No. 356 バイオダイナミック農業の誕生経過

●はじめに

環境保全型農業レポート「No.263 有機農業は当初,生命哲学や自然観の上に創られた」で,オーストリアのルドルフ・シュタイナーが,超自然的な霊的思想の人智学の観点から農業の化学化や工業化に反対して,有機農業の前身になる考えを提唱したことを紹介した。

そのなかで,『眼に見える自然の背後には超自然の霊的世界が存在し,この世界は霊的エネルギーに満ちている。霊的エネルギーには地球起源の「地球フォース(力)」と,惑星や月の発する宇宙起源の「宇宙フォース」がある。生物にはフォースが満ちており,生物はお互いにフォースを放出ないし吸収して,相互に反応しあっている霊的存在である。人類が霊的に成長し,完璧な直観力を獲得するのを助けるのが,霊的なフォースに富んだ食料である。そうしたフォースに富んだ食料の生産を妨害するのが,化学肥料や化学農薬のような人工資材であり,人工資材を使用すると自然におけるフォースの流れが撹乱され,作物の「霊的品質」が低下してしまう。』といったことなどを紹介した。

これに関連したシュタイナーの履歴やバイオダイナミック農業の問題を,イギリスのオックスフォード大学の社会・文化人類学研究所に在籍していた当時に,ポール(John Paull)が(現在,オーストラリアのタスマニア大学 農地・食料学部)が下記の論文を公表している。その一部を紹介する。

John Paull (2011a) Attending the First Organic Agriculture Course: Rudolf Steiner’s Agriculture Course at Koberwitz, 1924. European Journal of Social Sciences ? Volume 21 (1) : 64-70.

John Paull (2011b) Biodynamic Agriculture: the Journey From Koberwitz to the World, 1924-1938

Journal of Organic Systems, 6(1): 27-41.

●シュタイナーは農業の化学化に反対であった

シュタイナーは,農業講座をコーベルヴィッツ(現在はポーランドのブロツラフ)で行なった(1924年6月7〜16日)。彼は1925年に亡くなったので,死の前年のことであった。聴講者数をシュタイナーは正確に記録していないが,ポールの検証によると,6か国から111名が参加したとのことである(Paull, 2011a)。シュタイナーの講演を,聴講者のノート,公式速記者のヴァルター(Kurt Walther)の速記,シュタイナー自身の簡単な準備ノートをベースにして作成した原稿に何人かが補足を行なったものが「農業講座」の本として刊行された(ルドルフ・シュタイナー著,新田義之・市村温司・佐々木和子訳 (2000) 『農業講座−農業を豊かにするための精神科学的な基礎』全364頁.イザラ書房)。

シュタイナーは,動物や植物の蛋白質は,炭素,窒素,酸素,水素とイオウの結合したものだが,イオウは宇宙の霊的なものの担い手で,イオウという道を通って,霊性の作用が蛋白質のなかに送り込まれてくると考えている(農業講座訳本2000)。彼は,こうした霊的なものを無視して生物や物質をみている限り,歪んだ人間や地球の是正はできないと考えており,『今日,人々はある量の窒素が植物生育に必要であると単純に考えており,それがどう作られたかや,どこから来たからかには違いがないと考えている』と批判している(Paull, 2011a)。

シュタイナーの人智学に基づいた農業を実践する農業者は,地球,植物や動物の治療者になれるとしており,この活動によって,最終的には人間の治療者になることができると考えられていた。そして,合成窒素肥料などを用いた化学農業は,個々の農場を単なる『生産の機械的手段』に変え,経済生活全体を『ビジネス』に変えていると批判した(Paull, 2011b)。

シュタイナーは,どの農場でもその自給自足が理想であり,農業生産のために必要なものを農場自体の中に有するようにしなければならないとした。そして,農場は,その構成要素である作物,家畜,土壌,ふん尿,雑草などの全体のつながりを大切にし,特定要素だけで理解しようとしない,全体論的アプローチが重要なことを主張していた(Paull, 2011b)。

●シュタイナーは「実験」を重視した

シュタイナーは神秘主義者であるが,当時の指導的なゲーテ研究家でもあり,22歳でゲーテの自然科学に関する著述の編集を任された。オーストリアとドイツでは,ゲーテの編集を行なった者は,その知的資質が世に認められたのに等しく,影の薄い者として扱われることはなかったという(Paull, 2011b)。

今日の自然科学は霊的なものを何ら考慮していないが,シュタイナーは農業講座について,『この講座の意図は,農業における実践的洞察と近代科学実験を,テーマの霊的考察とを結合させなければならないということであった。』と述べている(Paull, 2011b)。

1924年の農業講座で,シュタイナーは,大地と宇宙の霊的フォースの解説,霊的フォースを妨害する化学肥料,霊的フォースを食料に取り込む方策など,人智学的観点からの農業のメカニズムとやり方について,彼の考える基礎的知見を講義した。しかし,講義した内容は,彼自身が実験で確認する時間的余裕がないままであった。それゆえ,彼の講義した農業に関する考えは,そのように行なえという処方箋でも既定の規則でもない。講座はなによりもヒントと考えるべきで,実験のための基礎とみなすべきであると述べていた。

農業講座の直ぐ後に開催された農業者の会合で、シュタイナーが語った農業に関心を持つ農業者組合(サークル)が作られた。このサークルは,ドルナッハに所在する人智学本部であるゲーテアヌムの自然科学部門の指導を絶えず受けながら,講座の1年後の1925年に,『シュタイナーの語った衝撃的刺激』を実験に移していった。そして,結果が確定する前の途中経過は,サークルの外には話してはならないとした(Paull, 2011b)。

実はこれに先立って,シュタイナーは,1923年に宇宙の霊的フォースを集めるウシの角に入れて土壌に埋設した牛糞などの調合剤(環境保全型農業レポート「No.329 バイオダイナミック農業の調合剤は効くのか」参照)の作成について,ゲーテアヌムの自然科学部門に指示をだしていたという(Paull, 2011b)。

なお,実験サークルは,ヨーロッパの大部分の国とアジア,オーストラリア,ニュージーランド,アメリカやアフリカに試験場を持って実験を行ない,その成果をもとに農業会合がドルナッハやその他で開催されたという(Paull, 2011b)。

●バイオダイナミック農業の誕生

シュタイナーの農業講座に端を発した農業は,今日,バイオダイナミック農業と呼ばれている。しかし,農業講座を行なった翌年にシュタイナーは亡くなっており,この名称はシュタイナー自身が名付けたものではない。バイオダイナミック農業という名称は,生前にシュタイナーに指示された実験サークルが1924年から1930年までの6年間にわたって行なった実験の成果を踏まえて,1938年に4か国語で出版されたプファイファの著書(英語版:Pfeiffer, E. (1938) Bio-Dynamic Farming and Gardening: Soil Fertility Renewal and Preservation (F. Heckel, Trans.). New York: Anthroposophic Press.)からであった。それまでは,1926年に“人智学農業者”(Anthroposophical farmers),1928年に”Biological-Dynamic Method”(生物学的ダイナミック手法),1938年に”Biodynamic Methods”(バイオダイナミック手法)と呼ばれていたのが,1938年に”バイオダイナミック農業”Bio-Dynamic Farmingと改称されたのである。

プファイファ (Ehrenfried Pfeiffer)は1899年2月にミュンヘンに生まれ,1961年11月にニューヨーク州で死去したが,ルドルフ・シュタイナーの教え子で,ドイツの土壌学者であった。プファイファは,21歳であった1920年からシュタイナーの下でゲーテアヌムの自然科学部門に所属し,そこで6年間働いた。

プファイファの業績で最も有名なのが,彼がまとめた1938年の著書で,農業についての人智学の考えを神秘から土壌に移して,シュタイナーの新しい農業を,理論と実践の両面で理路整然と人々に提供し,1940年代に他の人達によって相次いで書かれた有機農業の著作とは区別して,バイオダイナミック農業をゲーテアヌムの自然科学部門を介して人智学との協力を維持しつつも,人智学から独立して発展させ,「ダイナミック農業」という独自のブランドで農業マーケットのなかで区別できるようにしたこととされている(Paull, 2011b)。

●おわりに

プファイファのBio-Dynamic Farming and Gardening: Soil Fertility Renewal and Preservation (1938)の本には,農業講座でシュタイナーが提起した問題を実験で検証した結果や技術的な問題を含めて,バイオダイナミック農業の真髄が書かれていると推察される。中味を知りたいところである。この本はその後にしばしば重版され,2004年にもペーパーバックスで再版されている。この本は日本語の訳本が出版されていないので,購入の手続きを行なった。後日,本レポートか他の方策で紹介したい。

 

★シュタイナーおよび有機農業の歴史に関しては ⇒ 『検証 有機農業』(西道道徳著,2019)に詳しい。