No.274 授粉性ハチの種絶滅に農薬よりも農業のあり方が大きく影響

●はじめに

今日,授粉媒介者として重要なミツバチが殺虫剤のネオニコチノイドによって大量死していることの証拠が蓄積し,大きな関心を集めている(環境保全型農業レポート「No.248 ネオニコチノイドとミツバチ消失を巡るEUの動向」,「No.256 日本でもネオニコチノイド系殺虫剤によるミツバチの死亡を確認」参照)。また,ネオニコチノイド殺虫剤が脊椎動物にも害作用を及ぼしていることも問題になっている(環境保全型農業レポート「No.269 ネオニコチノイド殺虫剤が脊椎動物に及ぼす影響」)。

こうしたことから授粉媒介性ハチの個体密度に最も強く影響するのは農薬で,他の要因は問題ないと考えやすい。しかし農薬だけでなく,農業政策や農業のあり方も大きく影響することが,イギリスでの授粉媒介性ハチの種の絶滅経過を歴史的に解析した,下記の研究によって示された。その概要を紹介する。

Ollerton, J., H. Erenler, M. Edwards and R. Crockett (2014) Extinctions of aculeate pollinators in Britain and the role of large-scale agricultural changes. Science. Vol. 346 no. 6215. pp. 1360-1362 (12 December 2014) (Supplementary Materialsあり)

●イギリスでの大規模な農業変化による授粉媒介性ハチの種絶滅経過

イギリスの「ハナバチ,カリバチ,アリ記録協会」(BWARS)は,組織名に掲げている膜翅類昆虫の出現や分布などに関する記録を作成している。同記録には1800年代中頃からの記録が保持されており,著者のオラートンらは,最後の観察記録から少なくとも20年間記録されていない種を絶滅と定義した。そして,イギリスでは1853年に最後の記録があったギングチバチ科のLestica clypeataから現在までに,23種のハナバチ(花蜂)と訪花性カリバチ(狩蜂)が絶滅しているとした。最後の観察記録の年は絶滅した年ではないが,それを仮に絶滅年として,10年ごとの絶滅した種の数の推移は,次の傾向を示した。19世紀中頃以降,イギリスのハナバチとカリバチの絶滅パターンは,1920年代後半から1950年代後半にかけて,10年間当たり3種超が絶滅した期間が比較的継続し,この前後には散発的にしか絶滅が生じなかった。

より具体的に次の絶滅経過を示した。

(1) 10年間当たりの絶滅した種の数が,1850年代−1870年代の0.21から1900年代−1920年代の1.31に増加した。

1850年代から70年代初頭までは,イギリスでは経済的発展によって国内農業食料需要が増大し,国家の保護を受けることなく農業経営が発展した時期であった。この時期には古典的な三圃制からカブ−オオムギ−クローバ−コムギという四圃輪作のノーフォーク農法が行なわれ,南米から輸入したグアノも使用して穀物と家畜の生産力が向上した。この際には,休閑を組み込んだ厳格な輪作体系が崩壊して休閑がなくなり,在来の野生開花植物の多様性が犠牲にされた。

その後,新大陸からの安価な穀物や冷凍肉の輸入が国内農業を圧迫し,イギリス農業は1873年から95年にかけて不況となった。そして,農産物価格の下落程度がより小さかった牧畜へ農業経営が転換し,全国的に牧草地の拡大と穀物地の減少につながった。この結果,1800年代後半から1900年代初期には,耕地と飼料作物の面積が55%超も減少し,永年牧草地に置き換えられた。そして,第一次世界大戦(1914−1918年)の後,バーバー・ボッシュ法によって合成が可能になった無機窒素肥料を利用して,イギリスでは食料安全保障の懸念から,農業をさらに集約化させる農業改革が引き起こされた。これによって野生開花植物の減少が加速された。こうした出来事の連続によって,絶滅速度が1850年代−1870年代の10年間当たり0.21種から,1900年代−1920年代の1.31種に増加した。

(2) 1920年代後半から1950年代後半には,ハナバチとカリバチの絶滅速度が最大となり,10年間当たり3.41〜3.46種となった。これは第一次世界大戦後と第二次世界大戦中および後の農業の集約化によって,生産力の低い農地の改良や,非経済的と考えられた生垣や石垣の撤去などがなされたことに帰すことができる。

(3) 1950年代後半から1980年代中頃までは絶滅速度が低下し,10年間当たり約0.98種となった。この期間にはEUの共通農業政策が導入され,域内農産物価格が保護されて集約生産が推進された。それにもかかわらず,絶滅速度が低下したのは,当時の共通農業政策に起因するとは考えられない。むしろ,感受性の高い種が既に絶滅してしまっているために生じているか,または,イギリスで保全イニシアティブが動き出しているために生じたと理解される。

(4) 調べた最後の期間の1986年から1994年には,10年間の絶滅速度が5.48種となった。この時期には北西ヨーロッパでは授粉媒介者絶滅減少速度が鈍化しているのに,一見矛盾している。これは,1988-1990年に4種が絶滅したからで,そうでなければ1971-1994年までは絶滅ゼロ期間であった。これに加えて, 1995-2013年の暫定記録では絶滅がない。後刻この記録が確認されたなら,4種の絶滅は1971年からの絶滅ゼロ期間内の孤立した塊となろう。そうでなければ,これからの高絶滅速度の開始を意味することになろう。今後の推移が注目される。

DDTなどの化学合成農薬が普及したのは第二次世界大戦後だが,訪花性のハチの種の絶滅速度が高まり始めたのは,上記(2)に記したように,農業の集約化が顕著に進行した1920年代後半からであった。このことは,化学合成農薬以外にも,農業政策や農業のあり方も大きく影響することを示している。

●ハチのタイプによって訪花する開花植物が異なる

EUの農業環境事業agri-environmental schemesでは,農業システムのなかでハナバチや他の授粉媒介者を維持することが提案されている。その方策として2つが考えられている。1つは,花資源(油料ナタネ,ヒマワリ,アルファルファ,ハゼリソウ,クローバ,シロガラシなど)の量をローカルスケールで増やす仕方である。もう1つは,自然および管理の少ない半自然生息地(草地,休閑地,植林地,生垣やセットアサイドした圃場外縁)の保護や回復を図る仕方である。では,訪花性のハチ(ミツバチ,マルハナバチ,その他の野生ハナバチ)は花資源と自然・半自然生息地のどちらを好むのであろうか。この問題を下記の研究が検討した。

Rollin, O., V. Bretagnolle, A. Decourtye, J. Aptel, N. Michel, B. E. Vaissi#umre;re and M. Henry (2013) Differences of floral resource use between honey bees and wild bees in an intensive farming system. Agriculture, Ecosystems and Environment 179 (2013) 78 – 86.

花資源の利用に,ハチの種類による明確な違いが観察された。すなわち,ミツバチは大量花資源を集中的に訪花し,他の野生バチが半自然生息地を訪花し,マルハナバチは中間の戦略をとって生息地のジェネラリストとして行動した。ミツバチは,コロニーの増殖を続けるために多量の食料を貯蔵する必要があり,そのために採餌効率を最適化させて,多量開花作物に対して強い嗜好性を示すと理解される(年間花粉収穫量の62%は多量開花作物,32%は樹木,4.5%が草地植物)。逆に他の野生ハナバチは,巣の中の各房で1匹の幼虫が成長を完了するのに必要十分な食料を供給するだけで良いため,ミツバチより少ない花粉の量ですみ,自然の多様な花資源から少量ずつ収集されると理解される。マルハナバチは真社会性の種だが,ミツバチよりも年間のコロニーははるかに小さいので,中間の資源利用パターンを示すと考えられる。

●おわりに

ミツバチの大量死問題でネオニコチノイド農薬が問題になっているが,ハチの生息を確保するのにネオニコチノイドを止めれば良いというわけではない。農業生態系そのものが花資源に富み,有害物質を保持しないことが大切である。日本農業の経緯を考えても,高度経済成長期に都市近郊の農地が住宅地や工場用地などに転用されて,作物や植物が激減した。また,かつて肥料作物として全国の水田で栽培されたレンゲが激減し,畑で栽培されたナタネも激減した。こうした農業のあり方が訪花性ハチを激減させ,おそらくいくつかの種を絶滅させたのでないだろうか。