No.287 化学成分による農産物の有機起源判定の可能性

●背景

有機の農産物や食品の偽物が出回ってくると,消費者はその真偽を分析によって判定できないかとの希望をしばしば抱く。できあがった農産物や食品を,後から分析で有機か慣行かを判定することは極めて難しい。このため,有機農業では生産工程が有機基準に準拠していることを重視して,工程管理を行なっている。

ところが,しばらく前に日本の研究によって,有機農産物の安定窒素同位体比によって,有機農産物と慣行農産物とを区別できるとの主張がなされた。すなわち,通常の窒素元素は原子量14で14Nと表記され,大気中の窒素元素の99.6337%を占めている。残りの0.3663%は原子量15の安定同位体の窒素元素で15Nと表記される。これは放射能を出さない。生物体や土壌中に存在する14Nと15Nの比は一定ではない。両者の存在比(試料中の15Nの存在割合(R =15N /14N))は,窒素の安定同位体比とも呼ばれている。

この窒素の安定同位体比を有機と慣行の作物体で比べると,有機農産物のほうが慣行のものよりも大きい結果がえられた。このため,窒素の安定同位体比で有機農産物と慣行農産物とを区別できるとの主張がなされて,注目された。しかし,これは動物性の堆肥や有機質肥料を施用した場合であって,植物性の堆肥や有機質肥料を施用した場合には,有機農産物であっても,安定同位体比が低下して,慣行農産物と区別できないことが判明し,一時的な話題に終わった。それは動物性資材の15Nの存在割合が高いのに対して,植物性資材の15N存在割合が小さいからである(環境保全型農業レポート「No.209 窒素安定同位体比は有機農産物の判別に使えるのか」参照)。

しかし,最近,化学成分によって,コムギ粒が有機栽培のものか慣行栽培のものかを判定できる可能性が指摘されている。

●有機と慣行のコムギ栽培

ドイツのボンテ(Anja Bonte)らは,スイスのバーゼル近郊のテルヴィルで1978年以来実施されているDOK試験圃場(注:Dはバイオダイナミック,Oは有機農業,Kは慣行農業の意味)で,栽培されている冬コムギの穀実に存在する各種成分を研究している。そうした成果の上に,下記の報告を行なった。なお,下記の研究では有機農業(有機農業に合致したバイオダイナミック農業)と慣行農業の試験区で栽培したコムギだけを対象にした。

A.Bonte, H.Neuweger, A.Goesmann, C.Thonar, P.Mäder, G.Langenkämper and K.Niehaus (2014) Metabolite profiling on wheat grain to enable a distinction of samples from organic and conventional farming systems. Journal of the Science of Food and Agriculture. 94: 2605-2612

現在,EUでは矮性の多収コムギ品種が使われて,化学肥料窒素が200 kg/ha超も施用されている。有機農業では化学肥料に依存した多収品種でなく,いろいろな品種が使用されている。そこで,ヨーロッパの国々の19世紀から今日までの11のコムギ品種(その多くは長稈種で,1つは半矮性種)を選定して栽培した。コムギ品種は,Runal, Rouge de Bordeaux, Mont Calme 245, Probus, CCP, Scaro, Sandomir, DJ 9714, Antonius, CaphornとTitlisとした。

施肥量は,有機農業区では家畜ふん尿の堆肥とスラリーをha当たり1.4家畜単位(全窒素で66 kg N/haに相当),慣行システムでは無機肥料を全窒素で140 kg/ha施用した。

●コムギ粒の有機成分の分析

収穫した各品種のコムギ粒から夾雑物を除いた後に,コムギ粒を粉砕し,0.5 mm未満を分析用サンプルとした。各分析用サンプルの約15 mgをメタノール(20.3 モル/L)で親水性有機成分を抽出して,ガスクロマトグラフ質量分析計で分析した。得られたマススペクトルを,既知の化合物のマススペクトルのデータベース(MeltDB)と照合して同定した。2007年収穫のルナル(Runal)品種のコムギ粒から,抽出された親水性有機成分のうち,同定できたのは48,未同定のものが245であった。

同定された有機成分と未同定のものについて,多変量解析のツールである主成分分析を行ない,有機農業と慣行農業由来のものについて,別のクラスター(集団)に区別されるものを調べた。

●有機と慣行のコムギ粒で含量に有意な差のあった有機成分

調べた11品種の有機と慣行のコムギ粒で,その含量に共通して有意差があったと同定できた有機成分は最終的に,myo-イノシトール,トリプトファン,アデノシン,アラニン,GABA(γ-アミノ酪酸)であった。ただし,これらの含量は品種によってかなり異なるが,いずれの品種でもこれらの含量は有機と慣行のコムギ粒で有意差を示した。

これらのうち,myo-イノシトールを除く4つの化合物は,慣行農業区のコムギ粒に有意に多かった。これらはいずれも窒素化合物であり,これらが慣行農業区で多かったのは,有機農業区よりも約2倍多い窒素施肥に起因していることは明かと考えられる。

これに対して,myo-イノシトールは,有機農業区のコムギ粒に有意に多く存在した。myo-イノシトールはシクロヘキサンの6価アルコールで,その機能の1つは,アルコール基にリン酸を結合させて,リン酸を貯蔵することである。

慣行農業区では無機リン酸を施用することによって,無機リン酸の一部が土壌中で難溶化して可給態リン酸が少なくなるだけでなく,コムギ根へのAM菌根菌の感染が阻害される。これに対して有機農業区では,施用された有機態リン酸では菌根菌の感染が阻害されない。そして,施用された有機態リン酸は,有機農業区の土壌に多く存在する酸性フォスファターゼによって無機化されて,菌根菌によって効率的に作物に吸収される。こうしたことを反映して,既往の有機と慣行で栽培した作物の栄養成分量に関する文献をメタ分析した結果でも,収穫物中のリン含量は有機農業区のほうが慣行農業区よりも有意に高く,窒素含量は逆に有機農業区よりも慣行農業区で有意に高いことが確認されている(環境保全型農業レポート「No.137 有機と慣行の農畜産物の栄養物含量に差はない」参照)。こうしたリン酸の吸収の動態によって,myo-イノシトール含量が有機農業区で高くなっていると推定される。

●有機と慣行のコムギ粒を識別する指標の可能性

上記のmyo-イノシトールと4つの窒素化合物の含有量が有機と慣行のコムギ粒とで有意に異なるとはいえ,それぞれの含有量は品種によって大きく異なる。このため,例えば,myo-イノシトールの含量だけでは,有機と慣行のコムギ粒を区別する品種共通のmyo-イノシトールのレベルは存在しないので,指標になりえない。未同定の化合物のなかに,有機農業区と慣行農業区のコムギ粒で,その含量に有意な差の存在するものもある。このため,今後,複数の指標をセットにする可能性を検討することが必要であると著者は述べている。

なお,EUは有機農業における家畜ふん尿の最大施用量を年間170 kg 窒素/haに規定している(環境保全型農業レポート「No. 212 EUの有機農業における家畜飼養密度と家畜ふん尿施用量の上限」)。EUでは露地の有機栽培では,マメ科作物による窒素固定と家畜ふん尿を窒素の主供給源にしている。このため,EUの有機農産物では,一般に慣行農産物よりも窒素含量が少なくなっている。しかし,日本の有機農業基準では,有機質肥料や堆肥の施用は無制限に可能である。このため,日本での多量の有機質肥料や堆肥を施用した圃場での結果には,EUの有機農業結果は当てはまらないことが多いことに注意する必要がある。