No.333 キングは水田の特性を理解していなかった

●キングの東アジアの水田稲作調査

環境保全型農業レポート「No.265 アメリカにおける有機農業発展の歴史の概要」でキングについて次の紹介記事を書いた。

『人口密度が低く農地資源が豊富なアメリカでは,開墾した新しい土地で農作物を育て,それまでの草地や林地時代に蓄積されていた土壌肥沃度が消耗したら,新しい土地に移動して新たに開墾することがなされ,土壌肥沃度を再生させながら持続的農業を行なう意識が低かった。

土壌科学者のキング(F.H. King: 1848-1911年)は,ウイスコンシン大学の教官からUSDA(アメリカ農務省)土壌保全局に移籍していたが,使い捨てのアメリカの農業のやり方に懐疑的になり,極東の伝統的農業のやり方を調べるために,土壌保全局を辞して,東アジアの伝統的農業のやり方を調査する旅に出た。その観察結果は1911年に, “Farmers of Forty Centuries or Permanent Agriculture in China, Korea and Japan”, The MacMillan Company, Madison, WI, USA, 441p.杉本俊朗訳 (2009)『東アジア四千年の永続農業−中国・朝鮮・日本(上)』『同(下)』 農文協) として出版した。しかし,この本が直ぐに読まれて大きな反響をえることはなかったようである。その後,土壌肥沃度を維持・再生するために,廃棄物を含めた有機物の土壌還元が大切だというハワードの主張が,キングの調べた東アジアの国々の農業によって裏付けられることから,ハワードによってキングが再評価された。』

キングが東アジアの国々を訪問したのは1909年2月から9か月間で,その旅行記を1911年に出版したが,最終章の原稿を印刷屋に渡す前,1911年8月4日に逝去した。最終章は,キング婦人が原稿を遺品から見つけ出して本書が完成した。

●持続的水稲生産の最重要原因を廃棄物還元とした

「第9章 廃棄物利用」で,中国と日本の水稲生産では,灌漑水からの養分補給,ピンククローバ(レンゲのこと)の鋤き込み,魚粉などの有機質肥料の施用も指摘しているが,廃棄物の還元を,中国での4000年の持続的稲作の最重要要素とした。

そして,その論拠としての廃棄物による3要素の還元量の計算は,日本のデータに基づいて行なっている。

1つは堆肥である。日本の農商務省の川口(順次郎)の提出したデータから,キングは,1908年の日本では,家畜,刈草,ワラ,用排水路や河川などの泥などから製造した堆肥を,北海道を除く日本の本州,四国,九州の耕地に平均4.0 t/ha施用されたと計算した(原著211頁)。そして,奈良県農業試験場の分析値を引用して,堆肥が,Nを0.78%,Pを0.26%,Kを0.42%含有するとした。キングは計算していないが,堆肥によって,平均ha当たり,Nを31.2 kg,Pを10.4 kg,Kを16.8 kg,(Nを31.2 kg,P2O5を23.8 kg,K2Oを20.2kgとなる)施用したと計算される。因みに農林水産省の実施している「米生産費」調査の1955年の原単位データで,コメ生産のために農家が自給および購入した堆肥きゅう肥の量は,6.5 t/haなので,上記の耕地全体の平均で4.0 t/haというのは妥当な数値といえよう。

もう一つは人糞尿で,川口の提出したデータから,キングは1908年の日本では,北海道を除く本州,四国,九州の耕地に平均3.9 t/ha施用されたと計算した(原著194頁)。そして,駒場農学校のケルナーやヨーロッパのウォルフによる人糞尿の分析値を用いて,人糞尿が,Nを0.64%,Pを0.085%,Kを0.20%含有するとしている(因みに農業・食品産業技術総合研究機構の編纂した『最新農業技術事典 NAROPEDIA』(農文協)では,人糞尿の肥料成分含量は人種、年齢、生活環境によって異なるが、日本人では水分95%、窒素0.5〜0.7%、リン酸0.1〜0.2%、カリ0.2〜0.3%としている)。したがって,キングの値を用いれば,人糞尿で,平均でha当たり,Nを25 kg,Pを3.3 kg,Kを7.8 kg/ha(Nを25 kg,P2O5を7.6 kg,K2Oを9.4 kg)施用したと計算される。

堆肥と人糞尿を合計すると,本州,四国,九州の耕地にha当たり,Nを56.2 kg,Pを13.7 kg ,Kを24.6 kg(Nを56.2 kg,P2O5を31.4 kg,K2Oを29.6 kg)を施用したと計算される。もっとも,人糞尿が全て貯留されて耕地に還元されたと仮定していることには大いに疑問があるし,糞尿溜で貯留している過程にかなりの窒素の気化や漏出によるロスもあるはずである。とはいえ,こうした廃棄物還元が水田稲作の持続可能性の主因としている。

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●イギリスやアメリカのコムギと日本のコメの単収の歴史的推移

キングの著書の原題は,直訳すると「4000年の農民,中国・韓国・日本の持続可能農業」である。中国では長江下流域の河姆渡(かぼと)遺跡調査などから,紀元前5000〜3300年頃の新石器時代中期に杭州湾南岸の沖積低地で水稲生産が開始されたとされている。キングは,こうした中国に始まった稲作が数千年にわたって長期に持続していることに関心を持ちつつ,1909年(明治42年)に3か国を訪問して,そこで見聞した稲作があたかも数千年続いていたかのように記述している。

織田信長が活躍していた戦国時代の1574年からの日本における水稲単収の推移を,イギリスやアメリカのコムギの単収の推移を比較してみる(図1)。図における日本の水稲単収のデータは安藤広太郎のものを吉田武彦『水田軽視は農業を亡ぼす』(1978,農文協),イギリスのコムギ単収のものはMax Roser and Hannah Ritchie (2017) Yields and Land Use in Agriculture から,アメリカのコムギ単収のものはUSDA NASS (2017) Historical Track Record – Crop Production のものである。

キングが4000年という年数にわたる持続的生産を問題にするならば,1840年頃までは日本の水稲単収のほうが,イギリスのコムギ単収よりも高く,特に1500年代では日本の水稲単収がイギリスのコムギ単収のおよそ2倍も高かったように,江戸時代よりももっと古い時代の水田稲作の単収が欧米の畑でのコムギよりもはるかに高かったことを問題にすべきである。

吉田(1978)は,『稲作の多肥集約化が特に顕著になったのは戦国・江戸時代からである。戦国大名や徳川幕府は百姓からの年貢を多く取り立てて経済的基礎をしっかりさせるため,さかんに多肥を奨励した。』と記載している。戦国時代には大名がそうした指令を出したとしても,覇権争いが活発で安心して農作業に勤しむ時間が少なった1500年代には,人手が戦争に徴用され,廃棄物を人力で収集して堆肥化して施用するのは大幅に制約され,まだ少なかったと考えるのが自然であろう。吉田によれば,江戸時代の1649年に3代将軍の徳川家光の時代に,幕府は便所やごみ溜めの作り方も指示して自給肥料の確保を奨励したという。そして,吉田は,『江戸時代から明治初期までの稲作肥料は,野草や木の下枝を主体にした刈敷,堆きゅう肥がおもで,下肥も都市近郊の先進農業地帯でこそ主要肥料であったが,全国どこでも十分に使用できる状況にはなかった。』と記している。

キングが4000年の持続可能な農業を問題にするなら,明治時代末期の廃棄物をせっせと施用していたことを論拠にせずに,そうしたことをしなくても,数千年も前から水田の生産力が畑よりも高かったことと,その原因である水田の天然土壌肥沃度をまず問題にすべきであった。

●水田の天然土壌肥沃度

環境保全型農業レポート「No.327. 2000年の間に水田土壌はどう変化するのか」に紹介したが,中国浙江省の揚子江河口の慈渓市近くの沿岸部に,干拓の歴史が古い記録が存在する。そこには干拓年数の異なる,石灰質海成堆積物に由来する2000年の水田土壌年代系列が構成されている。そこで,次の観察がなされている。

(1) 水田造成・栽培開始後50年までの範囲で,作土の有機態炭素と全窒素は最初の30年間に増加し,その後は比較的安定しており,作土における有機物炭素含量の定常状態には30年しか要しないとの指摘がある。しかし,上記の解析結果からは,数100年から数1000年栽培された水田土壌にはなお,作土に有機態炭素が蓄積していることが示されている (Huang et al., 2015)。

(2) 初めの100年間で,水田と非水田の両土壌はそれぞれ窒素を年間77 kg/haと61 kg/haの割合で蓄積し,それぞれ172年後と110年後に定常状態に到達した。水田圃場の最終窒素蓄積量は非水田のものを3倍上回った (Roth et al., 2011)。

揚子江河口地帯は亜熱帯であり,水田での生物的窒素固定量なども高いためであろうが,水田土壌への年間の窒素の蓄積量が高い。

日本では,土壌への年間窒素蓄積量はこれよりも低い。肥料を施用してない水田土壌において,生物的窒素固定の主役であるラン藻が最も活躍している表層1 cmの土層における稲作期間中の窒素増加量が,九州の水田で平均24.4 kg/ha(生物的窒素固定量が25.8 kg,脱窒による減少量が1.4 kg/ha)(小野信一・古賀汎 (1984) 水田土壌表層における窒素の自然集積とラン藻による窒素固定.日本土壌肥料学雑誌.55: 465-470 ),また,東北の水田では,化学肥料や有機物資材を施用せず,代かきもしてない無処理区の平均値が15 kg/haであることが報告されている(安田道夫・岡田泰明紹・野副卓人 (2000) 東北地域における汎用水田の窒素富化機能の特徴.日本土壌肥料学雑誌.71: 849-856 )。

このような無肥料で水稲を栽培し,玄米以外の収穫残渣を全て土壌に還元したと仮定した場合に,どの程度の玄米収量が可能なのであろうか。

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吉田(1978)の著書には,日本の奈良末期〜平安初期にはコメの単収が1.01 t/haであったとの記録がある。仮に現在の代表的品種が玄米1.5 t/haの収量を上げたとき,水稲各部位に含まれる窒素量を計算し,玄米以外の部位が全て土壌に還元されるとして,土壌中において各部位から無機化される窒素量を,水田における有機物分解予測式を用いて計算した。有機物からの無機態窒素放出量は,施用後の年数によって異なるが,各部位が長期にわたって施用され続けて平衡状態に達したときの値を用いた。そして,前年に施用した水稲残渣と土壌に蓄積していた残渣から放出された無機態窒素に加えて,雨や灌漑水で30 kg/haの窒素と生物的窒素固定で20 kg/haの窒素が供給されるとすると,合計65.9 kg/haの無機態窒素が水稲に供給されると計算される。供給された無機態窒素の少なくない部分が雑草や土壌微生物に横取りされたり,脱窒や流亡・溶脱によってロスされたりするので,水稲の窒素利用率を50%とすると,33 kg/haの窒素を吸収して1.54 t/haの玄米が生産されると計算される(西尾道徳 (2005) 『農業と環境汚染』.農文協)。

このシミュレーションは日本の標準的な気象条件下では,無施肥でも毎年1.5 t/haの玄米を収穫できる潜在的土壌肥沃度を水田は有していることを示唆している。実際には気象,病虫や雑草による被害のために1.5 t/haに至らず,奈良末期〜平安初期の記録にある1 t/haの玄米収量に終わることが多かったであろう。図1で用いたイギリスの記録によると1270年代のコムギの平均単収は0.59 t/haにすぎず,日本の奈良末期〜平安初期の1 t/haの玄米収量の半分にすぎなかったのである。キングが4000年の持続可能な農業を問題にするなら,まずこうした無肥料での水田土壌の潜在的な天然土壌肥沃度の高さとその持続性を問題にすべきであった。しかしキングの訪日した1909年時点には,水田土壌の特性が日本でもまだ十分に解明されていなかったのだから無理もない。

●キングは廃棄物利用農業を近代農業として是認していたのか

キングは廃棄物利用を4000年の持続可能な農業の主因としたとしても,それによって近代農業が可能と考えていたのであろうか。訳本の訳者序文に,訳者の杉本俊朗が気になる文章を書いている。

キングが来日した1909年の前年に農商務省に入省した石黒忠篤(その後農商務省および農林省の幹部となり,農林次官を経て退職し,1940年には農林大臣)が,キングの日本での視察の段取りを建てて,川口順次郎を案内役として随行させたようである。キングがその後,中国と韓国を視察して再び訪日して九州から東京まで各地を視察した後,農商務省を訪ねて,便宜供与の礼を石黒に述べた際に,キングが『日本農業の停滞的なるのに驚いたような意味の感想をもらしていったという。』と杉本が記している。

キングの著書の最終章である「第17章 再び日本へ」において,明治末期において,多数の小作人が小規模な農地を高い小作料で借用し,大変貧しい生活を強いられていることを記している。キングは記していないが,廃棄物利用農業が,高価な肥料を購入する余裕のない,貧しい小作人によって支えられていたことになる。

こうした構造的問題を把握したうえで,キングは『日本農業の停滞的なるのに驚いたような意味の感想をもらしていった』と推察される。こうした点をもっと掘り下げたキングの記述が望まれるが,著書の出版を目前にして,キングは亡くなってしまった。

●キングの死後にアメリカ農業では大問題が顕在化した

キングは,中国,朝鮮および日本において,『一切の人間排泄物の保存と利用』を土壌の肥沃度の維持のために,また食糧生産のために長い間利用しているのに対して,近代西洋農業は,衰えた肥沃度の農地に膨大な無機質肥料を施用は,ごく時間の短い期間でしかないことを記している。この記述からは,アメリカが多量の化学肥料を施用していたように思える。しかし,実際には,図1に示すように,イギリスに比べればアメリカのコムギの単収が低く,しかもアメリカのコムギでは化学肥料の施用量が過去から現在まで少ない。

こうしたことから考えると,アメリカ農業に大問題を引き起こしていたのは,化学肥料よりも大型トラクタの使用であったといえよう。

1929年に始まった大恐慌に追い打ちをかけるように,1930年代のアメリカ中西部で激しい風食が続き,農業が壊滅的打撃を受けた。地主は生産コスト削減のために,大型トラクタを導入して大量の小作人を解雇した。この問題を小説にしたスタインベックの『怒りの葡萄』を,1940年にジョンフォード監督がヘンリーフォンダを主役に映画化した。オクラホマで50年間40エーカー(約16 ha)の農地を小作していたジョード家が解雇されて,カリフォルニアに職を求めて移住してゆく。その際,農場管理人が「トラクタ1台あれば14世帯分の働きをする。」と言っていた。

化学肥料だけの施用で堆肥を施用せず,そのうえ,トラクタで馬耕よりも深く耕起することによって,草原・森林時代に蓄積していた土壌有機物の分解を加速されたために,風食が一段と加速されたといえよう。その後,アメリカでは土壌保全事業が開始された。土壌物理学の研究者であった,キングはこの点についてどう考えていたであろうか。

●キングの人糞尿の衛生問題に対する認識は皮相的

キングは「第9章 廃物の利用」において次の趣旨を記している。

国民の永続的な人口増加が衛生状態の指標であり,人口増加が続いてきた中国では、数千年にわたって出生率が死亡率を大きく上回っていたはずである。そのことからみて,中国の衛生学が中世イギリスのものを上回っていたといえる。文明化した西洋人は経費をかけて塵芥焼却炉を設置し,汚物を海中に投じているのに,中国人はその両方を肥料として使用している。土壌に施用された塵芥や汚物が微生物によって分解されて,自然の浄化力が発揮されている。一方、西洋では,汚物を下水によって河川を経て海に流しておいて,その河川から上水を取水している。衛生上の自殺行為である。塵芥や汚物を貯留槽に貯めてから,土壌に施用して養分源として農業利用するほうが衛生的である。

キングは,人糞尿の衛生問題についてこのように評価している。ただ,そうしたからといって,水が衛生的とはいえない。キングは,古くから茶を飲むために水を煮沸して殺菌をしていたことが,素晴らしい衛生方策であったと評価している。

しかし,筆者には,人糞尿によって寄生虫が蔓延した事実を忘れることはできない。読者の中にも,第二次大戦後に米軍占領下の日本では小学校で毎年検便が行なわれて,寄生虫が検出されるとその児童は,駆虫剤のサントニンを飲まされたという記憶のある方も多いことと思う。

日本の江戸時代は循環社会で,世界で最も人口の多い江戸は清潔であったとの誤った話が流布している。1995年から2004年にかけてNHKで放映されたバラエティ番組「お江戸でござる」でなされた杉浦日向子の解説には,江戸をあまりにも美化していて実際ははるかに不衛生であったことが指摘されている(永井義男 『本当はブラックな江戸時代』.辰巳出版.2016)。キングの解釈とは異なり,庶民は湯で茶をいれて飲む経済的ゆとりはなく,生水で事故が頻発していた。また,同書によるのではないが,日本では江戸時代や明治時代にコレラが蔓延したし,日本に先立って中国でもコレラが蔓延した。

このように人糞尿の農地還元に付随して不衛生な状況が不可避で,病原菌や寄生虫による感染のリスクが常に高かった。人口が増えたとはいえ,出生率が高く,乳幼児期の死亡率が高く,平均寿命が短かったのに,人口が増えたことは衛生的な証拠とするキングの論法は強引すぎる。人糞尿の農業利用に関する衛生問題について,キングはあまり具体的に調べたとは思えない。

●アメリカの有機農業規則は水田の特性を考慮していない

全米有機プログラム規則(NOP)は,土壌肥沃度および作物養分の管理方法の基準(セクション205.203)において,「b) 生産者は,輪作,カバークロップの栽培,植物質および動物質材料の施用によって,作物養分および土壌肥沃度を管理しなければならない。」と規定しており,この条項は水田にも適用されている。

しかし,水田は,畑と異なり,輪作しなくても,畑で輪作が果たしている次の機能を果たしている。

(a)好気的で土壌有機物分解の活発な畑と異なり,水田は湛水されて酸素不足の嫌気的な場であるため,土壌有機物の微生物による分解が不十分なために,土壌有機物を土壌に蓄積しやすい。

(b)畑で深刻な連作障害を引き起こす土壌伝染性病害虫の重要なものは,好気性の植物病原性の菌類(カビ)とネマトーダだが,これらは嫌気的な水田では死滅してしまう。

(c)岩石の風化や他の土壌から流亡したカリが降雨によって河川に流入し,それが灌漑水によって水田に供給されている。また,田面水や湛水土壌表面に生息するランソウや光合成細菌などには空中窒素を固定する種類が多く,水田では活発な窒素固定が生じている。さらに,畑ではリン酸イオンが多量に存在する鉄などと結合して不溶性となって作物に利用できない難溶性に変化して,リン酸欠乏が生じやすい。しかし,嫌気的な水田では不溶性のⅢ価の鉄が,水に溶けやすいⅡ価の鉄イオンに変わるので,リン酸鉄からリン酸が水に溶け出て,水稲に吸収されやすくなる。

(d)水田は湛水するために地面は水平であり,その上,畦畔で囲まれているため,土壌侵食がほとんど起きない。

畑では輪作が原則として不可欠であるが,水田ではこうした天然メカニズムのために輪作を行わず,連作によって水稲の持続可能な生産が可能なのである。

キングが訪日した際に,こうした水田の特性が日本で解明されていて,キングに説明し,そのことが彼の著作に記述されていたとすれば,NOP規則で、水田でも輪作を行なうべしとの条項は記載されなかったであろう。