●はじめに
環境保全型農業レポート「No.347 世界人口の約半分は化学肥料窒素で養われている」に紹介したように,1908年に特許が取られたハーバー・ボッシュ反応による大気中の窒素ガスからのアンモニア合成技術によって,それまで不足していた窒素肥料が潤沢に使用できるようになった。それによって食料の飛躍的生産が可能になって,世界人口が急激に増加した。しかし,「No.348 余剰な化学肥料窒素による環境の多様な側面への深刻な影響」に紹介したように,化学肥料の窒素の利用効率は,残念ながら高くなく,未利用の余剰窒素が,水,大気,土壌に拡散して,水質,大気質,温室効果ガスバランスとオゾン層,生態系と生物多様性,土壌の質などを悪化させている。
化学肥料や天然に土壌に投入された窒素の利用効率はどの程度なのか?
環境保全を図りつつ,さらに増加する世界人口を養うためには,窒素の利用効率を高めて,より一層の食料増産を図ることが必要である。現在,窒素の利用効率の研究がすすみ,食料生産・消費システムにおける窒素利用効率指標を利用した研究が,国際的に実施されている。その中から,下記の文献を中心に研究の概要を紹介する。
●OECDの養分バランス指標
先進国で構成されているOECD(経済協力開発機構)は,加盟国における農業による環境負荷の状況をモニタリングするために,一連の農業環境指標を定めて,毎年加盟国が指標の状況をOECD事務局に報告している(環境保全型農業レポート「No.114 OECDの指標でみた先進国農業の環境パフォーマンス」)。その中の養分使用(窒素とリンのバランス)の指標は,国の農地全体に,肥料,家畜糞尿,降雨,微生物による窒素固定,種苗による持ち込みなどによって持ち込まれた,窒素とリンのインプット全量を計算する。そして,耕種作物,果樹や茶樹,飼料作物ならびに生産した家禽・家畜によって吸収されて販売用に圃場外に搬出された,窒素とリンのアウトプット全量を計算する。次にインプット全量とアウトプット全量の差を「養分バランス」として,その国全体での農地面積ha当たりの養分量kgで表示する。これは,農場での農業生産だけを対象にした養分収支を計算するものである。
●作物の窒素の利用効率とフードシステム全体の窒素利用効率
OECDの窒素バランスは農業生産部門だけを取り上げたもので,食料や飼料などの加工,流通,販売,消費を対象にしていない。そこで,特定地域,国や世界全体など,境界を明確にした範囲内で行なわれている,食料・飼料生産,食品加工,収集・流通,小売や消費からなるフードシステム全体を対象にして,そこにインプット(投入)された新規の窒素量と,食料として消費者に販売する目的でアウトプット(生産)された窒素量を求めて,図1の式によって計算する,フードシステム全体の窒素利用効率も用いられている。
なお,図1の式で計算を行なう調査期間は通常1年間だが,それに限られることはない。そして,ここでいう「新規の窒素量」は,対象とするフードシステムに,調査期間内に食料生産のために投入された窒素量で,図1の計算式の分母の窒素量である。
窒素(N)利用効率は,圃場で作物を生産する場面では,圃場から作物によって収奪された肥料窒素量と,肥料窒素の施用量との比率(%)と,定義されている(「作物の窒素利用効率」)。これに対して,図1に示したフードシステム全体の窒素利用効率は,消費用に提供された食料中の窒素量(図1式の分子)の,当該食料の生産に使用された新規窒素(図1式の分母)に対する比率(%)である。そして,対象とする境界内の国や地域の食料や飼料を直接生産・加工する場面だけでなく,対象の境界外から輸入した食料や飼料,境界の外に輸出した食料や飼料を含めている。また,新規に投入はしていないが,土壌有機物が無機化されて新規に無機態窒素が放出された場合など,フードシステム内で生じた窒素在庫の変化量も計上する。こうしたフードシステム全体の窒素利用効率を問題にすることによって,窒素管理を農業だけの視点から,経済的,社会的,環境的などより広い視点から管理する意識を持ちやすくなる。
図1の式の具体的な計算のやり方はEurostat (2013)に記載されている。ただし,図1の式の定義にあるデータのなかには,実際に入手できないもの多い。このため,図1の式の分母にある「在庫Nの変化量」を省略しているケースも多い。また,「生物的窒素固定N」や「大気降下N」(大気降下物の窒素)は実測せずに,既往の文献値で代替しているケースが多い。その代替値もEurostat (2013)に記載されている。その他のデータで,FAOの統計から入手するものなども同報告に記載されている。このため,フードシステム全体の窒素利用効率は定義されていても,入手が困難なデータを,文献値で代替したり,研究対象から除外したりするなどの取り決めが,研究によって異なっている。しかし,それによって,数値自体や数値の相対的順位が極端に変わるとは考えにくい。
●国レベルでのフードシステム全体の窒素利用効率
多くの研究が,世界中の国レベルでの作物の窒素利用効率とフードシステム全体の窒素利用効率とを計算している。そして,その計算結果を図示している研究は多いが,数値を示している例は多くない。ここでは,数値で示しているSutton et al. (2013)の研究を紹介する。ただし,Suttonらのフードシステム全体の窒素利用効率の計算では,図1の式の分母のうち,「大気降下N」と「在庫Nの変化量」を省略し,「輸入食飼料-輸出食飼料N」の代わりに「輸入食飼料N」を用いている。
表1に,世界の主要地域と当該地域のいくつかの国における,作物生産に限定した窒素利用効率と,フードシステム全体の窒素利用効率,ならびに,国民1人当たりの生物の利用できる反応性窒素のインプット量(つまり,アンモニア,アンモニウム,硝酸塩など生物の利用しやすい形態の窒素)を示す。この表から次の結果が読み取れる。
(1) 「1人当たりの反応性窒素インプット量」が年間10 kg未満と非常に少ない,ガーナ,ナイジェリア,ネパールでは,作物の窒素利用効率が100%を超えている。これは,一見常識に反するが,これは図1の計算式の「在庫Nの変化量」を考慮していないためである。つまり,ろくに肥料Nを施用していない土壌から,土壌Nが無機化されて作物に吸収されたことを意味している。こうした低Nレベル土壌からの作物による土壌窒素の収奪を,土壌窒素の「採掘」miningと呼んでいる。「No.346 陸上生態系には岩石から予想以上に窒素が供給されている」に記したように,陸上生態系の低Nレベル土壌の下にある基岩(土壌層の下にある岩石の総称)から供給される無機態窒素がその主要な供給源である。
(2) 窒素利用効率が100%を超える事例では土壌窒素が採掘され,一見環境保全的と思えるが,これは土壌肥沃度を徹底的に絞り出してしまい,やがて不毛土壌になって,土壌肥沃度の持続可能性が損なわれてしまうことになる。逆に窒素利用効率が低いほど,作物に吸収されずに余った窒素が環境に放出されて,汚染リスクを高めることになる。
(3) フードシステム全体の窒素利用効率は,作物の窒素利用効率よりは若干低い。EU Nitrogen Expert Panel (2015)は,ヨーロッパでは,フードシステム全体の窒素利用効率の上限値が90%未満,下限値が50%を超えることが望ましいとしている。Sutton et al. (2013) から抜粋した表1のヨーロッパの国で,フードシステム全体の窒素利用効率が50〜90%の範囲に入っている事例はなく,Sutton et al.の原著でもわずかにマルタ52%があるだけで,いずれも50%より明らかに低い。このため,ヨーロッパ諸国で農業に起因した窒素汚染が深刻なことは,フードシステム全体の窒素利用効が低いことによって裏付けられる。
(4) 表1の「1人当たりの反応性窒素インプット量」を解釈する際には注意が必要である。食料輸出量の多い国では,輸出した食料生産のために投入した肥料窒素量も計上しているのに,「消費者用に生産した食料中のN量」には輸出した食料中のNは含めていないと推定される。これに対して食料輸入量の多い国では,輸入食料の生産のために投入した窒素量が不明なため計上していないのに,輸入した食料の窒素を「消費者用に生産した食料中のN量」に加算し,「1人当たりの反応性窒素インプット量」が高くなっている。このため,見かけ上,N利用効率は食糧輸出量の多い国で低く,食料輸入量の多い国で高くなる。
このため,食料輸出国の「1人当たりの反応性窒素インプット量」は,例えば,オーストラリア228 kg,カナダ106 kg,アルゼンチン102 kg,アメリカ96 kgなど,高い値となっている。これに対して,食料輸入量の多い国では,例えば,キューバ12%,日本17 %,中国31%など,低い値となっている。農地面積当たりの肥料窒素の施用量が,オーストラリアよりもはるかに多い,日本や中国などが,「1人当たりの反応性窒素インプット量」が,オーストラリアよりもはるかに少ないのは,一般常識に反する。このため,計算の仕方の改善が望まれる。
(5) 表1から直接読みとることはできないが,ヨーロッパでは,収穫された食料中の窒素の85%が家畜を飼養するために使用され,15%だけが人間に直接摂食されているにすぎない上に,平均的EU市民は,健康的な食餌に必要なよりも70%も多くの蛋白質を消費していると推計された。
●EUにおける国レベルの作物生産における窒素利用効率の推移
上述したように,フードシステム全体の窒素利用効率には入手の難しいデータも多いが,作物生産に限定した窒素利用効率なら必要なデータを入手しやすい。
EU Nitrogen Expert Panel (2015)は,作物生産に限定した窒素利用効率の研究事例を多く紹介している。その中に,ヨーロッパの4か国(スペイン,ハンガリー,フランス,ドイツ)の1960年から2009年における作物生産(永年草地を除く)における,Nインプット量とNアウトプット量の各年次の平均値の推移を示している。
1960年から1990年まで,Nインプット量がほぼ毎年増加し,それとともにNアウトプット量が増加する傾向が示され,この期間に窒素利用効率は減少する傾向を示した(最も明確なのはスペインとハンガリー)。これに対して,1990年から2009年には,Nインプット量が年とともに減少したのに,Nアウトプット量はむしろ増加する年も多く,窒素利用効率は1990年以前よりも増加する傾向がみられ,特にフランスとドイツで顕著に示された。1990年以降の変化は,特にフランスとドイツでみられるが,技術的発展や政策変化(共通農業政策の改革と農業環境政策の導入)を反映している。ハンガリーでは1990年代の始まった政治的/経済的変化に従って,肥料の使用量が顕著に減少し,この減少とともに当初はNアウトプットの減少が付随していた。
このように,窒素利用効率は農業政策によって大きく改善できることが示されている。
●食料とエネルギー生産の向上と環境汚染軽減に必要な行動
Sutton et al. (2013) は,養分利用効率を向上させ,それによって食料とエネルギー生産を向上させるとともに,環境を汚染するNとPのロスを削減する,次の10のキー行動を指摘している。
農業
1. 作物生産における養分利用効率の向上
2. 家畜生産における養分利用効率の向上
3. 家畜糞尿の肥料同等性価値の向上
運輸・工業
4. 再生可能資源を含む低排出な燃焼とエネルギーの高効率システム
5. 窒素酸化物の捕捉と利用技術の開発
廃棄物とリサイクリング
6. 肥料および食料の供給における養分利用効率の向上と食料廃棄物の削減
7. 都市,農業および工業における廃水中の窒素とリンのリサイクリング
社会の消費パターン
8. エネルギーと運搬の節約
9. 個人当たりの動物性蛋白質の消費量が過剰な人々の消費量の自主的削減
総合化と最適化
10. 養分フローの空間的および時間的最適化
これらの問題について技術的取り組みをこれまで以上に追求し,その成果を生かした政策の推進が必要となっている。