●OECDにおける農業環境問題の重要性
例えば,ある品目の農産物について,ある国で生産量が不足している一方で,その国での価格よりもはるかに安価な価格で多量に生産している農産物輸出国があったとする。生産不足の国は自国の農業を発展させるために,安価な外国産農産物に高い関税をかけたり,輸入量を制限したりして,国内農業を保護することが多い。加えて,農業者の所得を向上させるために,自国産農産物価格を高くする価格政策も行なうことが多い。そうした農業保護政策に固執し続けていると,農産物輸出国は対抗措置として,農業保護を行なっている国からの輸出産品の輸入を制限して,両国間で貿易戦争が拡大してゆくことになりやすい。
その上,農業保護政策を行なっている国では,高い農産物価格が保証されているので,農業者は化学肥料や化学農薬を多投し,大型機械で農地を拡大するなどして,単収と生産量を上げる。その際に,余剰養分による水質汚染,化学農薬による野生生物の減少,土壌侵食の激化といった環境劣化問題が起きやすい。他方,国内農業を保護せずに,安価な外国産農産物を自由に輸入できるようにすれば,国内農業が激減する恐れが高い。それにともなって化学肥料や化学農薬の施用や農地開発によって発生する環境劣化問題は減るが,農業から撤退する者が増えて,雇用問題,耕作放棄地の増大,それにともなう農村社会の崩壊,農業の培ってきた景観や野生生物多様性の劣化などの農業の持つプラスの公益的機能の低下が深刻になることが懸念される。
こうした背景から,OECD(経済協力開発機構:先進32か国で構成)は,保護貿易を排除して,貿易自由化を進める観点に立って,農業生産と環境の問題を扱っている。つまり,農産物輸入国が行なう農業者への支援政策は,農産物貿易を制限するものになってはならないが,他方で,自国の環境劣化問題を激化させたり,農業による公益的機能を低下させたりするものになってはならない。こうした難しい問題に対処するために,OECDは加盟国と協力して,農業における環境問題についての各国の政策をデータベースに納めている。そのデータベースを用いて,最近のOECD加盟国の農業環境政策をまとめた文書が出された(Vojtech, V. (2010), “Policy Measures Addressing Agrienvironmental Issues”, OECD Food, Agriculture and Fisheries Working Papers, No. 24, 41p. OECD Publishing. )。この文書の概要を示す2つの表を紹介する。
●加盟国によって重要性の高い政策手段が異なる
いずれのOECD加盟国でも,農業環境問題に対処する政策手段として,法的規制の重要性が最も高い(表1)。これは農業によるマイナスの環境影響を抑制するのに法的規制を重要手段として活用しているからである。しかし,農業によるマイナスの環境影響の深刻度は国によって違い,そのために法的規制の対象や厳しさにも違いが存在する。
徹底的な農産物の貿易自由化を主張しているケアンズグループのオーストラリアとニュージーランドは,政府による全ての農業保護は,程度の差こそあれ,貿易自由化を歪曲させるとして,極力排除している。両国とも,農業における環境問題に対処するのに,法的規制を最重視している。そして,法的規制を補完する形で,特定地域での特別な環境問題をターゲットにした環境プログラム(事業)を実施している。その多くは,地域の農業者や土地所有者のグループが主体的に行なっている取組に対する短期的財政支援である。財政支援の多くは技術支援や普及の形でなされており,一部の支援はインフラや農場への投資の形でもなされている。このように,オーストラリアとニュージーランドは,法的規制と,農業セクターの自立的グループ活動を支援することとを主要な政策手段としている。
カナダも,法的要件に加えて,普及やコミュニティベースの手段を重視してきているが,最近では特別な農業方法に限定した支払を次第に重視してきている。
他方,EU,スイス,ノルウェー,アメリカは,マイナスの環境影響を法律で規制するのに加えて,プラスの環境影響や公益をもたらす特定の農業方法(これらの国々では主に牧草地−粗放管理草地,粗放的放牧地)を採用する農業者に支払を行なっており,そうした支払が農業環境政策での支出で最も大きな部分を占めている。また,日本と韓国は,農業のプラスの環境影響について国内外で積極的に広報しているものの,農業環境支払は最近導入したばかりで,両国の農業補助金総額のごくわずかな割合を占めているだけである。
●農業環境支払の内容
農業環境を保全するために,EU,スイス,ノルウェー,アメリカを中心に多くのOECD加盟国が農業者に対して助成金を支払っているが,農業環境支払は2つに大別される(表2)。
一つは環境にやさしい農業生産方法(農法)の実践に対する支払である。これは,法的規則や優良農業規範で規定された基準を超えて環境に優しい農業方法を実践することが条件であり,そのことによる農業所得の減収分を補償するものであるが,環境に優しい農業方法の実践する者に対する税や利子の特別措置といったケースも含んでいる。
EU加盟国は,肥料,農薬や購入飼料などの投入資材の集約度が低くて,環境に優しい農業方法の実践に対して支払を提供する様々なプログラムを実施している。そうしたものには,例えば,総合的生産,粗放的作物生産(肥料や農薬の使用量を削減した作物生産)や草地の粗放管理(肥料使用量を制限した低飼養密度の放牧,刈取り回数を制限した粗放的採草地)を助長するプログラムがある。また,大部分のEU加盟国は,生物多様性や文化的景観の保全を目的とする農業方法に対する農業環境支払も提供している。
EUを始め大部分のOECD国は,投入資材集約度の低い有機農業を支援している。国の支援は,有機生産に関する規則の制定や認証組織の整備に限られているケースもあるが,慣行農業から有機農業への転換機関に農業者に金銭支援を行なっている国もある。
もう一つの支払は,農地の生産からの撤退に対する支払で,主に農地を湿地または森林に転換するのに支払がなされている。EUやアメリカで実施されているが,アメリカでは,連邦政府の農業環境支払で農地撤退支払(Conservation Reserve Program)が最大のシェアを占めている。しかし,EUではその重要性は限定されている。
メキシコやトルコでは,経済と雇用において農業のシェアが高いが,そのことが高額予算を要する農業環境政策手段の使用を難しくしていて,農業環境支払が少なくなっている。
●日本は・・・
日本では,化学肥料や化学農薬,輸入濃厚飼料などの資材を多用した農業が環境汚染を起こしていることは事実なのだが,国土に占める農地面積の割合が低いことなどから,農業による環境負荷が国土全体に及んでいるとの認識は低く,農業による環境汚染が農村部に限定されているケースが多い。このため,都市住民が圧倒的に多い日本では,農業による環境汚染の深刻さが広く国民に認識されてない。行政も農業による環境汚染の実態を表に出したがらず,もっぱら農業の発揮しているプラスの公益的機能を宣伝している。そして,食料自給率向上,中山間農業振興,新規就農者支援などの政策と,環境に優しい農業生産方法を奨励する政策とは,それぞれ別個のものとして実施され,両者を統合させる政策は考えられていない。
上述したように,日本と韓国は,農業環境支払を最近導入したばかりで,両国の農業補助金総額のごくわずかな割合を占めているだけである。ところが,まだ額が少ないとはいえ,韓国は環境に優しい農業生産方法の実践に対して支払を行なういろいろなプログラムを既に開始しているが,日本はそうした取組が大きく遅れている国ということを表2は示している。
ところで,著者のVojtech氏は表1や2において,日本をJAPと略記している。辞書にもJAPもJPNとともに日本の略号と書かれているし,外務省のHPから入手できる文書にもJAPを略号にしている箇所がある。しかし,あまり気持ちの良いものではない。JPNと記して欲しいものである。