No.101 日本も農地土壌の炭素貯留機能を考慮

●温室効果ガス吸収源としての農地土壌の考慮

 気候変動枠組条約京都議定書で,2008年から2012年の第一約束期間に,日本は1990年に比べて温室効果ガスの発生量を6%削減する義務を有している。しかし,その達成は困難な見通しになっている。国際的には,この約束達成の努力に加えて,第一約束期間後の議定書の枠組も問題になっている。

 ところで,気候変動枠組条約では,人為的に行った森林経営,植生回復,農地管理,放牧地管理の4つの活動で,1990年以降に追加的に実施された活動については,これらに起因した温室効果ガスの純吸収量を総排出量から控除することが認められていた。我が国は森林経営と植生回復の二つを追加的人為活動として選択することを条約事務局に通報していたが,農地管理は選択していなかった。

 京都議定書の次の議定書の枠組については,2009年までに合意することとし,2008年3月には方法論的課題について各国から条約事務局に意見を提出することにされていた。そして,2008年3〜4月に予定されている作業部会において,農地管理を含む土地利用分野の取扱い等に関する分析作業に着手し,8〜9月に開催される作業部会で,それまでの作業結果のとりまとめが行われる予定となっている。

 農法を変更して土壌への炭素貯留量を増加させる農地管理は,新大陸の農産物輸出国のように農地面積の大きな国ほど有利になる。我が国は,農地面積が少ないことから,農地管理について積極的に対応してこなかった。しかし,第一約束期間の削減目標達成が困難になった現在,後述するが,削減目標の10.7%と試算される堆肥施用による農地土壌への炭素貯留を,次期議定書で計上できるように方針を変更することになった。そのため農林水産省は条約事務局の作業に間に合うように意見を集約する必要があった。「今後の環境保全型農業に関する検討会」(環境保全型農業レポート.No.100 でその概要を紹介)での農地土壌の炭素貯留機能に関する論議が,同検討会の報告書に先立って,食料・農業・農村政策審議会企画部会地球環境小委員会にインプットされて論議に活用された。そして,同小委員会の結論の「地球温暖化防止に貢献する農地土壌の役割について」が,2008年3月19日に開催された食料・農業・農村政策審議会企画部会で報告・承認された。

●農地土壌の炭素貯留機能

 農地土壌の炭素貯留機能はどのようなものか。「今後の環境保全型農業に関する検討会報告書」から,その概要を紹介する。

 農地土壌に堆肥などの有機質資材を施用すれば,土壌有機物として炭素が土壌に貯留される。我が国では水田土壌に連用した有機質資材の炭素と窒素の無機化と蓄積の予測式が作られている。この予測式に基づいて,水田に代表的有機質資材を乾物1 t/10a(現物で約4 t/10a)ずつ毎年連用したときの土壌への炭素の貯留量を図示したのが図1である。

 図から分かるように,土壌への炭素の貯留量は有機質資材の種類によって大きく異なり,分解しにくい成分が多い有機質資材ほど,より多くの炭素が貯留される。そして,いずれの有機質資材の場合でも,連用初期には土壌への炭素貯留量が急速に増加するが,やがて増加量は漸減し,最終的には年間に施用した資材中の炭素と同量の炭素が全て無機化(二酸化炭素に無機化)されて平衡状態に達する。このため,有機質資材施用による土壌の炭素貯留量の増加は無限に続くわけではない。

 有機質資材中の炭素の蓄積量は,水田と畑の違いに加え,土壌タイプ,年間の降水量や温度によっても異なってくる。農林水産省が都道府県の協力を得て実施している土壌環境基礎調査での水田52 地点,普通畑26 地点の稲ワラ堆肥連用試験のデータ(堆肥連用期間は20年以内)を集約し,化学肥料のみを施用した場合と比べて稲ワラ堆肥を連用した場合にどの程度炭素貯留量が増加するかを試算すると,土壌タイプで異なるものの,稲ワラ堆肥を1 t/10a 施用した水田で年間40.6〜77.4 kgC/10a,稲ワラ堆肥1.5 t/10aを連用した畑で年間37.3〜170.9 kgC/10aの炭素が貯留されることが示された。この結果を踏まえると,全国の水田土壌に1t/10a,畑土壌に1.5t/10a の稲ワラ堆肥を連用した場合,稲ワラ堆肥を施用しない場合に比べて,毎年約220 万tC の炭素貯留量が増加すると試算される。

 因みに,この量は,京都議定書で定められた我が国の第1約束期間における温室効果ガス削減目標量2,063 万tC(1990 年温室効果ガス総排出量の6%)の10.7%に相当する。また,日本の家庭1世帯が1年間に排出する炭素量は,約1.4 tC であり,これはおおむね3 haの水田に稲ワラ堆肥を30t(10a当たり1 t)施用した場合に貯留される炭素量に相当する。

 さらに,稲ワラ堆肥を施用した場合,水田土壌からの温室効果ガスのメタンの発生が増加することから,前記の稲ワラ堆肥施用にともなう年間炭素貯留増加量からこれを差し引くと,農地土壌全体の炭素収支としては,年間約193〜203 万tC の炭素貯留量が増加すると試算される。

 こうした概算には不確実性が絶えずつきまとっていることに加え,ここで得られた結果は,図1からわかるように,炭素の土壌への年間貯留量が多い期間(連用期間20年以内)であり,連用期間を延長してゆくと,年間貯留量が漸減することに注意する必要がある。また,堆肥の連用を中止すれば,土壌の炭素貯留量が減少し,その分が二酸化炭素となって大気中に放出され,土壌からの二酸化炭素発生が増加することにも注意が必要である。

 土壌への炭素蓄積量を高める農作業としては,堆肥の施用以外にも,不耕起栽培や省耕起栽培(例えば毎年春と秋に実施している耕耘のうち,年によって片方を省略するなど,耕起回数を少なくする栽培方法),カバークロップの栽培(収穫を期待する作物ではなく,広く環境および土壌改善に用いられる作物で,ライムギ,エンバク,イタリアンライグラスなどのイネ科作物やクローバなどのマメ科作物:小松崎将一 (2008) カバークロップ導入による持続的生産と炭素貯留機能.農業技術大系.土壌施肥編.第3巻 p.土壌と活用? 16の42〜16の55.農文協を参照)などをあげることができる。

●農地土壌の炭素貯留機能を軸にした施策の枠組

 食料・農業・農村政策審議会企画部会の「地球温暖化防止に貢献する農地土壌の役割について」では,農地土壌の炭素貯留機能を強化させる農法について,次のように記している。

 高温多湿で雑草が多い我が国では,不耕起栽培や省耕起栽培は,除草労力や除草コストの増大のほか,水田における漏水等の農業生産上のデメリットも招きかねない。このため,不耕起栽培や省耕起栽培は適地を見極めた上で取り組むことが重要である。そして,我が国では,堆肥等の投入,土壌改良資材の施用,多毛作の促進などによる有機物の投入の促進,を通じた土壌炭素の増加が中心的な取組になると考えられるとしている。

 農地土壌の炭素貯留機能を強化する農法を助長する政策を実施するとした場合,まず温室効果ガスの排出削減・吸収増加に資する農法を特定して,そうした農法を促進させる措置を講じるという手法が考えられる。その際,具体的な手法としては,規制的手法,クロス・コンプライアンス,ラベリング・認証,排出権取引,環境税,農家の取組への支援などがあげられる。このうち,排出権取引については,我が国には未だ導入されていないうえ,同制度を導入している国においても,農業分野を対象に含んでいる国はわずかにとどまっている。また,環境税についても我が国では未だ導入されていないが,仮に導入された場合には,農地管理に伴う温室効果ガスの排出削減・吸収増加についても使途の一つとして適切に位置づけられるべきである。

 ただし,企画部会の資料は次の点も指摘している。

 つまり,国際的な議論の場へ持ち出す際には,森林吸収源対策などの議論との整合性にも配慮する必要がある。さらに,アメリカやカナダなどの農地管理に関心を有する先進主要国は,農地土壌への炭素貯留の手法として不耕起栽培・省耕起栽培を実施しているのに対して,我が国の中心的な取組となると見込まれる手法は有機物の投入である。有機物の投入は,現在のところ国際的には炭素貯留のための中心的な取組と認められているとはいいがたい。このため,今後の国際交渉に向けて,我が国の農業事情が交渉結果に適切に反映されるよう,行政だけでなく,研究機関や外部の有識者等と有機的に連携しながら,省をあげて交渉に臨む体制を早急に整える。

●バランスのとれた環境保全型農業の展開が重要

 土壌への炭素貯留量を高めるために,堆肥などの有機質資材をむやみに施用して,土壌の養分を過剰にして,作物の収量や品質を低下させ,環境汚染を起こすことがあってはならない。また,稲ワラを水田に施用すると,土壌の炭素蓄積量が増加するが,強力な温室効果ガスであるメタンの発生量も増加する。このため,稲ワラを堆肥化してから水田に施用することが必要である。このように,農業生産の全過程を通して,他の温室効果ガスとのトレードオフを考慮することも必要である。さらに,水田では土壌の酸化還元電位が- 200 mV以下に低下して,易分解性有機物が多いと,メタン発生量が急増する。このため,水田の土層・土壌改良や排水改良も必要である。

 また,土壌に限らず,農業からの温室効果ガスの発生をみると,家畜ふん尿の不適切な処理によって多量の温室効果ガスが発生する。このため,家畜ふん尿の適正な堆肥化とその作物生産への活用という農村での健全な物質循環の促進なども大切である。

 こうしたことから,土壌への炭素蓄積だけを目標にした政策を実施するのでなく,温暖化防止の要素を加えながら,バランスのとれた環境保全型農業全体の発展を助長する政策が期待される。