No.145 甘い日本の農地への養分投入規制

●平均余剰養分量を大幅に下げたEU諸国

 環境保全型農業レポート「No.114 OECDの指標でみた先進国農業の環境パフォーマンス」に,OECD諸国の余剰養分量を示した。そして,集約農業を行なっている,東アジアの韓国と日本とともに,EU加盟国のなかでもオランダ,ベルギー,ルクセンブルクなどの集約農業国では,国全体の農地における窒素やリンの平均余剰量が多いことを紹介した。

 OECDのデータは,1990-92年と2002-04年を比較している。2つの時期のデータセットを見比べると,これらのEU国では,1990-92年に比して2002-04年に余剰養分量が大幅に減少したのに,日本では減少幅がわずかで,韓国では若干ながらなお増加している(図1)。

●なぜEUで余剰養分量が減ったのか

 では,なぜEUで余剰養分量が減ったのか。その主因は,EUが1991年に「硝酸指令」(農業起源の硝酸による汚染からの水系の保護に関する閣僚理事会指令:Council Directive 91/676/EEC)を公布し,90年代後半から多くの加盟国で完全実施されたことといえる。

 硝酸指令では,硝酸に汚染されたか富栄養化したか,それらの危険のある地下水と表流水の集水域を硝酸脆弱地帯に指定する(国全体を硝酸脆弱地帯に指定しても良い)。硝酸脆弱地帯内の農業者は,国の定めた行動計画に定められた窒素の施用に関する規制を強制的に守ることが義務づけられている。すなわち,

 (1) 家畜ふん尿の最大還元量を170 kg N/haとし,これを超えるふん尿の農地還元を禁止する

 (2) 作物の生育しない秋冬期の家畜ふん尿(厩肥を含む)の散布を禁止し,その間に家畜ふん尿を貯留する施設を整備する

 (3) 流出しやすい場所や時期に,家畜ふん尿や肥料の施用を禁止する

 (4) 作付開始時の土壌無機態窒素存在量,栽培期間中の土壌からの無機態窒素供給量,家畜ふん尿からの無機態窒素供給量,化学肥料や有機質肥料からの無機態窒素供給量を評価し,これらの和が作物の窒素要求量を超えない

 ことなどが規定された。

 この硝酸指令の施行にともなって,特に家畜ふん尿の過剰還元が抑制されて,余剰窒素量が減るとともに,付随して家畜ふん尿によるリンの施用量も減って,余剰リン量が減少した(環境保全型農業レポート.No.144 欧米における農地へのリン投入規制の事例)。

 また,EUでは湖沼などの富栄養化の原因の一つとして,農地からのリンの排出を問題にして,農地への過剰なリンの施用を抑制する指導を行なっている。そのうえ,リン肥料にはリン鉱石から持ち込まれるカドミウムが多いこともあって,リン肥料の施用量や中小家畜飼料へのリン資材添加量の削減を強力に指導している。

●養分管理規制に関する日本とEUの比較

 EUの硝酸脆弱地帯を中心にした養分管理規制について,日本との比較を表1に示す。

 EUの硝酸指令を適用したとすると,日本にも硝酸脆弱地帯に指定される地域が少なくない。日本では「水質汚濁防止法」によって,公共水域や地下水の硝酸性+亜硝酸性窒素の環境基準が10 mg N/L以下に定められ,「水道法」によって飲料水中の硝酸性+亜硝酸性窒素の上限濃度も10 mg N/Lに定められている。しかし,この基準を超える水系があったとしても,硝酸汚染地区に指定されて,特別な法的規制がなされているわけではない。

 ただし,法的規制がないとはいえ,特に水道水源の地下水が高濃度の硝酸によって汚染されているケースでは,地方自治体が中心になって,関係機関が連絡調整会議を組織して,水源地域の農業者に減肥栽培技術などを指導している。そうした例として,青森県五戸町,静岡県旧清水市(現静岡市),長崎県国見町と有明町,熊本県荒尾市,宮崎県都城市などが知られている(環境保全型農業レポート.2004年9月1日号.環境省が刊行! 主に農業に由来する地下水の硝酸汚染の実態と対策に関する事例集)。

 EUでは,硝酸脆弱地帯以外の地域の農業者には,優良農業規範を自主的に守ることを求めている。優良農業規範は,法律で規定された環境や農産物の安全性を確保するために,具体的に農業者が守るべき法律や農業技術を具体的に解説したものである。例えば,イングランドの優良農業規範である「我々の水,土,大気を守るために」は全118頁の分厚い冊子である。この優良農業規範で求めている内容は,硝酸脆弱地帯の行動計画を比較すると,家畜の飼養密度や農地へのふん尿還元量の上限が若干ゆるいだけで,あまり内容的に違いはない。硝酸脆弱地帯の外の農業者が農業補助金をもらうためには,優良農業規範を遵守することが最低条件になっている。このため,優良農業規範は実質的に法的拘束力を持っている。

 これに対して,日本では2005年3月に「環境と調和のとれた農業生産活動規範」(農業環境規範)が農林水産省生産局長名の通達としてだされている。しかし,全体で7頁のみで,記述に具体性がない。そのうえ,複数項目を一括してチェックしたか否かだけを記録するので,環境を守るための個々のポイントがきちんと守られたのか曖昧である(環境保全型農業レポート.No.12 「農業生産活動規範」とは)。日本でも補助金受給には規範遵守が条件とすることにはないっているが,その遵守の具体性はEUよりもはるかに乏しい。

 日本では肥料や家畜ふん尿の農地への施用は,ふん尿の素掘り投棄や野積みが「家畜排泄物法」によって禁止されたが,それを除けば,基本的には制限されていない。また,小川などの水辺周辺へのグリーンベルト設置と,そこへの肥料やふん尿の施用禁止といった規制もない。

●日本の施肥基準の問題点

 (1)施肥基準の考え方と位置づけの違い

 EUの硝酸指令は,無駄な施肥を行なわないことを法律で規定している。すなわち,窒素の施肥について,作物の予想収量から必要になる作物の窒素要求量を計算する。そして,作物が窒素を吸収し始める時点において土壌に存在している無機態窒素量(冬期終了時点の土壌中の無機態窒素量),土壌有機物の無機化によって供給される無機態窒素量(地力窒素供給量),家畜ふん尿(堆きゅう肥を含む)からの放出される無機態量,化学肥料や有機質肥料から供給される無機態量の合計と,作物の窒素要求量とのバランスによって窒素供給量を制限することを規定している。

 この具体例として,イングランドの施肥量の計算の仕方の概要を,環境保全型農業レポート.「No.110 イギリス(イングランド)が自国の硝酸指令を強化」に紹介した。かなりラフな計算方法だが,法律に定められた無駄な施肥を避けるために,それを技術的にできるだけ実践する努力を行なっている。これに対して,日本の施肥基準にはいろいろな問題がある。

 日本の施肥基準(栽培基準)は,農業改良普及員などが農業者を指導するためのガイドラインに位置づけられている。最近では都道府県のウェッブサイトに施肥基準が掲載されており,それらへのアクセスポイントをまとめたホームページを農林水産省が作成しているl。しかし,通常,施肥基準の冊子は農業者には直接配布されていない。農業者には,作物別に標準的な施肥や農薬散布などをまとめた栽培暦がJAなどから配布されている。

 (2)堆肥から放出される養分量の考慮の必要性

 日本の施肥基準は,養分を化学肥料で供給することを前提にして作られている。多くの作物で1〜2トン/10aの堆肥を施用したうえでの化学肥料施用量が示されているが,1〜2トン/10aの堆肥を実際に施用しているケースは,施設野菜を中心に一部の作目だけで,多くの作目では堆肥の施用量はわずかにすぎない。施肥基準は,1〜2トン/10aの堆肥施用を記述しながら,現実にはそれだけの堆肥が施用されていないことを踏まえて,標準的な化学肥料の施用量を記載しているのが実態といえよう。少ない量の堆肥からの養分供給量は事実上無視して,堆肥施用を土壌の団粒化促進などの物理性改善のために位置づけている。

 かつての化学肥料を十分に使えなかった時代には,堆肥が主要な養分供給源であった。その時代,人間の肉体労働で材料を収集・運搬し,堆積・切り返しをして,圃場に散布していた。このため,製造できる堆肥の量は多くはなく,少ない堆肥施用量のために,養分不足で作物単収は低かった。化学肥料が普及して,単収が飛躍的に向上するとともに,肉体労働から解放されて,ますます堆肥施用量が減少した。それが今日になって,主に輸入飼料に由来する家畜ふん尿の過剰が深刻になったことを背景に,家畜ふん堆肥の積極的利用を助長する施策がとられている。化学肥料窒素の施用量と化学農薬の散布回数を,地域の慣行の半分以下に抑制した特別栽培農産物が消費者に認知され始めたこともあって,堆肥の施用量を大幅に増やすケースが生じだした。

 施肥基準に書かれている堆肥の施用量は,特にその種類が記載されていない場合は,稲ワラ堆肥でのものである。これは,かつては稲ワラ堆肥が最も一般的堆肥であったからである。稲ワラ堆肥の全窒素濃度は現物当たりで0.5%前後だが,多くの家畜ふん堆肥の全窒素濃度はこれよりも高く,稲ワラ堆肥で示された量の家畜ふん堆肥を施用すれば,養分供給量が必然的に増える。そのうえ,堆肥のなかの窒素で施用当年に無機化されるのは一部だけで,多くは残渣になって土壌に残り,土壌窒素肥沃度を向上させ,翌年以降に少しずつ無機化される。このため,堆肥施用量を増やせば,当然,化学肥料施用量を減らさなければならない。

 しかし,都道府県の施肥基準の中には,家畜ふん堆肥などの堆肥を施用したときに減肥すべき化学肥料量の計算方法を示していないものが多い。このため,農林水産省生産局長名で,2008年7月10日付けで2つの生産局長通知,「適正な土壌管理の推進について」と「肥料価格高騰に対応した肥料コスト低減に向けた取組の強化について」が出され,「地域における土壌診断の実施体制を強化するとともに,土壌中及びたい肥中の肥料成分相当を減肥する等の適正施肥に向けた確実な指導ができる体制を整備・強化する。」ことが指示された。つまり,堆肥などの有機質資材から放出される可給態養分量,土壌に残っている無機態の可給態養分量や,土壌から放出される地力窒素量を測定し,それらを勘案した化学肥料の減肥量を施肥基準に記載したり,その計算方法を記載したりすることを求めている。既にこれを実施している自治体がある一方,まだ施肥基準の見直しが終わっていない都道府県も少なくない。

 (3)堆肥からの可給態養分量の迅速分析体制つくりを

 また,肥料取締法は,堆肥などの特殊肥料に品質項目を表示することを義務づけている。しかし,窒素,リン酸,カリなどの養分は全量を表示させているが,可給態養分量は表示されていない。家畜ふん堆肥から放出される可給態養分量を,迅速に推定する優れた方法が最近開発された(環境保全型農業レポート「No.139 家畜ふん堆肥窒素の新しい肥効評価方法」)。全国で,この方法による家畜ふん堆肥の分析が実行できる態勢を早急に完備することを行政が支援することが望まれる。さらに,通常の土壌診断では,地力窒素の供給量は,その分析に時間がかかるか,特殊な分析機器が必要になるためか,分析してもらえない。

 このように,日本の施肥基準は,化学肥料主体で少量の堆肥を施用する場合のものであって,堆肥の施用量を増やした場合の持続的な土壌管理技術が一般化しているとはいえない。

●おわりに

 日本では国土に占める農地面積のシェアが14%弱で,50%を超えているEUの農業国に比べれば,農業による環境汚染の程度は低い。このためか,農業による環境汚染への意識が低い。しかし,現実に農業による環境汚染に苦しんでいる住民は少なくない。

 いままで法律で規制されていなかったことを行なって,環境汚染が生じたから,その弁済を農業者に求めるのは酷であろう。これからは,環境汚染をしない農業を実践するように農業者を支援する仕組みが望まれる。例えば,日本でも具体的な優良農業規範として,持続可能な農業生産と,それを可能にする農業資源と環境の保全のための農業技術を具体的に解説した冊子を作って,農業補助金を受給飼料用とする農業者はそれを守ることを徹底させることが必要であろう。