●化学肥料窒素は食料増産を可能にしたが,窒素化合物による環境汚染を激化した
自然界には莫大な量の窒素が存在しているが,その大部分は大気の78%を占める二窒素分子(N2分子)で,非常に強力な(三重)結合を有していて,基本的にはこの形では生命体に利用不可能である。二窒素分子を、生物に利用可能な(反応性)窒素に変換する過程が,窒素固定と呼ばれている。
自然界の窒素固定反応だけでは利用可能な窒素は不足し,人間の食料増産は限られている。このため,20世紀初めのハーバー・ボッシュ法による窒素ガスと水素ガスからのアンモニアの合成は,食料増産に革命をもたらした(環境保全型農業レポート「No.347 世界人口の約半分は化学肥料窒素で養われている」参照)。
第二次世界大戦後にハーバー・ボッシュ法による窒素肥料の合成が本格化して,食料生産が急激に増加し,世界人口が増加すると同時に,食料生産に利用されなかった窒素が,大気圏,土壌圏,水圏に排出されて,様々な環境問題を引き起こすに至った。こうした窒素分子の地球上における二律背反の動態とその対策について,下記の資料が適切な情報を提供してくれている。
OECD (2018) Human Acceleration of the Nitrogen Cycle: Managing Risks and Uncertainty. 176pp.
●地球上における年間窒素固定量
OECD (2018)は,地球上における年間窒素固定量について,次の研究報告を紹介している。
Fowlerらの報告は19名の共著者によるもので,85の関連文献に基づいて,21世紀初めの窒素固定量をまとめている。
それによると,自然の窒素固定総量は年間2億300万t(その内訳は,海洋の生物窒素固定1億4000万t,雷の空中放電による窒素固定500万t,産業革命前における陸上の生物窒素固定5,800万t)。これに対して,人為的窒素固定総量は年間2億1000万t(内訳は農地での生物窒素固定6000万t,燃料等の燃焼3000万t,肥料窒素9600万t,工業原料用窒素化合物2400万t)で,自然の窒素固定総量よりも若干多いまでに増えた。このため,産業革命以前に比べて,地球上における年間の固定窒素投入量がほぼ2倍に増加したと試算している。
●余剰窒素による環境汚染
地球への固定窒素の投入量が増えても,それらが効率よく植物に吸収されて,植物体の構成成分に合成されるなら,環境への影響は現在よりも少ないはずである。しかし,窒素肥料を増やした割には,炭素サイクルに乗った炭素量は,産業革命前の陸地・大気の自然サイクル量よりもおおよそ10%増えただけである。これは,作物による肥料窒素の利用率が,通常50%未満であることに起因している。つまり,窒素は施用量の半分しか作物に利用されないまま,余剰の窒素として環境に放出されているのである。
肥料由来の未吸収窒素はもちろんだが,それだけではない。飼料を投与して家畜生産を行なう際に,肉質を向上させるために,濃厚飼料による肥育期間を長引かせることなども,糞尿に排泄される窒素量を増やしている。また,石油や石炭などの燃料の燃焼によっても、多量の窒素が環境に増えている。このため,無駄に環境に放出されている窒素量が過去には想像できないほど増え,人体や環境に様々な影響を与えている。
余剰窒素によって生ずる環境汚染は,WAGESと要約されている。すなわち,水質(Water),大気(Air),温室効果ガスバランスとオゾン層破壊(Greenhouse balance and ozone layer),生態系と生物多様性(Ecosystems and biodiversity),土壌(Soil)の汚染が深刻となる。
その問題になる汚染の概要は下記のとおりである。
●環境汚染で問題になる主要な窒素化合物とその供給源
<窒素酸化物>
- 化石燃料の燃焼プロセスで,燃料の窒素ないし大気の二窒素が酸素原子と結合して,一酸化窒素(NO)が生ずる。これがさらにオゾン(O3)と結合して,分(ふん)のオーダーで急速に二酸化窒素(NO2)を生ずる。NOとNO2は容易に相互転換しうるので,これらの分子種はまとめて窒素酸化物NOxと呼ばれる。
- 大気中におけるNOとNO2の酸化によって様々な形態の窒素酸化物が生成されるが,主要系路は硝酸(HNO3)への酸化である。硝酸は昼間には窒素酸化物が空気酸化されて生じるとともに,夜間にはオゾンによって酸化されて生ずる。
<アンモニア>
- アンモニア(NH3)の主要排出源は人類活動であり,農業がその大部分を占めている。欧米では,NH3排出量の90-100%が農業に起因している。その主たる部分は家畜糞尿(排泄,貯留,散布)に起因し,少量は施用した化学肥料に起因している。
- HNO3は,NH3と反応して硝酸アンモニウム(NH4NO3)を生成する。これは微小硝酸エアロゾルと呼ばれている粒状物質に吸着されて,粗粒硝酸エアロゾルを形成する。
<亜酸化窒素>
- 地球でのN2O(亜酸化窒素)の総発生量の約60%は,自然植生下での土壌や海洋における微生物脱窒によっている。人為的発生は40%だけで,その人為的発生の約2/3は農業に由来している。農業におけるN2Oの60%は,施肥した農地土壌や家畜糞尿から直接,残りの40%は表面流去水や窒素肥料の溶脱から間接的に発生している。その他の人為的発生源は,化石燃料の燃焼,工業プロセス,バイオマス燃焼,大気降下物,ならびに,量的にはもっと少ないが人間の汚泥である。
- N2Oは,自動車や工場などでの化石燃料の燃焼副産物でもある。工業プロセスも,特に硝酸(合成肥料の重要な成分)やアジピン酸(合成繊維の製造に主に使用されている)の製造過程でも放出されている。バイオマス燃焼(作物残渣の刈り払い,農業やその他の利用のための開墾など)によってバイオマス中や周辺大気中の窒素の一部が酸化されて,N2Oが発生している。大気降下物によって陸地や水生生態系に余分な窒素が供給され,それによって微生物脱窒が促進される。N2Oは廃水の細菌処理(脱窒)でも放出されている。
- N2Oは,温室効果ガスとして,強力な地球温暖化効果を有している。温室効果ガスの気候変動に対する影響の点で,2つの指標が使われている。1つは,地球温暖化ポテンシャルで,単位重量のガスが一定期間(通常100年間)に吸収する総エネルギー量である。地球温暖化ポテンシャルが大きいほど,ガスの温暖化が生ずる。CO2(二酸化炭素)の地球温暖化ポテンシャルが1に対して,N2Oはその265倍も高く,世界中の人為的温室効果の約6%を引き起こしている。もう1つの重要な特徴は,大気中に残る平均寿命が長いことである。CO2は数1000年間,CH4(メタン)は約12年間なのに対して,N2Oは約100年である。寿命の長い温室効果ガスは,長年にわたって温室効果が累積して将来の気候変動の程度にも大きく影響する。
- N2Oは,太陽からの紫外線の一部を吸収して地球上の生命体を保護している,成層圏オゾン層の破壊に大きく寄与している。N2Oは成層圏におけるNOxの天然の供給源となっており,そのNOxは成層圏のオゾン破壊の主因となっている。「オゾン層破壊物質に関するモントリオール議定書」(オゾン層保護に関するウィーン条約に基づく議定書)によって規制されている。
<地上オゾン>
- 成層圏オゾンとは異なり,地上の対流圏に存在するオゾンで,燃焼で生じた窒素酸化物と一酸化炭素や揮発性有機化合物(メタンを含む)とが,太陽光による光化学反応によって生ずる二次的汚染物質である。高レベルの地上オゾンは胚疾患による人間の早死リスクを高めるとともに,植物の葉を傷めて生育を低下させる。低レベルの地上オゾンに生育期に暴露されると,生態系に幅の広い影響が生じ,農業の収益にも影響が生ずる。
<水中の硝酸塩(NO3–)>
- 飲料水中の硝酸塩は人間の健康に直接有害で,高濃度で乳児に血液疾患(メトヘモグロビン血症)を起こしうる(日本での発症例は、環境保全型農業レポート「77 日本での井戸水が原因の新生児メトヘモグロビン血症事例」参照)。また,飲料水中の硝酸塩は内因性変換によって発ガン性Nニトロソ化合物になり,結腸直腸ガンのリスクを高める。
(注)内閣府に置かれて,関係行政機関から独立して,科学的知見に基づき客観的かつ中立公正にリスク評価を行なう機関である食品安全委員会は,厚生労働大臣から,2003年7月に,清涼飲料水中の硝酸性窒素及び亜硝酸性窒素並びに亜硝酸性窒素の規格基準改正に係る食品健康影響評価について要請を受けた。その評価結果を2012年10月に厚生労働大臣に報告した。また,2013年5月に,厚生労働大臣から水道水中の亜硝酸態窒素の水質基準設定に係る食品健康影響評価について要請を受け,その評価結果を2013年7月に厚生労働大臣に報告した。
(注)飲料水中の硝酸塩は,特に乳幼児のメトヘモグロビン血症との関連や,ヒトにおける心血管系や副腎への影響,糖尿病との関連,母親の妊娠中の曝露による生殖への影響や子どもの中枢神経系の先天奇形,腫瘍との関連を示唆した疫学研究がある。ただし,既往のラットでの発ガン性試験は再現性に乏しく,人間への外挿性が難しいことから,非発ガン毒性について評価を行なって,最も感受性の高い0〜3 か月未満児の人工乳哺乳量及び体重を用いて,無毒性量(NOAEL)を硝酸性窒素として5 mg/kg体重/日とした。この値は最も感受性の高い乳児のものであるため不確実係数を適用せず,硝酸性窒素の耐容日摂取量(TDI)を1.5 mg/kg体重/ 日と設定した。亜硝酸性窒素の非発がん毒性については,NOAELを亜硝酸性窒素として1.47 mg/kg体重/日,不確実係数100で除した,15μg/kg体重/日をTDIとすることを設定した。
(注)食品安全委員会は発ガン性リスクを評価しなかったが,2018年に公表されたデンマークでの成人270万人を対象にした疫学調査によって,87 mg/Lを超える飲料水を長期飲用していた人達で結腸直腸ガンが有意に増加していたことが報告されており,硝酸塩による発ガン性がないわけではない(Schullehner, J. et al. (2018) Nitrate in drinking water and colorectal cancer risk: A nationwide population-based cohort study. International Journal of Cancer. 143: 73-79. )。
- 淡水や海水中の高濃度の養分(NO3–とリン)によって,富栄養化と呼ばれる,植物プランクトン(微小藻類)の大量増殖が生ずる。植物プランクトン密度が高いと,水の透明度が減少し,大型植物や海草が育つことができる太陽光の届く深さを低下させる。養分過剰レベルの最も強烈な影響の1つは,高等生物が生き残れず,デッドゾーンと呼ばれる,低酸素ないし無酸素ゾーンが形成されることがある。
- リンは淡水での富栄養化,NO3–は海洋水での富栄養化をもたらすことが多い。
<過剰窒素の供給>
- 大気や陸地からの過剰窒素の供給が,生態系や生物多様性を損なっている。
- 余剰な窒素の集積とともに,土壌pHが低下し,低養分レベルに適応した自然および半自然生息地の重要な生物多様性がマイナスの影響を受ける。それゆえ,過剰窒素は生物多様性の消失に寄与している。
- 窒素化合物ではあっても,違った湿式降下物(例えば,NO3–対NH4+)の場合に,生物多様性に対する影響が異なるかはまだ明確ではない。しかし,NH3は,葉を直接損傷して,特に下等植物に有害になりうる。例えば,長期管理の圃場実験から,同じ量の窒素負荷で,NH3降下が,アンモニウムエアロゾルの降下よりも湿地植生により有害であることが示されている。ただ,窒素の形態に対する応答は複雑で,生息地によって,土壌微生物の活性によって窒素の形態間の変換が異なる。
- NO2,NH3およびSO2の降下は,酸性雨となって,陸生および淡水生態系を酸性化させており,酸性雨は,OECD国を含めて,なお問題として残っている。これはNOxやSO2排出の削減が十分なされていないためである。富栄養化は窒素養分(NH3, NOx)の過剰投入の結果であり,大気からの他の養分の投入は無視できる程度である。
- 酸性雨は,淡水生態系にマイナス影響を有している。湖沼や河川の酸性上昇は魚のエラの有機態物質を腐食し,炭酸カルシウム骨格を攻撃するので,魚に直接有害である。これに加えて,酸度は堆積物中のアルミニウムのような有毒金属を溶解させる。酸性雨は,酸性中和容量の低い陸生植生にも有害であるが,その主たる理由は,酸性雨がカリウムのような養分を溶脱し,表面流去によって生態系の外に流し去るためである。酸度のインプットの他にも,NH4+とNO3–の大気降下は水生生態系の富栄養化の重要な原因である(陸地起因の供給源に加えて,直接同化可能な窒素を生態系に供給している)。酸性化降下物は建築物や記念碑も損なっている。
- 農業用土壌と自然土壌双方の土壌質に対する主たる窒素の脅威は,土壌酸度の変化と土壌生物多様性の消失に関係している。土壌の酸性化は作物や森林の生育を低下させ,土壌成分の溶脱を促し,重金属を含め,水質に悪影響を与える。
- 土壌有機物含量に対する大気降下窒素の影響は不明確である。窒素の土壌(微)生物の多様性に対する影響と,土壌生物多様性の変化の土壌肥沃度,作物生産や環境への窒素排出の影響は十分には理解されていない。
●窒素のカスケード
産業革命以前に比べて,地球上における年間の固定窒素投入量がほぼ2倍に増加したと試算されている。そして,ハーバー・ボッシュ法によって固定された窒素の80%は,肥料として投入されている。作物による肥料窒素の利用率は通常50%を超えることは少なく,投入量の半分を超える量が,環境に放出されている。また,家畜生産では糞尿の形で環境に放出される窒素量が多くなり,作物生産に比べて窒素の利用効率がさらに低くなる。
窒素は,他の汚染物質と異なり,環境にいったん放出されると,地球のいろいろな生物化学系路を移動して,様々に形態変化をしつつ,同じ窒素原子が大気,陸上生態系,淡水生態系,海洋生態系を長期間にわたって循環し,気候にも多様な影響を起こすことができる。こうした窒素の多様な物質の形態変化と多様な影響が次々につながって起きる状況は,小さな階段状につながった無数の滝を流れる水になぞらえて,「窒素カスケード」と呼んでいる。
例えば,化石燃料の燃焼過程で生成されたNOxは,スモッグの成分である地上オゾンを生成する潜在力を持ち,その後,酸性雨の主成分であるHNO3に変換されることもあるし,大気中でエアロゾルに変換されることもあり,光の散乱を減らして,雲粒の生成を促進する。大気から土壌に落下したHNO3と硝酸エアロゾルは,土壌の施肥と酸性化を引き起こし,次いでNO3–の溶脱によって,アルカリ性の低い淡水の酸性化と同じ水系の施肥を引き起こす。さらにNO3–が沿岸部や湖沼に運搬されると,富栄養化を引き起こし,淡水および海洋の生物多様性消失を引き起こす。最終段階として,土壌や水中の窒素原子はN2Oに変換されうる。これは対流圏で温室効果ガス,成層圏でオゾン破壊に貢献する。
●おわりに
ハーバー・ボッシュ法によって化学窒素肥料が工業生産されるようになって,世界の食料生産が飛躍的に向上した。それにともなって,急激な人口増加が始まり,農地造成のための森林伐採や放牧用草原などの開墾によって農地面積を拡大し,降水量の少ない土地では灌漑を行ない,化学肥料や化学合成農薬を使用して,食料生産をさらに増産した。これとともに,環境の劣化や汚染が深刻になった。その食料増産と環境の劣化や汚染の双方に化学肥料窒素が大きな原因となっている。
無駄に環境に放出される肥料窒素を極力少なくして,肥料窒素の利用率の向上を図ることが緊要の課題となっている。
しばらく前まで,野菜などの作物中の硝酸塩が,飲料水中の硝酸塩と同じ毒性を示すと理解されていた。野菜の硝酸塩濃度は飲料水の硝酸塩濃度の安全基準を超えていることが多く,野菜などへの肥料窒素の施用の抑制が強く指導された。しかし,野菜などの作物体中の硝酸塩の毒性は,作物体に含まれる抗酸化物質によって解毒されるため,飲料水に比べてはるかに低い。その上,硝酸塩は人体内で血圧低下など様々な有益な生理作用を発揮している。こうしたことから野菜などの作物体中の硝酸塩に対する不要な不安は解消した。
その解消の反動として,野菜には化学肥料窒素を多量施用して良いとの主張がなされている(環境保全型農業レポート「No.334 農林水産省は野菜の適正施肥管理の指示を撤回したのか?」参照)。これは視野の狭い見方に他ならない。化学肥料窒素を多量施用して,利用率を引き下げるほど,環境に放出される窒素量が増え,様々な環境劣化や汚染を生じてしまう。収穫物さえ作れば良いとの考えから,脱皮すべきである。