●経営所得安定対策
2005年3月に策定された「食料・農業・農村基本計画」<>を具体化する施策として,「経営所得安定対策等大綱」が同年10月27日に公表され,2006年7月21日に「経営所得安定対策等実施要綱」が決定され,2007年度から新たな施策が実施されることになった。
こうした新たな政策を実施するに至った契機は,日本では価格支持による農業補助金が多いことが,貿易自由化の促進を図るWTO交渉で永年にわたって厳しく批判されていたことである。価格支持政策では,政府が国産農産物価格を安価な輸入農産物よりも高い水準で支えるが,一般的にいえば,価格支持と同時に,国産農産物と輸入農産物との国内での販売価格差をあまり大きくしないように,輸入農産物に高い関税をかけたり,輸入農産物の国内販売価格を政府が高く設定したり,輸入枠を制限したりする。輸出国からすれば,これらは農産物輸出の障壁であり,大幅に削減することが強く求められている。工業製品の輸出で外貨を獲得している日本としては,農産物の貿易自由化を拒み続けるわけにゆかない。そこで,農産物の価格支持の比重を減らして,輸出国の非難をかわすと同時に,農産物貿易自由化促進によって不利となる農業者の所得を確保するために,「品目横断的経営安定対策」を導入することになった。
「品目横断的経営安定対策」は,
(1)米,麦・大豆・テンサイ・デンプン原料用バレイショについて,外国との生産条件の格差から生じる不利を補正し,収入減少の影響を緩和するために,品目別ではなく経営全体に着目して,所得補填を行うとともに,
(2)農産物価格下落などによって生ずる収入減少額の9割を保証する積立金制度を設け,さらに
(3)担い手の育成や確保の加速を図るために,認定農業者・集落営農組織に対する支援の一層の充実や金融を含む新たな支援方法の導入,農地の面的集積のさらなる促進による総合的な支援を講ずるほか,対象者の経営発展や新規参入等を促進するために,需要に応じた生産や経営革新の取組をともないつつ,経営規模の拡大や生産調整の強化への対応などを行う者に対し経営安定が可能となる水準の支援を行う「担い手育成・確保総合対策(過去の生産実績がない案件等への対応を含む)」を組み合わせたものである。
これらは以前からいわれていた日本型直接支払を具体化したものといえる。そして,これと表裏一体の関係にある米の生産調整支援対策を見直して「米政策改革推進対策」が実施されることになった。
「品目横断的経営安定対策」は,米,麦,大豆を生産する農家(都府県では主に水田農家)と,主に北海道の畑作地帯で麦・大豆・テンサイ・デンプン原料用バレイショを生産する畑作農家を対象とすることになる。他方,九州・沖縄の畑作地帯の主力農産物であるサトウキビとデンプン原料用カンショについては,「品目横断的経営安定対策」には組み込まずに,輸出国との生産条件の格差から生ずる不利を補正するために生産量・品質に基づいた支払いを行う。ただし,積立金による収入減の保証制度や「担い手育成・確保総合対策」は用意されていない。
これらの新制度によって,従来の政府買入価格などの価格支持政策はなくなり,価格は輸入農産物を含めた市場の趨勢に一層ゆだねられることになる。そして,新制度の支払対象者は,一定規模以上の認定農業者,特定農業団体,または特定農業団体と同様の要件を満たす組織などであり,永年の課題である規模拡大を助長することを主眼としている。
「品目横断的経営安定対策」の予算規模は2007年度の支払で総額1,880億円。
●農地・水・環境保全向上対策
上記の「品目横断的経営安定対策」などによって水田・畑作農業の規模拡大を助長しても,現実には水田や畑の耕作放棄がなお増加すると予測される。これにともなって,特に水田では従来地域の農業者が共同で行ってきた用水路の管理が一層困難になると予測される。このため,「経営所得安定対策」では,上記に加えて,地域の共同活動により,農地・農業用水等の資源や環境の保全向上を図る「農地・水・環境保全向上対策」が創設された。
「農地・水・環境保全向上対策」による支援は3つのカテゴリーに区分される。
第一は共同活動に対する基礎支援である。社会共通資本である農地・農業用水などの資源を適切に保全して質的向上を図るために,集落など一定のまとまりを持った地域において,農業者だけでなく非農業の地域住民などが参画する活動組織を設置して,活動協定を定めて効果の高い保全活動(現状の維持にとどまらず,改善や質的向上を図る活動)を実施する場合に一定の支援を行うものである。支援金は対象地域内の農地面積に応じて活動組織に対して,都府県の場合,水田2,200円/10a,畑1,400円/10a,草地200円/10aが支払われる。非農業者の協力も得て,水田の水路を維持することが最も強く意識されており,その他にも農道の除草や草花の栽植,耕作放棄地の除草やナタネの栽培なども想定される。
第二は,上記の基礎支援対象地域内の活動組織に参加している農業者が,協定に基づいて環境負荷低減に向けた取組を共同で行い(営農基礎活動支援),その上で地域において相当程度のまとまりを持って,持続性の高い農業生産方式として指定された技術を導入したり,化学肥料と化学合成農薬を地域の慣行よりも原則5割以上削減したりするなどの先進的な取組を実践する場合(先進的営農支援)に支払が行われる。環境負荷低減のための共同の取組に対する国の営農基礎活動支援額は,技術の実証・普及,土壌・生物等の調査分析等活動経費を対象として,地区当たり10万円となっている。先進的営農支援額は,果菜類・果実的野菜9,000円/10a(施設で生産されるトマト,キュウリ,ナス,ピーマン,イチゴは20,000円/10a),葉茎菜類3,000円/10a,果樹・チャ6,000円/10a,花き5,000円/10a,イモ・根菜類3,000円/10a,水稲3,000円/10a,麦・大豆1,500円/10a,その他1,500円/10aで,活動組織または先進的取組を実践した農業者に支払われる。
第三はステップアップ支援である。上記地域の活動を促進・補強し,さらにステップアップさせるために,協定に基づいて地域においてより高度な取組を実践した場合に「促進費」を活動組織に地区当たり10万円か取組水準によっては20万円の支援を国が支払う。
「農地・水・環境保全向上対策」の総額は300億円程度で,そのうちの270億円程度が共同活動支援となっている。共同活動支援とは,基礎支援260億円程度とステップアップ支援10億円程度と理解される。
●品目横断的経営安定対策は小麦・大豆の単収向上に寄与できるか。
経営所得安定対策等実施要綱の細部は2006年秋に決められるそうだが,都府県では小麦と大豆は主に田で生産されているため,「品目横断的経営安定対策」は水田農業を主対象にしている。これまでにも転換畑での小麦や大豆には永年にわたって転作奨励金が支払われてきたが,都府県の小麦や大豆の平均単収は単収向上のかけ声にもかかわらず,低レベルにとどまっている。北海道の畑で生産されている小麦や大豆の平均単収は,これまで補助金があまりなかったにもかかわらず,最近顕著に向上し,都府県の平均単収を大きく引き離すに至っている(図1)。小麦と大豆については,これまでの補助金が都府県の田での単収向上にあまり貢献しなかったとの批判が出てもしようがないであろうし,手厚い保護が農業者の生産意欲を阻害したとの酷評があるかもしれない。「品目横断的経営安定対策」ではこの点が改善されることが必要である。
●農地・水・環境保全向上対策によって環境改善は期待できるか
「農地・水・環境保全向上対策」の主眼は,水田灌漑水路の維持による水田の保全にあるといえる。無論,対策自体は潅漑水路に限定してはおらず,水田地帯以外の農業地帯も対象にしている。しかし,共同活動に対する基礎支援額の支払単価は水田で最も高く,都府県では畑の1.57倍に達している。これは水田が国土保全などの多面的機能を発揮していることを重視したためと理解される。水田の国土保全機能は主に雨水の貯留によって発揮されることからすれば,支払条件として,畦畔を一定の高さ以上に維持することを条件にすべきであろう。水田を畑に転換しても,地目は水田として扱われる。その場合,転換畑にして畦畔を撤去してしまっては,水の貯留能力が激減するが,それでも水田として扱われて,普通畑よりも高い支援金が支払われるとなれば,大義名分が成り立たなくなろう。
日本は水稲重視の農政を展開してきている。そして,事実,水田の多面的機能が高いゆえに,水田の多面的機能を強調している。他方,EUでは畑と草地を軸にした農業であっても,具体的な研究成果に基づいて畑や草地の多面的機能を重視した直接支払を実施している。日本は水田だけを強調するのでなく,畑や草地の多面的機能についてもEUのように研究を行って,畑や草地をどのように保全すべきかを明確にすべきであろう。
「先進的営農支援」は,環境負荷の大きな施肥を行っている野菜,チャ,果樹なども含めて,持続性の高い農業生産方式として指定された技術を導入したり,化学肥料と化学合成農薬を地域の慣行よりも原則5割以上削減したりした場合に支給される。この支払単価は過剰施肥を行っている作物で高くなっている傾向ではあるが,水稲には3,000円/10aと,麦の1,500円/10aよりも多額が支払われるのは理解しにくい。都府県の低い単収の小麦と違い,北海道の高い単収の小麦では,高い単収を上げるために施肥量が増えているはずである。EU(15)の小麦の平均単収は600 kg/10aを超え,イギリスでは約800 kg/10aに達しているが,多収穫のために,多肥を行って深刻な地下水汚染を起こしている。北海道でもこうした傾向が起きていると考えられる。水稲では硝酸による地下水汚染の心配がほとんどないのに,なぜ小麦よりも高い単価になっているのか。ここにも水稲偏重の考えが伺える。
そして,化学肥料を地域の慣行の5割以上削減したとしても,有機質肥料や堆肥を多量に施用すれば,削減した意味がなくなる。有機質肥料や堆肥の施用量について何ら制限を設けずに,化学肥料の削減だけを条件にすることは環境汚染軽減の観点からは危険である。この背景には,多量の家畜ふん堆肥を耕種農業で消費させたいという意図が伺える。
仮にこれらの問題点が解決されたとしても,「営農活動支援」は「農地・水・環境保全向上対策」全体で使われる300億円程度のうちの10 %にすぎず,過剰施肥による環境汚染軽減を本気で考えているとは思えない。農地からの養分排出についていえば,施肥による負荷量よりも,家畜ふん尿の過剰に起因した負荷量の方が大きい。畜産と耕種とが一体的対策を講ずる必要があるのに,耕種だけの対策を「農地・水・環境保全向上対策」で行うのはどうであろうか。地域内の畜産農家が環境負荷軽減の取組を一緒に行いたいと思っても,共同活動に対する基礎支援の草地の単価は200円/10aと極端に低い。ただし,もしかしたら,先進的営農支援で飼料作物に「その他」作物として1,500円/10aが支給されるのかもしれない。しかし,飼料作物では家畜ふん尿を過剰に施用しているケースも存在している。そうしたケースでも,化学肥料を減らし,家畜ふん尿をますます過剰に施用して,環境汚染を加速しながら,支援金を支払うケースが出たら論外である。
養分排出を削減するには,化学肥料の削減だけを要件にするのは誤りである。化学肥料,有機質肥料と堆肥などの有機質資材を合わせた養分投入量と,収量水準に応じた養分収奪量とのバランスを踏まえた施肥基準を遵守することを要件にすべきである。環境保全型農業レポート.No.12に紹介したように,2005年3月31日に「環境と調和のとれた農業生産活動規範」(農業環境規範)が農林水産省生産局長名で農政局長等に通達されたが,その通達には環境負荷低減を配慮した「施肥基準の策定・見直しの指針」が添付された。この新たに策定される施肥基準を遵守することを要件にするほうがはるかに科学的である。
「農地・水・環境保全向上対策」は,非農業者の協力も得て,水路,農道,里山などを維持管理して,生物多様性や景観を向上させるのに貢献するであろう。しかし,少なくとも農地からの養分排出による環境汚染軽減への貢献はあまり期待できない。