●なぜ有機農場の養分収支を問題にするのか
現在の化学肥料,化学合成農薬,濃厚飼料などの資材を多投した集約農業は,農業生産力を飛躍的に向上させたものの,石油などの天然資源を多量に消費し,過剰養分施用による周辺環境の養分汚染,農薬の使用とその系外への流出による農場内とその周辺環境の生物多様性の低下,残留農薬による農産物の安全性への懸念,大型化機械の走行による土壌の圧密,不適切な灌漑による乾燥地域での土壌表層への塩類集積,地下水源の枯渇などを引き起こし,その生産の持続可能性に疑問をもたらしている。それに対して,有機農業は,資源のリサイクリングを重視して資源の減耗を少なくし,土壌資源の保全,農場内と周辺環境の保全を図りつつ,安全な農産物を生産することを目指すとされている。
では,有機農業は,養分収支の面で持続可能となっているのか。養分不足が生じていれば,遠からず生産力は大きく低下し,養分過剰が生じていれば,それを継続していると,やがて養分過多で生産が阻害されると同時に,農地に集積した窒素やリンが系外に流出して周辺環境を汚染すると予想される。では実際の有機農場は,農場内でどの程度の養分リサイクリングを実施して,不足分を外部からどの程度搬入して,養分収支の適正化を図っているのか。有機農場の養分収支から,こうした問題を考察することができる。
●養分収支の取り方
養分収支を計算するのにいくつかの方式があるが,最も一般的なのが,土壌表面収支である。農場内に搬入されて土壌表面に投入された肥料,飼料,種子,マメ科植物による窒素固定,大気降下物などを合計した養分の全インプット(投入)量を計算する。そして,販売用に農場外に搬出された作物,家畜,場合によっては家畜ふん尿などによる養分の全アウトプット(搬出)量を計算する。この全インプット量と全アウトプット量の差が養分収支で,通常は養分kg/ha・年で表示する。この方法では,収支余剰がでても,それがシステムからロスされたか土壌に蓄積されたかの行方や,起源についての情報は通常示さない。
また,養分の投入量や作物による収奪量を計算するのに,実際のサンプルの養分量を分析しているケースは少なく,通常は慣行農業での標準的な値を採用している。しかし,有機農業での投入養分量は,慣行よりも少ないケースが多いため,作物による養分収奪量や家畜ふん尿の養分含量が慣行よりも少ないことが多い。しかし,そうした誤差を承知の上で,標準的値を採用しているケースが多いことを念頭に置いておく必要がある。
この養分収支の取り方は,OECDの養分バランス(環境保全型農業レポート「No.232 OECDが2010年までの農業環境状態を公表」参照)と同じインプットとアウトプットの項目を計算していて,類似している。ただし,OECDは国全体の農地面積当たりで表示しているのに対して,以下で紹介するものは,農場当たりで表示している。
●有機農場の養分収支をまとめた3つの研究報告
ヨーロッパを中心とする有機農場の既往の養分収支に関する研究をまとめた2つの研究結果と,北米とヨーロッパに輸出する有機農産物を生産している途上国の有機農場での研究をまとめた1つの研究を紹介する。
●ヨーロッパなど先進国の有機農場におけるリンとカリの収支1
スウェーデンのKirchmannら(2008)は,ドイツ,オーストリア,イギリス,スウェーデン,ノルウェーとニュージーランドの合計37の有機農場とオーストラリアの10のバイオダイナミック農場の,リンとカリの収支に関するデータを既往の文献(1989〜2007年)から収集して比較した。このうち,29の農場が家畜生産と換金作物生産の複合農場で,8農場が家畜のいない換金作物生産農場であった。
【注】バイオダイナミック農法は,オーストリアのルドルフ・シュタイナーが,物質世界だけでなく,霊の実在の下に,太陽や月だけでなく宇宙の影響も考慮し,輪廻転生,生命の霊的進化などを総合した宇宙観に立って,生命体を理解することが必要だとの信念の下に,農薬や化学肥料などの化学合成資材を排除した農法が大切だとして,1924年に提唱した農法。シュタイナーの考え方はIFOAM(国際有機農業運動)の有機農業基準の背景にある概念的要素にも少なからず取り入れられている。ただし,現代科学で理解できない農業のやり方は有機農業基準には取り入れられていないが,バイオダイナミック農法は実践している。
欧米の複合経営では,シロクローバとイネ科牧草を,典型的なケースでは3年混播して家畜を放牧する。そして,牧草を鋤込んだ後,換金作物を2〜3年栽培する。アカクローバも,サイレージや緑肥として単独ないしイネ科と混播されて,しばしば生産されている。マメ科牧草の窒素固定量は,マメ科の種類,混播時のマメ科率,播種後年数,土壌条件,気象条件などによって大きく変動する(Watson,C.A., D.Atkinson, P.Gosling, L.R. Jackson and F.W. Rayns (2002) Managing soil fertility in organic farming systems. Soil Use and Management. 18: 239 – 247. )。通常,養分収支を計算する際には,平均的な窒素固定量を当てはめているが,実際の固定量とはかなりずれることが多い。このため,Kirchmannらは,窒素の収支は計算せず,リンとカリの収支を計算した(養分収支結果は表1参照)。
その結果,平均すると,家畜のいる複合経営の有機農場は,Pが+ 1(範囲は-17〜+21)kg P/ha・年,Kが+ 5 kg(範囲は-65〜+59)kg K/ha・年で,リンとカリウムの双方とも若干余剰であった。これに対して,家畜のいない作物生産農場では平均で年間ha当たりPが- 7 kg(範囲は-14〜-1)kg P/ha・年,Kが- 22 kg(範囲は-52〜-2)kg K/ha・年で,リンとカリの双方とも不足度合が大きかった。
では,なぜ有畜農場ではPとKの養分収支が全体として若干プラスで,無畜農場ではかなりのマイナスになったのか。
Kirchmannらは,元データの農場における資材購入の状況を整理した。有畜農場では,有機農業基準で認められた慣行のものを含め,農場の49%が濃厚飼料,40%が敷料のワラなどを購入し,そのなかの養分が家畜ふん尿として排泄されて,作物に施用された養分を補完していた。さらに有畜農場の49%がリン鉱石を購入して土壌に施用し,リンを補給していた。
これに対して,無畜の作物生産農場では,他農場から家畜ふん尿を搬入していたのは農場の27%に達したが,有機質肥料として肉骨粉とリン鉱石を購入していたのは,農場のそれぞれ9%にすぎなかった。このように無畜農場では,作物に収奪されたリンとカリウムのバランスをとるのに必要な資材が購入されていないために,マイナス収支が大きいケースが多くなっていた。
●ヨーロッパなど先進国の有機農場における窒素,リンとカリの収支2
Watsonら(2002)は,ドイツ,オーストリア,オランダ,イギリス,スウェーデン,ノルウェーとニュージーランド,カナダの合計88の有機農場(酪農67,肉牛5,羊1,豚1,鶏1,複合8,普通作物2,園芸3農場)の窒素,リンとカリウムの収支に関するデータを既往の文献(1981〜2000年)から収集して比較した(Kirchmannの報告とは3つの文献が重複)。このうち,スウェーデンの文献が37の有機酪農農場を扱っていたため,全体で酪農農場が67と最も多かった。
マメ科牧草の窒素固定量は,牧草の種類,混播時のマメ科率,播種後年数,土壌条件,気象条件などによって大きく変動する( Watson,C.A., D.Atkinson, P.Gosling, L.R. Jackson and F.W. Rayns (2002) Managing soil fertility in organic farming systems. Soil Use and Management. 18: 239 – 247.)。通常,養分収支を計算する際には,平均的な窒素固定量を当てはめているが,実際の固定量とはかなりずれることが多い。Watsonらはそうしたずれを承知の上で,窒素収支を計算した。
酪農農場の平均値は,Nが+82.1(範囲は+2.1〜+217.0)kg N/ha・年,Pが+3.1(範囲は-6.5〜+36.0)kg P/ha・年,Kが+9.6(範囲は-26.5〜+58.0)であった。有畜複合農場の平均値は,Nが+54.6(範囲は+21.0〜+91.6)kg N/ha・年,Pが-2.4(範囲は-6.9〜+4.0)kg P/ha・年,Kが-2.2(範囲は-4.4〜-0.3)であった。また,普通作物農場の平均値は,Nが+25.6(範囲は+1.2〜+50.0)kg N/ha・年,Pが-6.0(1例だけで範囲なし)kg P/ha・年,Kが+57.0であった。園芸作物農場の平均値は,Nが+194.2(範囲は+91.0〜+395.6)kg N/ha・年,Pが+38.9(範囲は+1.7〜+89.0)kg P/ha・年,Kが+122.0(範囲は-23.0〜+281.0)であった(表1)。
酪農農場が外部から搬入した窒素量の62%はマメ科牧草の窒素固定,25%は購入飼料と敷料に由来した。これによって窒素の収支がマイナスにならずに,かなり大きなプラスになった。因みに大きな窒素過剰を報告したイギリスの酪農農場での研究は,過剰N量の75%が,溶脱,脱窒と揮散によってほぼ同じ比率で系外に失われ,オランダの酪農場での研究は過剰N量の94%超が系外に失われたことを報告している。
また,調査した園芸作物農場は全てかなりの量の家畜ふん尿を搬入しており,平均のPとKの過剰量が最も多かった。
●途上国の有機農場の窒素,リン,カリの収支
世界の有機食品販売額の97%が北アメリカとヨーロッパで占められている一方,世界の認証された有機農地総面積の1/4は途上国に存在し,南の途上国が北の先進国に多くの量の有機農産物を輸出している。このため,Oelofseら(2010)は,中国,ブラジル,エジプトの3か国の5か所の有機農場と近隣の慣行農場との養分収支を,2006〜08年に比較調査した。対象にした農場は,国際的に認定された組織によって認証されていて,国際または国内マーケットに販売しているものである。
【中国・吉林省ダイズ生産】
中国東北部吉林省において,有機農場20,慣行農場15の養分収支を調査した。ここでは,ダイズとトウモロコシを,帯状栽培または伝統的な輪作(3年間のダイズ連作の後にトウモロコシ1作)で栽培している,土壌は半乾燥地域の草原地帯に発達したモリソル(チェルノゼムやプレーリー土などを含む)で,有機物含量の高い,非常に肥沃な黒色土壌である。
有機農場は自家消費用の家畜を飼養し,外部から搬入した若干の飼料と放牧ならびにダイズにおける生物的窒素固定と有機肥料による養分投入が若干あった。窒素では,農場には平均で年間ha当たり,生物的窒素固定で87 kg,その他に各種資材で17.4 kgが投入されたのに対して,生産されたダイズで多量の窒素が搬出され,差し引き- 45±7 kgの収支となった(±は95%信頼区間)。そして,リンでは-13±2 kg,カリでは-22±5 kgの収支となった(表1)。
この土壌は,土壌有機物含量(約6%)と可給態リン(オルセン-Pで339 mg/kg)が非常に高く,養分不足を生じていたが,土壌の肥沃度からすれば,この程度の不足なら,短期的には生産力に顕著な影響は生じないと考えられている。
【中国・山東省野菜生産】
小規模な複合経営の21の農場群が有機輸出企業と契約して,有機野菜を生産している。農家は有機野菜以外に,化学肥料によって穀物を慣行生産し,それを販売したり,家畜の飼料に使用したりしている。そして,家畜ふん尿と作物残渣によって堆肥を製造して,有機野菜に施用している。有機野菜には外部から搬入した有機質肥料も施用している。
この有機野菜生産では,各農場が行なっている慣行の穀物生産に施用した化学肥料の養分が投入養分量のなかで非常に大きな部分を占めていて,この慣行生産が有機野菜生産を支えている。そして,平均の養分収支をみると,平均で年間ha当たり,窒素で+94±37 kg,リンで+42±13 kg,カリウムで+71±42 kgの収支となった(表1)。
【ブラジル・サンパウロ州果実生産】
小規模な柑橘類を生産している18の有機農場を調査した。慣行農場はオレンジに特化しているが,有機農場は契約している協同組合の要請に基づいて,オレンジ,ライム,マンゴー,グアバを生産している。有機農場は果樹の間にマメ科の肥料木を栽培しているが,まだ4年未満で若く,生物的窒素固定量は少ない。養分は,慣行農場では化学肥料によるが,有機農場は,主に隣接家畜生産農場(ウシと家禽)と堆肥化共同組合(処理後のマンゴーとグアバの残渣と,都市部の樹木剪定枝との混合堆肥)を購入して施用している。
有機と非有機の両農場とも養分過剰を生じている。過剰の程度は両タイプの農場で窒素とカリウムについて類似している。リンの過剰は,慣行農場(16 kg/ha・年)でよりも有機農場(47 kg/ha・年)のほうで多かった(表1)。
【ブラジル・サンパウロ州野菜生産】
集約的に主に葉菜類を年3作栽培している,小規模な有機野菜生産28農場を調査した。家畜はほとんどの農家が所有せず,換金作物でない緑肥栽培も行なっていない。外部から購入した鶏ふん堆肥と肥料混合物(トウゴマ種子粉末,骨粉,貝殻と硫酸カルシウム)を使用ており,その養分投入量は慣行農場とほぼ同じであり,有機と慣行の農場とも,3要素の養分過剰が生じており,有機農場のほうで過剰量がより多かった(表1)。
【エジプト・ファイユーム県ハーブ・野菜・穀物生産】
ファイユームオアシスで,ハーブとスパイス,野菜,穀物と飼料作物の多品目生産を生産している,小および中規模の16の有機農場を調査した。農場は通常家畜を所有し,飼料作物(エジプトクローバ,サイレージ用トウモロコシ)を生産し,家畜ふん尿を作物に施用している。
夏作ではエジプトクローバによる生物窒素固定量は少なく,多量の購入有機資材を施用して作物を生産し,生産した飼料作物を家畜に給餌し,生産した家畜ふん堆肥を施用している。冬作ではクローバによる生物窒素固定量が多く,有機資材の施用量は夏作よりも少なくしているが,家畜ふん堆肥も施用している。
有機農場と非有機農場の双方とも似た程度の養分過剰を起こしており,有機夏作での養分過剰のほうが,有機冬作よりも大きかった(表1)。
●おわりに
有機農業における持続可能性を,有機態成分が多い養分総量による養分収支で判定しようとするのは,特に窒素については無謀という意見もあろう。有機態窒素の無機化は有機資材のC/N比によって大きな影響を受け,C/N比が20を大きく超える資材では無機態窒素の放出には何年も要するからである。しかし,そうした資材であっても100年近く連用していると,1年間に投入した窒素総量が,当該年に全て無機態になって放出されるという平衡状態に達することが確認されている。ただ,それは長期的持続可能性であって,短期的には窒素不足でまともな生産ができない期間が続くことがありうる。それゆえ,ここで扱った資材のC/N比は概ね20以下の,肥料効果が当作のうちに発揮される有機肥料と,リンやカリウムの鉱石を対象にしている。
3つの研究報告から次の点が注目される。
第1は,表1の結果を概観して分かるように,ヨーロッパ,ニュージーランド,オーストラリアなどの先進国に比べて,中国,ブラジル,エジプトといった途上国の窒素,リン,カリウムの収支のほうがはるかに大きな養分過剰となっていることが注目される。ただし,中国吉林省の肥沃なモリソルで養分不足になっているのを除く。肥沃な土壌地帯ではこうした養分不足のケースが多いが,当面,単収の激減が起きることは考えにくい。こうした肥沃土壌でのケースを除き,途上国で過剰養分が生じていることは,狭い経営面積で収益を確保するために,投入有機資材量が多いことが1つ背景にあると推定される。
第2は,ヨーロッパなどの先進国の有機農場では,特に家畜のいない耕種農場ではリンやカリウムが不足しているケースが多いことが注目される。それゆえ,有機農業を持続可能にするためには,家畜生産が必要という見方もありうる。それは,有機の家畜生産のために,有機農業基準で認められた慣行飼料を使用することが認められているからであり,慣行農業からの養分補給が家畜生産で行なわれているからである。
2010〜11年にフランスで行なわれた有機農場の調査結果から(環境保全型農業レポート「No.252 有機農業では作物養分のかなりの部分が慣行農業に由来」参照),調査した63の有機農場は,慣行農業由来の養分を,平均して,窒素を20 kg,リンを6.6 kg,カリウムを8.5 kg/ha・年購入しており,無畜の耕種農場のほうが有畜農場よりも多量の慣行農業由来の養分を購入していることが示されている。
第3に,この家畜飼料に認められた特例を巧みに利用した,中国山東省の野菜生産が注目される。ここではそれぞれの小規模農家が野菜生産は有機認証をえているが,家畜生産は慣行で,有機認証を受けていない。そして,慣行飼料を給餌した家畜のふん尿を堆肥化して,有機野菜生産に施用している。このやり方で有機肥料を自己調達できている。
第4に,ヨーロッパでも園芸作物生産では大きな養分過剰が生じていることである。先進国でも途上国でも,養分過剰が生じた農場で,不必要なまでの養分過剰を是正した,生産と環境を保全するための施肥の調整の必要性に対する認識向上と,是正技術を普及させることが必要なことが痛感される。