・シュタイナーの人智学の広がり
オーストリアの霊的哲学者のルドルフ・シュタイナー(1861-1925年)が,人智学に基づいたバイオダイナミック農法を開始したことを,環境保全型農業レポート「No.263 有機農業は当初,生命哲学や自然観の上に創られた」および「No.289 バイオダイナミック農法の生産基準」に紹介した。人智学は,農業(バイオダイナミック農法)だけでなく,教育(シュタイナー学校),医療,芸術,建築にも応用され,人智学の信奉者は多い。
シュタイナー学校は,人間が自らの叡智で人間であることを見出すのを助けるための,人智学信奉者のための独自の教育機関である。シュタイナー学校は世界の主要国には存在し,日本にも学校法人の学校が神奈川県相模原市と北海道豊浦町に,また,NPO法人やその他のものが東京都立川市などに数校が存在している。
・数10年前の児童のモデルとしてのシュタイナー学校の児童
アレルギー疾患は,生体に対する免疫反応に基づいた全身的または局所的な障害を指し,気管支ぜん息,アトピー性皮膚炎,アレルギー性鼻炎・結膜炎,食物アレルギーなど多様な疾患が含まれている。なかでも児童のアレルギー患者数が,この数10年間に世界的に急増してきている。
そうした状況下でシュタイナー学校の児童は,両親も人智学の信奉者であることが多く,その家庭では児童に対して人智学の療法に基づいて,母乳だけで哺乳し,抗生物質,解熱剤やワクチン接種を抑制し,食材は農薬や化学肥料を使用しないバイオダイナミック農法や有機農法のものを用いることが多い。こうしたライフスタイルは,数10年前の人々が実施していたものに近い。
この点に着目して,アレルギー疾患の発生状況を,シュタイナー学校と一般の学校の児童で比較する研究がヨーロッパでいくつか実施されている。
・スウェーデンでのAlmらの研究(1999)
この問題を最初に着想して研究したのはスウェーデンでの次の研究であった。
(1)研究方法
ストックホルムの60 km南にある村に所在する,2つのシュタイナー学校の5-13歳の児童と,同じ地域にある2つの一般の対照学校の同年齢の児童とを比較した。
1982-92年に生まれた5-13歳の4つの学校の児童の親の全員に,研究の趣旨と参加要請の手紙を郵送し,参加に同意された者には,親と児童のアトピー症状と日ごろの生活様式についての質問状を郵送した。同意を得られた児童(シュタイナー学校の児童:合計295名,一般の学校の児童:合計380名)の感染症とワクチン接種の履歴情報は,児童厚生センターのデータから入手した。参加児童のアレルギー疾患(ぜん息,アレルギー性鼻炎・結膜炎,アトピー性皮膚炎,食物アレルギー,アレルギー性じんましん)の症状の有無を,医師が臨床検査で診断した。
また,児童の下腕の手のひら側で皮膚プリックテスト(皮膚に出血しない程度に微小な傷を付けてその上にアレルゲンの薬液を置いて赤い腫れの生成の有無を検査)を,カビのクラドスポリウム,ヤケヒョウヒダニ,ネコ,イヌ,ウマ,カバノキ,チモシー,オウシュウヨモギ,卵の白味,タラ,ピーナッツ,牛乳,ダイズのアレルゲンについて行なった。
さらに,アトピーの履歴を有すると考えられる場合,児童とその両親の1人から静脈血液を採取し,血中免疫グロブリンE抗体を検査した。11の一般吸入アレルゲン(クラドスポリウム,ヤケヒョウヒダニ,ネコ,イヌ,ウマ,カバノキ,チモシー,オウシュウヨモギ,オリーブ,カベイラクサ),6つの食物アレルゲン(鶏卵の白味,タラ,牛乳,ピーナッツ,ダイズ,小麦粉)および齧歯アレルゲン(モルモット,ウサギ,ハムスター,ラット,マウス)で検査を行なった。
そして,皮膚プリックテストおよび血中免疫グロブリンE抗体検査で,アレルゲンの少なくとも1つでプラスの結果がでた場合をアトピー感作(ある抗原に対しアレルギー反応をおこしうる状態になっていること)と判定し,表1で「アトピー性感作」と表記した。
(2)結果
2つのシュタイナー学校と2つの一般の学校のそれぞれ児童での合計した結果で,有意差の認められた項目を表1に示す。
抗生物質を投与されていた児童は,一般の学校の90%に比較して,シュタイナー学校の児童の52%だけであった。解熱剤(欧米で主力の解熱剤で国際一般名はパラセタモール,アセトアミノフェンともいう。日本で主力のアスピリンを主成分とするバファリンとは別物。)の使用も同様で,一般の学校の児童で89%であったが,シュタイナー学校の児童では39%にすぎなかった。
児童への新3種混合ワクチン(はしか・おたふく風邪・風疹)の予防接種は,シュタイナー学校では18%にしか接種されなかったのに,一般の学校では93%に接種されていた。その結果,はしかを罹病した児童は,一般の学校では1%にすぎなかったが,シュタイナー学校では61%に達していた。
なお,人智学の療法では小児麻痺と破傷風のワクチンは一般の児童と同様に摂取するが,他のワクチンは少なくとも半年遅らせて接種している。
乳酸発酵した野菜を日ごろ食べている児童は,一般の学校でたった4.5%にすぎなかったのに比べて,シュタイナー学校の児童では63%に達していた。
同様なパターンは,幼児期における有機またはバイオダイナミック食材の食物の消費でも示された。乳児期における母乳育児は,シュタイナー学校では一般のよりも長かった(母乳だけの平均哺乳期間は,シュタイナー学校で5.7か月に対して,一般の学校で4.3か月)。しかし,その他の年齢,遺伝パターン,性別,両親の喫煙,家庭のペットといった他のアトピーのリスク要因については2つのグループで明確な違いがなかった。
アレルギー疾患の有病率は,気管支ぜん息,アトピー性皮膚炎(湿疹),アレルギー性鼻炎・結膜炎症状(花粉症を含む)で,シュタイナー学校の児童では一般の学校の児童でよりも有意に低かった。
・EU5か国での比較研究
上記のスウェーデンでの結果の一般性が,ヨーロッパの5か国(オーストリア,ドイツ,オランダ,スウェーデン,スイス)による次の共同研究によって検証された。
(1)研究方法
EU5か国による共同研究は,スウェーデンでの研究と基本的には同じ方法を用いた。
募集して最終的に研究対象となった児童数は,シュタイナー学校で4,606名,一般の学校で2,024名で,両者を合わせた全児童数割合は,オーストリア11%,ドイツ39%,オランダ22%,スウェーデン9%,スイス20%であった。
参加した児童については,スウェーデンでの研究と同様に,親に質問状に記入してもらった。そして,対象にした児童の総数の28%から血液サンプルの提供を受けた(シュタイナー学校1202名,一般の学校634名)。血液サンプル提供児童の分布は,オーストリア22%,ドイツ20%,スウェーデン26%,スイス18%,オランダ15%であった。そして,血液中の一般的吸入アレルゲンと,食物アレルゲンの混合物に対するアレルゲン特異的な免疫グロブリンE (IgE) を測定し,アトピー性感作の有無を評価した。
(2)結果
スウェーデンで観察されたのと同様な結果が,EU5か国でも確認された(表1)。すなわち,結果が全ての国で完全に一致しなかったものの,一般の学校の児童に比べてシュタイナー学校の児童では,アレルギー性鼻炎・結膜炎とアトピー性湿疹の現在の罹病と医師の診断,ならびにぜん息の現在の罹病と医師による診断,ならびにアトピー性感作が低いことが観察された。国によって結果が多少異なったことは,国によってシュタイナー学校および一般の学校の児童の家族の生活様式の多少の違いが原因になっていると考えられる。
・シュタイナー学校の児童で生じた違いは何に原因するのか
Floöistrup et al. (2006)は,シュタイナー学校と一般の学校の児童で生じた違いの理由について,次の考察を行なっている。
別の研究によって,アレルギー疾患の児童と健康な児童とで腸内細菌相が異なることが観察され,さらに腸内細菌相が新生児の免疫システムの成熟を進める主要要因であることが示されている。
Floöistrup et al. (2006)は抗生物質の使用時期に着目し,生後1年以降での抗生物質使用に比べて,生後1年以内の使用によって児童のアレルギー疾患の有病率が高いことを観察している。それは,生後1年以内の抗生物質使用によって腸内細菌相が大きな損傷を受けて,免疫システムの成熟が阻害されることが推定されるとしている。そして,別の研究によって,発酵した野菜や抗生物質の使用が,赤ん坊の腸内フローラと関係していることが示されている。
解熱剤(パラセタモール)の服用によるアレルギー疾患の増加の関係は,若年成人におけるパラセタモールとぜん息のひどさとの関係や,児童におけるパラセタモール消費とアトピー性疾患の発生率との間の強い関係がある,という別の研究によって説明できる。
風疹感染やはしか・おたふくかぜ・風疹のワクチン接種がアトピー性疾患を増加させるという結果が得られたが,この点については結論に至っていない。これまでの他の研究によって,アレルギー性疾患と,はしか・おたふくかぜ・風疹のワクチン接種との間に逆相関が認められたケースがある一方,風疹感染とはしか・おたふくかぜ・風疹のワクチン接種の両者が,アトピー性皮膚炎のリスク増大と関係していたことが認められたケースもある。
Floöistrupらは,紹介した研究論文で,抗生物質や解熱剤の使用制限のような人智学的な生活様式の何らかの要因が,シュタイナー学校の児童のアレルギー性疾患のリスクが低いことに関係していると結論する。しかし,研究で調べた生活様式要因は,人智学的な多数の生活様式の一部にすぎない。例えば,人智学信奉者がバイオダイナミック農法や有機農法の食材を利用しているケースが多いが,それらには残留農薬が基本的にはない。残留農薬がないことの影響は検討されていない。そのため,こうした低いリスクの背景を完全に理解するには,他の要因を含めてさらなる研究が必要である。
この数10年間にアレルギー疾患が急激に増加したことの原因を探りつつ,アレルギー疾患にかかりにくい防御方策が解明できることが望まれる。シュタイナー学校の児童は,それを探るための貴重な研究対象となっている。