●最新の「OECD農業環境指標」公表までの経緯
ウルグアイ・ラウンド農業交渉で農業と環境の関係について,次の点が合意された。
▽政府が補助金を出して農産物の生産を強化し,余分になった農産物を輸出したり,政府が設定した保証価格よりも安価な輸入農産物には差額分を関税として課したりするといった,政府が国内農業を刺激・保護する補助金は,公正な自由貿易を歪曲させる。
▽これと同時に,政府が国内農業を刺激・保護する補助金は,農業者による農薬,肥料,灌漑水などの潤沢な使用を助長して,環境を汚染している。
▽このため,生産刺激・保護的な政府の農業補助金を削減するが,環境汚染を減らし農業のもつ多面的機能を発揮するための政府の補助金は,削減対象から除外する。
そこで,問題になるのが,ある国が環境保全的だと主張あるいは理解しながら,実際には環境を汚染しつつ,生産力向上を図る農業政策を実施するケースがありうることである。そうした誤った政策が実施されないように,加盟国の政策立案者が政策実施にともなう環境状態の変化を予測できるようにする,農業環境指標の策定の必要性が痛感された。このため,先進30か国で構成されているOECD(経済協力開発機構)は,環境と経済の両立した持続可能な開発の推進に役立つ環境指標セットの策定作業を1993年から開始した。
その作業の成果として,農業環境指標の考え方や,加盟国における指標の状態などが順次本として出版された。その中で最も関心を集めたのは,加盟国の環境状態を指標によって計測した結果をまとめた本であった(OECD (2001) Environmental Indicators for Agriculture. Vol. 3: Methods and Results. 409p. OECD Publication, Paris)(この要約版(全53頁)はOECDのホームページで読むことができる)。
この本では1990〜92年の3か年の平均値が集約された。それから10数年が経過し,OECDは2002〜04年の平均値を本として刊行した(OECD (2008) Environmental Performance of Agriculture in OECD Countries Since 1990. 575p. OECD Publication, Paris)。この一部は,境指標の具体的図表部分を含めてOECDのホームページからから読むことができる。なお,本の価格は1万円(PDF版付き)。PDF版だけなら6,960円。PDF版には,図表の下部にその図表作成の基にしたExcelのファイルを入手するためのリンクがあるので,図示された個々の具体的数値も入手できるようになっている。
●農業環境指標
OECDの農業環境指標は,政策立案者が環境と調和した農業政策を企画するのに役立つことを意図し,各国が比較的容易に入手できるデータから計算できるものを目指している。政策立案者の視点に立つと,(1)農業にかかわる環境状態には,それを変化させている政策などの原因(駆動力: Driving force)があり,(2)その原因によって環境の状態(State)が変化し,(3)環境状態の変化に消費者,農業者,流通・販売業などが応答(Response)して,必要な政策変更などがなされる。そして,変更された政策が環境状態を変化させる原因となり,(1)〜(3)がくり返し行われることになる。こうしたプロセスで環境状態が変化してゆく関係をDSRモデル(Driving Force-State-Response model)とよび,OECDは策定した指標がこのモデルのどこに位置するかを明確にしている。
これまでにOECDは,
駆動力に関係する指標:(1)農業生産,(2)土地利用,(3)養分使用,(4)農薬使用,(5)エネルギー消費,(6)水使用
環境状態に関係する指標:(7)土壌の質,(8)水質,(9)大気の質,(10)生物多様性,(11)農薬リスク
応答に関係する指標:(12)農場管理
といった指標を策定している。
指標の内容を詳細に説明する余裕はないが,例えば,養分使用や農薬使用の指標は概略次のようなものである。
養分使用についてみると,国の農地全体に,肥料,家畜ふん尿,降雨,微生物による窒素固定,種苗による持ち込みなどによって持ち込まれる窒素とリンの全量(インプット量)を計算する。そして,耕種作物,果樹や茶樹,飼料作物によって吸収されて圃場外に搬出される窒素とリンの全量(アウトプット量)を計算する。次にインプット量とアウトプット量の差を「養分バランス」として,その国全体での総量や農地面積ha当たりの養分量kgで表示する。
農薬使用量は,いろいろな種類の農薬原体(有効成分)を合計した総量で表示する。農薬の使用量は作物や有効成分の種類によって大きく異なるので,OECDは,農地面積当たりの原体使用量を表示せず,その国全体での原体使用総量を指標としている。
養分や農薬の使用量,これらの圃場外への流出量,その地下水中の濃度などは,栽培する作物の種類,気温,降水量などの要因によって相違し,これらの要因の状態は国によって大きく異なる。このため,OECDでは養分使用や農薬使用といった指標では,国全体における余剰総量あるいは使用総量の増減を重視し,総量が何%増減したかを問題にする。
以下,いくつかの「OECD農業環境指標」の内容を見ていくことにしよう。
●投入資材全体の概要
▽1990-92年に比べて2002-04年には,OECD国全体で,無機リン酸肥料の使用量が10%,農薬使用量が5%減少したが,無機窒素肥料の使用量が3%,水の使用量が3%,農業用エネルギー消費量が3%増加した。しかし,これらの資材投入量の増加よりも収穫量がより増加したことから,資材の利用効率が向上し,その分だけ環境負荷は抑えられたといえる。
▽1990-92年に比べて多くのOECD国ではこれらの資材投入量が減少したが,一部の国では資材投入総量が増加した(オーストラリア,カナダ,ギリシャ,アイルランド,ニュージーランド,ポルトガル,スペイン,トルコ)。
▽OECD国全体では,農業所得の約30%が政府補助金であり,その大方が生産にリンクした補助金となっている。生産にリンクした補助金によって農業者の資材投入量が増加し,農地の農業利用が継続されやすくなり,補助金がない場合よりも,環境負荷が増えることが多いのが通常である。しかし,近年では生産にリンクした補助金が減って,環境向上を意図した補助金が増えてきている。特に水質,水利用,アンモニア揮散量,温室効果ガス排出量,生物多様性にかかわる国および国際的な環境政策が,農業政策に影響を及ぼしてきている。
●養分使用の概要
▽OECD国全体では窒素とリンの余剰養分量が減少し,土・水・大気への負荷が減少した。しかし,1990-92年に比べて,1/3弱のOECD国では余剰養分量が増加した。肥料窒素の使用量の伸びが多くの国で抑えられており,この余剰窒素量の増加は,集約的な家畜生産に起因しているのが一般的である。
余剰窒素量
▽1990-92年に農地ha当たりの余剰窒素レベルが特に高い国は,オランダ 345 kg,ベルギー 255 kg,ルクセンブルク 229 kg,韓国 213 kg,日本 180 kg,デンマーク 178 kgであった。2002-04年にはこれらの国の余剰窒素量は減少したが,韓国だけはさらに増加し,ha当たりの余剰窒素量が最も多い国となった。多い順に並べると,韓国 240 kg,オランダ 229,ベルギー 184 kg,日本 171 kg,ルクセンブルク 129 kg,デンマーク127 kgとなる(図1)。
余剰リン酸量
▽1990-92年に農地ha当たりの余剰リン量が特に高い国は,日本 65 kg,ルクセンブルク 48 kg,韓国 47 kg,ベルギー 41 kg,オランダ 38 kgであった。2002-04年にはこれらの国のうち,特にEUの国々が余剰リン量を減少させたが,韓国だけはさらに増加させ,日本と韓国のha当たりの余剰リン量が世界的に突出している。多い順に並べると,日本 51 kg,韓国 48 kg,ベルギー 23 kg,オランダ 19 kg となる(図2)。
▽余剰リン酸量は減少してきているが,農地土壌のリン酸蓄積レベルは高まっており,リン酸が土壌からゆっくり流出し,水系のリン酸濃度は今後も上昇し続けるであろう。
▽余剰養分量が減少した国の多くは,ha当たりの養分使用レベルが高い国であり,なお減少させうる余地があると期待できる。
●農薬使用の概要
▽OECD国全体では農薬使用量は減少傾向を示したが,1/3のOECD国では,1990-92年に比べて2001-03年に農薬使用量(有効成分量)が増加した。
▽農薬の使用量は,作物や有効成分の種類によって大きく異なる。そのため,OECDは,農地面積当たりの原体使用量を表示していない。しかし,国によって農地面積は大きく異なるので,農薬の使用総量だけでは具体的イメージを持ちにくい。農薬の大部分が使用されているのは耕地なので,OECD国の農薬使用総量を耕地面積(永年作物地面積を除く)で除して,耕地ha当たりの農薬使用量を計算した(図3)。
▽全体として,高緯度で夏期冷涼な国ではha当たりの農薬使用量が少なく,低緯度の夏期高温の国,日本や韓国のように夏期高温多湿の国ではha当たりの農薬使用量が多い傾向がうかがえる。
●土壌侵食の概要
▽OECD国全体では,不耕起/低耕起や冬期の作物被覆が拡大し,侵食を受けやすい脆弱農地で生産から撤退した農地が増えたりして,土壌侵食が減少ないし安定化してきている。
▽しかし,約1/3のOECD国では,農地の20%強が,土壌侵食量11トン/ha/年の水食を受けやすい農地となっている。
●農業用水使用の概要
▽1/3のOECD国では農業用水使用量が減少したが,OECD国全体では1990-92年に比べて,2001-03年には,工業用や生活用も含めた全体の水使用量は変わらなかったものの,灌漑農地面積が6%増えたために,農業用水使用量が6%増加した。
▽一部の地域では過剰取水した結果,河川や湿地の水流が減って生態系が損なわれている。また,涵養速度以上に地下水を灌漑用水のために取水して,農業の経済的基盤がおびやかされている地域もある。
▽地下水くみ上げ補助金など,多くの国が灌漑補助金を支給しており,水の効率的使用の妨害となっている。とはいえ,OECD国全体の平均ではha当たりの灌水量は,1990-92年に比べて2001-03年には9%減少した。特にオーストラリアで減少し,それよりは少ないが,イタリア,メキシコ,アメリカでも減少した。しかし,ギリシャ,ポルトガル,トルコでは増加した。
●水質汚染の概要
▽1990-92年に比べて,余剰養分量や農薬使用量が減少し,OECD国全体では農業起因の水質汚染程度が減少した。しかし,約半分のOECD国では,農業地帯のモニタリングサイトで表流水や地下水の養分および農薬の濃度が,飲料水の水質基準を超過している。
▽汚染からの自然による回復に多大な時間を要すること,汚染のレベルが高い地域が多いこと,工業や都市からの排水に起因した汚染が減って農業由来の比重が急速に上昇している(表1)ため,水質汚染のなかでも地下水汚染が特に問題になっている。多くの国で,飲料水用の浄水のために,養分および農薬の除去コストや水環境の改善が問題になっている。
●農場管理の概要
▽OECD国では,消費者や食品加工・販売業者の関心に応える民間主導の自主的イニシアティブや,法律で規定されたり,支払のなされる政府のイニシアティブに参加したりする形で,環境保全的な農法を採用する農業者が増えてきている。有機農業を除き,農家による環境保全的な農法の採用状況を定期的にモニタリングしているOECD国は,全体の1/3から1/2にすぎない。
▽養分を適正に管理する農法を採用するOECD国は増えてきており,約半分の国が農家の養分を適正に管理する農法の採用状況をモニタリングしている。そうした農法を採択している農家の割合が高い国(ベルギー,チェコ,デンマーク,フィンランド,ドイツ,オランダ,ノルウェー,スウェーデン,スイス)では余剰養分量が減少した。しかし,養分を適正に管理する農法の採択率が低い国(カナダ,アイルランド,日本,韓国,ニュージーランド)では,余剰養分量が増えているか,OECD国の平均値よりも多くなっている(表2)。
▽IPM(総合的有害生物管理)の採択はOECD国で増えているが,まだ採択率は高くない。しかし,IPMの採択率が高い国や有機農業の増加率が高い国では,農薬使用量が減少している(オーストリア,チェコ,デンマーク,フィンランド,ドイツ,ノルウェー,スウェーデン,スイス,イギリス,アメリカ)(表2)。
▽土壌保全に有効な農法の実施された農地面積はこの10年間変わっていないが,約1/3のOECD国が農家の土壌保全農法の採択状況をモニタリングしている。土壌保全農法の採択率が高い国(カナダ,アメリカ)では,土壌侵食リスクが減少し,採択率が低い国(ハンガリー,イタリア,韓国,スロバキア,トルコ)では土壌劣化問題が残されている。
▽OECD国の有機農業面積はこの10年間に大幅に増えたとはいえ,2002-04年における有機農業面積率は全体で2%弱にすぎない。しかし,6%かそれよりも高いオーストリア,デンマーク,フィンランド,イタリア,スウェーデン,スイスといったEU国がある反面,非EU国のカナダ,日本,韓国,メキシコ,ニュージーランド,アメリカでは1%未満にすぎない。
★技術大系に収録された記事「世界の有機農業と日本の有機農産物の現状」→ 調べる
●おわりに
膨大な文書であるため,その全体を紹介することはできない。しかし,ここで紹介したように,環境保全的な農法や技術があっても,それを農家がどれだけ実施するかは,農家の努力に期待するだけでなく,消費者の食の安全や環境の保全に対する要求に応えて,国が環境保全的な農法を事業として実施したり,民間の流通・販売部門が認証農産物の提供を行なったり,農家を支援する態勢が重要な役割をはたしていることが痛感される。