●ダブルローのナタネ品種
日本ではナタネ油が古くから食用に使用されてきた。しかし,古い品種で製造したナタネ油には,人間や家畜の健康に害を及ぼす恐れのある成分が含まれていた。一つは,心臓障害を起こす危険のある不飽和脂肪酸(エルシン酸。エルカ酸ともいう)残基で,もう一つはイソチオシアネートの前駆体(グルコシノレート)から油を絞る際に生ずる分解産物で,甲状腺障害を起こす危険がある。このため,食用油の摂取量の多いアメリカは,ナタネ油の食用使用を禁止していた。他方,カナダは,エルシン酸を含まないと同時に,グルコシノレートも削減した品種を育成した。こうした品種はエルシン酸とグルコシレートの双方がないか低いので,「ダブルロー」の品種と呼ばれている。これが流通するようになって,アメリカも1985年からナタネ油の食用使用を認可した。
ちなみに,ナタネ油は英語でrape oilだが,この名称は別の意味を持つrapeを連想させ,消費者に積極的に宣伝できる名称とはいいがたい。このため,Canada oilの意味を持つcanola(キャノーラまたはカノーラ)と呼んでいる。
●バイオマスからのバイオ燃料の製造
サトウキビやトウモロコシからのバイオエタノール生産が,ブラジルやアメリカなどで本格化している。特にブラジルのサトウキビからのバイオエタノール価格はガソリンよりも安価で,生産が本格化している(環境保全型農業レポート.No.91 バイオ燃料製造拡大が農産物価格と環境に及ぼす影響;No.109 OECDがバイオ燃料の過熱に警鐘)。他方,EU(欧州連合)はナタネの過剰生産を抱えていた。このため,ドイツなどではナタネからバイオディーゼルの製造が取り組まれている。しかし,バイオディーゼルの生産コストはバイオエタノールよりも高く,さらに最近のナタネ価格の上昇によって競争力が低下している。そして,バイオディーゼルとバイオエタノールの経済的な境界点が,それぞれ,バレル当たりの原油価格が69〜76ユーロ,63〜85ユーロと試算されている(EU (2007) COM (2006) 845 final. Communication from the Commission to the Council and the European Parliament Biofuels Progress Report: Report on the progress made in the use of biofuels and other renewable fuels in the Member States of the European Union. 16p. )。この原油価格は2007年の平均為替レートで換算すると,バイオディーゼルで94〜104ドル,バイオエタノールで86〜116ドルになる。2008年8月には原油の先物価格が約145ドル/バレルにまで上昇したが,こうした事態の下ではバイオ燃料は原油と競争できることになる。
●日本におけるナタネの栽培状況
わが国では,戦争で減少したナタネ生産が終戦後に復活し,1957年に作付面積が25.9万haのピークに達した。しかし,選択的拡大の方針の下で,コメを除く穀物,ダイズ,油糧作物種子は輸入に切り換えられて,その後にナタネ生産は急激に減少し,2001年には全国でわずか301 haが栽培されるだけとなった(図1)。そして,2002年からはナタネは作物統計の対象でなくなり,農林水産省生産局が個別の県に問い合わせて集約している。
ナタネ種子の国内生産量は2001年で650トンしかない。そのなかで,主たる生産県は青森県,北海道,福島県,鹿児島県である。そして,農林水産省の油糧生産実績統計によると,2005〜2007年に,国産ナタネ種子467〜629トンを処理して,ナタネ油原油172〜234トンと油粕256〜352トンを生産し,輸入ナタネ種子217〜227万トンを処理して,原油93〜97万トンと油粕122〜129万トンを生産した。なお,ナタネ種子は重量で40%の油を含有し(比重0.9),油を絞ると種子重量の約70%の重量の油粕が生産されるとされている。
ナタネの栽培には次の注意が要求される。(1) 種子が小さいため,覆土が厚くなりすぎないように,圃場の砕土・整備を十分に行なう,(2) 発芽〜幼苗時期は湿害にとくに弱いため,圃場に明渠を切るなどの排水対策を施す,(3) 通常,秋に播種するが,適期に播種して,越冬前の生育量を確保する,(4) 収穫は梅雨期になるため,穂発芽が起きないように迅速に収穫する,(5) 汎用コンバイン収穫では,裂莢による収穫ロスを小さくする(山守 誠 (2008) ナタネ栽培の現状と活用の広がり.農業技術大系.作物編 第7巻 ナタネ p.基10-2〜10-7.農文協) 。
日本のナタネの平均単収は増加傾向にあり,最近では約250 kg/10aに達しているが,年によっては単収が大きく落ち込んでいる(図1)。これは播種期や収穫期の多雨といった天候不順が原因と推察される。
●生産コスト
2つの研究からナタネの栽培コストについて表1を作成した。
小野ら(2007)は,調べた事例で,耕起・播種・施肥・除草・収穫調製における物財コストには大差がないものの,単収が大きく違うために,作業効率が異なって,減価償却費や労賃に大きな差が生じているとしている。
生産コストは単収レベルによって大きく異なってくるが,2007年におけるドイツのナタネ栽培面積は154.8万ha,平均単収は344 kg/10aとなっている。ただし,日本でも2007年産の北海道滝川市では寒地に適した‘キザキノナタネ’を栽培して,平均単収340 kg/10aという多収事例をあげている(山守,2008)。こうした高い単収を上げられれば,生産コストを引き下げることができるはずである。
●二酸化炭素排出量の削減に向けたシナリオ
二酸化炭素排出量を削減するという面から考えたとき,ナタネ種子を搾った新しい油(バージンオイル)から直接バイオディーゼル燃料を製造するのは妥当なのだろうか?
小野ら(2007)は,ナタネを栽培・収穫して,搾油し,油をエステル化してバイオディーゼルを生産するプロセスにおけるLCA(ライフサイクルアセスメント)を,産業関連分析法で推計した二酸化炭素の排出量で行なった。その際,前提として,10 haの団地でナタネを栽培し,種子からの油の抽出は圧搾法(搾油率は30%)とし,生産に要する物財費や減価償却費ならびに収量をもとに,現状水準と,技術進歩がみられた2つのレベルの,計3つのシナリオを想定した(シナリオは表2を参照)。
いずれのシナリオであっても,バージンオイルをエステル化してバイオディーゼルを生産する場合には,栽培プロセスで二酸化炭素が生ずるのに加えて,ナタネ油をバイオディーゼル化する過程で電力を要するなどのために,多量の二酸化炭素が発生する。このため,石油から製造した軽油を燃料にする場合よりも,二酸化炭素の発生量が多くなるとの結果がえられた。すなわち,シナリオ1(表1の小野ら(2008)の山形県金山町を想定した現状水準)では,軽油を燃料にした場合よりも,二酸化炭素の排出量が3倍以上も多かった。そして,シナリオ1に対して単収が2.5倍に高まって,物財費と減価償却費がそれぞれ5割削減された場合(シナリオ3)でも,軽油を燃料にする場合より,4割程度も二酸化炭素の排出量が多いと計算された。
この結果は,ナタネを栽培して抽出した新鮮なナタネ油からバイオディーゼルを製造する場合には,単収を現在水準よりもはるかに高くするか,油のエステル化に要するエネルギー使用量を大幅に減らす技術が作れないと,軽油を使用する場合よりも二酸化炭素排出量を減らすことができず,したがって,バイオ燃料なら環境にやさしいとは一概にいえないことを示している。
バイオディーゼルは,バージンオイルからだけでなく,天ぷらなどに使用した廃食油をエステル化して製造することもできる。そこで,小野ら(2007)は,ナタネを栽培・搾油した農家が,ナタネ油を天ぷらなどに利用した後に,バイオディーゼルに変換し,かつ,ナタネ油粕を肥料として利用する場合のLCA分析を二酸化炭素排出量で行なった。想定したシナリオは上述した3つであるが,バイオディーゼルに変換可能な廃食油の利用可能率を,シナリオ1で85%,シナリオ2で90%,シナリオ3で100%と仮定した。
ナタネ油をいったん食用に利用してから,その廃食油をバイオディーゼルに変換する場合には,バージンオイルを変換する場合よりも,現状水準(シナリオ1)では二酸化炭素排出量がプラスになるが,シナリオ2ではほぼゼロになり,シナリオ3で排出量が減少すると計算された(表2)。したがって,ナタネを栽培して製造した油を食用に使った後に,廃食油をバイオディーゼルに変換するのであれば,システムトータルとして二酸化炭素排出量をマイナスとするのも不可能でない。
●採算性改善に向けた方策
では,採算の面からはどうなるだろうか? 鍵を握るのがナタネ油粕の扱いである。
日本は輸入したナタネ種子から多量の油を生産しており,その副産物であるナタネ油粕を有機質肥料や家畜飼料として利用している。ところが,ナタネ油からバイオディーゼルを製造する研究は,これまで副産物のナタネ油粕の利用をほとんど注意してこなかった。野中(2009)は,ナタネ油粕を有機農家に販売できれば,ナタネ栽培に要する物財費かなりの部分を回収することができることに注目した。
飼料用のナタネ油粕は35〜40円/kgで販売され,非遺伝子組換えのナタネ由来のものはそれよりも5円/kg高くなっている。ただし,国内でダブルロー品質の品種として‘キラリボシ’と‘タヤサオスパン’が栽培されているが,その作付面積はまだ多くなく,大部分はエルシン酸ローだけで,健康への危険性を秘めたもう一つの物資グルコシノレートを含んだ品種が多い。このため,国産ナタネ油粕を飼料よりも有機質肥料として利用したほうが安全である。
ナタネ油粕の価格は有機質肥料としても飼料としても同じとして,野中(2009)は,国産の非遺伝子組換えナタネであれば,肥料用に50円/kgで売れると想定した。そして,油の比重は0.9だが,1.0とするなど,計算を単純化して,ナタネ60 kgから油粕が42 kgと油18 kgが生産できるとした。油粕が50円/kgで有機栽培農家に販売できたとすると,ナタネ生産に要する物財費のかなりの部分を回収でき,物財費の残りが,表1の山形県金山町では1,875円に圧縮できる(60kg当たり物財費3,975円−油粕販売2,100円)。この額は油1リットル当たりに換算すると104円となる。そして,ナタネ油をエステル化してバイオディーゼルに変換する資材費と電気代を加算すると,バイオディーゼルの生産コストはリットル当たり128円となる。これは2008年7月の軽油価格(120円/リットル)とほぼ同じとなる。したがって,油粕を有機栽培農家に販売できれば,ナタネ生産農家は,自らナタネ油を加工するなら,軽油に近い価格でバイオディーゼルを生産できることになる。
なお,野中(2009)の研究の概要は,野中章久 (2009) 油かすの有機農家への販売は産地搾油ナタネの採算性を大きく改善する.平成20年度東北農業研究成果情報にも掲載されている。
●非遺伝子組換えナタネ油粕の入手の難しさ
有機農産物の日本農林規格では,ナタネ油粕などの肥料や土壌改良資材は,製造工程において化学的に合成された物質が添加されていないもの,および,その原材料の生産段階において組換えDAN技術が用いられていないものに限って使用できることを規定している。しかし,経過措置として,そうした資材の入手が困難である場合には,当分の間,該当しない資材を使用することができるとしている。
(1)拡大する遺伝子組換えナタネの栽培
有機農業では,原則として遺伝子組換え生物やそれを材料にした資材を使用することができない。それなのに,有機農産物の日本農林規格で,当分の間,遺伝子組換え作物由来の油粕などを認めるのは,非遺伝子組換えナタネの入手が実際には難しいからにほかならない。因みに,農林水産省消費・安全局の表示・規格課が作成した「有機農産物及び有機加工食品のJAS規格のQ&A」には,「当分の間」とは,有機農産物のJAS規格の次回の定期見直しの改正までの4年間を指すと記述されている。定期見直しは2011年度と考えられるが,そのときには非遺伝子組換えナタネの入手は一層難しくなっていると予想される。
日本は多量のナタネを輸入しているが,その8割をカナダ,2割をオーストラリアから輸入している。カナダでは既に,ナタネの約9割が除草剤耐性遺伝子を組み込んだ遺伝子組換え体である。オーストラリアは2007年11月まで遺伝子組換えナタネの栽培を禁止していたが,2008年から解除して,遺伝子組換えナタネの栽培が開始されることになった。ただし,キャノーラ種子が少なく,干ばつの問題もあるので,一気にキャノーラに置き換わるとは考えられないし,西オーストラリア州はなお遺伝子組換えナタネの栽培を禁止している(ロイター,2008年3月14日)。
したがって,遺伝子組換えナタネの栽培が広がってきているとはいえ,非遺伝子組換え体のナタネを輸入できないわけではない。日本には非遺伝子組換えのナタネ油粕を販売している業者の数は少ないが存在する(福岡県の平田産業有限会社,埼玉県の米澤製油株式会)。こうした業者から非遺伝子組換えのナタネ油粕を購入できる。
ところが,遺伝子組換え食品に反対している消費者は非常に多いにも関わらず,実際には,日本ではカナダなどから遺伝子組換えしたナタネ種子を多量に輸入して,国内でナタネ油を生産している。キャノーラ油は体に良いという宣伝が行き届いているのか,消費者に歓迎されているのが現実である。
(2)国内での非遺伝子組換えナタネ栽培の意外な難しさ
上述したように,野中(2009)は,非遺伝子組換えナタネを国内で栽培して,油からバイオディーゼルを生産し,油粕を有機栽培農家に販売して,バイオディーゼルの生産コストを引き下げることを提案した。ところが,国内で非遺伝子組換えのナタネを栽培するのは意外に難しいケースが存在する。
青森県は1990年から無エルシン酸の新しいナタネ品種を栽培し始めたが,10年近く経過した1998年時点で,エルシン酸を含んでいなかったナタネのサンプルは6%のみで,ほとんどのサンプルにエルシン酸が含まれ,5%を超えるエルシン酸を含んでいるサンプルが8%存在した。販売上5%以下のエルシン酸の混入は許されるので,残る92%のナタネは販売できるため,油の販売に致命的な影響を与えるものではない。しかし,普通コンバイン収穫では10%程度の収穫ロスが起き,収穫時に落下する種子量が播種量よりも多くなるケースが少なくない。このため,古い品種を栽培していた圃場で引き続いて新しい品種を播種しても,圃場にこぼれていた多量の種子から育った古い品種の個体が共存することになる。ナタネは自家和合性だが,虫媒や風媒によって,10〜30%の自然交雑が起きるとのことである(柳野利哉・長谷川夏子・熊谷憲治 (1999) 無エルシン酸ナタネ生産現場におけるエルシン酸混入の実態.育種学研究.1: 221-222)。
このため,新しい品種を栽培する際,これまでナタネを栽培していなかった圃場で栽培するなら問題ない。しかし,ナタネ栽培農家は,古い品種を栽培していたのと同じ圃場で新しいナタネ品種を栽培するケースが多いであろう。そうした場合,古い品種を生やさないようにするには,除草剤耐性のナタネ品種を播種し,除草剤散布によって古い品種を駆除することが考えられる。しかし,これでは有機栽培農家からは歓迎されない。薬剤によらない方法で,畑に埋蔵されている種子を殺してから,ダブルローのナタネ品種を栽培することが必要になる。
●ナタネ栽培の環境保全的意義
ナタネを栽培して製造したバイオディーゼルを使うことの環境保全的意義として,化石エネルギー消費量を減らして,二酸化炭素排出量を削減することが強調されている。しかし,わが国ではナタネの栽培面積が激減してしまっていて,どの程度回復できるかには疑問がある。
ナタネ栽培面積の大幅な回復が難しいとすれば,輸入種子から抽出したナタネ油を食用利用して,その廃油をバイオディーゼル化して利用するだけでも,軽油使用量の削減に貢献する。あえてナタネを栽培しなくても,廃油利用だけでもかなりの効果があろう。
ナタネを栽培することの環境保全的意義を考えるなら,ナタネを冬作物の一つとして,冬作物の環境保全効果を強調すべきであろう。露地野菜畑などでは冬期が裸地になっていて,秋の収穫後に残っていた硝酸などの養分が梅雨期の雨によって,地下に浸透して,地下水汚染を起こしている。また,早春の春一番で激しい風食が起きて,近隣住民から苦情を受けている。水田よりも畑でナタネやムギ類といった冬作物を栽培することによって,水質保全や風食防止といった環境改善効果が高い。こうした環境保全的意義を重視して,冬作物栽培に補助金を出す仕組みが望まれる。
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