●LCA(ライフサイクルアセスメント)
我々は,資源を採掘・精製した原料を用いて製造した様々な工業製品,農業で生産した農産物やそれから製造した加工食品などを購入し,それらを消費して,最終的には廃棄している。LCAは,生物の一生を表す生活環(ライフサイクル)になぞらえて,製品やサービスが,その揺りかごから墓場までの全過程,すなわち,資源の採取・製造・流通・使用・廃棄というライフサイクルを通して,資源消費や環境負荷物質の排出などの形で環境に及ぼす影響を,把握・分析・評価する仕組みのことである。
最近では,いろいろある環境影響のなかで温室効果ガスの排出量を取り上げて,ライフサイクル全体における影響を計算する事例が多い。そして,単位生産量当たりの温室効果ガス排出量の少ない工業製品や農産物を,より環境あるいは地球に優しいと評価したり,PRしたりしている企業も増えている。そして,EUは,製品の揺りかごから墓場までの全ライフサイクル過程を通して環境負荷を削減する環境政策を打ち出している(環境保全型農業レポート.「No.74 EUのLCAに基づいた環境政策」)。
一般に有機栽培は慣行栽培に比べて環境にやさしく,環境負荷が少ないといわれているが,そのことをきちんと実証した研究が少ない。水稲の有機栽培について,この点を確かめる試みを行なった研究を紹介する。
●LCAの計算
個別の製品や農産物について,全ライフサイクルの各プロセスにおける環境負荷量を実測するのは不可能である。そのため,既往の測定事例にある各プロセスにおける環境負荷量のデータを収集し,各プロセスの代表値を設定して,環境負荷量を計算する。例えば,「地球温暖化対策の推進に関する法律」の施行令では,稲栽培水田からのメタン発生量を1 m2当たり0.016 kg,一酸化二窒素(亜酸化窒素)の発生量は,施用した化学肥料窒素1トン当たり,水稲10.6,野菜12.1,果樹10.8,茶樹74.5,ジャガイモ31.6,飼料作物9.43 kgなど,温室効果ガスの排出係数を定めている。そして,各温室効果ガスを地球温暖化係数によって二酸化炭素量に換算し,温室効果ガスの総量を計算する。こうした方法で,環境負荷として,地球温暖化(温室効果ガス排出)の外にも,酸性化,光化学的オゾン生成(スモッグ),富栄養化などの値が一定の計算式に基づいて計算される。
だが,同じカテゴリーのプロセスも,実際には多様であり,代表値を用いても,個別ケースごとにはかなりずれていることも多く,環境負荷量の計算がかなりおおざっぱなことが多い。例えば,稲を栽培した水田からのメタンの排出量は,土壌タイプ,有機質資材施用の有無,有機質資材の種類,常時湛水か間断排水などで大きく異なってくる。このため,日本国温室効果ガスインベントリ報告書(温室効果ガスインベントリオフィス編 (2009) 第6章)では,間断排水を行なっている水田からのメタン排出係数を,黒ボク土の有機質資材無施用田で6.07,ワラ施用田で8.50,各種堆肥施用田で7.59 gメタン/m2/年,低地土の水田でそれぞれ12.2,19.1,15.3 gメタン/m2/年などの値を用いて計算している。しかし,こうした代表値を用いた計算は,あくまでも概算値であることに留意しておく必要がある。
●評価対象の水稲の有機栽培圃場
(独)農業・食品産業技術総合研究機構は,プロジェクト研究「有機農業の生産技術体系の構築と持続性評価法の開発」(2008〜2012年度)を実施している。そのなかで多くの機関によって作物の有機栽培技術が研究されているが,それに加えて,中央農業総合研究センターの環境影響評価研究チームによって,LCAを用いた有機農業の持続性評価手法の開発が進められている。その研究の一部が論文として公表された(外園信吾・佐藤正衛・林 清忠 (2010) 有機農業の実態と持続可能性の評価〜交付金プロジェクト研究での有機水稲LCAの取組み.関東東海農業経営研究.100: 15-26)。その概要を紹介する。
LCAは原料調達から生産,流通,消費,廃棄までの全プロセスを対象にするのが原則だが,当該研究では水田での裏作での緑肥播種,施肥,荒起こし,代かき,田植えから収穫し,乾燥するまでの作業と,使用する機械や資材の製造プロセスを対象とした。そして,圃場の基盤整備,使用資材等の廃棄,生産物の流通・消費プロセスは除外した。
調査対象の水田はプロジェクト研究の他のグループとともに対象にしているものであるが,その概要を表1に示す。
有機栽培は労力を要するため,対象事例における水稲の有機栽培面積は1.5〜5.8 haと全体の一部で,残りの水稲は主に特別栽培のようである。有機栽培で最も労力を要するのが除草だが(環境保全型農業レポート「No.57 水稲有機農業の経済的な成立条件」参照),対象とした事例の除草手段は,機械除草と米ぬか散布,紙マルチ,アイガモであった。そして,対象事例のなかには,JASの「有機農産物の日本農林規格」にしたがって認証を受けていないものもある(「有機JAS」の面積がゼロのもの)。
●温室効果ガス排出量
機械や資材の製造時,機械作業時,施肥や土壌から排出される二酸化炭素,メタン,一酸化二窒素の排出量を,既往の研究に基づいた排出係数によって計算し,地球温暖化係数を用いて二酸化炭素量に換算して,排出量の総計を計算した。
A.10 a当たりの排出量
事例Aにおける10 a当たりの温室効果ガスの排出量を図1に示す。有機栽培に加えて,事例Aで行なっている特別栽培と,さらに事例Aは行なっていないが,地域での慣行栽培についても,温室効果ガス排出量を計算した。この慣行は,機械装備を特別栽培と同じとして,JAの資料による地域の慣行の化学肥料や化学合成農薬を施用した場合について計算したものである。なお,図1〜図4は,原著論文では判読しにくい白黒の図であったため,原著者の好意によって提供を受けた数値に基づいて作成し直したものである。
有機栽培では,作付面積は全体の1割程度であるものの,米ぬかペレットや規格外ダイズを投入した上で,多目的田植機を使用した乗用水田除草機で1作あたり3〜4回除草している。このため,機械製造や燃料からの温室効果ガス排出量が多く,肥料や農薬の製造時の温室効果ガス排出量が少なくなっている。
事例D〜Gの10 a当たりの温室効果ガス排出量を図2に示す。この福島県喜多方市の事例では慣行栽培の作業諸元を把握してなかったので,図1の長野県松本地域のものを援用した。その際,事例Aの水田が低地土であったのに対して,事例D〜Gは黒ボク土であった。上述の「LCAの計算」に記したように,黒ボク土水田でのメタンの排出係数は低地土の半分程度であるため,松本地域の土壌が黒ボク土と仮定してメタンの排出量を補正して計算を行なった。
事例D〜Gのなかで面積当たりの温室効果ガス排出量が最も多かったのは,事例Eの「紙マルチ」で除草したケースである。このケースでは,調査の年が有機栽培を始めた初年目で,しかも面積が小さいために紙マルチ専用田植機をレンタルしていた。そのリース料からの推計の関係で機械製造時の温室効果ガス排出量が多くなってしまったことが要因である。紙マルチで除草をしている事例Fは,専用田植機を所有して継続使用していて,温室効果ガス排出総量がそれほど多くはない。ただし,紙マルチの製造,アイガモでは電気柵の製造や雛の育成といった「その他の製造」時の温室効果ガス発生量が他の事例よりも多くなっている。
B.生産物重量当たりの排出量
図1と図2の値は面積10 a当たりの排出量であったが,これを生産物重量kg当たりの二酸化炭素換算の温室効果ガス排出量に計算し直すと,表2となる。
面積当たりでは,慣行栽培で多かった肥料や農薬の製造時における排出量が,有機栽培では大幅に減るので,有機栽培のほうが,慣行栽培よりも排出量が少ない結果になった。しかし,有機栽培では収量が少ないので,生産物kg当たりでは,有機栽培の温室効果ガス排出量が慣行栽培よりも少ないとは限らず,慣行栽培よりも多い場合もあった。
●富栄養化指標
富栄養化は水系に排出された窒素やリンによって水中の微生物や植物などによる一次生産が増えることであるが,著者らは富栄養化指標を計算した。主として工業製品の環境影響評価手法として発展してきたLCAでは,水系に排出される全窒素やと全リンなどの量に加えて,大気に排出されるアンモニアやと二酸化窒素などの量に一定の係数を乗じて得られる積の和を富栄養化の指標にしている。水系に排出された全リン量が最も富栄養化に寄与するので,全窒素の11.8倍も大きな係数が割り当てられている。そして,大気に排出されたアンモニアや二酸化窒素のうち,水系に降下するのは,ごく一部だけなので,ごく小さな係数しか割り当てられていない。このため,余剰な全リンの排出量が多いと,富栄養化指標は大きな値となる。しかし,この計算による富栄養化指標にはいくつかの課題が残されている。
著者らは,全窒素や全リンの直接排出に関する実測値によらず,余剰分すべてが水系に排出されるという想定でこうした工業での富栄養化指標にしたがって計算を行なっている。しかし,周知のように,水田では代かき直後の落水時に,土壌粒子ととともに排出される窒素とリンが水質汚染を引き起こし,それ以外のときには,水田から流出しないか,わずかしか流出することはない。そのことから考えると,落水直後の排水によって排出される養分量は,著者らが採用した富栄養化指標では,実態よりも過大数値となっているはずである。それゆえ,図3,図4を読み解くときも,富栄養化指標の値そのものではなく,示された値の大小の相対的関係だけを見たほうがよいと考えられる。
面積10 a当たりの富栄養化指標の値は,図3と図4に示すように,慣行栽培に比べて,有機栽培ではかなり低い。それだけでなく,生産物kg当たりの値も,有機栽培でかなり低い(図3と図4の各事例の総計値を表1の収量値で除した値:データ省略)。これは,有機栽培では慣行栽培に比べて全リンの投入量がかなり低いことに起因していると理解される。
●今後の課題
この研究は,水稲の有機栽培にLCA手法を適用して,環境負荷の点から,水稲の有機栽培の持続可能性を評価する研究の端緒となるものである。しかし,まだ水稲の有機栽培でのLCAの計算に必要な諸元がまだ十分に整っていない段階であるために,工業での諸元を援用しているため,土壌等からの直接排出の厳密な推計に関して,少なからぬ無理が生じている。
例えば,図1と図2において,慣行栽培と有機栽培の水田からのメタン排出量が全く同じになっている。これは現在,日本国温室効果ガスインベントリ報告書には,メタン排出係数として,有機質資材については,稲ワラ施用,堆肥施用と無施用の3つの区分しかなく,慣行栽培と有機栽培のいずれの水田も,稲ワラを還元している圃場とすれば,メタン排出量を同じにせざるをえないからである。しかし,有機栽培では油粕を始めいろいろな有機質肥料,堆肥,レンゲなどの緑肥を施用している。こうした有機質資材の施用によってメタンの排出量が増えることを示す研究も増えている。有機質資材の種類と量による水田からのメタン排出量の既往のデータを収集して,有機栽培でのメタン排出係数を設定する必要があろう。
富栄養化指数では慣行栽培と有機栽培のいずれでも,落水の仕方が問題になる。慣行栽培でも濁水排出を抑制する水管理によって,養分排出量を大幅に削減できる(環境保全型農業レポート.「No.15 水田の汚濁物質排出」)。こうした作業を実践しているケースが増えており,落水の仕方を考慮にいれた指数を設定することが望まれる。
農業でも,有機栽培を含めた多様な農作業について,環境負荷係数の代表値を設定する合同作業が必要であろう。