●リン資源の有限性
環境保全型農業レポート「No.112 望まれるリンの循環利用」にも記したが,現在の経済条件で採掘可能な世界のリン鉱石は60〜130年で枯渇し,枯渇前から次第に価格が上昇し,さらにカドミウムなどの有害重金属濃度の低いリン鉱石が先に減少して,不純物除去のコストもかさんでくると予想されている。このため,今後増加する世界人口に応えて食料生産を増やすうえで,近い将来,リン肥料が重要な制限要因になるといわれている。
カナダのロット(Lott)は,リンの作物による利用効率を向上させて,作物生産量を上げ,しかも,リン資源量が作物生産を制限するようになる時期をできるだけ遅らせる方策の重要性を問題にしている。そのために,作物によるリンの利用効率を向上させることと同時に,飼料用穀類に多く含まれるフィチン酸を減らすことも問題にしている。つまり,濃厚飼料に使われる飼料用穀類やダイズ粕中のリンは主にフィチン酸に結合した形態(フィチン)で存在するが,胃が1つしかない豚や家禽はフィチンを分解して,その中のリンを無機化して利用することができない。このため,濃厚飼料だけではリン欠乏になってしまうので,飼料に無機のリン酸塩を添加している。そして,家畜からふん尿に含まれて排泄されたリンが,土壌からやがて水系に流出し,富栄養化の大きな原因になっている。そこで,飼料に事前にフィチン分解酵素を添加して,フィチンを分解させて,無機リンを放出させる手法が欧米では普及している。別の方策として,ロットらは,現在の穀類やダイズの品種をフィチン酸合成能力の低い系統に置き換えて,家畜生産におけるリンの使用量を削減することも問題にしている。
こうした視点から,ロットを中心にしたカナダとオーストラリアの研究者グループは,世界の穀類とマメ類(ダイズの別名が菽(しゅく)であり,穀類とマメ類を合わせて穀菽類とよぶ)の生産におけるリン利用上の問題点を,FAO(世界食糧機関)などの統計データを中心に検討した(Lott, J.N.A., Bojarski, M., Kolasa, J., Batten, G.D. and Campbell, L.C. (2009) A review of the phosphorus content of dry cereal and legume crops of the world. International Journal Agricultural Resources, Governance and Ecology, Vol. 8, Nos. 5/6, pp.351–370 論文のインターネット購入価格は30ユーロ)。その概要を紹介する。
●リン肥料の大陸別利用率
ロットらは,FAO統計データの1995〜2003年の9年間における穀菽類の生産量についてのデータを使って,これらの大陸別の年間平均生産量を計算した。その際,全穀類は,コムギ,コメ,トウモロコシ,オオムギ,ライムギ,エンバク,キビ,ソルガムとその他の穀類。全マメ類は,ビーンズ(ソラマメ・インゲン・ササゲ類),エンドウ,ヒラマメ,ヒヨコマメ,ラッカセイ,ダイズ。そして,トウモロコシ,コメ,オオムギ,コムギ,ダイズを5大穀菽とした。そして,ロットらの別の研究 (Lott, J.N.A., Ockenden, I., Raboy, V. and Batten, G.D. (2000) Phytic acid and phosphorus in crop seeds and fruits: a global estimate, Seed Science Research, Vol. 10, No. 1, pp.11–33) で調べた作物体中のリン量とフィチン酸量の係数を用いて,作物体に吸収されたリン量とフィチン酸量を大陸別に計算した。すなわち,5大穀菽の全Pは,乾物%で,ダイズ0.68%,オオムギ0.38%,コムギ0.37%,トウモロコシ0.29とコメ0.25%,フィチン酸はそれぞれ1.55%,1.02%,1.02%,0.86%,0.90%とした。この係数を用いて生産された穀菽中の全Pとフィチン酸量を計算した。また,FAOの肥料統計から,同9年間にあらゆる目的で販売された化学肥料中のリン量の年間平均値を計算した。その上で,まず大陸別に化学肥料中のP量と穀菽類中のP量を比較した(表1)。
FAOの統計では,作物の種類別に化学肥料施用量が記載されているわけではない。このため,表1に示す販売化学肥料中の全P量は,穀菽類だけでなく,その他の野菜,果樹,花き,牧草などの作物にも施用された量を含んでいる。このため,販売化学肥料中の全P量と全穀菽類または5大穀菽中の全P量とから,それぞれのPの利用率が計算できるわけではない。そこで,ロットらは,Pの利用効率を半定量的に論ずるために,作物体中の全P量と販売化学肥料中の全Pについて,それぞれ大陸別の分布割合を計算し,販売化学肥料中の全P量の割合と,作物体中の全P量の割合を比較した。この方式なら,2つの大陸間で,化学肥料Pの施用割合と作物体中の全P割合がほぼ等しければ,Pの利用効率がほぼ等しいと推定できる。そして,ある大陸では,他の大陸に比べて,化学肥料Pの施用割合に比べて,作物体中の全Pの割合が著しく低い場合には,作物の栽培面積割合が類似しているなら,Pの利用効率が低いと推定できる。
こうした見方で表1をみると,アフリカ,北・中米,南米,ヨーロッパでは,販売化学肥料中の全Pの大陸別割合よりも,全穀菽類や5大穀菽中の全Pの大陸別割合の方が高い。このことからこれらの大陸ではPの利用効率が高いと推定される。事実,アフリカでは化学肥料Pの施用割合が低いが,全Pの絶対量でみて,販売化学肥料中の全P量よりも,全穀類+マメ類中の全P量のほうが多い。穀菽類以外の作物による全Pの吸収量を考慮していないにもかかわらず,こうした結果になることは,土壌の天然リン供給力が高いことを示していよう。
他方,アジアとオセアニアでは,販売化学肥料中の全Pの大陸別割合に比べて,全穀菽類や5大穀菽中の全Pの大陸別割合のほうが低い。アジアとオセアニアでは土地利用に大きな違いがある。つまり,オセアニアでは耕地以外の農地,特に放牧地や採草地といった牧草地の割合が高く,牧草地へのリン肥料施用の割合がアジアよりも高くなっており,穀菽類中のリンの吸収量が少なくなる。このため,Loddらは,アジアは化学肥料リンの過半を使用していながら,リン固定土壌が多いために,肥料リンの利用効率が低いことを指摘し,アジアでのリンの利用効率は大いに改善可能だとしている。
●日本のリンの利用効率は世界でも最低クラス
ロットらは大陸別の計算結果を論じて,国別の結果を表示していない。しかし,日本のリンの利用効率が世界的にみてどのような国別順位にあるのか気になる。そこで,Loddらの方法に準じて,1995〜2003年の9年間における各国の5大穀菽中の平均全P量と販売化学肥料中の平均全P量を計算した。ただし,FAO統計の販売化学肥料中の全P量は,途中で統計の取り方が変更になったので,1995〜2002年の7年間の平均値とした。そして,5大穀菽類中の平均全P量と販売化学肥料中の平均全P量について,それぞれの世界全体での総計に対する各国の割合(%)を計算した(表2)。
化学肥料は5大穀菽だけに施用したわけではないことに注意する必要があるが,販売化学肥料中全Pの世界総計に対する%(A)と5大穀菽中の全Pの世界総計に対する%(B)の比率(B/A)をみると,世界にはB/Aが1.0以上の土壌の天然リン供給力の高い国が少なくないことが注目される。他方,B/Aが低い国も存在し,ニュージーランド0.04,チリ,0.29,日本0.31が際だって低い。これらの国には火山灰土などのリンを難溶化しやすい土壌が多いのに加えて,ニュージーランドとチリでは永年牧草地の面積割合が高いことが,B/Aをさらに引き下げていると推定される。他方,日本では永年牧草地の面積割合はわずかにすぎないが,火山灰土が多いことに加え,既に可給態リンレベルが高まっているにもかかわらず,なおリンの過剰施肥を行っていることが,B/Aを低くしていると推定される(環境保全型農業レポート「No.114 OECDの指標でみた先進国農業の環境パフォーマンス」参照)。
また,世界の化学肥料Pの総使用量に対して,農地面積の広大な国々の,中国が28%,インドとアメリカが12%ずつも占めている。アメリカはリンの利用効率が高いが,中国とインドは低い。このことから,化学肥料Pの総使用量が多く,かつ,利用効率が低い,特に中国とインドで,化学肥料Pの利用効率を向上させることが,世界のリン資源の節約の点でも大切といえよう。
●低フィチン酸変異体利用による5大穀菽中のフィチン酸の低減
単胃動物の飼料に添加するリン量を減らし,ふん尿に排出されるリン量を削減する方策の一つとして,フィチン酸含量の低い穀菽類を栽培する方法がある。ロットらは,5大穀菽について,現在利用可能な低フィチン酸突然変異体によって現在の栽培品種を全て置き換えたとした場合の,作物体中のフィチン酸の低減可能量を試算した。このとき,作物別のフィチン酸の低減可能率は,現在利用可能な変異体のもので,複数の変異体が存在する場合は,その中央値とした。すなわち,フィチン酸の低減可能率は,オオムギで55%,トウモロコシ58%,コメ45%,コムギ38%,ダイズ80%とした(表3)。
5大穀菽中のフィチン酸は世界全体で1900万トンを超えると試算された。そして,5大穀菽を全て低フィチン酸系統に置き換えたと仮定すると,5大穀菽に貯蔵されたフィチン酸の世界全体での総量はほぼ1000万トン分,つまり,現在の生産方式での量の半分強が減少することになる。
●おわりに
リンは非再生可能資源で,今後ますます高騰することが予想されているが,本論文によって,農業の持続可能性は現在達成されておらず,世界の食料安全保障にはリン肥料の効率的使用が極めて重要な要因の一つになっていることが改めて指摘された。