●イギリスの「都市農村計画法」
イギリスは,1947年以来,「都市・農村計画法」( Town and Country Planning Act ) を制定し,都市地域のみならず郊外,農村,自然地域を含めて,国土全体を一体的に管理する地域計画を策定している。この「都市・農村計画法」は,イングランド・ウェールズ,スコットランド,北アイルランドで制定されているが,具体的には地域ごとに別個に制定され,時代ごとに改正されている。イングランド・ウェールズでは,現在,「1990年都市農村計画法」(Town and Country Planning Act 1990)が施行されている。この法律に基づいて,地方自治体が中心になって土地利用計画を策定している。そして,土地利用の変更や,建築物の建設や土木工事などの開発行為は,地方計画局(Local Panning Authority) の承認をえなければならない。
この法律で,農業や林業のための土地や建築物の利用は適用除外にはなっているが,農業関連であってもアメニティ(快適性)の観点から,一定規模以上の建築物には規制がかけられることがある。しかし,法律で「アメニティ」について明確には定義されていない(Office of the Deputy Prime Minister (2005) Town and Country Planning Act 1990, Section 215. Best Practice Guidance)。その解釈は,地方の自然的,社会的状況の違いもあるので,地方計画局によって違うことが当然と受け止められているようである(John Sones (2008) Planning and polytunnels – John Sones looks at recent case law involving polytunnels and related planning issues Smallholder. 6th March 2008)。
●ホール・ハンター共同経営会社
イギリスのホール・ハンター共同経営会社は,ソフトフルーツ(イチゴ,ラズベリー,ブラックベリー,ブルーベリーなど)を栽培している同族会社で,農場はバークシャー州のヒースランズ農場(53 ha),サリー州のチュースリー農場(190 ha),バークシャー州のシープランズ農場(46 ha),ウェストサセックス州のホランド育苗温室,同州のマナ農場などを有している。
問題になったのは,主力農場のチュースリー農場のポリトンネルである。同社は2004年に同農場を購入してイチゴ,ラズベリー,ブラックベリーを栽培し,2005年からは有機のソフトフルーツも生産している。
ポリトンネルとは
チュースリー農場では,3月から7か月間,ポリトンネル(スペイントンネルとも呼ばれている)を設置して,ソフトフルーツを栽培している。ポリトンネルの高さは,日本のプラスチックトンネルとは大きく異なって,内部を人が立ったまま歩行でき,3.2から4メートルもある。長さは50から100メートル,幅は6.8から8メートル。同農場での被覆面積は年によって差があり,34から43haである。いわば幅6.8から8メートルのカマボコ型ハウスが,隙間なく連なった様相を呈している。
問題の発端
2005年12月にチュースリー農場の所在地を所管している地方計画局が,ポリトンネルが建築物であり,したがってポリトンネルの設置は開発行為であるにもかかわらず,同農場が開発行為に必要な計画許可をえていなかったことを指摘し,ポリトンネルを撤去するように命じた。また,ポリトンネルと同時に,ソフトフルーツの栽培のために雇用された短期労働者用の多数のトレーラハウスも撤去するように命じた。
イギリスは原生林などの原生の自然を徹底的に開発してしまい,農地とそれに関連する土地や建築物の作る2次的自然が市民に強く愛されている。そして,田園を守る多数の市民団体が存在している。その1つの「イングランドの農村を守る運動」(Campaign to Protect Rural England)は,かねがね,安普請で光を散乱してまぶしいポリトンネルが落ち着いた伝統的田園景観を破壊していると批判していた。地方計画局の決定(The Journal (Newcastle, England) Dec 22, 2005. Polytunnels ruling `threat to fruit industry’.)はこうした市民運動に歓迎された。
問題の拡大
チュースリー農場側は,ポリトンネルを撤去してしまったらまともなソフトフルーツの生産ができなくなることから,地方計画局の決定は違法であると裁判所に提訴した。イングランドのDEFRA(環境・食料・農村地域省)の「1990年都市農村計画法」( Town and Country Planning Act 1990 )の概略説明でも,農業や林業のための土地や建築物の使用は,同法の適用対象から除外されると記されている。そのうえ,チュースリー農場は,ポリトンネルを建築物と理解しなかったため,ポリトンネルの設置について,計画許可を申請しなかったのである。
ところが,2006年12月に高等法院が,ポリトンネルは建築物であり,その設置は開発行為になるので計画許可が必要とするという地方計画局の決定を支持して,チュースリー農場の敗訴が判決された(?BBC News, 15 December 2006. Landmark ruling over polytunnels?)。
この判決によって,ポリトンネルの設置には必ず計画許可を申請しなければならないのかという拡大解釈が話題になった。これによって市民運動が活気づいた。その一方で,農業側からは,高等法院は何を考えているのかとの憤慨がわき起こった。サマーフルーツ協会は,ポリトンネルは厳しいイギリスの天候からベリー類を守るのに使用されているが,イギリス農地の0.01%を覆っているにすぎない。増えている消費者のベリー類に対する需要をイギリスの生産者が満たせないとすると,輸入フルーツが夏期シーズンにスーパーマーケットの棚にならぶことになろうと,判決に失望した( BBC, 2006 )。
●問題の終息
こうした反響に驚いて,地方計画局を所管しているコミュニティ・地方自治省は,全ての地方計画局の主任計画官に対して,チュースリー農場に対して出された判決が今後設置しようとする全てのポリトンネルに適用されることはないとする通知文書を出した(?Department for Communities and Local Government (25 July 2007) Polytunnels?)。
それによると,チュースリー農場のポリトンネルについては,ポリトンネルの規模,その耐久性,地面への取り付け方を含めた物的要素を考慮して,開発対象の建築物と判定したのであり,そうでないポリトンネルもあるので,今後,全てのポリトンネルが必ずしも計画許可を必要とすることは意味しないとした。
これと同時に,「都市・農村計画法」におけるこれまでの施行規則を踏まえて,建築物としてのポリトンネルの設置について計画許可の要不要を判断するのに,5 ha以上の規模の農場であって,1つの建築物が465 m2を超えるものについては計画許可を必要とする判断を示した。そして,複数の建築物を建てる場合には,互いに少なくとも90メートル離れていなければならないことも示した。
*筆者注) 建築物はもともと通常の建物のことで,ポリトンネルを建築物とみなしたので,建築物での基準をポリトンネルに準用している。ポリトンネルの場合,隙間なく連なったカマボコ型ハウス群が1つの建築物とみなされ,連なったポリトンネル群の間に,互いに90メートルの間隔を置けという解釈になる。
コミュニティ・地方自治省は,この通知文書に次の文章も記している。
「政府は,農業の重要かつ多面的な役割を認識しており,計画局に対して,その計画政策を作成する際には,農業の重要かつ多面的な役割を認識し,持続可能で多様かつ適合性のある農業部門を助長する開発申請を支援するように依頼している。地方計画局は,農業開発提案に対する計画許可申請を決定する際には,このことを考慮することが大切である。」
チュースリー農場の経営規模,ポリトンネルの大きさやしっかりした構造の点から,計画許可をえていなければならず,厳格にいえば,直ちにポリトンネルとトレーラハウスを撤去しなければならない。しかし,うっかりして事前に許可をえなかったことだけが問題で,ポリトンネルやトレーラハウスの設置自体にともなって法的違反が生ずることがないと考えられるので,地方計画局はあえて撤去命令を執行することなく,過去にさかのぼって計画許可申請を行なわせた。
そして,必要な要件を満たしたとして,2007年11月に計画許可をさかのぼって発行した。これに対して,反対運動グループは,ポリトンネルは,農場の残りの部分や周辺のフットパス,道路や隣人の資産の視覚アメニティに影響を与える「散乱」効果を持っているだけだと,なお反対している(BBC News (29 November 2007) Farm gets polytunnels green light)。
*筆者注) フットパスとは,イギリスの農場内道路は通常市民に開放されていないが,市民用に開放した農場内道路を含めた田園風景を楽しむ散策用公共通路のこと。
おわりに
農業生産サイドと市民運動サイドの鋭い対立に発展し,解決がどうなるかが懸念された一件は,行政サイドの奥の手で落着された感じである。
コミュニティ・地方自治省の通知文書が出されたからといって,イギリスの地方計画局全てがそれにしたがう保証はないようである。この問題の解説記事を書いたJohn Sones氏は,ポリトンネルや他の建築物の設置(ないし拡張)を行なう前に,所管の地方計画局に話をすることを勧めている(John Sones (2008))。それゆえ,イギリスでは,大規模なポリトンネルの設置が認められないケースが起こりうるだろう。
「移動可能な」ものは建築物でなく,それを農地に設置する際には計画許可を必要としない。2006年の訴訟の際に,そうしたものとして次が例示された。
「低トンネル」,つまり,「フレンチトンネル」と呼ばれるチェリーのカバー,ピッグアーク(小さな豚小屋),鶏小屋,クローシュ(若木を寒さから守るために被せる低い透明なカバー),農業用小屋,ホップのポール,地面で植物を被覆するポリエチレンシート,ネットやフリースなど。
日本の低いプラスチックトンネルは「低トンネル」に入るであろうが,プラスチックトンネルやプラスチックハウスの景観は,わが国では市民にどう評価されているのであろうか。