●土壌による炭素のシーケストレーション
土壌に落下ないし混和された有機物の多くの部分は微生物によって分解される。しかし,分解しにくい部分は微生物による部分的変化を受けた後に,たがいに縮重合して難分解で巨大な分子の腐植物質となる。腐植物質の多くは半減期が1000年を超えるものが少なくない。また,温度が低い地方の湛水された土壌では酸素が乏しいために,土壌微生物による有機物分解が抑制されて,ピートなどとして植物遺体がほぼ原形を保ったままの形で何千年も何万年も温存される。このように炭素が有機物として何百年,何千年にもわたって土壌に保存され,その量を増やすことができれば,現在上昇しつつある大気中の二酸化炭素濃度を下げるのに貢献できると期待されている。このように長期にわたって炭素を有機物として土壌に貯留することをシーケストレーション(長期貯留あるいは長寿命固定など)と呼んでいる。
EU(欧州連合)の執行機関の欧州委員会は,土壌が気候変動の緩和にどの程度貢献できるのかや,気候変動が土壌にどのような影響を与えるのかについて,土壌学者を中心とするEUの科学者グループに問いかけをしていたが,科学者グループはこの問題に関する既往の文献を整理した報告書を2008年12月に欧州委員会に提出した(RenéP Schils et al. (2008) Review of existing information on the interrelations between soil and climate change〜Final report. 208p.)。この報告書は「気候土壌報告書」(CLIMSOIL Report)と略称されている。欧州委員会は同報告書を検討した上で,関連する他の情報とともに,同報告書の内容をプレスリリースした。
「気候土壌報告書」は208ページに及ぶ分厚い報告書だが,そのなかの土壌による炭素の長期貯留量を高める農地の管理方法の部分を紹介する。
●農地の管理方法による土壌炭素の長期貯留量の違い
「気候土壌報告書」に先立って,科学者グループはテーマ別に文献を整理したより詳しい報告書を作成している。その一つが(PICCMA (2007) D3: Practices description and analysis report)だが,そこでの文献整理を踏まえて,「気候土壌報告書」に,農地の管理方法による土壌炭素の長期貯留量の違いを要約した表が掲載されている。当該表では管理方法が大幅に簡略化されて記されていて分かりにくいので,管理方法が分かりやすくなるように加筆して作成し直したのが表1である。
表1の右欄に「温暖化緩和能」として「CO2相当量トン/ha/年」の数値を記してある。これは土壌に長期貯留されうる腐植物質の炭素量を二酸化炭素相当量で表示しているだけでなく,化学肥料窒素の施用量を減らすなどによって,亜酸化窒素(N2O)などの他の温室効果ガスの発生量を削減した場合には,温室効果ガスの温暖化係数を用いて,その削減量を二酸化炭素量に換算した量も表示している。つまり,土壌に長期貯留される二酸化炭素量と削減された他の温室効果ガス量を二酸化炭素に換算した値の合計量を示している。
(1)有機質土壌の管理
表から分かるように,土壌への炭素貯留能(温暖化緩和能)が他の管理方法よりも1オーダー高くて最も高いのは,「有機質土壌の管理の仕方の改善」である。泥炭土など冠水土壌には多量に有機物が蓄積している。そうした土壌を干拓・排水して農地に開墾すると,土壌が好気的になって,活発な有機物分解が生じて土壌の炭素蓄積量が激減する。既に農地として利用されていても,元来水が溜まりやすい地形であることが多いため,作物単収が多少低下しても,それが補償されるなら,地下水位を上昇させたり,あるいは再度冠水して作物生産を放棄したりすると,土壌の炭素貯留量が急激に回復する。土壌の温暖化緩和能は37〜73 CO2相当トン/ha/年に達する。
(2)草地化・草生栽培
二番目に効果の高い管理方法が,耕地の「粗放化・セットアサイド」や「永年性牧草への切り換え」,「樹園地の草生栽培」である。牧草は,通常の作物に比べて,栽植密度が高くて面積当たりのバイオマス生産量が多い上に,多量の根が数センチの厚みのマット状にからみあって,その下は酸素不足になって,有機物の分解が抑制される。このため,牧草を栽培すると,あるレベルまで土壌有機物レベルが急速に上昇する。土壌の温暖化緩和能は1.7〜3.0 CO2相当トン/ha/年に達する。
(3)家畜ふん尿の処理と施用方法の改善
EUでは家畜ふん尿は主にスラリー還元されている。スラリーを不適切に貯留していると,亜酸化窒素やメタンの発生源ともなってしまう。このため,温室効果ガスの大気への揮散量を減らすように工夫したスラリー貯留施設が増えている。また,スラリーを土壌表面に散布しただけだと,多量のアンモニアが揮散して,酸性雨や温暖化の原因になるため,スラリー散布直後に土壌混和したり土壌注入したりするようになってきている。そして,スラリーで貯留・施用するよりも,家畜ふん尿を堆肥化してから施用した方が温室効果ガスの発生量が少ない。
こうした家畜ふん尿の処理と施用方法の改善は草地化・草生栽培と同程度の効果があり,土壌の温暖化緩和能は1.5〜2.8 CO2相当トン/ha/年に達する。
(4)土地利用率の向上と輪作の改善
現在裸地にしている期間に緑肥作物やカバークロップを栽培したり,輪作作物の種類を変更したりして,作物による年間の二酸化炭素固定量を増やして,作物全体または収穫残渣を土壌に還元して,土壌の腐植物質量を増加させる。これによる土壌の温暖化緩和能は0.3〜0.9 CO2相当トン/ha/年に達する。
(5)耕耘削減と残渣管理
ミニマムティレッジ,ゼロティレッジ,保全耕耘などによって土壌の耕耘回数や耕耘する深さを減らすと,土壌への酸素の流入が制限され,土壌微生物による有機物の好気的分解が抑制されて,腐植物質が土壌に貯留されやすくなる。
耕耘削減を行った場合には,通常,土壌侵食防止などのために,作物残渣は土壌表面に放置している。しかし,残渣を土壌に混和したほうが,土壌に貯留される有機物量が増える。ただし,窒素濃度の高い残渣を混和すると,表面放置の場合よりも,亜酸化窒素の発生量が増えるので,混和する作物残渣は窒素濃度の高くないものであることが必要である。
これらによる土壌の温暖化緩和能は0.2〜0.7 CO2相当トン/ha/年に達する。
(6)化学肥料窒素施用量の削減
化学肥料窒素を過剰施用すると,作物に吸収されなかった窒素の一部が強力な温室効果ガスである亜酸化窒素に変化する。このため,(1)施肥基準を踏まえて過剰施肥を減らす,(2)土壌から供給される地力窒素を考慮して化学肥料窒素の施用量を適正化する,(3)基肥重点から分施重点にするか肥効調節型肥料を用いるなど,肥料の利用率を向上させて無駄になる肥料窒素を減らして,亜酸化窒素発生量を減らすことが大切である。
これらによる土壌の温暖化緩和能は0.3〜0.6 CO2相当トン/ha/年に達する。
●農林水産省の土壌の温暖化緩和機能強化予算
農林水産省は2009年度予算で,土壌の温暖化緩和機能を強化する下記の事業を新規に実施することになっている。
1.土壌炭素の貯留に関するモデル事業 96 百万円(新規事業)
(1)炭素貯留効果の高い営農活動に伴う収益性や環境保全効果に関する調査
土壌炭素の貯留に効果の高い営農活動への転換に取り組むモデル地区を設定し,活動にともなって生じる農家所得の増減,CO2以外の温室効果ガスの排出を加味した温暖化防止効果について調査する。
(2)炭素貯留効果の高い営農体系の確立
調査結果を踏まえ,炭素貯留効果の高い営農体系を確立し,マニュアルを整備する。
(3)地球温暖化防止効果に着目した農産物表示ルールの検討
地球温暖化防止に役立つ取組によって生産された農産物について,地球温暖化防止効果に着目した農産物表示ルールを検討する。
2.炭素貯留関連基盤整備実験事業(公共) 380 百万円(新規事業)
(1)基盤整備事業の実施地区における調査・検討
基盤整備事業の実施地区において,(a)堆肥,モミガラ,木炭などの下層土や心土への埋設などの炭素貯留を増進する工法が生産基盤の機能に及ぼす影響を調査し,(b)工程,経済性等について最適な工法を検討し,(3)炭素貯留を増進する工法が周辺環境に及ぼす影響を調査する。
(2)ガイドラインの作成
調査・検討結果に基づき,炭素貯留を増進する整備の技術的なガイドラインを作成する。
3.地球温暖化防止に貢献する農地基盤整備推進調査(公共) 54 百万円(新規事業)
(1)炭素貯留手法確立のための実証調査及び評価手法の検討
投入資材や土壌条件に応じた農地基盤での炭素貯留特性等について,実証調査を行ない,あわせて,水田および畑の土壌タイプ毎の炭素貯留量について算定手法を検討する。
(2)炭素貯留手法確立のための事業効果算定手法等の検討
炭素貯留機能を向上させる基盤整備事業の経済効果の算定手法および炭素貯留増進手法の体系化を検討する。
(3)炭素貯留に資する基盤整備事業の調査・計画手法の検討
上記2つの検討を基に炭素貯留機能を向上させる基盤整備事業の調査・計画手法を検討する。
(上記の3つ予算項目の予算額は「平成21年度農林水産主要施策別予算の概要」の「III 資源・環境対策の推進」を,事業概要は「農林水産主要施策別概算要求の概要」の「III 資源・環境対策の推進」を参照。)
また,農林水産省は下記の施肥体系に関する予算を,省エネ・省資源化の推進に位置づけているが,余分な窒素肥料を削減することは,上述したように,亜酸化窒素の排出削減をもたらし,温暖化緩和に貢献する。
4.肥料コストを抑えた施肥体系への転換促進 1,181 百万円(新規事業)
肥料コストの一層の低減を図るために,施肥低減効果の高い新技術の導入等による施肥体系への転換等を支援する。(事業の予算額と概要は「平成21年度農林水産主要施策別予算の概要」の「4.農林水産分野における省エネ・省資源化の推進」を参照)
EUの「気候土壌報告書」の紹介で記したように,土壌の温暖化緩和機能を強化するには,総合的な視点に立って,多様な土壌管理方法を組み合わせることが必要である。農林水産省の新規事業はまだ限定された管理方法しか対象にしていない。特に日本では湛水された水田が炭素貯留に大きく貢献しており,水田での稲作を減らさないことが最も効果の大きな方法であり,これをベースにして,今後表1にある各種の方法を組み合わせるように事業を拡張して欲しいものである。