●繰り返された, キューバ農業に対する誤った宣伝
ワシントン大学の地質学教授であるデイビッド・モントゴメリーは,その著書『土の文明史』(片岡夏美訳,築地書館.338頁)(2010年)http://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/ISBN978-4-8067-1399-9.htmlにおいて,文明の発達・衰退を土壌肥沃度の観点から展開した。優れた歴史観に立脚した名著といえるが,キューバ農業については,誤った記述を行なっている。訳書をベースにして, 関係部分を以下に紹介する。
ソビエト連邦の崩壊によって,ソビエト連邦からの支援がなくなり,アメリカの経済制裁が続き,国民へのカロリー供給量は1989年の1日3000 kcalから1994年には1900 kcalに激減した。これに先立って1980年代半ばにキューバ政府は国立研究機関に命じて,環境への影響を減らし,土壌肥沃度を改善し,収穫を増大させる代替農業の研究に着手させた。そして,ソビエト崩壊から6か月と経たないうちに,工業化された国営農場を民営化させ,国営農場をかつての労働者に分けて,小規模農場のネットワークをつくりだした。
生まれ変わった小規模な民営農場と,何千というごく小さな都市の空き地に作られた菜園は,化学資材が入手できないため,好むと好まざるにかかわらず,有機農場になった。キューバは砂糖の輸出をやめ,再び国内向けの食糧の栽培を始め,10年のうちにキューバの食生活は,食料を輸入せず,農業用化学資材も使用せずに,元の水準に戻った。
インターネットに記載された読者のこの本に対する読後感には,キューバに関する記述に感心したとのものが少なくない。しかし,この記述は残念ながら誤っている。同じ誤った記述を日本で最初に本で刊行したのが,当時東京都の職員であった吉田太郎であった(吉田太郎(2002) 『有機農業が国を変えた:小さなキューバの大きな実験』(251p.コモンズ)であった。この本も,有機農業だけで世界の食料を供給できるという誤った夢を与えた。その後,吉田は,キューバが有機農業で食料を100%自給していると記したのは誤りであったことを書いている(吉田太郎.2010.『地球を救う新世紀農業』.185p.筑摩書房)。
●キューバの農業危機
周知のようにキューバは,1959年1月,革命によって親米で軍事独裁のバティスタ政権を打倒し,フィデル・カストロを中心とする勢力が新しい政権を樹立した。革命政権は当初アメリカとの友好関係維持を表明していたが,アイゼンハワー大統領から共産主義として敵対関係をとられた。そして,キューバは,当時キューバの農地の7割以上を所有していたユナイテッド・フルーツとその関連会社の,土地を含めた農地の接収を含む農地改革を実施するとともに,アメリカの資産も没収して,経済や軍事の面でソビエトに接近した。これに対してアメリカは,1961年1月にキューバに対して国交断絶を通告した。その後,1962年10月,キューバに核ミサイル基地が建設されていることが明らかになったことから,アメリカは海上封鎖を実施し,アメリカとソビエト連邦との対立が激化し,キューバからミサイルが撤去される11月まで,核戦争寸前の状態に至った。いわゆる「キューバ危機」である。
キューバはかつても今も,輸出する砂糖用のサトウキビの生産が多く,食用作物の自給率は低く,外国から多量の食料を輸入しなければならなかった。図1に主要食料群の輸入量の推移を示すが,キューバ革命から1989年まではソビエト連邦からを中心に食料輸入量が順調に伸びていた。
1991年12月にソビエト連邦共産党が解散し,これを受けて連邦構成共和国が主権国家として独立した。そして,1991年12月25日にソビエト連邦大統領のゴルバチョフの辞任にともない,ソビエト連邦が解体され,旧ソビエト連邦共和国の経済と食料生産が長期に低迷した。これにともなって,キューバの穀物などの輸入量が急減し,2007年頃まで輸入量減少が続いた。現在では穀物輸入量が200万トン前後に回復した。
モントゴメリーは,上述したように,「10年のうちにキューバの食生活は,食料を輸入せず,農業用化学資材も使用せずに,元の水準に戻った。」という趣旨を記したが,実際には多量の食料を輸入しているし,また,後述するように化学肥料も使用しており,誤りである。
キューバはかつても今も,輸出する砂糖用のサトウキビの生産が多く,食用作物の自給率は低く,外国から多量の食料を輸入しなければならなかった。図1に主要食料群の輸入量の推移を示すが,キューバ革命から1989年まではソビエト連邦からを中心に食料輸入量が順調に伸びていた。
1991年12月にソビエト連邦共産党が解散し,これを受けて連邦構成共和国が主権国家として独立した。そして,1991年12月25日にソビエト連邦大統領のゴルバチョフの辞任にともない,ソビエト連邦が解体され,旧ソビエト連邦共和国の経済と食料生産が長期に低迷した。これにともなって,キューバの穀物などの輸入量が急減し,2007年頃まで輸入量減少が続いた。現在では穀物輸入量が200万トン前後に回復した。
モントゴメリーは,上述したように,「10年のうちにキューバの食生活は,食料を輸入せず,農業用化学資材も使用せずに,元の水準に戻った。」という趣旨を記したが,実際には多量の食料を輸入しているし,また,後述するように化学肥料も使用しており,誤りである。
FAOの統計によると,サトウキビの栽培面積は,ソビエト連邦が年末に崩壊した1991年が最大で145.2万haであったが,その後化学肥料の輸入量も減少して、2007年には栽培面積が最低の33万haに減少した。その後,徐々に増えて2014年に45万haに回復した(表1)。また,サトウキビの搾汁液を遠心分離して得た固形分を乾燥した砂糖原料の輸出量は,1991年に673万トンであったが,その後2007年に74万トンに減少したが,2013年には98万トンに回復した。このようにキューバは,いまなおサトウキビが主力作物の1つであり,多くの砂糖原料を輸出している。このようにモントゴメリーは,キューバ農業について誤った認識に基づいた記述を行なっている。
●キューバにおける肥料消費量
FAOの統計からキューバにおける窒素肥料消費総量(Nトン)を,草地にはあまり施肥していないとの前提に立って,耕地+永年作物栽培地の面積で除したN kg/haの値を計算し,1961年から2014年までの動向を,他のいくつかの国の値とともに図2に示す。なお,キューバは1965年までは窒素肥料を製造していなかったが,1966年からは製造し始めた。不足分を輸入しているが,2003年からは,量は少ないものの,輸出も行なっている。
キューバにおける窒素肥料消費量は,1973年の石油ショックと1991年のソビエト連邦の崩壊を中心に,2回大きく減少し,回復に長い時間を要している。1回目の減少から回復した1980年代には,80 – 97 kg N/haの多肥が行なわれていた。しかし,ソビエト連邦崩壊後の2000年代には6 – 28 kg N/haと激減した。激減したとはいえ,窒素肥料の平均消費量は,2014年にはオーストラリアとほぼ同じレベルである。
FAO (2003) Fertilizer use by crop in Cuba. 36pp. によると,キューバでは,「農業化学・土壌学サービス」が100年前から,作物の種類別適地区分や,土壌の養分含量,期待収量などを考慮した適正施肥量を定めて,農業者の指導を行なっている。しかし,肥料不足から十分量の施肥ができず,所要の収量を上げられないでいる。
●都市内空地などでの有機物施用による補完的作物生産
本来の農場が化学肥料不足のために単収が抑制されて食料不足が生じているのを補完するために,キューバでは,都市住民が都市内の庭,空地などを利用した作物生産をおこなっている。FAO (2003)によると,ハバナや他の都市で合計482,364か所,18,057 haで都市農業による作物生産がなされている。2000年における耕地+永年作物地の合計面積が約400万haなので,この面積はわずか0.45%にすぎないと計算される。そして,2000年における有機物(堆肥とミミズ堆肥〔ミミズを接種して増殖させてミミズ糞の混じった堆肥〕が主体)の施用量は,15都市の平均で135 t/haと,かなりの施用量である(化学肥料は当然無施用)。
微生物資材(アゾトバクター,リン溶解細菌のフォスフォリン,根粒菌,菌根菌)も使用され,1993‐95年が使用のピークであった。その後,根粒菌を除いて使用面積が大幅に減少した。
日本貿易振興機構アジア経済研究所の新藤通弘は,下記の論文でキューバの農業について,次の趣旨の記述を行なっている。
新藤通弘 (2007) キューバにおける都市農業・有機農業の歴史的位相.アジア・アフリカ研究.47(2): 1-20.
『こうした経済危機の中で,食糧生産が,経済活動の第一の目標に置かれた。危機の5年間で国民の食料摂取は,30%減少した。政府は,乏しい外貨の中で,食料輸入を最優先におくとともに,食料の増産政策を進めた。激減した農業機械,石油燃料,化学肥料,化学農薬,化学除草剤を補うために,国内で利用できるものは何でも代替資材とされた。大規模農場は解体されて,協同組合生産基礎組織(UBPC)に改編されるとともに,農場の規模を10分の1程度にダウンサイズし,牛耕が行なわれ,バイオ肥料,バイオ農薬が使用されるようになった。このように,キューバにおいて,有機農業は,食料生産を維持するという歴史的事情から追求することを余儀なくされた農法の一手段であり,目的ではない。キューバの有機農業を論じるときには,この観点を失うと有機農業の現実を過度に美化することになりかねない。』
『こうした栽培農地面積と農業従事者の中で、40万人近くが,6万〜7万ha(栽培農地面積の20%)で都市農業を営み,野菜・根菜を120−140万トン(同栽培の25%)生産している。しかし,この都市農業のすべてが有機農業ではない。キューバ政府が,有機農業の生産高について発表した数字はない。都市農業の生産高については,グランマ紙などで報道されるが,全国統計庁(ONE)の統計には出てこない。』
『キューバには、有機農業に関する明確な規定もなく、有機農産物認定機関も存在していない。したがって、有機農業を論じる人によって、厳密に欧米並みの有機農業の基準にもとづいて論じていない場合が少なくないことに注意する必要がある。』
『化学農薬に関して、「殺菌剤は、病気が発生した際、生産を維持することが目的であるため化学合成殺菌剤を使用する、したがって(一般的な有機農業基準を)クリヤーしていない。』
●おわりに
『土の文明史』を著したモントゴメリー教授は地質学の専門家だが,キューバの有機農業についてはあまり情報を収集しておらず,誤った情報に基づいて記述したようである。名著ではあるが,冒頭に紹介したキューバについての記述は誤った情報に基づいて書かれており,これを読んだ読者の間に,再び日本で有機農業だけで世界の食料不足が解決できるといった誤解が復活しないことを望む。
蛇足を加えれば,キューバに限らず,ソビエト連邦崩壊のロシアや第二次世界大戦後の日本など,経済の破たんした国では,都市住民が生ごみや剪定くずなどの有機物から製造した堆肥などを用いて,食料を補完するのは世の常である。この都市での補完的食料生産をもってその国の農業全体と解釈するのは危険である。
キューバでは,アメリカとの国交断絶以前に輸入されたクラシックカーが走っている映像が流されている。排ガス対策のなされた現在の自動車であっても,ドイツでの研究が示すように,自動車から排出された重金属によって,都市部の道路近くで栽培された野菜には有害レベルの重金属が蓄積されていることが報告されている(環境保全型農業レポート「No 217 道路に近い市街地で栽培された野菜の重金属濃度」)。キューバの都市部で栽培された野菜ではどうであろうか。少し気になるところである。