農林水産省は,消費・安全局が中心になった食品安全の規範と,生産局が中心になった「農業生産活動規範」(農業環境規範)(環境保全型農業レポート.No.12.「農業生産活動規範」とは)を合体した,「基礎GAP」を2007年3月30日に公表した。この概要を紹介する。なお,GAPとは優良農業行為規範 (Good Agricultural Practice)である。
●食品安全GAP策定の経緯
(1)HACCP
農林水産省で食品の安全性確保を担当している消費・安全局は,食品の安全性確保のために,HACCP(ハセップやハシップと呼ぶ)(Hazard Analysis and Critical Control Point:危害分析重要管理点)の手法を重視している。工業製品の管理では,以前から,でき上がった製品の抜き取り検査を行なってきた。これに対してHACCPは,生産から加工・流通に至る工程で,品質管理上ポイントになる工程について管理基準を設定し,工程を常時モニタリングして,管理基準を逸脱した操作を受けた製品を排除する製品管理の仕方である。
消費・安全局は日本施設園芸協会に委託して,主に野菜への病原体や有害物質による汚染を防止して,食品の安全性を確保する観点から,HACCPに基づいて,生産・加工・流通の工程における衛生管理ポイントをまとめた「生鮮野菜衛生管理ガイド」を2003年に作成した。
このなかで,たとえば,堆肥が人畜共通の病原体の汚染源になるとの観点から,堆肥について厳しいガイドラインを設定している。すなわち,(1)堆肥の水分は30%以下,(2)堆肥製造過程で使用するローダ,スコップなどの器具は原料用と製品用で区別する,(3)製造過程で60℃以上の温度を2週間以上確保することが望ましいとした。
しかし,これらのガイドラインは実態からかけ離れたものであった。流通している家畜ふん堆肥の水分含有率の平均値は,鶏で25%だが,牛で55%,豚で40%である(山口武則 (2002) 家畜糞堆肥の成分の変化と活用.農業技術大系.土壌施肥編.第7-1巻.p.資材32-8〜32-19)。このため,鶏ふん堆肥以外はそのままでは使用できないことになる。また,アメリカの堆肥化施設の保全行為規範では,堆積物全体の温度が55℃以上となる期間を少なくとも5日間以上確保することになっており,これよりも「生鮮野菜衛生管理ガイド」は厳しい。さらに,ローダを製品用と堆肥用で区別している生産者はろくにいないであろう。しかし,「生鮮野菜衛生管理ガイド」には,これほど厳しいガイドラインを設定した論拠も記載されていなかった。
(2)食品安全GAP
そうした問題はともかく,消費・安全局はHACCPを踏まえた食品安全のためのGAP作りを試みてきた。そして,食品の安全性確保の観点から,農産物の生産・加工・流通の過程において,(1) 農業生産環境の清浄維持と(2) 収穫時および収穫後の農作物の衛生管理の徹底とによって,食品の安全性に危険な因子を排除することを軸にした,「食品安全のためのGAP策定・普及マニュアル(初版)」を2005年4月28日に作成した。その概略は次のようである。
農業生産を行なう場が,病原体,重金属類,化学物質などによって汚染されていたり,加工・流通の過程でこれらが混入したりすると,食品の安全性をあやうくするリスクが高まってしまう。このため,農業生産現場や加工・流通過程に危害要因を入れない,もしくは持ち込まないようにする。
危害要因として,汚濁水や未熟な家畜ふん堆肥で持ち込まれる病原体,作物体に発生する麦赤カビ病などの有毒物質を生産する微生物,病原体を付着したネズミや衛生害虫,土壌中のカドミウムなどの有害重金属類,作物体中の高濃度の硝酸,残留農薬,廃棄物,その他の混入異物を重視する。
これらの危害要因を排除ないし低減するために,土壌の有害物質含有量の把握とその除去,使用資材の品質や含有成分の確認と危険な資材の不使用,農薬の適正使用や農薬代替技術の導入,収穫時における農作物の丁寧な取扱い,収穫に用いる機械・農機具等の清浄,収穫物の調製・貯蔵・出荷における健全な収穫物と病害虫被害を受けた収穫物の仕分け,迅速な乾燥・調製や予冷等による貯蔵中の腐敗・変敗の防止,ネズミや衛生害虫の侵入・接触の防止,鳥獣のふん尿による汚染防止,作業環境の整理整頓など,対策行為をたてる。
そして,危害要因の実態の確認や対策行為が必要なものは,チェックすべき項目として工程別にリストアップし,そのリストを作成する。そのチェックリストとともに,生産・加工・流通にたずさわる者が,食品の安全性確保のために,守るべき姿勢,チェック項目の意味や,技術的解説などをまとめたものが,食品安全GAPである。
前出の「食品安全のためのGAP策定・普及マニュアル(初版)」は,生産・加工・流通にたずさわる者が自ら,生産・加工・流通の工程で,こうした危害要因の混入しやすい点についてチェック項目を設定し,それぞれを実施したか否かのチェックを行なうものであることを指摘している。とはいえ,ひな形がないと,事業者が自ら作るのはむずかしい。このため,マニュアルのなかで,野菜,果樹,穀類,キノコについて,解説とともに,工程別にチェックリストを提示した。これを参考にして,生産・加工・流通のグループが,自分らの生産物や地域特性に応じたチェックリストを作成し,その記録を保持し,チェック結果を点検して,改善すべき点を自ら指摘し,研修を含めて不断の改善努力を重ねることが必要なことを指摘した。
●「基礎GAP」
農業生産者が安全な農産物を生産する際には,食品の安全性確保と同時に,環境保全などの他の側面も適正に管理することが必要である。このため,消費・安全局は,2005年11月22日に,米,麦,野菜について,食品安全確保のためのGAPの基本的なチェックリストと,「農業生産活動規範」(農業環境規範)に関するチェックリストとを合体した,「入門GAP」(たたき台)を作成した。
これをふまえて,2007年3月30日に,米,麦,大豆,施設野菜,露地野菜,果樹,花きの7品目について,食品安全のためのGAP項目と農業環境規範に関する項目を合体した「基礎GAP」を公表した。「基礎GAP」は,各作目とも,生産者用と産地用(生産者を指導したり,共同出荷を担当したりしているJAなどの生産者団体)の2つのチェックリストからなっている。
一例として露地野菜の「基礎GAP」を表1(生産者用)と表2(産地用)に示す。生産者用(表1)は,作業工程を,準備,育苗,栽培管理,収穫・調製・出荷と全般に分け,それぞれの工程で,食品の安全性の危害要因に関する項目と,必須項目(法令によって規定されていて遵守しなければならない項目と農業環境規範に上げられている項目)として基本的なものを記載している。そして,各工程に「チェックしたい項目を自由に書いてみましょう」という欄を設けている。ここに品目や地域に応じて追加すべき項目を記入する。例えば,収穫・調製・出荷の工程で,「収穫物に付着した土壌などを細菌数や硝酸性窒素濃度が水道法で規定された基準に適合した水で洗浄して除去しましたか」,「収穫物を圃場から出荷用包装を行なう場まで運搬する容器や車両の清掃をしましたか」などの項目を追加することになる。提示された「基礎GAP」はあくまでも基礎であり,生産者や産地がどのような項目を追加するかによって,消費者への信頼の高まりも異なってくることになる。
生産者やJAなどの担当者がチェック項目を確認して実施の有無をチェック欄に記入するが,その他に作業のなかで気づいた点や反省すべき点を記入する欄も設けている。これらの点を点検して,次年度のチェック項目を修正したり,作業を見直したりして,よりよい農産物を生産する努力を不断に積み重ねることになる。
なお,「基礎GAP」は食品の安全性確保を重視しており,カドミウムの食品濃度についての国際的ガイドラインの決定を受けて(環境保全型農業レポート.No.50.食品のカドミウム規制に終止符.),カドミウムについての項目を設けている。露地野菜についてもこの項目があるが(表1),コメでは,生産者用で,「その農地で,カドミウムの高い米(○.○ppm以上)が過去に生産されていないかどうか確認していますか」,「用水の取水地(河川,地下水,ため池など)を知っていますか」,「出穂前後3週間の湛水管理をしましたか」,「籾の残留農薬やカドミウムの検査に協力しましたか」,産地用で,「玄米・農地土壌・用水源のカドミウム濃度の調査を行なったか」,「また,生産者への情報提供を行なったか」,カドミウム対策として「ほ場ごとの土壌条件や品種の早晩生に応じた湛水管理の指導を行ったか」,「カドミウム含有量の高い籾は仕分けして乾燥・調製したか」,「籾のカドミウム検査を行なったか」といった項目を設けている。
●「基礎GAP」の問題点
(1)技術の具体的解説が必要
「基礎GAP」はあくまでも基礎であって,これで十分だという意味ではない。たとえば,生産者用リストには「堆肥等の有機物の施用による土づくりを行ないましたか」の項目がある。完熟堆肥を2 t/10a施用して堆肥から供給される養分量に相当する化学肥料を削減した場合と,未熟堆肥を10 t/10aもの多量施用して化学肥料も削減しなかった場合とを区別せず,堆肥をいれたというだけで,合格というのではおかしいだろう。この項目では,堆肥などをどれだけいれればよいのか,そのとき,堆肥から供給される養分が過剰にならないように,化学肥料をどれだけ削減すればよいのかといった,具体的な技術判断の基準が記載されていなければ意味がない。
また,「栽培マニュアル,栽培基準を読みましたか」という項目がある。栽培マニュアルや栽培基準は都道府県が作成しているが,一般には農業者に配布されておらず,農業者には,JAがこれらの基づいて作成した栽培暦などが配布されている。これでは対応しようがない。せめて,都道府県の発行した栽培マニュアルや栽培基準を農業者はどうやったら入手できるかが記載されていなければ不親切である。農林水産省生産局環境保全型農業対策室が,各都道府県の栽培基準や施肥基準を提供するホームページを設けている。こうしたことも記載しておく必要がある。
栽培基準や施肥基準を読んだとしても,その中身には大きな問題がある。そこに記載されている施肥基準は,作物を初めて栽培するときに必要な施肥量を記載しているからである。栽培を重ねた場合には,土壌に残っている養分量を勘案して,施肥を調節することが必要である。栽培基準や施肥基準には,土壌診断によって施肥量を調節することが条件として記載されている。それゆえ,栽培基準や施肥基準の数値にしたがうだけでなく,土壌診断を受けることも大切なのである。北海道の「北のクリーン農産物」制度では,1〜3年ごとに土壌分析を行なって,土壌の窒素肥沃度水準を求めることを義務化している(環境保全型農業レポート.2004年7月28日号)。土壌診断を義務化している制度は,全国をみてもまだごくわずかだが,土壌診断によって施肥を調節しなければ適正施肥を確保することはできない。こうしたことを具体的に解説して,土壌診断を受けることをチェック項目に入れる必要がある。
(2)GAPで重視すべき視点は他にもある
消費者から信頼をえて,生産者が収益を確保できる農業を維持するために,農業には,(1) 生産の持続可能性,(2) 高品質な農産物生産,(3) 安全・安心な農産物生産,(4) 環境の保全が求められている。このうち,「基礎GAP」は「(3) 安全・安心な農産物生産」と「(4) 環境の保全」の一部を取り込んだだけである。環境保全については,農業環境規範自体が不十分である(環境保全型農業レポート.No.12.「農業生産活動規範とは」)。
たとえば,都府県の露地野菜畑のほとんどは冬期に裸地となっていて,春先に風食を起こして,都市近郊では近隣住宅から苦情が寄せられている。また,露地野菜畑が地下水の硝酸汚染の原因になっているケースが多い。こうした環境負荷を減らすには,冬作物の栽培がなによりも効果的だが,露地野菜の「基礎GAP」ではこの点を考慮していない。また,水稲生産では,代かき後の強制落水による濁水の排出によって,土壌,養分や農薬が排出されて,環境汚染を引き起こしている。前出の「入門GAP」(たたき台)では,コメについて,「代かき後の濁水や農薬・肥料施用後の水田水の排水の防止状況」の項目を設けていたが,「基礎GAP」ではこれが省略されている。
消費者は品質について当然関心が高い。米の食味,野菜の糖度,硝酸濃度など,品質保証を行なえば,消費者の信頼も高まるが,「基礎GAP」にはこの点が組み込まれていない。
(3)レベルの異なるGAPが共存したときの混乱
GAPではEUが中心になっているEUREPGAP が有名である。これは,Euro-Retailer Produce Working Group (EUREP)(ユーロ農産物小売業者作業グループ)によって1997年に開始されたもので,今日ではEU以外にもこの認定を受けた団体は世界中に存在している。EUREPGAPは流通組織主導で開始され,その後に生産者も対等なパートナーとして参加している。そして,食品の安全性だけでなく,環境保全や品質なども視野にいれて,「基礎GAP」よりもはるかに充実した内容となっている。そして,食品に対する消費者の信頼をえるために,EUREPGAPの規範作りには生産者,流通組織のみならず,消費者や環境団体も参加している。
「基礎GAP」は生産者側だけでスタートしているが,今後,GAPに対する取組が展開してくると,流通組織,消費者も加えて,生産者団体だけでなく,流通業者や消費者も納得できるさまざまなGAPが出現してくることが予想される。第一段階の「基礎GAP」に対して,(1) 生産の持続可能性,(2) 高品質な農産物生産,(3) 安全・安心な農産物生産,(4) 環境の保全といった要素をより多く取り込んだ,より進んだGAPも遠からず出てこよう。ホタル,トンボ,コウノトリといった水田が育んできた野生生物と共存できるように,環境保全を担保し,残留農薬やカドミウムなどの混入を排除し,かつ,食味の最低レベルを食味計の値で保証したコメ生産に努めるGAPと,「基礎GAP」では消費者の受けが異なるであろう。
「基礎GAP」は,今後より高いレベルのGAPが作成されて実践されるようになるためのスタートラインである。スタート段階では生産者・生産者団体が個別にGAPを定めて実践するのもよいであろう。しかし,やがてレベルの異なるGAPが生まれてくる。そのときに,「GAPに基づく農産物」であると宣伝しあっているだけだと,混乱が予想される。生産した農産物を販売する流通業者やそこの消費者代表と十分な話し合いをもったうえで,関係者が納得できるGAPを作成し,実践することが大切であろう。将来的には,イギリスのように生産者団体・流通組織・消費者団体などで組織した全国組織(環境保全型農業レポート.No.52 .イギリスの食品保証制度.)が,GAPを定めて,GAPを遵守した農産物にロゴマークをつけて販売するような広域的な態勢ができなければ,消費者は混乱してしまうだろう。内容が様々なGAPに基づいた農産物,JAS有機農産物,特別栽培農産物,都道府県ごとのエコファーマー農産物などが並立したときに,自分たちのGAPが,既往の制度による農産物よりはしっかりした内容を持っていることを消費者に納得してもらって,その信頼を勝ちえることが必要であろう。