No.105 EUとアメリカの農業環境政策の違い

●農業環境政策の必要性

EUとアメリカは,農業活動によって創り出されている農村景観や生物多様性などのプラスの公益的機能の維持・増進や,農業行為によって生じる水質汚染や土壌流出などの環境負荷軽減をはかる事業に参加し,事業で定められた作業基準を守ることを契約した農業者に金銭を支払う農業環境政策を実施している。農業環境政策を行なう経済学的論拠は,農業者は市場から販売した農産物の対価を受け取っているが,農業が創出しているプラスの公益や環境負荷軽減といった環境サービスに対する農業者の努力には対価が支払われていない(これを「市場の失敗」(market failure)という)ことに基づいている。つまり,農業者が自らの農業資源を最も儲かるように使用して最大の農業所得を上げる場合には,農業資源を酷使したり,資材を過剰投与したりして,環境サービスが低下してしまう。したがって,環境サービスを増やすには,農産物生産を抑制しなければならず,その減額分を農業者に補償する農業環境政策が必要になるというものである。

EUとアメリカの農業環境政策は似ているが,かなりの違いもある。最近,カナダとアメリカの研究者は,EUとアメリカの農業環境政策の目標や施行の仕方を比較し,両者にかなりの違いがあることをまとめた (Kathy Baylisa, Stephen Peplowb, Gordon Rausserc, Leo Simonc (2008) Agri-environmental policies in the EU and United States: A comparison. Ecological Economics 65 (4) 753-764)。原著論文の要約はインターネット上で読むことができる(全文を見るには31.5 US$を支払うことが必要)。この論文の概要を他の資料による補完を加えて紹介する。

●農業環境政策の位置づけ

アメリカは1930年代から土壌侵食防止事業を実施しているが,農業環境政策が世界で注目されたのは,EUの1992年の農業環境規則からである。つまり,EUは1960年代から共通農業政策によって,域内で生産された農産物を国際相場よりもはるかに高い価格で農業者から買い上げる一方,域外の安価な農産物には域内価格との差額を輸入課徴金として課す関税障壁を設けた。こうした政策によって域内の農業生産が増加し,やがて農産物の生産過剰が生じた。そこで,EUは余剰農産物を安価な国際相場で輸出し,農業者には域内価格と国際相場の差額を輸出補助金として支給した。こうして,新大陸の農産物輸出国のコムギなどの輸出量が大きく減ってしまい,EUと新大陸の農産物輸出国の間で農産物貿易戦争が起きた。これがガットのウルグアイ・ラウンドの争点であった。

こうしたEUの農業政策はアメリカなどから厳しく批判される一方,EUは価格支持のために巨額を要することとなり,財政危機を頻発させることになった。このため,EUは,1992年に価格支持や輸出補助金のような生産刺激的な農業政策を削減し,その代わりに生産を削減しつつ,環境保全を図る農業環境政策を増やすという方針を出して,農産物貿易戦争が一応の決着をみた。

こうした経緯とその後の展開を踏まえて,報告は農業環境政策には次のような位置づけがなされているとしている。

(1) EUにおいて,農業環境政策は,支持価格の引き下げによって,政府が農業者に支払う金額の減少分を補う役割をもっている。

(2) EUとアメリカの双方で,農業外部から農業による環境汚染や破壊に対する法的規制が強化されている。そうした法的規制に農業者が対処するには多額の出費を要するが,農業環境政策は,農業者が法的規制に対応可能なように支援する役割をもっている。

(3) EUとアメリカの双方において,環境汚染や破壊に対して,当初,農業者が自主的に対処するアプローチが取られたが,環境汚染や破壊を十分に食い止められなかった。その後,優良農業行為規範や農業環境対策事業の規定を遵守した者にだけ奨励金を支給するという,クロス・コンプライアンスが導入され,クロス・コンプライアンスに対する補償の一部として農業環境政策が位置づけられている。ただし,汚染削減義務をクロス・コンプライアンス条項にして,その遵守だけで補償を行なうのは汚染者負担原則に反する。このため,EUは,優良農業規範をベースラインとして,これ以上に環境に優しい行為を行なって,追加的な環境改善を行なうことを補助金支払の条件にしている。

(4) EUとアメリカの双方で,農業環境政策をWTO要件(単収や生産性などを向上させる生産刺激的な政府補助金を禁止する)を守る方策として使用されている。アメリカは国際農産物価格の低迷によって農業者の所得が減少したのを補うのに,農業環境政策による補助金を増やして,EUの反発を招いた。

●農業と自然に対する認識の違いと対象とする環境サービスの違い

報告は,EUとアメリカの農業環境政策では,その根底となる農業と自然とのかかわりについての認識と,それに基づいて重視する環境サービスに,次の違いがあることを指摘している。

A.農業と自然とのかかわりについての認識の違い

EUの農業環境政策は,集約度の低い伝統的な農業こそがヨーロッパの農村の景観や生物多様性を育んできたのであり,農地が耕作放棄されてヤブを経て森林に戻るよりも,伝統的な農業によって使用されたときに,景観や生物多様性などの環境価値が最高に発揮されるという認識に立脚している。このため,耕作放棄地の拡大を抑制し,農地を伝統的あるいは集約度の低い農業によって維持するために,EUの農業環境支払のかなりの部分が使用されている。そして,マイナスの環境汚染や環境破壊は,伝統的農業から集約度の高い農業にシフトして,化学肥料,農薬,購入飼料などの投入物が過剰使用されために生じたことを重視している。

他方,アメリカの農業環境政策は,農地を生産から撤退させて自然に戻したときに,土地の環境価値がより高まるという考えに立脚している。それゆえ,農地を生産から撤退させて,野草地に戻したり植林したりするのに多額の予算を支出している。そして,農業による土壌侵食や生物多様性の喪失などの環境負荷や破壊は,環境的に脆弱な,高度に侵食されやすい傾斜地や,湿地を排水した干拓地といった限界農地の利用強度を高めたために,生じたことを重視している。

B.重視する環境サービスの違い

こうした農業環境政策の基本的認識の上で,EUは,伝統的農業が作り上げてきた,段々畑のテラス,家畜囲い用の生け垣や石垣,家畜の希少種の飼養などのプラスの環境サービスを農業環境政策の重要な対象に位置づけている。農業がこうしたプラスの環境サービスの創出に貢献していることは,EUの非農業の市民からも支持されている。そして,EUの農業環境政策には,補助金を受けて生産から撤退した農地を市民の散策に開放するといった,非農業の納税者の環境に対する要求に応える目的で作られたものも多い。

これに対して,アメリカは農業のもたらしているプラスの環境サービスを農業環境政策の対象にしていないし,非農業市民の要求を考慮していない。アメリカは,上述したように,環境的に脆弱な土地の過度の利用に起因する,表土の流出,水質汚濁,湿地の排水や野生生物生息地の喪失といった,マイナスの環境汚染・破壊を対象にしている。

EUもマイナスの側面も政策の対象にしているが,農業の過度の集約化による問題として,化学物質の過度な使用や過剰な家畜ふん尿による水質汚染,非持続可能な潅漑による環境汚染と土壌資源の劣化,過密な家畜飼養によるアンモニアなどによる大気汚染,農業生物多様性の減少などを対象にしている。そして,集約農業からの転換を助長するために,EUは有機農業や家畜飼養密度の削減などに支払を行なっているが,アメリカはこうした支払を行なっていない。

●事業目標に対する適合度合いの評価の仕方の違い

政府の行なう農業環境対策事業は,プラスの環境サービスの維持・増進や,マイナスの環境負荷の削減を目標に設定している。例えば,農業による硝酸性窒素の地下水汚染の削減を目的にした事業が,農地から地下水に流入する土壌水中の硝酸性窒素濃度を,年間を通じて,土壌水1リットル当たり10 mg N以下にすることを目標に設定したとする。この具体的目標を達成するために,個々の農業者が圃場ごとにどのような栽培条件を設定すべきなのか,また,農業者が実際に栽培を行なって設定された目標を達成できたのか,これらの課題を事業に参加する全ての農業者の圃場全てについて計算し実測するのは通常は不可能である。そこで,事業目標を確実に達成するとは言い切れないが,少なくとも達成の方向に環境を改善するはずの,環境にやさしい資材を,負荷を起こさない範囲で使用する技術条件を指定して,それを守ることを条件にすることが代替方策として使用されている。報告は,EUの農業環境政策はこうした環境パフォーマンスの評価の仕方を採用していることを指摘している。

EUでは「有機生産基準を守ることは,特定の環境公益を生み出す行為よりも環境の質を全体的に改善するのにつながる」という観点から,有機農業に転換した農業者に支援金が支給されている(環境保全型農業レポート.No.24.有機農業に対する政府の取組姿勢参照)。全体的には,有機農業は慣行の集約農業よりも環境負荷を減らしているが,化学肥料の代わりに有機質肥料や堆肥を多量施用すれば,硝酸性窒素による地下水汚染を起こす可能性を持っている。つまり,EUの農業環境対策事業はその目標達成度合いを定量的に評価していない。特に景観や生物多様性といったプラスの環境サービスの定量的評価が難しいことも,その一因であろう。

これに対してアメリカは違った評価方法を採用していることを指摘している。
例えば,「保全留保プログラム」(Conservation Reserve Program: CRP)は,高度に侵食を起こしやすいか,その他の環境問題を起こしやすいとして指定された環境脆弱地域内に耕地を有する農業者を対象にして,耕地を10〜15年間作物生産から撤退させて,永年生の牧草や樹木を生やすことを条件に,エーカー当たりの年間借地料と,永年生植物被覆の造成コストの半分とを支給する事業である。借地料は各カウンティ(郡)の平均値を超えることができないが,必要な場合にはインセンティブを与えるために追加料金を加えることができる。応募者は,どのような耕地をどの永年生植物でどのように被覆するのかについての計画を提出する。計画案について,野生生物生息地,水質,生産力の持続性維持など,6つの環境要因の改善期待度合と造成コスト要因に基づいて,環境便益指数を事務局が一定の計算方式で計算する。そして,必要コストが少なく,環境改善効果の高い計画から採用するという入札方式を採用している。ただし,環境便益指数は,計画の実施によって達成される環境便益(環境サービス)の量を定量するものではなく,その相対的大小を示す指数である。

EUの方式では,環境にやさしいものと指定された技術を使用すると約束するだけで支払を受け取ることができる。例えば,有機農業を採用したことによって環境改善効果が特に高い,例えば水辺の農地であれ,環境改善効果のほとんどない圃場であれ,同額の支払を受け取ることができる。これに対して,アメリカのCRPでは事業目標に対する高い適合度を求め,そのために必要な環境便益指数を計算するために,応募者の圃場の環境特性に関する情報,農地を生産から撤退させて放置した場合の環境改善効果に関する情報や,農地を撤退させて土着草本を栽植した場合の環境改善効果に関する情報を必要として,面倒である。しかし,相当するEUのプログラムよりも,1ドル当たりより多くの環境改善を引き出しており,農業による環境の汚染や破壊が深刻で,採用した場合に環境改善効果の高い地域や場に予算を振り向けうる方式であると指摘している。

●政策立案・実施構造の違い

報告は農業環境政策の立案・実施構造の違いが重要な違いをもたらしていると指摘している。いうまでもなくEUは加盟国の連合体であり,農業環境政策の予算はEUと加盟国の共同拠出であり,立案・実施には当然加盟国の意向が反映される。農業環境政策の趣旨からいえば,集約農業が活発で,例えば,余剰窒素量が多いなど,農業による環境負荷の多いオランダやベルギーほど,農業環境対策事業を積極的に行なっていることが期待される。しかし,EUで農業環境政策を多くの予算を使って精力的に実施している上位3か国は,オーストリア,スウェーデン,ドイツである。これらの上位国では,教育レベルが高く,環境認識の高い,主に都市住民の「グリーン」納税者の要求に呼応して農業環境政策が多く提供され,農業セクターは不承不承したがっている側面があることを指摘している。

これに対してアメリカは,連邦制をとって州政府の権限を大きく認めているものの,農業環境政策では事実上,連邦政府だけが予算を拠出している。このため,EUでは農業環境政策の予算や政策の中味は加盟国が合意できる範囲に限定されるのに対して,アメリカは連邦政府の意向で決めることができる。こうしたことを反映して,アメリカでは「保全留保プログラム」のケースに限定されるが,連邦政府からの各種農業補助金が多く,農業生産が活発な州ほど,農業生産にともなう環境負荷も多いと考えられるため,その環境負荷を減らすために,連邦政府からの「保全留保プログラム」の配分額が多くなっている。

●農業環境政策の今後の課題

報告は,これから,他の形態の農業補助金は国家財政の制約や貿易協定によって削減されると予測されるとし,今後,農業グループから出される条件を満たしながら,納税者の納得できるコストで市民の求める環境サービスを提供する事業をデザインすることが大切な課題となろうと指摘している。