●工業化とともにGDPに占める農業の寄与率が低下
国や地方自治体が公的研究開発費を拠出して,技術開発を行なって産業を振興することはどの国でも行なわれている。一般に国の経済発展は農業生産中心から工業生産中心になるとともに,国内総生産(GDP)が増加し,GDPに占める農業の寄与率が低下してゆく。表1は世界全体と地域別の,農業だけでなく,農林水産業の総生産額がGDP(2010年の物価指数によって調整した購買力平価のUSドルで表示)に占める割合(%)の1970年以降の推移を,世界全体と地域別にまとめたものである。
世界全体の平均でも農林水産業の生産額がGDPに占める割合が,1970年に9.1%であったのが,2015年には4.3%に減少した。特に先進国の多い,北アメリカや西ヨーロッパでは既に1970年には,それぞれ2.5%と4.4%であったが,2015年には1.1%と1.0%に低下した。
この結果は,農林水産業の生産額が世界で低下しているのでなく,農林水産業以外の産業やサービス業などによる生産額の伸びのほうが大きいことにほかならない。食足りて経済が発展するといえる。
では,このように農林水産業の経済に占めるシェアが低下しているなかで,農業の研究・開発に対する国家の支出はどうなっていて,どのような意義をもっているのかなど,ときとして疑問に感ずることがあろう。
アメリカ農務省の経済研究局(Economic Research Service)の「経済研究報告」の下記の論文がこの問題を解析しており,その概要を紹介する。
●研究方法
対象とした高所得国は,OECD加盟35国のうちの31か国(カナダ,アメリカ,オーストラリア,ニュージーランド,日本,韓国,オーストリア,ベルギー+ルクセンブルク,デンマーク,フィンランド,フランス,ドイツ,アイルランド,アイスランド,オランダ,ノルウェー,スウェーデン,イギリス,ギリシャ,イスラエル,イタリア,ポルトガル,スペイン,チェコ共和国,エストニア,ハンガリー,ポーランド,スロバキア,スロベニア)とした。
これらの高所得国における政府(中央/連邦および地方/州)の研究所や大学によって実施されている,研究開発(R&D)(公的研究開発と呼ぶ)の費用や内容などを研究対象とした。この場合,対象とする公的研究開発は,政府出資の研究所や大学が,政府出資の予算によって行なうプロジェクト研究に限定されてはいない。入手したデータでは,民間の非営利セクターによる研究も通常は公的R&Dに含められている。
使用した公的研究開発費に関するデータは,政府出資の研究所や大学の人件費,資本(備品,設備,土地)および必要な資材やサービスの購入費などであり,研究所や大学のいわば総予算額である。主にOECDの「研究開発統計」データベースと,「国の農業研究に関する国際サービス」(International Service for National Agricultural Research: ISNAR)から入手し,世界銀行のGDP,物価指数,為替レートを用いて,国や年次の異なる金額を,2011年基準購買力平価(USドル)に換算してある。
●高所得国の公的農業研究システムの概要
今日の高所得国の公的農業研究のシステムは,政府の資金提供によって19世紀に始まった。公的農業研究開発を主に実施している機関のタイプは国によって異なり,主に政府設立の農業研究機関の場合と高等教育機関の場合,並びに両者の併存の場合とがある(表2)。
例えば,アメリカでは,南北戦争中の1862年に制定されたモリル・ランドグラント法によって,農学,軍事学および工学を教える高等教育機関を設置するために,連邦政府所有の土地を州政府に供与することなどが定められた。このため,設立当初の州立のランドグラント大学は,理系の実学に特化していたが,現在では文系の学部も有する総合大学に成長しているものが多い。この他にUSDA(農務省)の研究機関が設置されている。そして,この両者が政府の出資する公的農業研究費を使用して,政府の指定した目標に向かって,政府志向型の研究を行なっている。
表2は,公的農業研究費総額の2/3以上を政府の研究機関が占めている国を「政府研究機関主導型」と表現しているが,日本,フランスなど12か国が挙げられている。これに対して,公的農業研究費総額の2/3以上を大学などの高等教育機関が占めている国を「大学主導型」と表現し,アメリカなど6か国が挙げられている。そして,公的農業研究費総額の1/3〜2/3を高等教育機関が占めている国を「混合型」と呼び,ドイツなど13か国が挙げられている。
地理的により大きな国々では,ローカルに特異的な農業問題に対処するために,部分的に地方分権化している。
他方,ドイツ,次いでアメリカの先例に続き,多数の国々も高等教育機関と農業研究機関との統合を試みているが,成功の度合いはまちまちである。デンマークは,公的農業研究の実施を政府研究機関から大学に大きくシフトさせており,他のいくつかの国々(チェコ,スロバキア,アイスランド)も同様な変化を行なっているようである。これら国々の全ては比較的小規模なシステムとなっている。
●高所得国の公的農業研究費の推移
高所得国は,農業部門の生産性と持続可能性の向上,消費者への低コスト食料の供給,生産者には所得向上を図るために,公的農業研究開発を推進してきた。そして,公的農業研究開発への支出額は20世紀の後半に急速に増加した。しかし,その後,研究コストが一般物価水準上昇よりも急速に上昇し,研究経費上昇の原因となり,少なくとも1992年以降,高所得国では公的農業研究開発費の実質的に増加していない。その上,2008年9月のリーマンショックを契機に,最近では実質的に減少してきている。すなわち,31の高所得国における公的農業研究開発費の合計額は,2011年基準の購買力平価で,1960年と2010年の間に39.3億USドルから184.9億USドルに増加したが,2013年に175.1億ドルに減少した。個々の国における研究開発費は様々なパターンをとっているが,2013年にアメリカ,日本,フランス,ドイツと韓国が,10億ドルを超える額を支出している(表3)。
●公的農業研究開発費の増加にともなう農業の生産性と生産量の向上
かつて農業の生産力は,土地や労働力などの資源に大きく依存していたが,公的農業研究開発への出資や工業投入物の農業利用によって,20世紀後半に資源依存を脱して,生産性向上によって農業産出量を顕著に増加させてきた。具体的には,1961年と2014年の間に,高所得国における実質農業産出量が指数で100から198へと98%増加する一方,資源の全投入量は指数で100から86に14%減少している。その際,投入資源の構成も変化し,労働力と農地が減少し,それらに代わって資本と資材の投入量が増加した。そして,全要素生産性(農業生産に用いられた農地,労働力,資本,投入資材の全生産性)が,この54年間に2倍以上になった。
注目されることは,31の高所得国について,1960-1999年の公的農業研究開発費の合計の対数値をX軸に,1974-2013年の全要素生産性向上によって得られた金額の合計の対数値をY軸にプロットすると,相関関係が認められることである。対数値での相関なのだが,この相関から,第1に,生産性向上による金額の合計値が研究開発費の合計値を少なくとも10倍は超えていること,第2に,公的研究開発費をより多く投資した国ほど,より大きな生産性の向上によって多くの金額を得ていることが示されている。
●公的農業研究開発の主要ターゲットの時代による変化
第2次世界大戦後における公的研究開発の主要ターゲットは時代とともに変化してきているが,その内容は国ないし地域によって異なっている。
大戦後,ヨーロッパと東アジアは厳しい食料不足を経験し,政府は国の食料安全保障を高めるために,農業部門に強く介入した。
西ヨーロッパ諸国は食料生産を拡大するために,域内の農産物価格を国際価格よりも高く設定するとともに,域外からの輸入農産物には高い輸入関税を課し,割高の域内農産物の輸出には輸出補助金を支給して,域内の生産者を保護するとともに,生産力と生産性の向上を図る農業研究・普及への支出を増やした。
日本と韓国は,生産力と生産性の向上を図る農業公的研究開発への支出を増やすとともに,農地改革,食料価格統制と農産物輸入制限,農村インフラへの政府投資を増やした。
伝統的な食料輸出国である,アメリカ,カナダ,オーストラリアとニュージーランドは,公的農業研究開発費の支出額増加によって,コスト低下,農場所得の向上,国際マーケットにおける競争力強化を図った。
EUの域内農業の保護によって生じた農産物生産の増強によって,1980年代に世界の農業マーケットに大きな不均衡が生じ,世界的に農産物の大幅な過剰が生じた。こうした圧力に呼応して,アメリカ,EU,オーストラリアやニュージーランドは,価格支持政策などの過剰生産を助長する政策を抑制し,農業部門の市場応答性をより強化するとともに,生産からの農地の撤退を導入するなど,農業政策改革を実施した。なかでもアメリカは1985年から,EUは1992年から,農業補助金を農産物価格支持や生産量とデカップリングさせ,環境保全,食品安全性,動物福祉,その他の社会的目標の向上を図るガイドラインを遵守することを条件にするクロス・コンプライアンスによって,農業補助金を支給する方式を導入した。また,オーストラリアやニュージーランドは政府の農業補助金を廃止した。こうして,それまで単収と生産性の向上を主目的にしていた公的農業研究開発費は,あらたな目標を加えて,多様な研究を実施するようになった。その結果,アメリカでは,対象焦点がより広がったため,単収と生産性の向上に向けた公的農業研究開発費のシェアは,1975年の66%から2007年に57%に低下した。
とはいえ,こうした政策目標の変化にもかかわらず,農業生産性の向上は公的農業研究開発の重要な目標にとどまっていた。国際農産物貿易が開放されるなかで,生産性の向上は生産コストを引き下げて競争力を高めて,国際貿易で優位性を高め,消費者価格の引き下げに貢献した。また,生産性の向上は農業生産に要する土地や水などの天然資源を節約し,環境に潜在的に正味の便益をもたらした。こうした「公益」を高めることが,農業研究開発に対する政府支援に対して重要な正当化論拠を与えることになった。
●民間農業研究開発の役割
最近の数十年間に,食料や農業の技術革新で民間部門の果たす役割が高まっている。世界全体でみると,民間部門による食料・農業研究開発費が,2011年基準の購買力平価で,1980年の97億USドルが2011年に312億USドルの3倍に増加したとの試算もある。表3の高所得国の公的農業研究開発費総額は,1980年に112億2900万ドル,2011年に182億1200万ドルであったのと比較すると,民間の食料・農業研究開発費が最近大きく増加していることが分かる。この民間の出資金額の増加に貢献している要因には,(1)消費者の新しく多様な食料生産物に対する需要の拡大,(2)特に途上国における食料および農業投入物マーケットの解放,(3)栄養学,バイオテクノロジーや情報科学における科学の進歩によって開かれた技術的チャンス,(4)特に生物学的発明についての知的所有権の強化がある。
ただし,民間部門の食料・農業研究開発費は,得られた成果の技術を使用して生産された製品の販売によって利益を得られる分野を対象にしている。しかし,公的農業研究開発費では,農業による環境破壊・劣化の防止や生物多様性の保全などの生態学的機能の向上のような,市場からそれに要したコストを回収できない分野の比重が高まっており,公的農業研究開発費の大部分を民間部門に肩代わりしてもらえることは期待できない。また,農場の規模は他産業の工場や事業所よりも通常は小さく,民間企業が開発した製品を農場に販売して資金を回収できる程度は,他産業よりも小さく,農業では民営企業的な資金回収の可能な分野が限られていることが認識されるようになった。
こうした次第で,農業の新技術の創出や普及では,現在も政府が指導的役割を果たしている。その結果,政府が全ての経済部門で支出している研究開発費総額のなかで,農業は,GPN総額に占める農業のシェア(高所得国全体の平均では2%未満)に比して大きくなっており,31の高所得国では,2009‐13年の平均で約5.5%を占めている(ルクセンブルクの1.7%からニュージーランドの15.9%までの幅)。
とはいえ,今後,公的農業研究開発費が増加することは期待できず,さらに低下してゆくと予想される。その低下分を補うものとして,民間の研究開発費の増額が期待されている。その実現のためには課題もある。農場がもっと大きくなり,農業者の教育と技能レベルがもっと高くなれば,民間企業は,農業のための革新技術の開発や技術サービス提供での役割をもっと拡大できようが,そうした場合には社会的な別の問題が生じてこよう。
当面の方策としては,例えば,作物育種において,育種者が作物育種から得られる利益についての育種者の権利や,当該品種を栽培する生産者からの税金の徴収などの特許使用料の強化,その他の制度的調整によって,民間研究開発に対するインセンティブを高めることがいくつかの国で試みられている。
●ストークス・ラタンのダイアグラム
研究開発における政府と民間の役割を表す概念図として,ストークス・ラタンのダイアグラムがある。
1997年にアメリカの政治学者のストークス(Donald E. Stokes)が,新たな科学政策パラダイムを提案し,(1)現実的利用の考えなしに,好奇心から,原因やメカニズムを理解しようとする探求心だけで動いている基礎科学(あるいは純粋科学研究)と,(2)原因やメカニズムは分かっていて,それを応用して役立つものを創り出そうとする,利用の考えに強く動かされている応用研究に分けることを提案した。
ストークスは,基礎科学の1つを,利用は全く考えずに知的好奇心から探求した,デンマークの物理学者のニールス・ボーアの原子構造モデルの研究にちなみ,「ボーア型」と名付けた。そして,19世紀フランスの化学者のパスツールを引き合いにして,ワインの製造上のトラブル解明を契機に新たな発酵微生物学の基礎を構築するとともに,発酵上のトラブルを解決した,利用と好奇心に動かされた基礎科学を,「パスツール型」呼んだ。そして,応用目的だけで動かされ,一般的な科学理解を求めずに,商業目的で十分な収益確保を目指した応用研究を「エディソン型」と呼んだ。
その後,2001年に開発経済学者のラタン(V.W. Ruttan)がストークスの考えを改良し,応用研究のなかに,収益確保を二の次にして,別の分野の技術を応用して当該分野の問題を解決する応用研究をもう一つのタイプに加えることを提案した。
ラタンは,このタイプの研究を,商業目的でなく,政府の出資金によって,海軍の艦船を強化するために最初の実用的な原子力発電プラントの開発を指揮したリコーバー (Hyman Rickover) 提督にちなみ,「リコーバー型」と呼んだ。ラタンは,アメリカの連邦および州の農業研究の多くが,農業の生産性や自然資源保全に大きく影響するが,民間企業が実施した場合には,民間企業に利益が適切に還元されるのが難しい領域で,商業的利益が乏しい技術開発に焦点を当てていることに注目し,連邦および州の農業研究の多くをリコーバー型に入れた。防衛や農業とともに,社会科学や政策,環境,健康や政府の法律や行政の遂行を支える研究も,リコーバー型に入る。
図1のストークス・ラタンの枠組から,ボーア型,パスツール型およびリコーバー型に入る基礎および応用科学研究への資金拠出に,公的部門が重要な役割を果たしていることが示唆される。民間部門は,投資に対して十分な見返りの期待できる,エディソン型に入る研究に研究開発費の支出を集中させているといえよう。
ストークス・ラタンの研究パラダイムにおいて,公的と民間との研究開発費の境界は,新たな商業チャンスが発展したり,経済構造や政策が変化したりするとともに,シフトしうる。例えば,バイオテクノロジーの農業への応用技術が創出され,民間企業がそれらから適切な利益を得られるように知的所有権が変化すれば,少なくともいくつかの作物のバイオテクノロジー育種に,民間の研究開発費が大きく誘導されよう。この誘導には,他にも産業構造の変化,投入物マーケットの解放,環境および食品安全性規制の変更などもある。
公的研究開発がこれまでの農業の生産性向上を実現してきたことを考えると,公的研究開発費が減少し,その民間研究開発による補完もなされないとすると,今後の農業生産性の向上や農業が使用している資源の多目的への転用も低下することになろう。
Heisey and Fuglie (2018)の報告には,世界で最も早く推進しているイギリスとオランダの例を始め,高所得国における民間研究開発の強化の導入の事例が紹介されており,一読されたい。