No.60 EUが「土壌保護戦略指令案」を提案

●EUの土壌保護戦略の経緯

 EUは,土壌の機能として,1)農業および林業を含むバイオマス生産,2)養分,物質および水の貯蔵,ろ過および変換,3)生息地,種および遺伝子などの生物多様性プール,4)人間および人間活動のための物理および文化的環境,5)原材料の供給源,6)炭素プール,7)地理および考古学的遺産の保管庫といった機能をあげている。

 EU加盟国は土壌のこれらの機能を維持するために分野ごとに多数の法律を定めて,様々な政策を実施している。しかし,多様な土壌機能を保護する観点からすると,一貫した政策がなく,政策間に土壌保護についてのトレードオフが存在する。この背景には,人間生活に不可欠な環境要素である土,水,大気のうち,水と大気は移動しやすく,公共財として特定の者の所有になっていないが,土のほとんどは私有されていることもあったと考えられる。

 最近の人間活動は急速に土壌を劣化させており,そのスピードは土壌の生成速度より速い。多くの国が国境を接しているEUでは,例えば侵食されて河川に流入した土壌粒子や汚染物質が他国にも影響を与えているという問題もある。EUでは最近の急速な土壌劣化に歯止めをかけて,次世代に再生不可能な土壌資源を引き継ぐことの重要性に対する認識が高まってきた。しかし,EUで土壌保護の名前のついた特別の法律を有するのは9か国にすぎない。

 このため,欧州委員会は2002年に「土壌保護のためのテーマ別戦略に向けて」と題する土壌保護戦略策定の必要性を訴える通達を発信し,これを契機に土壌保護に関する論議を重ねてきた。そして,欧州委員会は2006年9月26日に加盟国が土壌保護を図る共通の枠組を定めた土壌保護・改良のための法律案(「土壌保護戦略指令案」)を提案した(Commission of European Communities (2006) Proposal for a Directive of the European Parliament and of the Council establishing a framework for the protection of soil and amending Directive 2004/35/EC)。

●「土壌保護戦略指令案」の概要

(1)土壌機能全体の保護

 本指令の目的は,冒頭に記した7つの土壌機能を保護するための加盟国共通のフレームワークを設定して,土壌機能の保全,土壌劣化の防止,その影響の緩和,劣化された土壌の回復,ならびに,多様な分野における政策に土壌保護を統合化させることにある。ただし,実行の細部については加盟国にゆだねる柔軟性を持たせている。

 土壌劣化については人為と自然の双方によるものを対象にし,予防原則に立って,特に地域・都市計画,輸送,エネルギー,農業・農村開発,林業,原材料採掘,商業および工業,生産政策,ツーリズム,気候変動,環境,自然および景観の領域においては,政策を立案する際に,当該政策が土壌劣化プロセスに及ぼすインパクトのアセスメントを実施し,その結果を公開し,悪影響が予想される場合には,土地使用者に対して,悪影響を防止あるいは最小化するように予防措置を講ずる義務を持たせるように,加盟国が法律を定めることとしている。例えば,土地利用計画を作る際には,舗装道路や建物の建設によって土壌の「封じ込め」が生じて,その下になる土壌の水の浸透機能などを抹殺することになる。このため,どの程度の浸透機能の低下が起きるかを評価し,必要な場合には土木工事や資材の敷設などによって,封じ込めによる水浸透の低下を緩和する対策プログラムを立案して実施することが必要になる。どの機能をどの程度維持させるかは加盟国が決定する。

(2)「リスク地域」

 1)水食と風食,2)土壌有機物の減耗,3)土壌の圧密(仮比重の増加と土壌孔隙率の減少),4)塩類集積,5)土砂崩壊,の5つの土壌劣化プロセスは様々な土壌機能の維持に影響を与える。加盟国は,本指令が施行されてから5年以内に,全国についてこれらの5つの土壌劣化プロセスが過去に起きた地域と,開発計画などによって近い将来に起きると予想される地域を調べて「リスク地域」に指定する。加盟国は「リスク地域」の対策プログラムを本指令の施行後7年以内に策定する(リスク削減目標,手法,実施工程表,経費負担配分を含む)。そして,策定した対策プログラムを公開し,策定後8年以内に施行する。

(3)「土壌汚染サイト」

 加盟国は,本指令の施行後5年以内に人間の健康や環境にリスクを及ぼすレベルで危険物質によって汚染された箇所(「土壌汚染サイト」)を調べて確認する。実際の調査は加盟国の指名した公的機関に行わせる。調査は,少なくとも土地登記簿などに記載された廃棄物の埋立地,元軍事施設など,付属書で指定された汚染の起きやすい場所などについて行い,「土壌汚染サイト」のインベントリー(目録)を作る。人間の健康や環境にかなりの影響を与える濃度の危険物質が検出されたサイトについては,リスクアセスメントを実施する。

 インベントリーの完成前であっても,登記簿で過去に汚染が生じたと考えられる場所や付属書に指定された場所が売却される場合には,土地の所有者または販売者に土壌状態報告書(土地の利用履歴,その利用から想定される危険物質の分析値,危険濃度レベルを含む)を,土地の所有者または販売者の経費負担によって国の認可した組織または個人に作らせて,土地取引にかかわる者が利用できるようにする。
 加盟国はインベントリーにリストアップされた「土壌汚染サイト」の修復国家戦略(優先順位,実施工程表,経費負担配分を含む)を,後日指定する期日から7年以内に策定し,後日指定する期日から8年以内に公表して実施する。

(4)認識向上,報告,情報交換,その他

 加盟国は土壌の重要性についての認識を向上させ,土壌の持続可能な使用のための知見や経験の移転を促進させる対策を講ずる。そして,指定された項目について報告書を作成して,指定された年数ごとに欧州委員会に報告しなければならず,欧州委員会は委員会を設置して,本指令の施行に必要な事務を行う。加盟国は,本指令の施行後遅くとも24か月までに本指令の遵守に要する法律や施行令などを施行する。

●日本の土壌保護にかかわる法律との比較

 日本には,農地土壌について,生産力の低い土壌の地力を改善する「地力増進法」(1984年公布)と,カドミウム,銅,ヒ素に汚染された農地土壌の汚染対策を定めた「農用地の土壌の汚染防止等に関する法律」(1970年公布),非農地土壌については,指定された特定有害物質の汚染対策を定めた「土壌汚染対策法」(2002年交付)がある。これらはそれぞれ農業生産力向上,安全な農産物生産と人間の健康確保を目的にしたものである。

 EUの「土壌保護戦略指令案」は多様な土壌機能の保全と次世代への継承を目指したものであり,それに比べると,日本の3つの法律が対象とする土壌と土壌機能はごく一部だけである。また,「土壌汚染対策法」では有害物質を使用していた工場や事業場が廃止された土地が主対象で,現に継続使用されている工場・事業場の土地は余所から疑いをかけられない限り対象外である。これに対して「土壌保護戦略指令案」は現に使用されている土地も対象にしており,汚染状況を判断する基準として人間の健康のみならず,環境保全も加えており,日本の法律よりも徹底して汚染土壌をリストアップして,対策を講ずることを目指している。

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