No.260 必要な新しいリン酸施肥戦略のための研究

●はじめに

環境保全型農業レポート『No.245 「緑の革命」で減少した土壌の養分ストックが農業生産を抑制』で,イギリスのウェールズにあるバンゴール大学の土壌・環境科学の教授のジョーンズ教授(Professor D.L. Jones)達が,「緑の革命」によって作られた多収品種に化学肥料を多投して,穀物単収が世界的に飛躍的に向上したものの,負の遺産として,作物の吸収しきれなかった窒素やリンによる環境汚染が深刻化したこと,それに加えて,都市と農村の分離による物質循環の崩壊にともなって,農村の土壌から収奪された養分が都市に集積していること,微量要素欠乏が途上国と先進国の双方で進行しており,そのために農業生産が抑制され始めていて,微量要素欠乏が人々の健康に影響しつつあると指摘したことを紹介した。

このグループは,貴重なリン肥料をこれまでのように土壌に多量に施用せず,作物体への直接施用などのいろいろな技術を組み合わせて,リンの利用率を向上させて,施用量の大幅削減を行なうべきだとの提言を下記の論文で行なった。その概要を紹介する。

Withers, Paul J. A. , Roger Sylvester-Bradley, Davey L. Jones, John R. Healey, and Peter J. Talboys (2014) Feed the Crop Not the Soil: Rethinking Phosphorus Management in the Food Chain Environmental Science and Technology 48: 6523−6530 (フリーアクセス)。

●リンの過剰施用の弊害

リンは作物や家畜の生産ならびに,人間の健康に必須な元素であり,肥料,家畜飼料サプリメント,食品添加物として,リン化合物が広く使用されている。現在,毎年採掘されているリン鉱石の80%超は肥料製造に使用されている。農学における他の技術革新とともに,リン肥料の使用は緑の革命や西側の農業の成功に貢献したが,広域にわたって大きな環境コストをかけている。

世界中で多量のリン肥料が消費され,それに付随して良質なリン鉱石埋蔵量が減耗され,農業におけるリンの過剰施用が,次の深刻な環境問題や健康を引き起こしている。

(1) 水系に流出したリンが,広い地域で富栄養化に寄与している。

(2) カドミウム,ウラニウムといった有害金属の農地土壌への汚染源となっている

(3) 製造プロセスで生ずる放射性リン酸石膏の莫大な貯留を引き起こしている。

(4) 多量施肥した土壌は,土壌機能が損なわれて生態学的な多様性を乏しくしている。

(5) 人間用食料中のリンの過剰が,人間の健康(心臓血管病など)を損なっている。

現在の世界人口70億人が食事で摂取しているリン量は年間170万Pから370万トンPの間で,世界の農業における無機リンの年間施用が約2000万トンなので,利用効率は20%未満にすぎない。このままでは,特にアジアでのリン肥料に対する需要増加に対抗できなくなり,リン肥料の価格は将来はるかに高くなるであろう。

例えば,2008年秋にリン鉱石価格は,2007年以前の50ドル/トンレベルから400ドル超/トンに上昇したが,それを超える価格上昇が予想できる。そのため,食物連鎖におけるリンの使用や管理に対する,革新的で持続可能な新しい解決策が必要になっている。なお,リン鉱石の賦存量については,環境保全型農業レポート「No.234 リン鉱石埋蔵量の推定値が大幅に増加」を参照されたい。

●保険的なリンの施肥が非可給態リンを増やした

大方の先進国は,作物の生育や収量がリンによって制限されないように,土壌中の可給態リン(注:通常の作物が吸収できるリンのことで,特定の溶媒で抽出できるリン量を可給態リンと見なしているケースが多い)でのレベルを一定(臨界)レベル以上に高く維持するように,施肥基準などで要求している。これは,経時的に変動する作物のリン要求量を満たすために,絶えず肥料を施用するのでなく,作物が土壌に蓄積している可給態リン量に頼りにして,そこから必要なリン量を確保させるやり方である。例えていえば,リンが土壌中で直ぐに非可給態にならず,可給態のままで存在するなら,必要な量だけを定期的に施用すれば良い。そのほうがはるかに少ない施用量で済む。しかし,土壌のリン固定によって肥料リンの回収率が低いために,そうした施用を行なうのは難しい。そこで,可給態リンの量を,不足して作物生育を低下させない,経済的に妥当な量であって,過剰害を起こさせない量として存在させる。このレベルを,臨界レベルとか保険レベルと称している。

保険レベルに基づいたアプローチは,土壌中でのリンの本質的に低い利用性や,添加リンに対する作物応答の圃場間や圃場内での大きなフレのために生じたといえる。こうしたリンの非効率性を,これまで比較的安価だったリン肥料を用いて過度に施用することで補おうとする傾向が過去にとられてきた。その結果,多くの集約的農業地帯で,時間とともに土壌中にリンが多量に蓄積していった。この土壌に蓄積したリンは,残留リンresidual P,あるいは遺産リンlegacy Pと呼ばれている。

可給態の抽出リンを保険レベルにまで上げるのに要した肥料リンの85%超は,土壌中で,化学的や生物的な固定によって可給態でなくなった遺産リンになってしまっている。イギリスの生産農地において,耕地で深さ25 cmまで,草地で15 cmまで,抽出リンを保険レベルまで蓄積させると,土壌に410万トンの遺産リン(100億ドルに相当)を残すことになる。現実には,1930年代以降,過剰施用がなされてきたイギリスの土壌には,これよりも多量の遺産リン(約1200万トン)が蓄積していると推定されている。

●新しい戦略構築のための視点

現在のリンの過剰施用を止めて,土壌へのリンの蓄積を大幅に減らす戦略を構築するために,考えるべき視点として下記がある。

A.作物のリン要求量の削減

通常,作物の代謝用の最適リン要求量は約7.5 kg/haとされているが,作物によるリン吸収量の約15〜40 kg/haよりもはるかに少ない。これは,吸収されたリンの大きな部分が,液胞中のオルソリン酸,ポリリン酸,リン脂質,エステルやフィチンとして,植物に貯蔵されているからである。

液胞中のリン貯蔵量は,RNA合成や生育のためにオルソリン酸濃度を緩衝させるのにある程度の量が必要であり,種子へのフィチンのある程度の貯蔵は発芽や幼植物の生育のために必要である。しかし,土壌蓄積リンが過去には想像できなかったレベルにまで向上した現代では,その重要性が減っていることは間違いない。

フィチンも人間や単胃動物(豚,鶏など)にとってはリン源としては役立たず,むしろ食物中の鉄や亜鉛などの必須微量元素や,カルシウムやマグネシウムなどの一部陽イオンの吸収を阻害してしまう。リンの貯蔵量が少ない(組織のリン濃度が低い)植物や,リンの大部分を直接光合成に振り向けている植物は,恐らくリン利用効率が高いであろうし,フィチンの貯増量がより少ない植物体は,栄養価も高いと考えられる。また,作物体のリンが少なければ,家畜による餌からのリンの摂取を引き下げ,リンの排泄量を減らして,水系へのリンの移行を減らして環境的便益をもたらすことになろう。

つまり,作物の生育速度や種子の品質,栄養的価値や活力を損なわずに,貯蔵化合物へのリンの取り込み量を減らす余地が残されている可能性があり,そこに向けてのリン要求量の少ない作物の育種は戦略的に重要である。

その一つとして,種子の全リンとフィチンの濃度を引き下げる遺伝子がオオムギで確認されている。このlpa1(low phytic acid)−1遺伝子は,内胚乳の全リンを25-30%と,種子の全リンを13-15%削減する。そして,イネとオオムギの種子リン濃度の20-25%の削減は,種子の活力を損なうことなく容易に達成できることが指摘されている。例えば,種子リンの平均含量(0.34%P)が25%削減されたとすると,単純に考えて,イギリスの穀物全体では,リン肥料の必要量を1.8万トン減らすことになる。つまり,現在の肥料消費量を10%減らすことができると推定される。

B.土壌の遺産リンの利用

現在のリンの拡散速度だけに基づいた理論だと,可給態の抽出リンが枯渇すれば,土壌中の遺産リンが低い速度で土壌溶液に放出されてくるもののそれだけでは補うことができず,可給態リンが臨界レベル以下になると,作物の生育や収量が大幅に下落すると一般に想像されている。しかし,実際には,長期に施肥を行なって作物を栽培して遺産リンが蓄積した畑だと,施肥をろくに行なってこなかった元々可給態リンがない土壌とは異なり,可給態リンがほとんどなくなっても,他の養分が制限にならない限り,遺産リンを使って収量低下なしに,長期にわたってリン肥料を省略できることが証明されている。この結果から,遺産リンの土壌溶液への拡散速度は,作物要求を満たすだけ十分に早いことが示唆される。

また,別の可能性として可給態リンが低い条件では,作物が低リン環境で発現するリン獲得メカニズムが機能している可能性も考えられる。こうしたメカニズムを,可給態リンの乏しい条件で発現できる作物品種を育種することも将来に備えて必要である。

C.リンのリサイクル利用

環境保全型農業レポートでも,これまでに下水汚泥,し尿,畜舎排水などから,リンをリン酸アンモニウムマグネシウム(MgNH 4 PO 4・6 H2O : MAPまたはスツルバイト)として回収する技術の開発を紹介してきた(「No.002-3 し尿や畜舎汚水からのリン回収技術に新たな展開」「No.112 望まれるリンの循環利用」「No.117 鶏ふんのエネルギー利用とリンの回収」)。こうした回収したリンを,リン酸肥料の代替物として利用する試みが世界中でなされている。

有機物も含むふん尿や堆肥などのバイオマス資源は体積が大きく,しかもそのリン含有率はさほど高くないために,長距離輸送には向いていない。その上,同時に含まれる有機物や無機成分のために,悪臭や有害微生物,有害化合物なども含まれ,その農業利用には市民の賛成をえにくいものもある。その点,廃液や焼却灰からMAPとして回収したリンならば,かさばらず,悪臭や有害成分もない。MAPは,水への溶解性が低いにもかかわらず,緩効性のリン源として役立ち,品質的に問題なく,商業利用が期待される。

D.作物によるリン利用率の向上

特に水溶性のリン肥料は,土壌中で急速に収着されたり有機化されたりして,作物に利用されにくい形態に変化(難溶化)してしまう。この難溶化に対抗するには,(1)生育期間にわたってゆっくり,かつ,均等な速度でリンを放出するように肥料の剤形を変える,(2) 施用方法を,土壌を避けるような方法に変更し,植物生育のキーになっている時期に,茎葉に施用することが考えられる。

このため,土壌施用肥料の高分子膜での被覆(被覆肥料),種子粉衣,種子のリン肥料液への浸漬,リン肥料の多量施用による苗作り(環境保全型農業レポート「No.23 定植前リン酸苗施用法」),葉面散布,微生物接種などの製品や技術が開発されている。これらの技術によって,リンの施用量を慣行の20〜40%に削減しても,収量に遜色ないことが示されている。

●結論

著者らは上記を踏まえて,リン酸肥料の新しい戦略構築のために次の研究の必要性を提唱している。

(1) 食用・飼料用穀類に貯蔵されたリンの大部分は,最終消費者(反芻家畜を除く)にとっては代謝的に役に立たないので,作物のリン要求を減らす可能性を研究する。

(2) 大部分の土壌に多量に存在する遺産Pの量を把握し,それを活用する方法を開発する。

(3) リサイクルおよび回収リンの使用量を高めて,新しく製造したリン肥料に代替させる。

(4) ターゲットとする重要な生育段階にリンを放出できるように,より効率の高い肥料の製剤化や施用方法を開発する。

こうした戦略を実現するためには,土壌学,肥料学,作物栽培学という従来からの分野だけでなく,作物育種学や地域環境保全学に加えて,消費者意向調査も必要な総合的取組が必要である。

リンの過剰蓄積を起こしている日本もこうした方向で将来に備えた戦略研究が必要であろう。