No.192 岡山・香川両県から瀬戸内海への窒素とリンの負荷量

●瀬戸内海の水質汚染

瀬戸内海は,東京湾,伊勢湾とともに,ほとんどが陸岸で囲まれた閉鎖性海域で,改善されてきているとはいえ,なお水質汚染が深刻な状態になっている。環境省が推定した2009年度における瀬戸内海への窒素負荷総量は433トン/日,そのうち,生活系が143トン/日,産業系が95トン/日,その他系が195トン/日,また,リン負荷総量は28.0トン/日,そのうち,生活系が11.4トン/日,産業系が6.5トン,その他系が10.1トン/日である(環境省 (2011) 化学的酸素要求量,窒素含有量及びりん含有量に係る総量削減基本方針)。その他系には,面源負荷(農地,森林,生活排水を除く市街地からの負荷),畜産,廃棄物処分場,水産養殖などが含まれ,農林水産業にかかわる部分が多い。このように,その他系が瀬戸内海への窒素負荷総量の45%,リン負荷総量の36%と,最も大きいシェアを占めている。

こうした閉鎖性海域への窒素やリンの負荷量は,水質と流量のデータが収集されている1級河川からの海域への負荷量を中心にして推計されている。しかし,1級河川以外の河川も多い。データのそろっていない中小河川からの負荷量や,沿岸域から河川をへずに直接海域に排出されている負荷量については,十分に解析されていないため,負荷総量の精度が高くないという弱点があった。

こうした弱点を改善すべく,独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 近畿中国四国農業研究センターの広域農業水系保全研究チームが中心になり,農林水産省の外部委託研究資金をえて,岡山県,香川県,広島大学,産業総合技術研究所などとのプロジェクト研究を行なった。この研究では,岡山県と香川県から両県に挟まれた瀬戸内海(備讃瀬戸)について,これまでの弱点を補う新たな推定方法を工夫しながら,いろいろな負荷源からの窒素とリンの負荷量を推定した。その概要を下記に基づいて紹介する。

高橋英博・吉川省子・鷹野 洋・笹田康子・二宮正士 (2010) 流域特性を考慮した岡山・香川流域から瀬戸内海への流入負荷量の推定.陸水学雑誌.71: 269 – 284

清水裕太・小野寺真一・齋藤光代 (2009) 50 mメッシュ標高情報とGISを利用した海底地下水流出量の空間分布評価−瀬戸内海中央部での適用例−.陸水学雑誌.70: 129-139.

高橋英博・吉川省子・鷹野洋・冠野禎男・笹田康子・小野寺真一・清水裕太・高橋暁・三好順也 (2011) 備讃瀬戸への水・栄養塩の流入量の推定.2010年度近畿中国四国農業研究成果情報

近畿中国四国農業研究センター広域農業水系保全研究チーム(吉川省子(代表)・高橋英博・吉田正則・望月秀俊・石川博(以上、近畿中国四国農業研究センター)・鷹野洋(岡山県環境保健センター)・笹田康子・冠野禎男・田辺和司・岩井正直・矢野清・高木真人(以上、香川県)・小野寺真一・清水裕太・斉藤光代・加藤愛彬(以上、広島大学)・湯浅一郎・高橋暁・三島康史・三好順也(以上、産業技術総合研究所中国センター):研究成果パンフレット

同チーム (2010) 水と栄養塩の動きを探り,農業に役立てる−備讃地域陸海域の水・栄養塩動態解明と農業への再利用技術の開発−

同チーム (2010)日射対応型低流量潅水システムによる茶園等の施肥効率化−水・栄養分の効率的利用−

●流入負荷量の推定方法

岡山県と香川県の陸地から排出された窒素とリンが,備讃瀬戸に流入するルートを, (1) 河川からの流入,(2) 沿岸域では排水路や表面流去などからの直接流入,(3) 地下水からの流入の3つに分割した。そして,流入負荷量の計算に際しては,両県をいくつかの流域に分割した。岡山県は,ルート1の河川から流入する河川流域を,高梁川,旭川,吉井川(いずれも1級河川)の3河川流域と児島湖流域,ならびにルート(2)の沿岸域,香川県では,河川流域を一級河川の土器川,25の2級河川流域,その他の小河川流域ならびに沿岸域に分割した。そして,両県とも,ルート3の地下水からの流入量を別途計算した。

(1) 河川からの流入負荷量

ルート1の河川からの流入量は,概略下記のように計算した。すなわち,岡山県の3つの1級河川流域と指定湖沼(湖沼水質保全特別措置法によって,水質保全対策を講じることを義務づけられている11の湖沼の1つ)の児島湖流域については,流量と水質濃度とのデータがそろっているので,河口部近くにおける両者のデータを乗じて備讃瀬戸へ負荷量を計算した。しかし,香川県については,データがそろっている1級河川流域は1つだけで,2級河川流域を25とその他の小河川流域を設定したものの,流量と水質濃度のデータがそろっていないケースが多い。そこで,ときたま行なわれた水質調査データとその時に測定された水位・流量データの収集,および降水後の高水位時の水位・水質・流量データの補足を行ない,それらを収集・解析して,水位と流量の回帰式を求めて,水位データから流量を算定した。そして,2級河川の水質や流量に関しては流量と水質の回帰式を求める,あるいはそれが難しい河川については月別に計算した水質データに流量を乗じて,備讃瀬戸への負荷量を計算した。

(2) 沿岸域からの直接負荷量

ルート2の沿岸域における直接流入は次のように計算した。すなわち,沿岸域の生活系・畜産系・面源系からの負荷量は,原単位法に基づいて算定した。ちなみに,原単位法とは,研究成果に基づいて設定した,農地,家畜,都市などの発生源から排出される,単位量の面積,頭数,人口などからの平均負荷量を原単位とし,これに総数を乗じて,負荷総量を概算する方法である。

生活系の原単位は,合併浄化槽・単独浄化槽・雑排水からの負荷に分け,人口1人当たりの排出負荷量で表示した。畜産系は,牛・豚の1頭当たりの排出負荷量で表示した。面源系は,水田,畑地,森林,市街地の4つに区分し,ha当たりの排出負荷量で表示した。原単位は既往の行政関係文書や科学論文を参考にして設定した。また,産業系からの負荷量は,関係報告書などによって事業所排水からの排出量を整理した。
海域への流入負荷量を推定する場合には,流達率を考慮する必要がある。沿岸流域では,産業系の事業所排水や生活系の下水処理施設の排水の多くが海域へと直接排出されていることから流達率を1とし,畜産系・面源系の排出負荷量についても流路が短いことから流達率を1とみなした。

(3) 地下水からの負荷量

ルート3の地下水からの流出量を推定するには,地下水の流出量の推定が必要である。これは,透水断面積と地形勾配および不圧地下水の動水勾配と地形勾配の関係の経験式を基に,50mメッシュ標高から海岸線付近の地形勾配を算出することで,ダルシー則によって推定した(詳しくは文献(2)を参照)。

透水係数を対象地域全域で砂質(1.0×10-3m/s)と仮定した場合,岡山県と香川県における海岸線からの年間地下水流出量は,岡山県沿岸で5.2 億トン/年(年降水量1647mm の4.0%),香川県沿岸で0.9 億トン/年(年降水量1140mm の4.2%)と見積もられた。

地下水は沿岸域では酸素不足の状態になっていて,その中の窒素の多くが脱窒により消失することがわかり,地下水からの流入負荷量は他のルートからの流入負荷量に比して無視できる量であった。リンについては,窒素と逆に沿岸域で濃度が増すことがわかっている。土壌中でリンは鉄,アルミニウム,カルシウムなどと結合して水に溶けにくい状態になっていることが多いが,海水中のナトリウムがカルシウムと置き換わり,また水で洗われると分散が進み,リンが地下水中に溶けだす可能性がある。地下水リン量は河川リン量の1〜2割になる可能性があるが,まだ検討が必要であり,推定結果には含めていない。

●排出負荷量

2000〜2005年の6年について,窒素,リンとCODの両県において余剰となった排出負荷量と,そのうち備讃瀬戸に流入する流入負荷量を計算した。平年降水量の2003 年の窒素とリンの結果を紹介する。

排出負荷量は,詳細の説明は省略するが,各汚染源で余剰となる窒素やリンなどの単位量(原単位)を設定して計算した発生負荷量に,当該汚染源から他の場所に排出される排出率を乗じた値で,汚染源から排出される量である(表1)。

岡山県と香川県の排出負荷量の総量は,窒素が29.8千トン/年,リンが1.5千トン/年と推定された。そして,それぞれの発生源は,窒素で,産業系30%,生活系25%,畜産系7%,農地18%,森林14%,市街地5%,リンで,産業系28%,生活系51%,畜産系7%,農地4%,森林7%,市街地3%であった。シェアの大きい窒素の発生源は,産業系30%,生活系25%,農業系(畜産系+農地)25%などで,農業系のシェアがかなり高かった。リンでは生活系51%と産業系28%で全体の79%を占め,農業系は11%と,窒素ほどのシェアを占めていなかった。

両県とも,沿岸域と河川流域の排出負荷量を比較すると,沿岸域に商工業と住宅が集中しているために,窒素とリンともに,産業系と生活系を合わせたシェアが圧倒的に高く,農業系のシェアが高いのは沿岸域よりも内陸の河川流域であった。

●流入負荷量

流入負荷量は,備讃瀬戸に流入する負荷量のことである。前項で述べた排出負荷量が全て備讃瀬戸に流入するわけではない。例えば,農地で余剰になった窒素は,水田では落水によって,畑では表面流去水によって,河川や地下水に流入したり,土壌に保持されたりしたりしながら,一部が脱窒したりする。河川流域で余剰になった窒素やリンの排出負荷量のうちのどれだけの割合が河川に流入するかは,流達率を設定しても,推定値には大きな誤差が生ずる。このため,河川流域については,河口近くにおける負荷物質の濃度と流量から,備讃瀬戸への流入負荷量を推定した。また,沿岸域については瀬戸内海までの距離が短いので流達率を1と仮定して,表1の排出負荷量の値を採用した。

その結果,岡山県と香川県から備讃瀬戸への流入負荷量は,窒素が15.9 千トン/年,リンが0.8 千トン/年と推定された(表2)。両県からの窒素の流入負荷量の合計値は,河川流域からよりも沿岸域からのほうが多く,特に香川県では沿岸域からの流入量が多かった。リンについては,河川流域からの流入量のほうが沿岸域からよりも多かったが,それでも沿岸域が約40%を占めていた。

●終わりに

農業が地域の水質にどれだけの負荷をかけているかの研究は少なくないが,農業だけでなく,他産業や市民生活,森林などの他の土地利用も同時に解析した事例は極めて乏しい。数少ないそうした研究も,農業については他部門の研究者がラフな仮定の下に推定しており,農業の専門家が自ら他部門の研究者に呼びかけて行なった最初の研究といえる。

こうした解析の上に,他部門からとともに,農業からの環境負荷を減らす取り組みが強化されることが期待される。