No.309 セーヌの水質は大幅に改善したが,農業による汚染はなお深刻

●研究のねらい

フランス北部を流れてイギリス海峡に注いでいるセーヌ川集水域のうち,パリからイギリス海峡に面した河口までの下流部については,1970年以降,河川水質のモニタリングが実施されている。このデータを使って,1970年から2014年の水質の継時的変化を追跡し,水質改善のための行政措置の効果を評価しようとして,下記の研究が実施された。その概要を紹介する。
Romero, E., R. Le Gendre, J. Garnier, G. Billen, C. Fisson, M. Silvestre, P. Riou (2016) Long-term water quality in the lower Seine: Lessons learned over 4 decades of monitoring. Environmental Science & Policy 58 (2016) 141-154.

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●セーヌ川集水域の概要

セーヌ川とイギリス海峡に注ぐ河口部を合わせた集水域面積は76,260 km2で,主要な流れの総延長は760 km超に達する。集水域一帯は典型的な温帯性海洋気候で,年平均降水量は680 mmで,年間に平均的に分布しているが,夏期よりも冬期のほうが,雨量やセーヌの流水量が多い。
河口のルアーブル(オンフルールよりも下流)からポーズまでは河口部で,海水の影響を受け,潮の干満の差はオンフルールで3-7 m,ポーズで1-2 mである。ポーズには水門が設けられていて,潮の遡上を食い止めている。河口部はかつて低湿地帯であったが,ルーアン港やル・アーヴル港へのアクセスを改善するために,多数の堤防や水門が設置され,水路の深さを増やすために浚渫されて,多量の堆積物が除去された。このため,河口部における水の滞留時間が大幅に減少した。
パリよりも上流部は広大な農業地帯であるのに対して,下流部は人口1000万人超のパリ大都市圏を通り,ルーアンから河口のル・アーヴルでは集約的な工業および商業活動が行なわれているが,穀物と工芸作物を中心に農地も多く存在している。

●調査の仕方

45のモニタリングステーションの水質データの提供を受けた。45のうち22は河口部(ポーズからオンフルールの間)のモニタリングステーションであり,残りの23はそれよりも上流部(パリからポーズの間)のモニタリングステーションである。サンプリング頻度は,最も頻度の低いステーションで2か月ごとだが,キーとなる場所では週ないし2週間隔で,モニタの開始年は1955年のものもあるが,多くは1970年に開始された。分析は1970年から2014年のデータで行なわれた。
また,河川流量データ(1955-2014年)は,2つの水位観測所(パリとポーズ)における毎日の河川流量の測定値を,フランス国立水文学データバンクから提供を受けた。なお,1970-2014年における,セーヌ川の年間平均流量はパリで300 m3/秒で,河口入口のポーズでオワーズ川の合流によって467 m3/秒に増加した。年間の流量をみると,冬期と夏期の流量は大きく異なり(ポーズで冬期に726 m3/秒,夏期に249 m3/秒),多雨年と干ばつ年では2ないし3倍の顕著な差があった。

●EUの「水枠組指令」

EUは表流水,地下水,沿岸水などの水系の汚染について,原因や地域別に汚染防止の多数の法律を作って,水質改善を図ってきている。そして,さらなる改善を図るには,地域や原因別に対策を講ずるだけでなく,集水域単位に全ての水系や汚染原因に対して包括的な取組を行なうことが必要だとして,2000年に「水枠組指令」(「共同体の水政策の行動に関する枠組を定める指令」(Directive 2000/60/EC)を施行した(環境保全型農業レポート「No.34 欧州の水系汚染対策」参照)。
この法律のなかで,表流水と地下水の良好な状態の確保を達成するために,生態学的に好ましい状態を達成するための水質基準をEU加盟国が定めることになっており,フランスは表1の基準を設定している。

●セーヌ川下流部における水質の推移

パリからオンフルールまでのセーヌ川下流部における,これまでの水質データ(1970年から2014年のものだが,入手可能な1970年未満のものも含めた)の10年ごとの平均値を状態基準にしたがって区分し,各状態区分が占める割合(%)を図1に示す。

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(1) 1980年代よりも前においては,リン酸およびアンモニウムの平均濃度はリン酸で2.1mg PO43-/L,アンモニウムで2.1 mg NH4+/Lで,環境状態は「良」からほど遠かった。しかし,リン酸とアンモニウムの濃度は,1990年代以降減少し始めた。これに対して,硝酸の値は,2014年までの時系列のなかで比べると,1980年代に最も低かったとはいえ,生態学的に「良」の10 mg NO3/Lの勧告レベルよりも高く,平均で21 mg/Lであった。そして,その後,現在まで硝酸濃度は増加し続けている。
(2) 1980年代から1990年代にかけて,アンモニウムと特にリン酸が,パリ・ルーアン大都市圏の下流で次第に減少し始めたとはいえ,依然,高い濃度を示した。硝酸濃度はそれ以前の年次よりも増加し,河口部では高レベルが長く続いた(ポーズの下流と上流で,それぞれ約23 mg/Lと約19mg/L)。
(3) 1990年代後半から2000年代初めに明確な変曲点が,特にアンモニウムとリン酸の濃度で生じた。リン酸は平均値が0.7 mg/L(現在は<0.3 mg/L)に減少したのに対して,逆に硝酸濃度は全ての測定ステーションで年間平均値が20 mg/L超に増加した。アンモニウムやリン酸の負荷量の減少は,排水処理施設の高度化や家庭洗剤におけるリン酸の禁止が主因となっている。

(4) アシェールの下水処理プラントの下流で,2007年以降急激な変化がアンモニウムと硝酸で観察された。アンモニウムは非常に低い値(平均で0.3,下水処理施設の近くで〜1 mg NH4+/L)に減少したのに対して,硝酸はこれまでの年次(約20から25 mgNO3/L)に比べて,アシェールのすぐ下流で20%増加した。
(5) アシェールにはセーヌ川最大の下水処理施設があり,水枠組指令の施行を受けて,下水処理施設の高度処理化がなされ,2000年にリン削減,2007年に硝化施設(2011年に脱窒施設も)が整備された。これによって2007年以降,アンモニウムが硝化されて激減し,硝酸が増加した。
(6) 2007年まで,セーヌ川では春や夏に水中の酸素不足による魚の死滅などの事故が繰り返し発生していた。しかしその後,下水処理施設の整備が進み,中でもアシェールの施設の性能向上によって有機物やアンモニウムの排出量の減少によって,水中における微生物による酸素消費量が減少し,特に2007年以降,酸素濃度が顕著に上昇した。
(7) ポーズにおいて,セーヌ川の流量に水中の養分濃度を乗じて,ポーズからそれよりも下流部に運び込まれる養分の流入量を計算した。その結果,リン酸とアンモニウムの流入量は顕著に減少し,アンモニウム流入量は1970年代の30,000トンN/年が最近では3,000トン N/年に減少した。同様にリン酸は1980年代の8,000トンP/年が2010年以後1,000-2,000 トン/年に減少した。硝酸では逆のことが生じ,1970年代には流入量が50,000トンN/年(アンモニウムよりも若干高い)だったが,現在では約90,000トンN/年で,多雨年には100,000トン超の値に急上昇した(例えば,2001年に147,000トンN/年,2013年に116,000トンN/年)。
(8) ポーズにおける年次ごとのセーヌ川の年間流量に対して,流量に濃度を乗じて計算した養分の流入量をプロットすると,流量とアンモニウムの流入量の間には負の直線関係があり,多雨年の水の流量の多い年には,アンモニウムの流入量が減少した。逆に,硝酸とリン酸は流量が多いほど,流入量が多いという正の直線関係が示された。このことは,雨が多いと,農地からの表面流去水や地下浸透水によって運搬されて,川に流入する硝酸やリン酸が増えることを意味している。これに対して,アンモニウムは主に下水処理施設から排出され,農地に由来していないことを示している。
(9) 硝酸の流入量が増え続けている理由として,別の研究によると,セーヌ川集水域における窒素肥料の使用量の増加が指摘されている。1955年の13 kgN/ha 年が1996年には114 kgN/ha 年,2000年には190 kgN/ha 年に増加し,現在では(2008-09年)160 kgN/ha 年に増えていると試算されている。これに加えて,1980年代まで大いに推進されたセーヌ川流域の湿地の排水がかかわっており,湿地が消えることによって川辺ベルトのろ過効果をなくし,集水域内における窒素保持容量を大きく減少させたことが主因になっているとされる。さらに,農地から地下水に溶脱した硝酸は数十年の長い滞留時間を有し,セーヌ川集水域では50年も滞留したケースも存在するという。そのため,最近になってセーヌ川集水域でも肥料の施用量が以前に比べて減少したとはいえ,その効果が現れるのは数十年先であって,すぐには期待できない。

●おわりに

セーヌ川の水質はかつてよりも改善されてきているが,「水枠組条約」で求められている生態学的に良好な状態を達成するには,特に農業における環境保全が必要になっている。OECDの農業環境指標は国の農地全体での平均値だが,フランスにおける余剰窒素量は,1990-92年で69 kg N/ha,1998-2000年で59 kg N/ha,2007-09年で50 kg N/haと報告されている(環境保全型農業レポート「No.232 OECDが2010年までの農業環境状態を公表」)。これに比べてセーヌ川集水域は,かなり多肥となっていることがうかがえる。
著者のRomeroら (2016)は,セーヌ川では,排水処理施設の技術レベルは非常に高くて効果的に施行されているが,農業環境対策の適用ははるかに遅い。これは他の多くの集水域にも共通しており,農業環境政策の施行は行政サイドの政策意思に依存し,その実際の運用は農業者によって遅らせられることが多いことを指摘している。