●農業における窒素・リンの余剰量を急激に減少させたデンマーク
環境保全型農業レポート「No.114 OECDの指標でみた先進国農業の環境パフォーマンス」で紹介したように, OECD(経済協力開発機構)は,農業が環境に及ぼす影響を評価する指標の1つとして,「養分バランス」の指標を開発している。すなわち,国全体の農地に,肥料,家畜ふん尿などで持ち込まれた窒素とリンの全量(インプット量)から,作物に吸収されて圃場外に搬出される窒素とリンの全量(アウトプット量)を差し引いた量を「養分バランス」として,農地面積ha当たりの養分量kgで表示する。「養分バランス」がプラスなら,養分が余剰となる。
因みに日本は余剰窒素量を1990-92年の180 kg/haから2002-04年に171 kg/haに,9 kg/ha減少させただけであった。これに対して,デンマークは1990-92年の178 kg/haから2002-04年には127 kg/haに51 kg/ha減少させた。また,余剰リン量については,日本は1990-92年に65 kg/haと非常に高く,これを2002-04年に51 kg/haに減少させた。他方,デンマークは1990-92年に既に17 kg/haに減らしていたが,2002-04年には11 kg/haに減らした。
EU(ヨーロッパ連合)は農業から排出された硝酸による水質汚染を防止するために1991年に「硝酸指令」を公布した(環境保全型農業レポート.「No.84 EUの第3回硝酸指令実施報告書」参照)。加盟国はこの指令の施行に必要な準備行動を1996年6月までに完了させることになっていた。しかし,硝酸指令を厳格に執行すると,大部分の加盟国はそのために多額の対策費を支出し,家畜頭数を大幅に削減しなければならなくなるため,何とか理屈を作って,自国内での施行を可能な限り遅くさせる行動をあえて行なった。そのなかで,2001年末時点で指令に規定された行動を期限内に実施して,執行機関の欧州委員会から1つの違反行為もないとほめられたのは唯一デンマークであった(Commission of the European Communities (2002) Report from the Commission: Implementation of Council Directive 91/676/EEC concerning the protection of waters against pollution caused by nitrates from agricultural sources )。
広大な農地を有して低投入な農業を行なっている新大陸の農産物輸出国で余剰養分量が少ないのとは異なり,世界的にトップクラスの集約農業を行いながら,余剰窒素量やリン量の削減に成功しているデンマークが,どのような対策を講じてきたのかに興味がある。
この点について下記の報告を基に概要を紹介する。
(1) OECD (2012) Water Quality and Agriculture: Meeting the Policy Challenge, OECD Studies on Water, 155p. OECD Publishing. p.110-111
(2) Kronvang, Brian et al.,(2008) Effects of policy measures implemented in Denmark on nitrogen pollution of the aquatic environment Environmental Science & Policy 11: 144-152
(3) Maguire, Rory O. et al., (2009) Critical Evaluation of the Implementation of Mitigation Options for Phosphorus from Field to Catchment Scales. Journal of Environmental Quality 38: 1989 – 1997
●デンマーク農業の概要
デンマークはドイツから北側に伸びたユトランド半島と,その東側にあるスウェーデンとの間に分布するいくつかの島からなる。首都のコペンハーゲンはスウェーデンの直ぐ近くに存在する島に位置している。
デンマークの土壌タイプは,全体として東から西に変化し,東の島嶼部に壌土,西のユトランド半島に粗粒質砂土が分布している。年間降水量は500〜900 mmの幅があり,西部では東部の地域よりも降水量が多い。デンマークの農業生産は非常に集約的で,窒素肥料や家畜ふん尿の使用量はヨーロッパで最高レベルである。農地はデンマークの全国土の60%を占め,農地のほぼ90%は耕地である(Kronvang et al., 2008)。
デンマークの2010年における主要農産物の産出額をみると,作物よりも畜産物の産出額が圧倒的に多い(表1)。
●デンマークにおける農業からの養分排出規制の契機
EUで,農業からの窒素排出問題への対応の必要性を最初に発見した国の1つはデンマークであった。EUの硝酸指令が公布されたのは1991年だったが,デンマークでは1970年代と1980年代初期に,硝酸濃度の上昇が家庭用飲料水源の地下水で認められ,農業からの養分ロスの影響についての関心が高まった。その上,デンマークの海水での窒素濃度の上昇や,深刻な酸素欠乏の頻度上昇が増えていることも示された。
しかし,社会的に農業における養分管理に対する関心を呼び集めたのは,デンマークとスウェーデンの間のカテガット海峡で死んでいるロブスターを示したテレビ報道であった。ロブスター死亡発見の原因は,農業からの養分流出によって促進された藻類の異常繁殖に起因した低酸素濃度に帰せられた。これを契機に農業における養分管理の法的規制が着手された(Kronvang et al., 2008)。
●農業からの養分排出削減のための政策手段
EUの硝酸指令が公布されたのは1991年だったが,それに先だってデンマークは,1985年から現在まで,水環境の窒素汚染を削減する目的で,国が,数次にわたる農業からの養分排出を削減する行動計画を実施している(表2)。この窒素排出の規制にはいくつかの手段がとられた(Kronvang et al.,2008,Maguire et al.,2009,Vinther and Brgesen, 2010)。
(1)特定汚染源からの排水処理施設における処理方法を向上させる法的義務要件の導入
特定汚染源の畜産施設などからの排水処理施設の処理方法改善は,1987年に採択された行動計画で実施された(表2には記入されていない)。
(2)家畜の飼養密度
デンマークは1985年に家畜飼養密度を2家畜単位/haに設定した。これは1991年に公布された硝酸指令にある「2002年12月21日までは家畜飼養密度を家畜ふん尿窒素量で年間210 kg N/haに規定」にほぼ合致する。デンマークは1998年に家畜飼養密度を1.7家畜単位/haに設定したが,これは家畜ふん尿窒素で170 kg N/haに相当する。このように,硝酸指令に先行した規制を行なった。
(3)家畜ふん尿(スラリー)貯留容量の拡大
家畜ふん尿を冬期に草地に散布しても,牧草が生育しないので養分は吸収されず,土壌が凍結していれば,家畜ふん尿は土壌表面に露出したままとなる。冬期に雨が多いので,降雨時に養分が表面流去して表流水を汚染する。デンマークでは家畜ふん尿の貯留容量は,通常270日間だが,法的には最低180日間で良いことになっている(OECD, 2012)。家畜ふん尿を270日(9か月)貯留できる容量を確保することによって,家畜ふん尿の施用を秋から春にシフトさせることが可能になった。これによって養分利用率が大幅に改善された。
(4)可給態窒素量の施用可能上限値の設定と,施肥設計計画および輪作計画策定の義務化
(5)家畜ふん尿中の可給態窒素割合の法的基準値の設定
家畜ふん尿の全窒素量に対する可給態窒素量(作物に利用可能な窒素量)の割合については,基準値が設定されている。家畜ふん尿を施用した場合には,作物タイプごとに施用可能な可給態窒素量が規定されているので,その分の化学肥料窒素量を減らさなければならない。
このことが遵守されたかは,家畜飼養頭数から算出される家畜ふん尿量と化学肥料の購入量によって確認している。窒素の規制は,事前に研究者,農業者,農業者団体と密接に対話して設定され,その後に普及組織や教育組織がフォローアップしている。
また,家畜ふん尿の可給態窒素割合は,1991,1998,2000および2004年に設定されている(表2)。年次を追って家畜ふん尿の可給態窒素割合が高く設定されているので,施用できる家畜ふん尿量を少なくしなければならない。
(6)総合的な環境管理
2004年からの水環境に関する第3次行動計画から,デンマークの農業からの窒素排出規制は農地からの硝酸溶脱削減だけでなく,より総合的なアプローチに向けて動き出している。農村開発に関するEUの農業政策の新しい方向や,EUの生息地指令や生物多様性条約を反映させて,地域開発目標と水環境や自然保護との調和を図る努力を強化している。
●余剰窒素量や余剰リン量の減少
上述したように,デンマークでは農業における余剰窒素量が,1990-92年の178 kg/haから2002-04年には127 kg/haに51 kg/ha減少した。上記の様々な対策を講じて,余剰窒素量はその後も減少し,2009/10年には約96 kg/haに減少している。また,余剰リン量は1990-92年に既に17 kg/haに減少していたが,2002-04年には11 kg/haに減少し,2009/10年には約4.8 kg/haに減少している(OECD, 2012)。
余剰窒素量や降水量などのデータを用いて,作物根域から下に溶脱する硝酸性窒素量をシミュレーションモデルで計算した結果をみると,国全体での平均溶脱量は,1985年に約110 kg N/haであったが,2007年には60 kg N/ha弱に48%減少した。
この減少要因は,次のように理解されている(Vinther and Brgesen, 2010)。
第1は,家畜ふん尿窒素中の可給態窒素割合の法的基準値を引き上げて,施用できる家畜ふん尿量を減らしたことで,減少原因の約60%を占めている。第2は,「技術効果」で,作物品種の向上,作物保護,作付管理などが約25%,無機肥料施用量の削減が10%,間作物の導入義務が,窒素溶脱の5%削減に寄与したと推定されている。
しかし,最近では,冬作穀物を栽培する輪作が増え,秋に間作物を導入する余地が減ってきており,窒素要求量の多い作物の栽培面積が増えたこともあり,溶脱窒素量を削減させる一層の努力が必要になっている。
●おわりに
デンマークは,かつては農業における余剰窒素量がOECD加盟国でトップクラスであった。しかし,国として農業における窒素とリンの削減に取り組んだ結果,最近では余剰養分量を大幅に削減することに成功した。とはいえ,余剰養分量が減少したからといって,水系の養分濃度が減少するには時間がかかる。環境中に溜まった養分量が減少するには長年を要するからである。環境を元に戻すにはさらに長期の取組を続ける必要がある。
根域からの窒素溶脱量は1985年に比して2007年にはほぼ50%に減少しているが,2009年から新しい「グリーン成長行動計画」をスタートさせた。その計画では,水環境の「良好な生態学的質」を確保するには、窒素溶脱量をさらに全体で33%削減することが必要であるとした。このため,「グリーン成長」のターゲットでは,国土を23の集水域に分割して,脆弱性の少ない水系の集水域の削減ターゲットよりも,脆弱性の高い水系の集水域で,より高い削減ターゲットを設定して,取組を強化している(Vinther and Brgesen, 2010)。削減目標の最も高い地域での農業生産には深刻な影響を与えることになろうが,デンマークは目標達成に向けた努力を継続している。