No.327 2000年の間に水田土壌はどう変化するのか

●土壌の年代系列

日本に水田稲作が渡来してから,3000年を超える時代が経過している。水田土壌は,人間の営農行為によって,作土の下に耕盤(鋤床)を形成して透水性を低下させた上で,湛水によって土壌を還元させて,とときどき短期間排水を行ないながら,人為的に創られた土壌である。

水稲の連作は可能なので,2000年間継続栽培されている水田が日本に現存していても良さそうなものだが,実際はそれほど古い水田は現存していないようである。そこで,水田土壌の長期にわたる動態を論ずるときは,研究では通常,長くても数10年にわたる圃場試験を行なって,その結果からシミュレーションモデルを作成して,100年程度後までの物質変化を予測しているのが通常である。

しかし,文献的に造成の記録が残されている歴史の古い水田が存在する。

日本では,2000年前というわけにはいかないが,岡山県の瀬戸内海沿岸で1583年に宇喜多秀家によって干拓が始まり,1618年に干拓により瀬戸内海の島であった児島と岡山がつながって陸続きの児島半島となり,東側が児島湾となった。その後も干拓による水田造成は昭和に至るまで営々と続けられてきた。

児島湾の一部ずつを,違った時代に堤防で閉め切って干拓して造成した海成堆積物由来の水田土壌は,ほぼ同じ母材から出発して,同じ気候,地形や営農行為で造成された水田土壌であり,その造成してからの土壌生成年数が異なる一連の土壌系列といえる。こうした土壌群を年代系列とよんでいる。

通常は,水田の造成後年数が不明のまま水田土壌を論じているが,水田造成後何百年にもわたって水田土壌が進化し続けているとすると,水田での物質変化などの状態が実は異なる段階にある水田を,それを知らずに,同一と考えて論じている可能性がある。そこで,こうした土壌生成期間の異なる年代系列の土壌を比較することによって,自然土壌や造成土壌の進化過程を解析することができ,その長期わたる水田土壌の進化過程のなかで,現在問題にしている水田が現在どの段階にあるのかを承知していることは,水田土壌の管理を適切に行なううえで,大切なことである。

●児島干拓地水田土壌年代系列の比較研究

では,造成・水稲作付後年数の異なる年代系列の水田土壌を解析すると,どのようなことが分かるか。その例として,かつて京都大学の土壌学の教授であった川口桂三郎らが行なった,児島干拓地の水田土壌の年代系列の研究の一端を示す。川口らの年代系列の水田土壌を用いた研究は,世界で最初に水田土壌の研究に年代系列のアプローチを導入した点でも有名である。

川口らの行なった研究のなかで,例えば,午拓・水稲作付後の年数が数か年以内,約40年経過,約110 年ないし130 年経過ならびに約240 年経過した水田土壌について,経過年数の差異による鉄,マンガン,アルミニウム,チタンの遊離酸化物の移動と集積状態ならびに断面形態との比較検討を行なったものがある(川口桂主郎・松尾嘉郎(1956)水田土壌の生成学的研究(第4報)児島干拓地水田土壌中における遊離酸化物の移動.日本土壌肥料学会誌.26: 451-454 )。(Keizaburo Kawaguchi K. and Y. Matsuo (1957) Re-investigation on distribution of active and inactive oxides along soil profiles in time series of dry rice fields in polder lands of Kojima basin; Okayama prefecture, Japan. Soil Science and Plant Nutrition 3(1): 29-35. )

その結果を,和田秀徳(当時東京大学助教授)の要約をベースにして紹介する(川口桂三郎編(1978)「水田土壌学」3.1 水田土壌化作用.p120)〔注:( )内は筆者加筆〕。

(1)鉄,マンガンは(深さの異なる複数の層に集積するが,)それぞれ集積層の中でも,最大集積をしている位置は年次とともに上昇し,一方,集積層全体の上部はわずかに下降する。

(2)この理由は,遊離酸化鉄の最大集積部位は酸化力が大きいため,その直上部で上方から溶脱してきたFe(II)(注:二価の還元型の鉄)を酸化沈着させ,また作土層の遊離鉄含量の低下にともない,鉄のキレート剤となりあるいは鉄をゾル化しうる物質が作土から溶脱してきて,集積層上部の鉄を溶解してすぐ下の位置で沈殿するとした。

(3)不活性鉄含量の減少は,干拓後の経過年数とともに作土層からしだいに下方の土層に及び,ついには鉄集積層の下部にまで達する。

(4)土層全体からの鉄の全溶脱量は全集積量をはるかに上回り,多量の鉄が断面から失われている。

こうして水田土壌が長い間経過すると,水田作土から鉄の溶脱が甚大な量に達する。川口・松尾(1956)は,240年経過の水田では干拓当初のものに比べて,遊離鉄の含量が約30%減少したと試算した。還元の発達した水田では,硫酸還元菌によって硫化水素が発生する。硫化水素は鉄と反応して沈殿して無毒化されるが,鉄が減少した水田では,硫化水素が水稲根の呼吸を阻害する生育障害が生じた。この障害は還元が発達する水稲の生育後期に生ずるため,秋に生育が低下する「秋落ち現象」と呼ばれ,第二次世界大戦中および戦後の食糧難の時代に深刻な障害となった。こうした秋落ち現象も,江戸時代に多く開墾された水田での長期にわたる発達過程で生じた必然の結果であったといえよう。

●中国揚子江河口(浙江省)の2000年の年代系列における研究

中国には、2000年の歴史を持つ水田土壌が残っている。

中国の亜熱帯である浙江省の揚子江河口の杭州湾には,慈渓市近くの沿岸部における干拓の歴史が古い記録に記載されている。それゆえ,その一連の干拓水田は,石灰質海成堆積物に由来する2000年の水田土壌年代系列を構成している。この浙江省慈渓市の2000年の年代系列を中心に,他のものも含めて,多数の年代系列を用いて,長期にわたる土壌の発達過程が中国で解析されている。その主要な結果が下記にまとめられている。

L.Huang, A. Thompson, G. Zhang, L. Chen, G. Han, Z. Gong (2015) The use of chronosequences in studies of paddy soil evolution: A review. Geoderma 237-238 (2015) 199-210

年代系列の土壌を解析した結果から,次の結論がえられている。なお,この解析は2000年前からの年代系列の土壌を扱っており,昔は無肥料か有機物が施用されたとしても量は非常に少なく,化学肥料の施用がなされたのは歴史的にはごく最近にすぎないことを念頭に置いておくことが必要である。

(1)干拓後,土壌は次の3つの段階で発達する。

初期段階:最初の0‐50年間。作土への有機態炭素の蓄積と作土の脱塩や磁化率(物質の磁気的性質,すなわち磁化の難易の程度を示す量)の消失が急速に進行し,作土の下に,人為活動に起因した緊密な耕盤が徐々に形成される。

第2段階:50‐700年。鉄酸化物の分布が層位において分化し,鉄の集積層,粘土の集積,主要元素(ナトリウム,マグネシウム,ケイ素,リンやマンガン)の消失,炭酸カルシウムの消失が進行する。

第3段階:700年以降。心土への鉄の集積,グライ化や鉄欠乏微小部位の形成といった還元の発達,ならびに粘土集積層の形成が進行する。

(2)水田造成・栽培開始後50年までの範囲で,作土の有機態炭素と全窒素は最初の30年間に増加し,その後は比較的安定しており,作土における有機物炭素含量の定常状態には30年しか要しないとの指摘がある。しかし,上記の解析結果からは,数100年から数1000年栽培された水田土壌にはなお,作土に有機態炭素が蓄積していることを示されている。

(3)水田造成・栽培開始後80年までの範囲で全リンが2倍増加したのに対して,全カリは無栽培土壌に比べて28%減少した。

(4)水田造成・栽培開始後50年までの短期の有機態炭素の蓄積は,作物残渣や堆肥といった有機物の投入と嫌気的条件下での有機物分解速度の遅延に起因するのに対して,100年ないし1000年の時間スケールでの水田土壌における長期の有機態炭素の蓄積は,団粒中への閉じ込め,有機物−鉱物複合体の形成ないし植物オパールへの難分解の化学的組み込みによると推定される。この仮説はさらに検証する必要がある。

(5)慈渓市の水田および非水田の年代系列土壌において,窒素の動態を調べ,初めの100年間で,水田と非水田の両土壌はそれぞれ窒素を年間77と61 kg/haの割合で蓄積し,それぞれ172年後と110年後に定常状態に到達した。水田圃場の最終窒素蓄積量は非水田のものを3倍上回った(この部分は次の文献による。Roth, P.J. E. Lehndorff, Z.H. Cao, S. Zhuang, A. Bannert, L. Wissing, M. Schloter, I. Kögel-Knabner and W. Amelung (2011) Accumulation of nitrogen and microbial residues during 2000 years of rice paddy and non-paddy soil development in the Yangtze River Delta, China. Global Change Biology. 17: 3405-3417.

全無機態窒素と菌体窒素ならびにアミノ糖を調べた結果,水田での水稲栽培は有機態の窒素の蓄積を有意に促進し,微生物細胞壁残渣が窒素貯留に貢献していることが示された。しかし,作土における増加と異なり,心土では水稲栽培開始後約300年後に糸状菌菌体残渣の減少が生じ,心土でのこの減少は作土でのものと時期が一致していなかった。作土と心土における窒素の動態が並行しなかったが,これは,代かきの繰り返しによって硬い耕盤が形成されて,有機物の下層土への下方移動が妨害されたことに起因すると推定された。

(6)水田造成・栽培開始後2000年の水田土壌における土壌窒素の無機化作用と硝化作用,およびアンモニア酸化細菌数の動的変化を調べた。その結果,窒素の無機化と硝化作用は,栽培期間が長くなると抑制された。これらは,それぞれ容易に無機化できる有機態窒素の減少とアンモニア酸化細菌の数の減少に起因した。

(7)慈渓市の水田の年代系列土壌において,水稲栽培とともに全リンと様々なリン画分(カルシウム態リン,有機態リン,難溶性リンなどが蓄積して水稲栽培の50年から150年までに最大値に達した後,急速に減少した。これに加えて,長期の水田栽培によって,リンの収着体(固形物の表面への吸着と内部への吸収を合わせて収着とよび,収着を行なうものを収着体という。吸着体には,CaCO3,酸化鉄,酸化アルミや粘土鉱物などがある)の減少のために,水田表土のリン収着容量が有意に破壊された。このリンの収着容量の低下のために,生産力を維持するために水田土壌にリンの投入量を増やすことが必要になり,施用が過剰であったり時間的に集中しすぎたりすると,リンの溶脱が増えることになる。

●おわりに

19世紀後半に,ロシアのドクチャーエフによって,自然土壌を対象にして,土壌は,気候,植生,母材,地形と時間という土壌生成因子の相互作用によって生成・発達するとされた。そして,地形や母材の影響をあまり受けていない土壌を正常な成帯性土壌と呼び,人為の影響を受けた土壌を軽視してきた。水田土壌は6番目の土壌生成因子である人為の影響を強く受けた土壌(カンビソル)として位置づけられている。

では,ここで研究された中国の年代系列の土壌は母材が類似したものだが,母材や気温などが浙江省と異なる土壌ではどうであるかについては,今後検討が必要であろう。