No.110 イギリス(イングランド)が自国の硝酸指令を強化

●EUの硝酸指令

 EUでは化学肥料や家畜ふん尿に由来する硝酸が農地から流出して,地下水や表流水に深刻な硝酸汚染や富栄養化を起こしている。このため,EUは1991年に「農業起源の硝酸による汚染からの水系の保護に関する閣僚理事会指令」(Council Directive 91/676/EEC:硝酸指令)という法律を公布している(西尾道徳 (1999) EUの農業環境政策とその取組み.農業技術大系.土壌施肥編.第3巻.p.土壌と活用VII 8-8〜8-18.農文協:西尾道徳 (2003) EUでの土壌への養分投入規制の動向.農業技術大系.土壌施肥編.第3巻.p.土壌と活用VII 8-19-2〜8-9-11.農文協)。

 硝酸指令の概略は次のとおりである。

 (1) 加盟国は,(a)硝酸(NO3)が25または50 mg/L(NO3-Nで11.3 mg/L)以上かそうなる危険の高い地表水,(b)NO3が50 mg/L以上かそうなる危険の高い地下水,(c)富栄養化しているかそうなる危険の高い地表水(河口,沿岸,海を含む)であることが確認された水系に水の流入している,集水域内の全ての土地を硝酸脆弱地帯として指定する(国全体を脆弱地帯に指定してもよい)。

 (2) 硝酸脆弱地帯外の全ての農業者は,国の定めた優良農業行為規範を自主的ベースで実施する。

 (3) 硝酸脆弱地帯内の全ての農業者は,国の定めた汚染削減のための行動計画を遵守する(硝酸脆弱地帯内では優良農業行為規範に上乗せした行動計画を遵守することが義務)。

 (4) 加盟国は4年ごとに規定された事項について報告書を欧州委員会に提出する。

 (5) 加盟国が法律に違反し,警告に対して改善措置をとらない場合,欧州委員会は加盟国を欧州司法裁判所に告訴する。

●イングランドの硝酸指令に対する対応

 硝酸脆弱地帯はすべての地下水と地表水を対象としているにもかかわらず,当初,イギリスと北アイルランドは,硝酸脆弱地帯を飲料用水源として利用している水系とその集水域だけに限定していた。このため,イングランドは国土の8%だけを硝酸脆弱地帯に指定していただけであった。いっこうに改善措置を講じないため,欧州委員会は,1999年2月にイギリスと北アイルランドを硝酸指令違反で欧州裁判所に告訴した。2000年12月に欧州裁判所はイギリスと北アイルランドが硝酸指令違反であるとの判決を下した。判決に従わない場合には,毎年5,000万ポンド(90億円強)の罰金を支払わなければならなくなる。判決に従って硝酸脆弱地帯を拡大した場合には,新地帯内の農業者の要する新たな対策経費に支出する政府の補助金のほうが罰金よりも安いこともあり,イングランドは47%をカバーする硝酸塩脆弱地帯を追加指定し,従来からのものを含めてイングランドの55%を硝酸脆弱地帯に指定する決定を行ない,2002年12月20日から施行した(西尾道徳 (2003) EUでの土壌への養分投入規制の動向.農業技術大系.土壌施肥編.第3巻.p.土壌と活用VII 8-19-2〜8-9-11)。

●硝酸脆弱地帯の追加拡大

 イギリスは,当初,硝酸指令への対応を意図的に遅らせてきた感じすら与えたが,環境・食料・農村問題省(DEFRA)は,2007年8月に一転して硝酸指令に積極的に対応するかのように,自国の硝酸指令を強化する案について,パブリックコメントを求めた(DEFRA: The Protection of Waters Against Pollution from Agriculture〜 Consultation on implementation of the Nitrates Directive in England. 52p. )。
パブリックコメントを求めた第一点は,硝酸脆弱地帯をイングランドの現在55%から70%に拡大する点である。この拡大の理由は,一部地域で硝酸汚染の悪化が進行していることと,水系の硝酸汚染モデルの精度が向上したことによる。そして,硝酸脆弱地帯を70%に限定するのか,イングランド全体を硝酸脆弱地帯として扱うかの意見を求めた。寄せられた意見の多くは,国土全体でなく,硝酸脆弱地帯を国土の70%とするもので,DEFRAは2008年7月に寄せられた意見に対する対応を検討し,そのようにすることに決定した (DEFRA (2008) Government response to comments received in relation to the consultation on the implementation of the Nitrates Directive in England〜The Protection of Waters Against Pollution from Agriculture. 27p. )。イングランドの硝酸脆弱地帯の現状と改正案については,DEFRA (2007) Maps of NVZs proposed for designation in 2008 を参照されたい。

 なお,同様な対応強化手続をイギリスの各地方で行なっているが,北アイルランドは改訂手続を完了して2007年1月から新しい規則を施行しており,イングランドは改正手続の遅い地方となっている。

●家畜ふん尿還元の規制強化

 硝酸脆弱地帯の農業者には行動計画をこれまで義務として課してきたが,事態が改善しなかった。それは,現行の行動計画では,家畜ふん尿施用禁止期間を砂土または土層の浅い土壌に限定したり,規制値に例外を設けたりして,厳格な規制は硝酸脆弱地帯の一部農業者だけに課せられているにすぎないためである。このため,行動計画を強化することとし,その案についてパブリックコメントを求め,寄せられた意見を踏まえて,次の対応を決定した。

 (1) 農場の家畜ふん尿窒素の還元量の上限値を,利用農地面積当たり暦年ごとの平均値(放牧中の落下と散布を合わせ)で,170 kg/haとする。

 (2) スラリー還元禁止期間を延長し,全ての土壌タイプに適用する。砂土または土層の浅い土壌では,牧草地で9月1日から12月31日まで,耕地で8月1日から12月31日まで,その他の土壌では,牧草地で10月15日からと1月15日まで,耕地で10月1日から1月15日まで,スラリー還元を禁止する。ただし,固形の家畜ふん堆肥は,可給態N含量が低いため,還元禁止期間を設けない。

 (3) スラリーおよびふんの貯留施設の容量を,豚で26週間分,牛で22週間分,家禽ふんで26週間分にする。ただし,農場内の表面流去リスクの低い圃場(傾斜3度以内で表面流去水が流れにくい,小川などの表流水から50m以上離れていて表面流去水が表流水に入りにくい,圃場排水路がないなど)については,一定量の家畜ふん尿を散布できる例外措置を導入する。また,貯留施設の整備は3年以内に行なう。

 (4) スラリーの散布技術:家畜ふん尿を高い曲線を描きながら高圧で施用するスラリーガンやレインガンの使用を2012年1月1日までに禁止する。そして,裸地や収穫後の刈り株地への家畜ふん尿を施用する際には,家畜ふん尿を24時間以内に混和するようにする。ただし,検査に際しては必ずしも24時間以内に混和できない場合もあることを考慮して柔軟に検査することとする。

 (5) 固形家畜ふん堆肥の貯留条件:固形家畜ふん堆肥は不浸透性素材の堆肥盤上に貯留する。素材は不浸透性素材であればコンクリート以外でも良い。ただし,採卵鶏のふんの山は,雨で崩れて汚染を起こしやすいので,不浸透性の素材でふんの山をカバーするなら,ふんを圃場に堆積して良いことにする。

●窒素肥料の施用の仕方と最大窒素施用量の改訂

 (1) 作物による窒素要求がない期間(現行は牧草で9月15日から2月1日まで,その他の作物で9月1日から2月1日まで)において化学肥料窒素の施用を禁止しているが,禁止期間の終わりの期日を1月15日に変更する。なお,新たにナタネと牧草への化学肥料窒素の10月末日以降の施用を禁止する。ただし,牧草には禁止期間内に40 kg/ha以内の施用を2回まで認める。また,アブラナ科作物については,禁止期間内に4週間ごとに50 kg/ha以内の化学肥料窒素の施用を認める。

 (2) 最大窒素施用量:作物の要求量を超える窒素を施用しないようにし,全ての養分源からの窒素の吸収効率レベルを考慮するように,農業者に求める。

 (3) 記録保持:コンプライアンスのチェックを容易にするために,全ての窒素施用記録の保持を要件にする。

●最大窒素施用量の計算

 イギリスは,硝酸脆弱地帯の農場は,窒素施用量(化学肥料Nとスラリー/家畜ふん堆肥からの可給態Nの和)の平均値を,作物タイプ別の最大窒素施用量(Nmax)を超えてはならないと規定している。この計算にかかわる数値の一部を今回改訂した。

 主要作物タイプ別の最大窒素施用量(N max)(表1)は,土壌タイプ,標準的な作付体系における土壌からの地力窒素供給量,標準的収量を上げるのに必要な窒素要求量を考慮して設定されている。このため,有効土層が浅くて地力窒素供給量が少ない土壌や,単収が標準収量よりも多い場合には,表1の脚注にしたがって最大窒素施用量を増やすことができる。

 同じ農場でも,圃場や,圃場のなかの区画によって,土層の厚さや収量レベルが異なる。農業者は作物タイプ別にこうした違いを考慮して表1の脚注に示された例外事項に基づいて認められた最大窒素施用量の追加可能分を加算して,農場での最大窒素施用量の総計を計算する。そして,この総計を作物タイプ別の総栽培面積で除して,農場での作物タイプ別の最大窒素施用量の平均値 (N max)を計算する。化学肥料窒素と家畜ふん尿由来の可給態窒素を合わせた窒素施用量をこのN max以内に抑えることが義務として求められる。

 家畜のスラリーや家畜ふん堆肥からの可給態窒素量は表2に示す数値を用いて計算する。数値は窒素効率(nitrogen efficiency)と表現されているが,施肥基準のガイドラインでは,全窒素中の作物吸収可能N% (Nitrogen – Percentage of total nitrogen available to next crop)と表記されているものである。つまり,土壌に施用したときに放出される化学肥料と同等の無機態窒素の含有量を全窒素に対するパーセントで表示したものである。実際にはスラリーや家畜ふん堆肥の種類,施用した時期や土壌タイプによって数値は大きく変動するが,表2の値は多くのデータから導いた平均値的な値である。

 なお,こうした窒素施用量の計算は,DEFRA (2007) Do your nitrogen applications comply with the farm average maximum nitrogen (Nmax) limits? (17p) に詳しく解説されている。

●今後の改訂作業の予定

 施行規則の改定案を2008年9月までに国会に提案し,農業者に対するガイダンスとアドバイスを行う予定である。既存の脆弱地帯の農業者は2009年1月から新行動計画を遵守し,新脆弱地帯の農業者は2010年1月までに遵守するようにする。

●日本でも望まれる最大窒素施用量の設定

 硝酸脆弱地帯の行動計画で遵守を定めている最大窒素施用量は,日本では北海道の「北のクリーン農産物」で規定されているが(環境保全型農業レポート「一歩進んだ北海道の北のクリーン農産物施肥基準」),日本ではまだ一般化していない。2008年7月に公表された「土壌管理のあり方に関する意見交換会報告書」においても,「総窒素施用量の上限値の設定については,堆肥施用上限値や減肥指導等の運用状況を見つつ,今後さらに検討を深める」として,先送りされている(環境保全型農業レポート「No.107 土壌管理のあり方に関する意見交換会報告書」)。

 日本でも過剰施肥による水質汚染を真剣に防止しようとするなら,イギリスのように,化学肥料と堆肥などを合わせた最大窒素施用量を設定すべきであろう。