,健康への影響を検討した次の報告の概要を紹介する。

Smith, M.R., G.M Singh, D. Mozaffarian and S.S Myers (2015) Effects of decreases of animal pollinators on human nutrition and global health: a modelling analysis. Lancet (2015) 386: 1964-1972.

●研究方法

果実,野菜,種実について,2009年FAO食料バランスシートから177か国について1人当たりの平均食料供給量のデータを集めた。FAOのデータに細目が示されていない場合は,世界農業センサスデータによって補完した。センサスデータを補完できなかった国を除き,156か国の224品目の食料供給量のデータベースを構築した。

食料の生産量やその栄養素組成と媒介動物依存性との関係を示す関数式を,既往の研究に基づいて策定して定量化した。媒介動物減少にともなって果実,野菜,種実の供給量が減少し,それによってカロリー摂取量が減少するが,その減少分は主食の摂取量を増やして,各国のカロリー摂取量は一定に保たれると仮定した。そして,媒介動物減少にともなう,国別の1人当たりの微量栄養素(ビタミンAと葉酸)と果実,野菜,種実の摂取量の減少の大きさを試算した。さらに,2010年の世界の疾病リスクアセスメントフレームワークによる非伝染性,伝染性および栄養不足関連の疾病の有病率に基づいて有病率の変化を推定した。

●主な結果

★ 媒介動物の働きが100%なくなると,世界の平均供給量は,果実で22.9%(95%信頼区間19.5−26.1%),野菜で16.3%(15.1−17.7%),ナッツ・種子で22.1%(17.7−26.4%)減少しよう。

★ 現在でも,低所得国の多くの人々が食事から栄養素を不十分な量しか摂取していないが,供給量の減少によって,摂取量をさらに減らすことになろう。ビタミンAについては,こうした人々が22億人(12?25億人)となり,全体として中央アフリカと南および東南アジアに集中すると計算された。葉酸については,現在でも主に南アジアで12.3億人(11.2?13.3億人)が必要量よりも少ない量しか摂取できていないが,より厳しい欠乏を経験することになろう。

★ 媒介動物の働きが100%なくなると,非伝染性疾病や栄養失調関連疾病によって,新たに年間142万人(138万−148万人)の死者が増え,障害調整生存年数(disability adjusted life-years: DALYs)で年間2700万人(2580万−2910万人)が増加すると計算された。

筆者注:障害調整生存年数は,病気によって早死することによって失われる年数と,病気で受けた障害の程度と期間とを加算した値(年数)を平均寿命で除して,どのくらい生命(人数)の損失に当たるかを算出した値。

★ 健康被害のほぼすべては,果実,野菜およびナッツ・種子の摂取量低下にともなう非伝染性疾病(虚血性心臓病,脳卒中,肺ガン,食道ガン,糖尿病など)の増加によるものである。

★ 媒介動物の働きが50%減少したと仮定した場合,それに起因する全死亡者数は70万人(66−74万人)となり,媒介動物の働きが完全になくなった場合の死亡者数の半分と計算された。DALYsもほぼ半分に減少し,50%の媒介動物減少で1320万人(1230万−1420万人)と計算された。

媒介動物が75%減少した場合,それに起因した死者数は105万人(99万−111万人)で,100%減少時の死者数のほぼ3/4となった。DALYsは1950万人(1830万−2080万人)に減少すると計算された。

★ 日本についての計算結果を補足資料から抜粋すると,媒介動物の働きが100%なくなった場合,国内生産量は現状の,果実49%,野菜90%,ナッツ・種実9%に減少する。これら3品目の農産物の減少に起因する障害調整生存年数DALYsは,国産品で27万2,775人(24万9,554−29万7,918人),輸入品で21万9,093人(19万9,243−24万0,242人)増えると計算された。そして,国内生産と輸入を合わせた食料からのカロリー摂取量は,全体で5.4 %(4.4−6.4%)減少すると計算された。

●おわりに

媒介動物が全滅するとの仮定は非現実的と考えられるが,本研究は,今後,媒介動物の働きが減少し,食料生産が減り,低所得国を中心に健康が損なわれる程度の目安を,過大評価かもしれないが,示した。

ところで,農業環境技術研究所が,日本の農業で授粉動物の働きが100%なくなった場合,それがもたらすマイナスとして,2013年時点で日本の耕種農業産出額(約5兆7,000億円)の8.3%(約4700億円)に相当するとの計算結果を公表した(農業環境技術研究所プレスリリース(2016年2月)「農作物の花を訪れる昆虫がもたらす豊かな実り−日本の農業における送粉サービスの経済価値を評価−」)。Smithらの対象にした3品目の農産物は,授粉動物の助けを要する作目が多く,単価が高いが,カロリー消費量ではシェアが小さい。このため,Smithらのカロリーでの減少が5%前後で,農業環境技術研究所が国内生産の減少額が8%台としているのは,一応納得できる。

媒介動物の保全は今後の食料生産にとって重要だが,現在,関心はミツバチやハナバチとネオニコチノイド殺虫剤に集中している感がある。アメリカはネオニコチノイドだけでなく,より広い視点からこの問題を対象にしようとしている。2015年5月に「農務省・環境保護庁合同特別委員会報告書:媒介動物研究行動計画」(Pollinator Research Action Plan. Report of the Pollinator Health Task Force. United States Department of Agriculture?Environmental Protection Agency Joint Task Force. 2015. )をまとめ,ホワイトハウスから公表した。

この行動計画では次の目標を設定している。

(1) 10年以内に冬期に失われるミツバチのコロニーを15%未満に低下させる,

(2) 2020年までにアメリカ東部におけるオオカバマダラの個体群を2億2500万に増やし,メキシコとの協力を得て,そのメキシコでの越冬地を6ヘクタール増やす,

(3) 5年で連邦政府と官民の協力の下に,媒介動物の生息地284万ヘクタール修復・向上させる。

こうした多方面にわたる具体的な計画が,わが国でも望まれる。