● 中国における土壌汚染の顕在化
中国は急速な経済成長の一方で,かつて先進国がそうであったように,環境の汚染や破壊を引き起こして,それが一向に改善されずに一層深刻化している。こうした問題の1つである汚染土壌対策の問題について,最近下記の論文が刊行された。
この論文によると,環境劣化が北京の重要な政治課題となったのは1990年代後半であった。2003年に胡錦濤・温家宝体制が,経済成長と社会および経済的関心事項のバランスのとれた発展を重視して,環境危機の防止と解決が経済と社会の安定を保障する前提条件とした。これ以降,水と大気の汚染の抑制にかなりの注意が払われ,最近,土壌汚染への関心も高められてきている。
土壌汚染への関心は特に次に起因している。
(a) 特に重金属に関連した土壌汚染にともなう,人間の高い有病率
(b) 食品産業に影響する農薬に関連した不祥事
(c) 急速な工業化と都市化の拡大による土地利用の変化
(c)は大都市外縁部で明確で,そこにあった時代遅れの工場や廃棄物処分場が取り壊された後,十分な土壌修復をしないままに,新しい工場,商用地,住宅地,道路や公共用地に転用されている。2016年4月18日付けの新聞に,中国江蘇省常州市の工場跡地を転用して,2015年9月に開校した常州外国語学校(中学・高校)で,汚染された土壌や地下水に含まれる有害物質のために,生徒493人に皮膚炎,湿疹,気管支炎や白血病などの異常が見つかったという(例えば,読売新聞「中国の学校で生徒に異常、隣接工場跡地の汚染か」)。
土壌汚染のモニタリングは古くから断片的には行なわれているが,土壌汚染に対する関心の高まりによって,2005年〜13年に土壌汚染のバックグランドの値を把握するための全国的調査がなされ,2014年に公表された(Teng, Y., Wu, J., Lu, S., Wang, Y., Jiao, X., Song, L., 2014. Soil and soil environmental quality monitoring in China: a review. Environment International. 69, 177-199. )。
中国では土壌汚染防止や対策に関する法的規制は長い間整備されていなかったが,2014年3月に環境保護部は,汚染サイトの環境管理の強化を要求する「土壌汚染防止および修復行動計画」を承認した。そして,土壌環境保護および汚染サイト管理を具体的にターゲットにした法律である,「土壌汚染防止および取締法」の最終案が,2014年に作られた。また,2014年に現地調査,環境モニタリング,リスク評価および現地土壌レメディエーションに関するガイドラインも大幅に前進し,土壌汚染防止や対策の動きがようやく始まった。
● 中国における土壌汚染実態の概要
中国におけるモニタリング調査結果の概要は,冒頭に紹介したBrombal et. al. (2015)によると,全耕地を含め,国の630万km2(国土面積の65.6%)で実施された。調査は,工業サイト690,工業放棄サイト81,工業団地146,固形廃棄物処理現場188,採油区域13,鉱区70,下水灌漑区55,幹線道路の路側土壌267か所を対象にした。その結果,耕地土壌の19.4%が国の環境質基準に達しておらず,主要汚染物質は,カドミウム,ニッケル,銅,ヒ素,水銀,鉛,DDT,多環式芳香族炭化水素であった。顕著に汚染された工業サイトでは,国の基準に達していない土壌は36.3%に達し,鉱区では,多環式芳香族炭化水素や重金属(カドミウム,ヒ素,鉛)による汚染土壌が特に顕著であった。
また,ニューヨーク州に本社を置く世界最大級の投資銀行のゴールドマン・サックスのスタッフも,中国における上記のモニタリング調査結果の概要を下記の資料に簡潔にまとめている。
調査した全土壌の16%が中国の許容基準を超えた有害物質で汚染されており,その83%は無機有害物質,17%が有機有害物質で汚染されていた。無機有害物質によって汚染された土壌は,全土壌の7%がカドミウム,4.8%がニッケル,2.7%がヒ素,2.1%が銅,1.6%が水銀によるものであった。有機有害物質で汚染された土壌は,1.9%がDDT,1.4%が多環芳香族炭化水素によるものであった。そして,耕地土壌に限ると,その19.4%が許容濃度を超える汚染物質で汚染されていた。
ゴールドマン・サックスの報告書は,中国政府は食料自給のために1億2100万haの耕地が必要だとしているが,全耕地面積1億3500万haのうち,基準を超過した汚染土壌の2630万haを除くと,自給に必要な面積を若干下回っており,汚染がさらに深刻になると,食料安全保障の観点から深刻になることを指摘している。
● 中国で土壌浄化対策が遅れている理由
劉芳(Fang Liu) は,1996年に中国の吉林大学を卒業し,翌年に静岡県立大学大学院に入学して,下記の論文をまとめた。
劉芳・仁田義孝・横田勇 (2004) 中国における土壌保全法整備の現状および課題一環境情報開示の視点から.環境科学会誌17(1): 5-14
劉の論文が刊行された2004年時点では,中国における土壌汚染防止に関する法的規制の動きはまだ本格化していなかったが,劉は,その時点での土壌汚染が生じている原因と,その対策が遅れている理由を考察し,土壌汚染が生じている原因として次を指摘している。
(1) かつて工業廃水や廃棄物が大量排出され,かつ不適切に処理されて,それが廃棄物の最終処理として主に埋め立てに使われてきた。また,農薬や化学物質などが大量に使用された経緯もあることなどから,土壌汚染の存在の可能性は否めない。
(2) 中国では農村部への工場誘致が活発である。しかし,費用負担などの経済的な問題もあり,工業排水処理の徹底は図られていない。多くの地域では,水不足を解消するために,工業排水を未処理のまま灌漑用水として使用している。このことが,耕地汚染をもたらした一因ともなっている。
(3) 1958年から始められた人民公社運動のなかで,全国およそ300万基の「土法炉(古い製法の小型製鉄炉) 」から排出された精錬廃渣,1965年からの文化大革命期間中,軍事工場から排出された大量の汚染物質が,農地,河川敷および近郊の山岳地帯に投棄されていた。
(4) 90年代以来,中国東部地域の工業発展は中西部より進み,この地域格差は拡大傾向にある。このことが,土壌汚染の地域分布特性に関連している。
(5) 2000年に行なわれた県や省の工業企業の環境基準達成率に関する調査によれば,620の重点国有企業の74.8 % が基準をクリアしたが,未達成の156重点国有企業のほとんどが,冶金,有色金属,化学工業,石炭,建築材料等の業種であり,これらの国有企業の土壌汚染への寄与が無視できないことが示唆される。
(6) 中小の郷鎮企業(筆者注:都市化した県を廃して市とした県クラスの市のうち,比較的大きいものが鎮,比較的小さいものが郷)にとっては,技術,資金等の制約によって環境基準の達成は重点国有企業より困難であり,政府は汚染の著しい中小企業に対し,工場閉鎖という強制措置を取っている。その多くが許可なしで操業を開始したとされ,それにともなう土壌汚染が無視できないであろう。
(7) 1998年に公表された環境保護に関する住民意識調査結果では,騒音,大気汚染,水質汚染が全体の90%超を占め,五感ですぐには判別できない土壌汚染の深刻性に対する意識は低く,政府も土壌汚染の実態や危険性についての公表は2010年以降まで行なわなかった。それまでは,中国における環境情報は,健康被害や環境汚染事故に関する情報は社会的不安を引き起こすという理由で,開示されることが少なかった。(因みに,2013年になっても,1月に北京の弁護士が環境保護局に土壌汚染データを公表するように要求したところ,環境保護局は2月に,データが国家機密であり,公表できないと回答したことを報じている。5月10日人民日報)。
(8) 論文刊行当時,土壌汚染防止・浄化を主目的とする土壌保護専門法は整備されておらず,いくつかの法律が,異なる視点から土壌汚染の未然防止などについて触れているにすぎなかった。中国の環境関連法には,汚染者負担原則が導入されている。しかし,どの関連法にも,土壌汚染調査や浄化対策の手順に関する具体的な記述がない。また,汚染者が不明あるいは民営化された旧国営企業のように,汚染者が既に存在しない場合の対応も検討されていない。中国では土地が国家または集団所有制のため,汚染地の実質的土地所有者は国である。それゆえ,国がいかに汚染土壌の浄化に取り組むのか,また,浄化対策の施行や浄化費用の拠出などの具体的手法についても,各法律では述べられていない。
(9) 中国では土壌浄化専門基金は設置されていないが,企業から汚染排出費用を徴収し,環境汚染対策に用いることができる「排汚費徴収制度」がある。しかし,徴収費用は汚染処理設備投資よりもはるかに低い。しかも,排汚費は企業の経費として計上できるため,企業にとっては汚染処理せずに排汚費の支払いだけで済ますことが可能となっている。そのほか,排汚費の徴収漏れや滞納,不当利用などによって,徴収資金の有効利用は保障されていない。
(10) 建物の建設や土地の改変には,事前の環境影響評価を行なうとともに,主体工事と同時に汚染防止施設を設計,建設,操業することが義務づけられているが,その執行過程において,市民の参加や評価報告書の開示が考慮されていない。
(11) 土地管理の責務は,政府行政部門の国家発展計画委員会,国家土地局,環境保護局,農業部,水利部,建設部などで分担されている。その中で,耕地の保護および土地の開発利用を,それぞれ農業部と建設部が担当し,環境保護局は主に工業汚染の防止・処理の役割を果たしている。しかし,土壌汚染を総合的に管理する部門は設けられていない。また,行政が縦割構造のため,各部門間での政策整合や管理調整および情報公開・交換が十分に行なわれておらず,土壌管理の責任範囲も明確化されていない。
(12) 中央政府の制定した環境政策が,地方政府によって地方総合行政の一環として行なわれているため,地方政府の意志によって左右される場合が多い。市場経済への転換期においては,地方政府の最優先課題は経済振興であり,郷鎮企業がこれに大きく貢献している。郷鎮企業の多い地域では,地方財政収入の6〜9割は郷鎮企業の納めた税金や企業利潤管理費などで占められている。一方,地方政府は情報,資金,土地分譲などの面で,郷鎮企業に便宜を図り,政府の政治力でこれら企業の利益を守っており,地方政府と郷鎮企業が相互利益関係のうえに緊密な関係を築いている。このように,地方保護主義の存在によって,中央政府の環境法政策は地方では厳格に実行されず,土地の過剰開発および土壌汚染の防止に寄与しなかった。
● 汚染土壌管理に関する法的規制
中国での汚染土壌管理に関する法的規制を,冒頭のBrombal et. al. (2015) によって紹介する。
A.「土壌汚染防止および規制に関する法律」の最終案
中国は汚染土壌管理に特化した国の法律を定めていない。土壌保護に関する規定は多様な法律,すなわち,憲法,刑法,環境保護法,部門別の法律や規則に分散している。「環境保護法」は1989年に導入されたのだが,汚染者負担原則を基本原則として確立している。この原則に基づいた次の要件が,「企業移転における環境汚染の効果的防止と規制に関する2004年通達」に規定されている。
(a)土地利用を変更する際には環境モニタリングを実施し,アセスメント報告書を作成する。
(b)土壌汚染が存在する場合には,土壌汚染を排除・修復する。
(c)当該地を正式に占有していた事業体が,土壌汚染排除・修復の責任を果たす。
こうした規定があるにもかかわらず,「●中国で土壌浄化対策が遅れている理由」に記した劉の指摘点の(6)および(8)〜(12)にかかわる問題のために,スムースには施行されていない。このため,土壌保護および汚染サイト管理についての総合的な法律が,現在,中国所管当局によって見直されている。
2014年に,汚染土壌管理に特化した,国の「土壌汚染防止および規制に関する法律」の最終案が環境保護部によって策定され,中国の最高立法機関である全国人民代表大会に提出された。当該案はパブリックコンサルテーションにかけられないが,モニタリングと汚染地・サイトの優先順位つけに加え,そのレメディエーションと再開発に関する事項を含んでいる。
B.「汚染サイトの環境管理に関する暫定規則」案
環境保護部は,以前に工業サイト,鉱業サイト,放棄された工業用地での汚染サイトを,住宅地,商業地,公共用地,農地や慎重を要する土地利用一般の目的で再開発しようとする際に適用する,「汚染サイトの環境管理に関する暫定規則」案を2010年に公表した。暫定規則は,(a)汚染サイトの定義,(b)サイトの環境管理の責任,(c)モニタリング機能,(d)適用基準についての条項を提示している。同案は関係部局の間で論議されている。
暫定規則案は,汚染者責任の原則を再確認しつつ,汚染者の確認が難しいか不可能の場合のガイダンスとして,次を提案しいている。
(1) 汚染を発生している事業体の所有状態に変化が生じた場合,浄化の責任は,権利と責任の移譲についての法的条項に必ずしたがう。
(2) 土地利用権の移譲が生じた場合,当該権利の現在の所有者が当該サイトに責任を持つ。
(3) 汚染者を確認できない場合は,地方政府(省・県・市・郷鎮など)が修復コストを負わなければならない。
暫定規則案は,汚染サイトの修復については,そのアセスメント,特徴調べ,リスクアセスメントとレメディエーションの行政管理やモニタリングは,郷レベルの地方環境保護局に委譲されている。そして,レメディエーションを施行する事業体は当該地方保護局に対して,(1)「サイト環境アセスメント予備報告」,(2)「サイトの特徴報告書」,(3)「リスクアセスメント報告書」を含め,プロセスの各段階の報告書を提出しなければならない。
地方環境保護局によるこの段階でのモニタリングでは,責任を有する者の代わりに,サイト復元を施工する事業体によって提供される情報にもっぱら基づいている。報告された情報の整合性や信頼性をチェックするための,地方環境保護局による独自のサンプル収集や分析は予測されていない。しかし,この点について,中国の地方環境保護局では土壌サンプルを分割して保存しておくのが慣例行為となっているが,地方環境保護局の人材は当該の専門知識に欠けていることが多いので,それが実際に分析されることは滅多にない。
汚染サイトの修復プランは,リスクアセスメント報告書の指摘点と一致し,土壌の利用計画を遵守したものでなければならず,郷の環境保護局に提出する。修復作業が完了したら,責任を有する者が,その評価を有資格の第三者機関に依頼する。この段階でパブリックコンサルテーションが必要であり,責任を有する者は,修復結果の情報を利害関係者に公開する。上記の結果に反対する利害関係者がいる場合には,責任を有する者は,修復プランに含まれているターゲットが達成されるまで,修復作業を繰り返さなければならない。暫定規則は,地方環境保護局と他の政府部局,なかでも国土資源部や都市計画部との協力の必要性を強調している。
暫定規則はまだ施行されていないが,施行能力が地方環境保護局にまだなく,能力を高めることや,修復の技術的基準を整備することが問題になっている。
● おわりに
かつて日本でも,栃木県足尾銅山鉱毒事件,富山県神通川流域でのイタイイタイ病,熊本県での水俣病など,企業が生産コストを安くするために,汚染物質の浄化をせずに環境に放出して,地域住民の健康が深刻な影響を受けるケースが少なくなく,特に高度経済成長期には続発した。こうしたいわゆる「公害」が,現在では法的規制によって大幅に抑制されている。現在の状態に至るには,環境汚染に苦しめられた地元住民の抗議活動とそれを支援した社会活動家の努力があった。それと同時に,苦しんでいる患者の症状を診断した医者や,原因物質を追跡した研究者の地道な努力,さらには,元東京都公害局(現環境局)の田尻宗昭規制部長による,行政に所属しながら汚染を起こしている企業の厳しい摘発など,いろいろな人達の努力の積み重ねの上に今日がある。
かつて日本では,環境汚染を起こしている企業の利益を行政が守り,汚染の実態を秘密事項として公表しないような状況では,こうした様々な人々の努力は抑え込まれていた。日本では再びこうした状況に戻らないように努力を重ねてゆく努力が大切である。