・はじめに
水や大気とともに, 土壌は地球上の生命にとって大切な自然資源である。その貴重な土壌が雨や風によって侵食されて失われると,食料生産基盤が脆弱になるだけでなく,侵食された土砂が河川,湖沼や貯水池などに堆積して,洪水のリスクを高めたり,利用可能な水量を減らしたりして,食料生産や自然景観を損なうことになる。このため,世界中で土壌侵食速度を測定し,それを低減するための対策が講じられている。
しかし,土壌侵食速度を測るのは意外に難しい。実験的に狭い面積で測定した侵食速度を広域な現地に適応した際には,大きなズレが生じて,計画した対策が効果を発揮できない場合も少なくない。
スペインの研究グループによる下記の総説が,既に公表された土壌侵食に関する多数の文献をメタ分析(注:統計分析のなされた複数の研究を収集し,それらを統合したり比較したりする研究手法)によって検討し,土壌侵食速度の測定に関する問題点を指摘した。
この概要を以下に紹介する。
・研究方法
1981年以降2014年までに刊行された土壌侵食に関する文献を文献データベースで検索し,62か国の276の文献から収集した1639の侵食事例に加えて,(1)アメリカ農務省の土壌侵食研究所NSERLから提供された635の侵食プロットでのデータ,(2)アメリカの地質調査所USGSの集水域での1582のデータ,(3) カナダ水文部HYDATの集水域での480のデータを使用してメタ分析を行なった。
収集された文献の大部分は,北アメリカと,地中海沿岸を中心にヨーロッパで行なわれたもので,ヨーロッパではこの他にドイツ,イギリス,ベルギーおよびオランダで比較的多く,数は多くないが,チリ,中国,いくつかのアフリカ諸国での研究もあった。日本では土壌侵食の研究が多くないが,分析対象になったのは森林土壌の侵食速度をアイソトープ方法で測定した脇山義史(筑波大学)ら(現在福島大学環境放射能研究所)の論文1編だけであった。
・侵食速度とは
土壌侵食速度soil erosion ratesは,正式には,土壌から土砂を引き離して除去させる全てのプロセスと,新しく土壌を生成して当該土壌に堆積させるプロセスとの長期間におけるバランスである。そのため,侵食速度はマイナス(正味の重量ロス)またはプラスの値(正味の重量増加)となりうる。
これに対して,侵食によって流出されて別の場所に堆積した土砂量は,流出土砂収量sediment yieldと呼ばれて,常にプラスの値である。侵食の研究で使われているいくつかの手法は,流出土砂収量を測定している。
侵食速度と流出土砂収量の両者とも,単位時間当たりの重量,または,単位時間・単位表面積当たりの重量という同じ単位で表示されるので,混同されやすい。また,大部分の研究で使われている侵食速度の測定方法は流出土砂収量を測定しているが,土壌生成速度を測定していないし考慮もしていない。このため,著者らは,侵食速度と流出土砂収量の両者をともに通常「侵食速度」と呼び,必要に応じて区別している。
・解析結果の概要
文献から収集した土壌侵食に関する実験記録の回帰分析から,3つの環境因子(降水量,傾斜,土地利用/土地被覆)が,侵食速度に有意な特に大きな影響を有することが示された。そして,これらの因子に加えて,侵食速度の測定方法,調査面積の大きさ,実験期間といった因子を考慮することが重要であることが示された。
・降水量と土壌侵食速度の関係
収集した論文から降水量と土壌侵食速度の関係を調べた3431の記録を用いて,平均年間降水量(mm/年)と侵食速度(t/ha年)の関係を解析した。大部分の研究は年間降水量が1500 mm未満の地域で実施されたもので,年間2000 mmを超える地域での研究は非常に少なかった。
年間降水量に対する侵食速度の値は大きくフレていたが,収集された記録の範囲で,侵食速度は年間降水量とともに有意に増加し,年間1000 mmと1400 mmの間で侵食速度が急激に高まり,年間1400 mmの降水量で,平均約10 t/haの侵食速度であった。ただし,年間1400 mmの降水量で,平均値の数倍の侵食速度の値が得られた研究も少なくない。因みにアメリカ農務省は,土壌の種類によって異なるが,土壌生成速度を考慮した農業生産を持続できる土壌侵食許容量を4.9 – 12.4 t/haとしている(環境保全型農業レポート「No.46 アメリカ 耕地からの土壌侵食の実態」参照)。なお,1500 mmを超える降水量での記録が少ないので,多雨条件下での降水量増加による浸透速度の増加の傾向は不鮮明であった。
年間降水量を指標にして多くの実験がなされているが,静かな雨が長時間続くよりも,激しい豪雨が1日降ったほうが,侵食速度の高いケースが少なくない。特に数か月間の短い実験期間内に,滅多にない豪雨が降ったケースとそうでないケースでは,年間降水量が似ていても,侵食速度の値に大きな違いが出てくる。このため,年間降水量は土壌侵食のあまり良い予測指標ではなく,年間降水量でなく,豪雨のときの雨量強度など,別の降雨侵食指標が必要なことが指摘されている。
・土地の傾斜角度と土壌侵食速度の関係
土地の傾斜角度と土壌侵食速度の関係を調べた624の記録に基づいて,侵食速度と傾斜角度(m/m)の関係を解析した。その結果,緩と急の両傾斜において侵食速度は非常に大きくフレていたものの,傾斜角度が高まると,侵食速度が有意に増えることが示された。
傾斜が0-0.2 m/m(角度は約11度)の間で傾斜が増えると,平均侵食速度が急激に増加することが示された。大きなフレがあるものの,0.2 m/mで平均侵食速度が6 t/haであった。農地は典型的にはこの傾斜の範囲内にあるので,これを超える傾斜角度での実験数は大幅に減少した。
・土地利用/土地被覆と土壌侵食速度の関係
土地利用/土地被覆と侵食速度との関係を調べた860の記録に基づいて解析を行ない,土地利用/土地被覆と侵食速度との関係について次の結果が得られた。
(1)農地や裸地には中位の侵食速度を示したケースもあったが,年間10 t/haを超える最高クラスの侵食速度を示したケースの多くは,農地や裸地であった。
(2)森林地帯や低木地帯は,高い侵食速度のケースもあったが,侵食速度が低いか中位であった。
(3)放牧地地域は中位の侵食速度である傾向があった。
(4)森林火災の生じた場所では,侵食速度が比較的低いことが多かった。しかし,火災に続いて直ぐに降雨が生じて,植生が直ぐに回復するとは多くの場合報告されておらず,この解釈には疑問がある。森林火災後の侵食速度に関する研究は10編だけで,多様な森林火災サイトを代表させるには結果が少なすぎる。とはいえ,急速な植物の定着と火災後の侵食の減少のために,この情報は大切である。
・測定方法と土壌侵食速度の関係
合計4165の記録から侵食速度と使用した測定方法との関係をみると,測定方法によって侵食速度が異なり,次の有意の結果が得られた。
(1)侵食モデルによるシミュレーション方法,ラジオアイソトープ方法(注1)や等深線方法(注2)では,より高い侵食速度の値を示した結果の割合が高かった。
(注1:天然放射性核種のBe-7が土壌の2 cm 以浅部分にのみ吸着されるのに対し,核実験生成物のCs-137は約20 cm の深さまで分布していることを応用し,測定地点における実験開始前のこれらのアイソトープの濃度が侵食後にどのように変化したかによって,侵食によって流出してきた土砂の深さと量を推定する手法)
(注2:貯水池などの底の深さの等しい点を結んだ等深線を実験の前後で測定し,実験期間中に堆積した土砂量を推定する手法)
(2)小規模な実験プロット(測定区画)内ないしモニター河川で流出土砂収量を直接測定した場合には,一部に高い侵食速度の結果が得られた結果もあったが,少し長期に実験を行なっていると,流出する土砂量が枯渇して,比較的侵食速度の低い結果が多かった。
(3)小規模な実験プロットと広い面積の集水域とでは大きな違いが認められ,実験プロットでは,高い侵食速度の結果の割合が高かった。
・調査面積の大きさと土壌侵食速度の関係
この問題を調べた236の記録に基づいて,侵食速度と調査面積のサイズとの関係を解析した。侵食速度の測定方法によって調査面積が異なり,降水シミュレーションモデルやラジオアイソトープ方法は主に最小規模(108 m2未満)でなされている。記録の点数が特に多かったのは,アメリカが全国資源インベントリーの調査事業や他の土壌保全プログラムで実施している,USLE(Universal Soil Loss Equation:汎用土壌流亡予測式)を用いた土壌侵食速度を測定している実験プロットの大きさにおおむね一致する約60 m2付近と,集水域レベルで侵食速度を測定した研究に用いられたモニター集水域の典型的なサイズに一致する1000 km2に存在した。
調査面積の大きさによって捕捉できる土壌侵食プロセスが異なり,面状侵食sheet wash erosionや細溝侵食rill erosionは実験プロットで捕捉できるが,ガリ侵食や地滑りでは,集水域のサイズで捕捉される。
また,実験プロットに基づいた研究は,表面流去水や侵食がプロット内の面積全体から生ずると仮定しているが,表面流去水や土砂の発生する面積は比較的狭く,プロットの出口に近いところに限定されているとの証拠が増えている。
どの調査面積でも,侵食速度の測定値が大きくフレた。しかし,両対数目盛で調査面積と侵食速度の関係をみると,両者の間に有意のほぼ直線関係が認められた。すなわち,調査面積が10 m2未満では侵食速度はほぼ一定であったが,調査面積が10 m2を超えると,面積が増えるほど侵食速度が直線的に低下した。
・実験期間と土壌侵食速度の関係
実験期間中に多量の土砂を侵食する豪雨が生ずる確率は,短期の調査では低く,たまたま豪雨が生ずると侵食速度が大幅に増加するのに対して,長期の調査では豪雨が生ずる確率は高くなり,調査による侵蝕速度のフレが小さくなる。3053の記録によって侵食速度と研究期間の関係を解析すると,データのフレが大きいが,研究期間が長くなると侵食速度が有意に増加した。そして,実験期間が1年間では侵食速度が年間平均で約1 t/haだが,50年間になると,平均で6 t/haであった。
このことは,実験期間が短いと平均侵食速度の推定に関する不確実性が高く,長くなると不確実性が低くなることを意味している。そして,別の解析によって,20-25年間の測定が信頼できる侵食速度を得るのに最適と考えられた。
・結論
土壌侵食速度の測定結果は,測定方法によって大きく異なり,1オーダー(桁)のフレが恒常的であり,非常に大きな不確実性が存在している。土壌侵食の研究ではこのことを十分考慮する必要がある。そして,いろいろな環境条件や対策措置での土壌侵食速度の相対的大小を比較するには様々な測定方法が利用可能だが,侵食速度のより正しい値を把握するには,20-25年間にわたる広域の集水域での測定が望ましい。