●肥料価格高騰を契機に高まった,施肥量削減のためのプロジェクト研究
2008年に石油価格の高騰によって肥料価格が急騰した。例えば,肥料の20 kg当たりの全国平均農家購入価格は,2008年6月と同年8月を比べると,硫安は858円が1,072円に,過リン酸石灰は1,617円が1,819円に,熔成リン肥は1,413円が2,066円に急騰した。このため,生産コストを下げるために,施肥量削減の機運が高まった。
耕地土壌には既に,リン酸やカリウムなどが蓄積している。この蓄積分を考慮すれば,施肥量を削減することができる。このため,2009〜13年度に農林水産省委託プロジェクト研究で,(独)中央農業研究センターが中核になって,関係研究機関・大学と共同して施肥削減技術などを研究した。
中央農業総合研究センターは,この結果の概要を下記でも提供している。
(1) 中央農業総合研究センター (2014a) 土壌診断,施肥法改善,土壌養分利用によるリン酸等の施肥量削減に向けた技術導入の手引き
(2) 中央農業総合研究センター (2014b) 土壌診断評価法の改良とリン酸・カリウムの減肥指標指針
(3) 中央農業総合研究センター (2014c) 水稲作におけるリン酸施肥量削減の基本指針を策定(2014年11月18日にプレスリリース)。
●土壌改善目標値
「地力増進法」に基づく「地力増進基本指針」において,基本的な改善目標として,土壌の有効態リン酸(トルオーグリン酸)含量 (mg P2O5/100乾土)の目標値は,水田で10 mg,普通畑では,黒ボク土と多湿黒ボク土で10mg 以上100 mg以下,他の土壌で10 mg以上75 mg以下,樹園地で10 mg以上30 mg以下と定めている。
●水稲作におけるリン酸施肥量削減基本指針
中央農業総合研究センターのプレスリリース(2014c) によってその内容を紹介する。
(1)2009年から,8 県の試験場内において,リン酸の蓄積量が2〜3段階で異なる圃場に,リン酸施肥量を標準施肥量とする区,標準施肥量の半量とする区,無施用とする区を設置し,4 年間連続して収穫物を持ち出し,稲わらを全量すき込む条件で水稲を栽培し,生育状況と土壌の有効態リン酸量を解析した。
(2)有効態リン酸含有量が乾土100g あたり10mg前後の土壌では,リン酸施肥量を半量あるいは無施用に減らした栽培を4 年間継続しても,収量は標準量施用した場合と同じ水準を確保できた(図1)。
(3)しかし,無施用を継続すると,土壌中の有効態リン酸が減少したため,有効態リン酸含有量10mg/100g を維持するためのリン酸施用が必要と考えられた。
(4)これらの解析結果から,各種土壌において,有効態リン酸含有量10mg/100g を維持するために必要なリン酸施肥量は,土壌の種類に応じて異なり,概ね標準施肥量〜その半量程度,水田として広い面積を占める細粒灰色低地土では,リン酸吸収係数(土壌のリン酸を保持する能力を表す指標)が小さいほど少量になると算出できた(表1)。
(5)有効態リン酸が多く含まれると有効態リン酸の減少が許容できるので,有効態リン酸含量が15mg/100g より多い場合には,標準施肥量の半量施用を数年継続しても,必要な有効態リン酸含有量10mg/100g を下回らずに維持できると考えられる。なお,半量施用開始後数年内に土壌診断を実施し,施肥量を再検討することが大切である。
(6)以上より,「リン酸の施肥推奨量は,有効態リン酸が土壌100g 中に10〜15mg 含まれる場合には,標準施肥量からその半量までとし,また15mg より多く含まれる場合には,標準施肥量の半量(表2)。」を基本指針とした。
●リン酸施肥量削減基本指針の問題点
水稲作でのリン酸施肥量推奨量は,有効態リン酸レベルが低い範囲の土壌に限定され,高いレベルでは100%減肥,つまり,リン酸無施用で何年か続けた後に,土壌診断によって減少したリン酸レベルに応じたリン酸施肥を行なうことが望まれるが,そうした指針になっていない。
小原・中井(2004)が,「土壌環境基礎調査」による全国の農地土壌の実態調査結果を解析した結果(小原洋・中井信 (2004) 農耕地土壌の可給態リン酸の全国的変動〜農耕地土壌の特性変動(II).日本土壌肥料学雑誌.75: 59-67.)によると,1994〜98年の値で水田土壌の第1層(作土層にほぼ同じ)の可給態(有効態)リン酸の濃度(mg/100g乾土)は,平均値で31.9 mg,全データ数の25%が入る25%値は11.2 mg,75%値は34.4 mg,最大値は771.4 mgにも達している。このため,有効態リン酸が10〜15 mg/100g 乾土の水田は平均値に達しておらず,15 mg/100 g乾土を超える土壌には平均値のものも含まれていることになる。換言すると,表2のリン酸施肥量推奨量によれば,都道府県の施肥基準にある標準施肥量を施用できる水田はわずかにすぎず,過半の土壌は標準施肥量の半量の施用で良いことになる。では現在の標準施肥量とは何なのか。標準施肥量の半量をむしろ標準とすべきではないのか。
15 mg/100 g乾土を超えるといっても,最大値の771.4 mg/100g乾土の間には大きな幅がある。少なくとも数年間はリン酸無施用で良いほど,リン酸が蓄積している土壌もあるはずだ。どのレベルを超えたら,無施用で良いのか。
都道府県が目下,取り組んでいる減肥基準値策定の努力をとりまとめた結果(安西徹郎 (2013) 全国減肥基準からみた土壌リン酸およびカリウムにおける減肥の指標値と100%減肥とする基準値(案).農業および園芸.88: 984-997.)によると,水稲については30の道府県が減肥基準を設けており,そのうちの17府県は,有効態リン酸の多い土壌について100%減肥ないし施用中止,つまり,無施用とする基準を設けている。6県は20 mg/100 g乾土以上,10府県は30 mg/100 g乾土以上,1県が45 mg/100g乾土以上を無施用とし,1県は20 mg/100 g乾土以上で収奪相当量(4〜5 kg)を施用としている。
こうした無施用ないし100%減肥とする基準を設けていない表2の推奨量は,リン酸の過剰蓄積を助長する危険性を有している。リン酸の過剰蓄積は,代かき後の強制落水で,土壌粒子に吸着されたリン酸を水路をへて水系に排出し,富栄養化を引き起こす危険がある。また,リン酸肥料には程度の差はあるが,カドミウムが混入している。このため,欧米ではリン酸施用量を厳しく規制して,最近は農地へのリン酸施用量が激減している。これに対して,日本は世界で最高の農地面積当たり最高のリン酸施用を続けている(環境保全型農業レポート.「No.232 OECDが2010年までの農業環境状態を公表」)。
表2は有効態リン酸が10 mg/100g乾土未満の土壌を含め,20 mg/100g程度までの環境汚染のリスクの少ない水田土壌を対象にした,環境保全を考慮していない生産向上指向の指針であると判断せざるをえない。
中央農研(2014a)の資料は,水稲以外の他の代表的作物について,現行の施肥に比べて減肥できる,効率的なリン酸施用技術のついての新しい知見をまとめたもので,リン酸の減肥指針ないし推奨施用量は示していない。普通畑や樹園地については「地力増進基本指針」において,土壌の有効態リン酸の上限値が設定されている。これを超えている土壌は法律違反を犯している。罰則規定はないが,せめて上限値を超えている土壌について,上限値未満にすることの必要性の指摘と,そのための施肥技術を記載すべきであろう。