●ラベル表示変更検討の経緯
圃場に散布した農薬の一部は,微小な水滴や粉末のドリフトとなって圃場外に流出し,人間の健康,隣接圃場の作物,非標的な場の野生生物や土・水・大気に悪影響を与えるケースが少なくない。アメリカのEPA(環境保護庁)は,農薬の様々な問題のあり方を論議するために各界の代表者から構成される「農薬プログラム対話委員会」(Pesticide Program Dialogue Committee) を1995年に編成し,その意見を農薬行政に反映させている。
同委員会は2006年3月〜2007年4月に散布ドリフト作業グループを設けて,報告書をまとめていた。これに基づいて,EPAは2009年11月4日に,ドリフトによる農薬拡散の削減を強化するために,農薬のラベルにドリフト削減に役立つ具体的な指示を書き込むラベル表示の変更案を提示し,パブリックコメントを2010年1月4日まで募集した。
今回の変更案は,農薬登録を行なう企業が行なうラベル変更についてのものだが,EPAとしても今回の変更案を直ぐに完全実施する態勢が整っているわけでなく,今後,態勢を整えるが,企業側にも準備を促す意味もあって,早めに変更案を提示したと理解される。
今回の変更案について環境保護庁はニュースリリースとともに,そのホームページで農薬散布とドリフトの関係を概説し,そのなかで提案に関係する文書を提供している。
なお,イギリスは農薬使用規範のなかで,ドリフトを抑制するための具体的指示を規定している(環境保全型農業レポートNo.40.)。
●対象農薬
今回,農薬ドリフト表示に関する農薬登録通達案−2009-X (Draft PR Notice 2009-X on Pesticide Drift Labeling, 23p) についてパブリックコメントを募集している。
この通達案は,対象とする農薬を次のように規定している。
水滴状または微粉末状のドリフトを生ずる剤型と,散布方法として屋外において使用する農薬で,既に登録されているものと,これから登録するもの。ただし,屋内だけや完全密閉型温室だけで使用する農薬に加えて,くん蒸剤,毒餌などのゲル(ゼリー状に固化したもの)や固形の農薬,動物治療用農薬,皮膚に塗布する虫忌避剤など,野外で微粒子のドリフトを生ずることのない使い方の農薬は対象外としている。
●ラベル表示の変更点
今回の案は,農薬製品に貼り付けるラベルの中に,ドリフトに関する一般的注意に関する表示(一般的ドリフト記述)と,製品特有の注意に関する表示(製品特有のドリフト記述)とを書き込むことを提案している。
A.一般的ドリフト記述
現在,アメリカでは農薬のうち,「作業者保護基準規則」(Worker Protection Standard regulations)の対象となっている農薬については,「この製品を作業者やその他の人が直接またはドリフトによって接触するように散布してはならない。」とラベルに表示することが同規則で決められている。これは人間がドリフトで直接被害を受けることを防止することを目的にした記述だが,今回の改正案は,現行の表示に続き,次を追加することを提案している。「これに加え,人間やその他の非標的生物または場に悪影響を与える水滴状(または粉塵状)のドリフトを生ずるように,本製品を散布してはならない。(製品の剤型によって水滴状または粉塵状のいずれかを用いる。)」
現在の「作業者保護基準規則」が適用されているのは,農地に散布する農薬であって,公道,ゴルフコース,運動場,住宅地の芝生,景観,公園,グランド,その他類似の土地に散布する農薬は対象外となっている。今回の改正案では,これらの土地に散布する農薬には,雇用した者に散布させる場合(業務用散布)であれ,家庭で一般消費者が使用する場合(非業務用散布)であれ,同一または類似の表示を行なうことを義務づけている(表1)。そして,「この製品をラベルに従わずに使用するのは連邦法違反である」ことも表示される。
新規に登録を申請する農薬には,こうしたラベル表示を含めて登録申請を行なわなければならず,登録申請中の農薬には,これらの表示を行なうことを追加申請しなければならない。また,既に登録済みの農薬については,表1にしたがって,一般的ドリフト表示を行った旨をEPAに通知すれば良い。
B.製品特有ドリフト記述
剤型や毒性程度などの特性が異なる製品に応じて,ドリフトをできるだけ減らした安全使用を確保するために,風速,散布放出の高さ,水滴または粒子のサイズ,感受性の場との間に設けるべき無散布緩衝帯の幅など,状況に応じた具体的なドリフト削減技術の要点を,散布方法別に記すのが,製品特有ドリフト記述である。
このため,「散布者は,一般的ドリフト記述に規定されている基準を満たすのに加えて,下記の追加的散布制限を遵守しなければならない。」と記述した後に,製品特有ドリフト記述が表示される。
例えば,ブームスプレーヤ(水平に伸ばした管に一定間隔に取り付けられた多数のノズルから農薬懸濁液を噴霧しながら,走行して大面積を効率的に防除する農薬噴霧機)で農薬を散布する場合には,風速(欧米では時速で表示)に応じて,地面または作物の草冠からのノズルの高さを低くし,水滴の粒径を大きくして噴霧し,農薬によって被害を受けやすい区画との間に広い幅の緩衝帯を設けるとしているが,このときに必要なパラメータの数値を具体的に表示する(表2)。そして,他の条件とはかかわりなく,風速が時速Yマイルを超えるときには,農薬をブームスプレーヤで噴霧してはならないこと,また,風速がどうであろうとも,ノズルの位置を地面または作物の草冠からCフィート以上高くしてはならないことなどを明記する。
農薬登録を行なおうとする企業が,ここで表示すべきパラメータの具体的な数値を把握していれば良いが,ドリフトについては必ずしもそうでないケースが現状では多い。このため,EPAは現在,USDA(農務省),産業界や大学などの協力を得て,「ドリフト削減技術プログラム」(Drift Reduction Technology (DRT) program)を実施し,そのなかで,様々な技術についての試験報告書によって,その効果を確認している。有効と判定された技術はEPAのホームページに掲載される予定となっている。農薬登録者や登録申請者は,有効と判定されたドリフト削減方策や緩衝帯などの方策を,ホームページから選んでラベルに表示することができる。
既に登録されている農薬を含め,どの農薬に製品特有ドリフト記述が必要であるか,必要であるとした場合,パラメータは具体的にどのような数値であるべきかについて,EPAはまだ明確な回答を有していない。目下,EPAは登録見直しプログラムを実施しており,その結果を待って,登録済み農薬の製品特有ドリフト記述の申請を受け付ける予定である。