●経緯
OECD(経済協力開発機構)は,1980年代半ばから,遺伝子組換え生物(トランスジェニック生物ともいう)の環境利用に際しての安全性に関する活動を実施している。これまで遺伝子組換え植物についての活動が中心であるが,微生物については,1995年に微生物のバイオ肥料利用の現状と将来展望について下記の会議を開催した。
この会議では根粒菌,菌根菌など共生微生物を中心に,植物生育を促進する微生物をバイオ肥料として利用している現状と将来の展望が論議された。
その後のバイオテクノロジーの進歩と微生物利用への関心の拡大を踏まえて,2012年3月26-27日に遺伝子組換え微生物の利用について2回目の会議を開催し,その会議報告集が2015年1月に刊行された。
この会議では下記の微生物の利用を対象に,その現状と将来の展望と課題が論議された。
(1) 農業における微生物の利用
(2) 生産目的での微小藻類の利用
(3) バイオレメディエーションへの微生物の利用
(4) 洗浄製品への微生物の利用
(5) 昆虫共生微生物の環境応用
(6) 遺伝子組換え微生物の野外放出の環境リスク評価
会議の対象者は,遺伝子組換え微生物の利用についての政策立案や取締にかかわっている行政官で,専門家が説明者やアドバイザー的立場で参加している。
上記の6つの対象微生物のうち,「(1) 農業における微生物の利用」に関する下記の報告の概要を紹介する。
(1) Luis Gabriel Wall: Chapter 1. Biofertilizers: Present and future use of transgenic micro-organisms. p.23-34.
(2) David M. Weller and Linda S. Thomashow: Chapter 2. Phytosanitation and the development of transgenic biocontrol agents. p.35-46
(3) Jan Dirk van Elsas and Alexander Vyaclavalovitsch Semenov: Chapter 3.Lessons of the impact of genetically engineered micro-organisms on natural ecosystems like soil. p.47-56.
●バイオ肥料に関係する微生物[報告(1)]
A.バイオ肥料とは
バイオ肥料は,端的にいえば,無接種の対照に比べて植物生育を向上ないし促進する生きた微生物の調製品である。別の表現をすれば,バイオ肥料は,土壌ないし植物の根圏から分離された培養可能な微生物に基づいた,いろいろなメカニズムによって植物の生育を改変かつ向上できることが証明された接種源用産物と定義できる。
植物生育に対する促進効果を,in vitro,つまり,栽培装置や温室中で水耕液または管理された培地のポットを使った条件で,植物を栽培した実験での観察だけで調べると,圃場の実際の土壌では実験系に存在しなかった多様な微生物の存在や,実験系になかった物理・化学的条件の存在によって,微生物活動に違いが生ずる。そのため,バイオ肥料の効果は圃場条件の土壌で証明すべきである。
B.PGPRとは
以前は根粒菌や菌根菌などの共生微生物を除くと,植物生育を促進する微生物の効果は不安定で再現性に乏しく,一般的には疑問視されることが多かった。J.W. Kloepper and M.N. Schroth (1978)が土壌を用いてダイコンを栽培して,微生物による植物生育促進効果を確認する再現性のある検定方法を開発した。その結果,根圏細菌には植物生育を促進する細菌が多いことを認め,そうした細菌を植物生育促進根圏細菌plant growth-promoting rhizobacteria (PGPR)と呼ぶことを提唱した。
しかし,PGPRについての研究が順調に発展してきたわけではない。1976年に熱帯の牧草の根圏から窒素固定性のAzospirillumが分離され,その接種によって牧草生育が促進されたことから,この菌のいろいろな作物根圏からの分離と接種効果が調べられた。その結果,圃場での作物への接種効果は,地上部の総重量で10〜30%の増加となった。とはいえ,その結果の振れ幅が大きく,接種効果が見られなかったケースから,50〜270%の増加を示すケースまであった。また,増収が生じる頻度は必ずしも安定しておらず,同菌を接種源として市販するほど効果が高くはなかった。その原因として,作物の品種に効果の出やすいものとそうでないものがあること,窒素の施肥レベルが低いほど効果が出やすい傾向があった。しかし,高レベルの窒素施肥でも効果がでるケースもあり,増収効果を接種菌による空中窒素ガス固定に単純に帰すことができなかった(Y. Bashan and H. Levanony (1990) Current status of Azospirillum inoculation technology: Azospirillum as a challenge for agriculture. Canadian Journal of Microbiology 36: 591-608)。
15N同位体テクニックを使った実験から,Azospirillumを接種した植物は,同菌が固定した空中窒素に由来する窒素の恩恵を多少受けていたことは事実だが,窒素バランスの測定と圃場での窒素固定活性(アセチレン還元活性)の測定から,窒素固定がAzospirillumが仲介した植物生育促進の主たる理由ではなく,Azospirillumによる根の発達や構造に対する影響が,促進効果に対する主メカニズムであると考えられている。PGPRの植物生育促進効果には,後述するように,いろいろなメカニズムがあり,複数のメカニズムが単一の菌株に必ず存在するので,どのメカニズムが植物生育促進の主因となっているかを知ることは難しい。
Azospirillumによる植物生育促進効果のメカニズム解明については混乱があったものの,これが刺激になって,PGPRの研究が次第に増え,1995年以降,PGPRについての研究が大幅に増加した。
今日では,PGPRの開発に世界中で約100の会社が関与しており,約500の製品が登録されているという。
C.PGPRの分類
PGPRの分類の仕方にはいろいろあるが,根との空間的関係では次のように分類される。
(1) 根近傍の土壌(根圏土壌)に生息し,根から漏出している窒素および炭素の代謝産物を利用する微生物
(2) 根面(根表面)にコロニーを形成している微生物
(3) 根組織の細胞間隙に生息している微生物(内生菌)
(4) 根に誘導して形成させた特殊な構造物の根粒の細胞内に生息している微生物(共生菌)
根に特殊な構造物を誘導して,その中で植物と共生関係を営んでいる(4)のタイプのものに比べると,(1)〜(3)では植物との関係は弱く,植物と弱い協同的な相互作用を営んでいると考えられている。
機能の面では,植物生育促進メカニズムを考慮に入れて次のように分類されている。
(1) 非共生の植物生育促進根圏微生物
1-a 植物生育促進細菌Plant growth-promoting bacteria (PGPB)
窒素やリンなどのミネラル栄養の向上や,植物ホルモンに似た仕方で植物の生長を促進する。
1-a-A ミネラル栄養の向上
上述したように,単生(非共生の)Azospirillumの固定した窒素は植物に多少供給されていたが,植物生育促進効果の主因とはなっていなかった。それは,単生窒素固定細菌では,固定された窒素の大部分が放出されないで,細菌によって自らの生育のために同化されているからである。しかし,Azospirillumのグルタミン合成酵素のアンモニウム結合部位だけに突然変異を起こさせて,アンモニウムが菌体外に放出されるようにした突然変異体を植物接種源として利用すると,固定された窒素のより多く部分が植物に利用されて,親菌株に比べてコムギ生育を向上させることが温室で観察されている。
微生物は土壌のリンサイクルに,リンの溶解と無機化という2つのメカニズムで関与している。リンの溶解は,アルミニウム,鉄やカルシウムと結合して難溶化した無機態リンを,クエン酸,グルコン酸などの有機酸を分泌してリンを遊離させて,遊離のリン酸を増加させる。無機リンの溶解は基質となる有機物の豊富な培地中では活発だが,土壌中では基質なる有機物が乏しいため,培地で発現したリン溶解能力は潜在活性であって,圃場での活性を保証するものではない。また,難分解性有機物に組み込まれた有機態リンが,フォスフォターゼ,フィターゼ,フォスフォリパーゼのような酵素によって無機化されて放出される。ここでも,放出されたリンをめぐって微生物と植物の間で競争があり,放出されたリンの利用には植物種で異なる。
1-a-B 植物ホルモン様作用
PGPR接種の植物に対する最も眼に見える効果は,根毛の発達を含む植物根の発達で,根の構造が変化していることもある。根システムが増加した結果,水やミネラルの吸収が高まる可能性があるが,具体的なメカニズムは完全には明らかでない。
1-a-B-1 オーキシン
培養液にインドール酢酸IAAのようなオーキシン関連物質を生成する微生物は多いが,植物体内での微生物によるIAAの生産はまだ証明されていない。IAAが完全に欠損した突然変異体の微生物はないが,IAAの弱まった突然変異体は,親株と比べて,PGPBとして効果がないことから,IAAが根圏で植物生育促進に寄与していると推定されている。
1-a-B-2 ジベレリン
ジベレリン酸は,いくつかのPGPB種によって生成される。そうしたPGPB種を,ジベレリン酸合成能を欠損した突然変異体の矮性イネに接種すると,生育が正常化できるので,PGPBによってジベレリン酸が植物体内でも生産されていることが示されている。また,ジベレリン酸を生産するPGPBは,種子の発芽の向上にも有効であった。
1-a-B-3 サイトカイニン
サイトカイニンを培養液中に生成するPGPBは多いが,PGPBによる根の発達促進におけるサイトカイニンの役割は明確ではない。サイトカイニン生産PGPBを,根粒菌と一緒に接種すると,マメ科の根粒形成が促進される。根粒形成にかかわるNod因子(後述)とは関係のない,根粒菌の感染や根粒形成のメカニズムが存在することが最近証明されている。恐らく根粒菌のサイトカイニンによって仲介されており,PGPBの生成するサイトカイニンが補完するのであろう。
1-a-B-4 ACCデアミナーゼ
ストレスが生じたときに,植物は前駆体のACC(1-アミノシクロプロパン-1-カルボキシレート)からエチレンを合成して,一時的に生育を止める。ACCデアミナーゼを有する細菌は,炭素および窒素源としてACCを分解する。ACCデアミナーゼが根圏細菌によって発現されると,植物のエチレンの生成が減少して,植物生育が促進される。ACCデアミナーゼはacdS遺伝子にコードされている。この遺伝子をPseudomona putidaから他の細菌種に導入すると,受け取った細菌株に,親株にはなかった植物生育促進機能が授与される。このことはバイオ肥料として微生物を改良する手段として使える可能性を示している。
1-b 生物防除PGPB
植物病原菌に対する拮抗菌で,植物の罹病状態を軽減することによって植物生育を間接的に向上させる(これについては,項を改めて後述する)。
1-c 植物ストレス恒常性維持制御細菌Plant stress homeostasis-regulating bacteria (PSHB)
非生物的ストレス条件(水ストレスや塩類ストレスなど)下で植物生育促進を起こす。例えば,浸透圧の高い土壌では植物の生育が遅れるが,根圏にAzospirillum brasilenseを定着させると,その生成するポリアミンの1種のカダベリンによって浸透圧ストレスが緩和されて,生育が促進される。
(2) 共生・内生の植物生育促進微生物Micro-symbionts or intracellular plant growth-promoting micro-organisms
2-a 窒素(N2)固定根圏細菌
根粒菌(マメ科植物に根粒を形成する細菌)やフランキア菌(ハンノキ属,ヤマモモ属,グミ属,ドクウツギ属などの植物に根粒を形成する放線菌)など。
マメ科根粒菌の場合,宿主のマメ科植物根から分泌されるフラボノイドないしイソフラボノイド分子がシグナルとなって,根粒菌のnod遺伝子群が活性化されて,Nod因子が合成される。Nod因子からLCO分子(lipo-chitin-oligosaccharides)が合成され,これが根粒菌側の化学シグナルとなって,宿主となるマメ科植物に根粒菌の適合性を認識させて,適合する場合には根粒形成を開始させる。一部のマメ科では,Nod因子の関与していない,細菌と植物との間の初期の相互作用に関与するシグナルが形成されている。最近では,根粒菌の接種源に細菌と植物との相互認識にかかわるシグナルも添加させた,接種効率を向上させる研究もなされている。
2-b 菌根糸状菌
菌根菌は,根の皮層組織の細胞間隙に生息し,根の外部に伸ばした菌糸で土壌から水,窒素,リン,恐らくは他の微量元素などを収集し,根に供給し,植物から有機物の提供を受けて,共生関係を営んでいる。菌根菌には,アーバスキュラー菌根菌arbuscular mycorriza fungi (AMF)(約90%の植物種に共生し,根に形態変化を起こさない:以前はVA菌根菌と呼ばれていた)や,外生菌根菌ectomycorrhyza fungi (EMF)(樹木根の外側に菌糸が鞘状にとぐろを巻き,根を短く変形させる)などがある。
AMFは大部分の作物に共生し,集約的な慣行農業では活発とは思えないが,施肥や耕起の少ない土壌保全的農業管理では重要と考えられている。AMFのどれも人工培養できていない。これがAMFのバイオ肥料利用を制限している。しかし,毛状根化したニンジンの組織培養でAMFを増殖させることは,多くの菌株で成功している。
2-c ヘルパー細菌
植物と微生物の相互作用を向上させる第三のパートナーとなる微生物で,次の例が知られている。クロウメモドキ科の灌木のDiscaria trinervisに形成される共生性放線菌のフランキア菌が形成する根粒から分離される腐生性細菌の放線菌には,接種するとフランキア菌によるDiscaria trinervisへの根粒形成を促進し,自らは窒素固定を行なわないが,その結果,窒素固定を促進できる。
●遺伝子組換えによる微生物の生物防除機能の強化[報告(2)]
土壌伝染病菌には,多種類の植物に病気を起こす多犯性の病原菌が多い。このことは,植物が多数の土壌伝染病菌に対して遺伝的抵抗性を有していないことを意味している。このため,非病原性微生物による植物の防御システムの強化が重要となっている。この40年間に,数千の生物防除機能を有すると推定される無数の微生物が分離されてテストされ,化学農薬に比べるとわずかな割合に過ぎないが,市販生物防除資材の販売数や農業者による採用は着実に増えている。現在の市販資材は,細菌のバチルス菌と糸状菌のトリコデルマ菌が主体になっている。その一方で,次の時代に向けて,遺伝子組換えによる微生物の生物防除機能の強化が多数試みられており,多くの事例が報告書に紹介されている。その記述はかなり圧縮されているので,報告書が引用している文献を補足しつつ,その一部を下記に紹介する。
(1) 根頭がん腫病防除菌株の遺伝子組換えによる改良
草花,花木,果樹などいろいろな植物の根や地際茎部に大小さまざまなこぶを生じる。侵された株は周囲の株に比べ生育が若干劣り,次第に競争に負けて,やがて枯死してしまう。病原はAgrobacterium tumefaciensという細菌である。オーストラリアで植物の種子や苗木を植える際に,この細菌の非病原株を接種し,土壌中の病原株に対して接種した非病原株の比率を高くすれば,病気を抑えられることが見いだされ,非病原性のAgrobacterium radiobacter K84菌株が選定されて,防除用に販売された。
しかし、このK84菌株にも弱点があった。K84菌株は,アグロシン84という抗生物質を生成するからである。このアグロシン84生成遺伝子pAgK84の存在するプラスミドが病原株のAgrobacterium tumefaciensに転移して,アグロシン84を生成する病原菌が生じてしまい,防除が難しくなってしまうケースが懸念されている。K84菌株から病原菌株に実際に転移したとの報告はないが,野外に存在する病原菌の中にはpAgK84プラスミドに非常に良く似たプラスミドを有して,アグロシン84を生成する菌株が存在することが認められた。このため,pAgK84プラスミド上のこのプラスミドの転移を制御しているTra領域を欠損させたK1026菌株を,遺伝子工学技術によって作りだした。組み換え体の菌株K1026はK84菌株と同様に有効で,Tra領域を欠損している以外はK84と同じであり,野外使用がオーストラリアで承認され市販されている。
(2) 遺伝子組換えによる非氷核活性菌の作成
完全に純粋な水は,-40℃までは過冷却の状態で凍結しない。何らかの異物が存在するとそれが核になって0℃以下で凍結する。植物体の表面の水は通常-10〜-15℃までは凍結しないが,凍結の核となる蛋白質を有する細菌が植物体の表面に存在していると,-2〜-5℃で凍結し,凍霜害が生ずる。この氷の核になる細菌が氷核活性細菌と呼ばれている。
植物体表面に生息している氷核形成細菌にはPseudomonas syringae,P. fluorescens,Erwinia herbicolaなどいくつかの種類がある。P. syringaeとP. fluorescensの氷核蛋白質遺伝子を欠損させ,-5℃でも氷核を形成しないそれぞれの菌株を作出した。P. syringaeの氷核性野生株と非氷核性組換え体を同時に事前にジャガイモの茎葉に散布しておくと,氷核性野生菌株が対照の1/300に減少し,組換え体はより強い定着能力を有していた。そして,非氷核性組換え体だけをジャガイモ茎葉に接種すると,茎葉に生息していた氷核性野生株が1/50に減少した。こうして凍霜害が回避できた。
この組換え体の作出はアメリカでなされ,野外放出実験の申請は1983年に認められたが,遺伝子組換え微生物の野外放出の安全性を懸念する環境団体などの抗議によって,放出実験は4年間延期された。オーストラリアでの根頭がん種病防除菌株K1026の放出にはほとんど抵抗がなかったのと対称的に,非氷核活性菌では圃場放出の前に,法律,社会および政治的障害によって困難に直面している。
(3) 遺伝子組換えによる根圏定着能の向上
細菌のシュードモナスのPseudomonas putida WCS358 とP. fluorescensWCS374は,ジャガイモ根圏から分離された植物生育促進根圏細菌PGPRで病害抑止細菌である。これらのPGPRのシュードモナスには根圏に定着しにくいものがあり,それは鉄の利用能が低いことが一因となっている。WCS358は蛍光性シュードバクチンタイプのシデロフォア(微生物が生成する鉄の可溶化や輸送に働いている比較的低分子の有機化合物)を生成して,鉄の利用能が高い。一方,WCS374の親株はシュードバクチンを代謝できないが,WCS358 のシデロフォア受容体のpupA遺伝子を導入すると,代謝できるようになる。もともと鉄の利用能の高いP. putida WCS358と遺伝子組換えによって鉄の利用能を高めたP. fluorescens WCS374とを接種すると,WCS374のWCS358に対する根圏での競争力が高まった。
トマト根に定着能力の高いPseudomonas fluorescensWCS365をトマト種子に接種すると,トマトにFusarium oxysporum f. sp. radicis-lycopersiciによるトマト根腐萎ちょう病に対する全身抵抗性が誘導されて,この病気を防除できる。WCS365の定着遺伝子のsssを同菌株に導入しても,同菌株の定着能力や病害防除能力には影響しない。しかし,sss定着遺伝子を,Pseudomonas fluorescensの定着能力の低いWCS307菌株に導入すると,トマト根先端部への定着が16〜40倍高まり,定着能力の高いF113菌株に導入すると,8〜16倍高まった。このことから,野生タイプのPseudomonas菌株の根への定着能力を遺伝子組換えによって向上させることが可能であることが示されている。
(4) プロモーターの変更による防除能力の向上
遺伝子の転写(読み取り)は,遺伝子の上流領域にあるプロモーターと呼ばれる部位に転写因子が結合して,転写が始まる。枯草細菌のバチルス・サブティリスBacillus subtilis strain ATCC 6633は抗カビ性抗生物質のマイコスブチリンmycosubtilinを生成する。このバチルス・サブティリスのマイコスブチリン遺伝子のプロモーターを,別の細菌の黄色ブドウ球菌 (Staphylococcus aureus)のプラスミドpUB110の複製遺伝子のプロモーターと置き換えて,バチルス・サブティリスの組み換え菌株BBG100を作出した。この組み換え菌株はマイコスブチリンを15倍も多く生産して,トマト上の病原性糸状菌のピシウム菌Pythium aphanidermatumを野生株よりも良く抑制した。
(5) BT遺伝子を導入した細菌による害虫防除
細菌のバチルス・チューリンゲンシス(Bacillus thuringiensis; BT)が,ガ,チョウ,カ,甲虫など特定範囲の昆虫を殺す神経毒素(BT毒素)を生成する。Bt毒素には約70系統が存在し,違った蛋白質毒素が存在する。BT毒素を遺伝子組換えで導入された作物が世界的に使用されている。BT毒素遺伝子が多様な細菌(Pseudomonas fluorescens, Agrobacterium radiobacter, Ancylobacter aquaticus, Clivibacter xyli,Herbaspirillum seropedicae)に導入されている。これらの遺伝子組換え菌株は,スズメガの幼虫,ステフェンスハマダラカ,ガガンボの幼虫,アワノメイガを含む害虫を殺すことが確認されている。
(6) トリコデルマ菌へのグルコース・オキシダーゼ遺伝子導入による生物防除能の強化
トリコデルマ・アトロビリデ(Trichoderma atroviride)は,生物防除糸状菌ではあるが,防除効果をより確実にするために,その生物防除能の強化としてキチン分解酵素や蛋白質分解酵素の生成遺伝子の導入などが行なわれたが,十分な強化はえられなかった。別の糸状菌を使った培養実験で,グルコース・オキシダーゼ生成能を持った菌株が,持っていない菌株よりも,バーティシリウム病菌,菌核病菌,リゾクトニア菌,ピシウム菌などに対する生物防除能力が高いことが観察され,それがグルコース・オキシダーゼの作用で生ずる過酸化水素によることが判明した。
そこで,グルコース・オキシダーゼの産物の過酸化水素に対する抵抗性が比較的強いトリコデルマ・アトロビリデのP1菌株に,アスペルギルス・ニガー(Aspergillus niger)のグルコース・オキシダーゼ遺伝子(goxA)を,キチナーゼ遺伝子のプロモーターのコントロール下で導入して,遺伝子組換えSJ3-4菌株をえた。この遺伝子組換え体は灰色かび病菌(ボトリティス・シネレアBotrytis cinerea)に対する全身抵抗性を誘導するとともに,P1菌株よりも良くマメ類を犯すピシウム菌(Pythium ultimum)とリゾクトニア菌(Rhizoctonea solani)を防除した。
●遺伝子組換え微生物が土壌生態系に及ぼす影響の評価[報告(3)]
遺伝子組換え微生物の野外放出によって,理論的には下記の影響が土壌に生じうる。
1. 環境の化学的(非生物的)変化
2. 土着微生物群集の変化
3. 植物などの微生物以外の土壌生息生物に対する影響
4. 遺伝子の水平転移による組換え遺伝子の拡散
(注:遺伝子の親から子への転移が垂直転移,別の生物体への転移が水平転移)
このうち,土着微生物群の変化を把握するのが非常に難しい。それは土壌微生物の分離に通常使用する希釈平板法で分離できる微生物は,土壌生息微生物の1%程度だからである。1%程度の知識で全容を把握することはできない。しかし,この点は最近の土壌DNAやRNAに基づいた手法でかなり克服できるようになった。そうした手法を用いて,土壌の微生物群集の多少とも完全なデータベースを構築することが必要である。その際,全ての微生物種を対象にすることが無理なので,土壌の肥沃度,病害抑止および浄化機能(飲料水供給機能)が中心になっている土壌の生命維持機能を中心にすることが必要である。
そして,遺伝子組換え微生物を接種する前の,いわば定常状態の土壌機能の正常稼働範囲(Normal operating range: NOR)を設定する必要がある。この設定を全ての機能について一挙に設定することは無理なので,土壌のキーパラメータを設定する。ドイツの例では,土壌の物質循環機能を中心に,土壌pH,有機物,硝酸レベル,細菌,古細菌,菌類,アンモニウム酸化菌,窒素固定菌,脱窒菌をキーパラメータにして,3年連続の測定によって22のパラメータについて,正常稼働範囲を設定する試みを行なった。
土壌の正常稼働範囲は世界一律のものではなく,ローカル性や土壌タイプごとに設定すべきものである。今後は,複雑な土壌微生物群集を総合的に概観し,データの迅速で確実な分類を可能にする強力なバイオインフォマティックスの支援を受ける必要があり,そのための投資が大いに必要となっている。
こうした構築したデータベースに基づいて,遺伝子組換え微生物の影響を科学的に評価できるように,努力が進められつつある。
●おわりに
上記に一端を紹介したように,遺伝子組換えした土壌微生物を利用するための研究は,最近のバイオテクノロジーの発展を踏まえて大いに蓄積がなされている。しかし,土壌に遺伝子組換え微生物を接種した場合に,導入された遺伝子が土着微生物に転移しないかの不安がたえずつきまとう。高等植物に比べて微生物では転移が起きやすいので,この可能性を如何になくすかが大切である。土壌での遺伝子転移をブロックできることが担保されることが,遺伝子組換え微生物の野外接種では必要である。