・研究の背景
WHO(世界保健機構)の2010年の統計(World Health Statistics 2010 )によると,2000年における国別の出生時平均余命が世界最長だったのは日本で,男78歳,女85歳,男女合わせて81歳であったのに対して,最短はアフガニスタンで,男41歳,女44歳,合わせて42歳で,国によって余命に大きな差が存在する。先進国での国民の平均余命は,冠状動脈性心臓病,脳卒中や全てのガンによる高い死亡率によって短くなっていることが判明していることから,WHOは1983年から,「冠状動脈性心臓病と食物比較」のプロジェクト研究を行なった。
この研究の一環として,家森幸男.三浦綾子(以上京都大学)・平良一彦(琉球大学)は,下記論文で,食事摂取と心臓血管病の関係について,世界25か国の65の住民集団を対象に,その生物学的指標との関係を分析して,沖縄の食事と健康寿命の関係を理解しようとした。
その結果,研究対象とした世界の住民集団について,冠状動脈性心臓病死亡率と血清コレステロールレベルとの間に正の相関が存在し,尿中への24時間タウリン排出量との間に逆相関が存在することが証明できた。また,沖縄県人の余命が長いのは,低塩分,大豆,魚,海藻,および恐らく緑色野菜に特徴づけられる沖縄の食事の結果として,冠状動脈性心臓病やガンによる死亡率が低いことによる,と結論できた。因みに厚生労働省の国民健康.栄養調査によると,2012年度の食塩類摂取量(g/日)の平均値(20歳以上,都道府県別)は,全国平均で男11.3 g,女9.6 gだが,最も多いのは岩手県で男12.9 g,女11.1 gに対して,最も少ないのが沖縄県で男9.5 g,女7.8 gであった。
・硝酸の多い日本食が血圧を下げ,心臓血管病の発生率を低くしている
上記,家森らの研究では,沖縄県人の余命が長いのを,低塩分,大豆,魚,海藻および緑色野菜に特徴づけられる沖縄の食事によって,冠状動脈性心臓病やガンによる死亡率が低いことに帰した。これに対して,スウェーデンのカロリンスカ研究所と杏林大学の共同研究は,下記の論文で,その中核的メカニズムを,野菜などから摂取された硝酸から口内や消化管内の細菌によって還元された亜硝酸から,酵素などによって生ずる一酸化窒素 (NO) の血圧低下作用に焦点を絞って解析を行なった。
なお,以下の記述で,野菜などの食物や人体に存在する硝酸はイオン状態で存在し,正確には「硝酸塩」と表記すべきだが,簡略化して「硝酸」と表記する。
また,論文の表題は”Japanese traditional foods”となっていて,沖縄の伝統食とはなっていない。これは日本食に共通する野菜の量の多さに注目して,野菜から多く摂取している硝酸に起因する血圧低下作用に注目したからである。しかし,厳密には,日本の平均値を超えるほどの食塩を摂取しているケースは除くことを前提にしており,全ての日本食を対象にしてはいないと考えられるので,注意していただきたい。
A.実験方法
25人のボランティアの研究参加者は,健康な日本人の成人(男10人,女15人:平均年齢36±10歳,BMI < 18.5〔注:BMIは,ボディマス指数=体重(kg)÷身長(メートル)の二乗:18.5以上で25未満が普通体重。18.5未満が低体重(やせ型)〕であった。因みに杏林大学の所在する東京都の2012年度の食塩類摂取量(g/日)の平均値は,男11.4 g,女9.7 gで,全国平均値に近い値である。
ボランティア参加者には,10日間ずつ,日本食と非日本食を毎日摂取してもらった。
日本食摂取期間には,週2回,日本人が摂取している一般的な野菜と主食の材料を,同じ店から購入して参加者に提供した。参加者には平均の1日当たりのエネルギー摂取量の目安を約1900 kcalとして,自分で日本食を調理して摂取してもらい,摂取した全ての飲食物と食材の種類と量を調査票に記入してもらった。
非日本食期間には,参加者には日本人の一般的に摂取している野菜を避けるように指示し,伝統的日本食を他の食事に如何に置き換えるかの指示にしたがわせた。例えば,朝食には,コーンフレーク,ミューズリー(穀物、ナッツ(木の実)、ドライフルーツ(乾燥果実)などを混ぜた朝食用シリアル),ヨーグルトやサンドウィッチをとるように指示した。対照の食事は,全蛋白質,全炭水化物,全飽和および全不飽和脂質の量で,日本食摂取期間と大きな違いが生ずるリスクを除くようにデザインしたものを指示した。
報告された使用材料の種類と量に,既往文献にもとづいた,生鮮食品や加工食品中の天然由来の硝酸および亜硝酸の含有量を乗じて,摂取した硝酸と亜硝酸の量を試算した。
実験開始時,中間点での食事変更時,実験終了時の3回,朝食前に血液と唾液の採取と血圧測定を行なった。なお,唾液と血液採取および血圧記録の際には,前日の夕食を一回絶食させた。
B.実験結果
▽ 事前に提示した食事指示を守ってもらい,参加者の体重は有意な増減を示さなかった(平均値±SD;試験の開始時58.7 ± 9.3 kg,非日本食の終了時58.9 ± 9.1 kg,日本食終了時58.7 ± 9.3 kg)。
▽ 各人の摂取した1日当たりの硝酸量は,日本食期間では,平均18.8 mg/kg体重/日で,日本食に由来する硝酸量はADI(1日許容摂取量)の5倍超であった(ADI=3.7 mg/kg体重)。(注:ADIは,2002年に「FAO/WHOの合同食品添加物に関する専門家委員会」the Joint FAO/WHO Expert Committee on Food Additives (JECFA)によって確認された値。)。
▽ 循環している血漿中の平均硝酸レベルは,非日本食期間後に43.2 ± 17.4 µMであったが,日本食を10日間摂取した後には153.9 ± 1494 nMに有意に増加した(P < 0.001)。血漿中の平均亜硝酸レベルは非日本食後に131.5 ± 75.34 nMであったが,日本食後には203.5 ± 102.3 nMに増加したが,有意差はなかった(P = 0.0063)。
▽ 唾液の硝酸レベルは,中央値(範囲)で,非日本食後199.7 (0.1-703.7) µMであったのが,日本食の後に569.6 (14.4-5778) µMに有意に増加し (P = 0.0008),亜硝酸レベルは,非日本食終了時に71.9 (0.4-453.2) µMであったのが,日本食終了時に134.2 (1.2-1411) µMに有意に増加した(P < 0.0018)。
▽ 心臓拡張期の平均血圧(最小血圧)は,非日本食後に75.8 ± 7.8 mm Hgだったのが,日本食摂取後に71.3 ± 7.9 mm Hgとなり,日本食によって4.5 mm Hg有意に低下した(P = 0.0066))。なお,収縮期血圧(最大血圧)には有意差がなかった。
▽ 以上の結果から,硝酸に富んだ伝統的な日本食は,健康なボランティアの心臓拡張期の血圧を引き下げると結論できる。この結果は,日本食の健康側面を説明するといえる。
▽ ただし,注釈を加えれば,食塩濃度が高い食事の場合には,血液に水分が多く取り込まれて,血液量が増えて,その結果,血圧が高まるので,硝酸に富んだ食事による血圧低下効果が弱められると推定される。
・高硝酸野菜が血漿の硝酸と亜硝酸濃度を高めて血圧を下げる
イギリスのNHS (National Health Service: 国民保健サービス)は,元々アメリカで始まったのだが,5 a dayキャンペーンを実施している。これは高脂肪・高蛋白質の食事によって,脳卒中,心臓病やガンなどの発症を抑制するために,1皿80 gの野菜や果実を5品目以上摂取し,野菜や果実を毎日400 g以上摂取することを奨励している。
その背景には,イギリスの成人の少なくとも25%および60歳超の人々の50%超の人々が高血圧であり,脳卒中や心臓病のリスクを高めていることがある。これまでの研究から,緑色葉物野菜が冠動脈性心疾患と脳卒中のリスクを引き下げること,緑色葉物野菜を1日1皿増やすだけで脳血管疾患のリスクが11%低下すること,無機の硝酸サプリメントや硝酸含量が異常に高いビートの根の摂取によって,健康で正常体重の男性の収縮期血圧(最高血圧)を4.4 mmHg有意に下げることなどが報告されている。
そこで,イギリスで容易に利用できる新鮮な緑色葉物野菜を使って,食事による硝酸摂取の生理学的影響を,研究の少ない閉経前の健康な女性について,下記の研究が調べた。
A.実験方法
ボランティアとして実験に参加する者として,非喫煙で閉経前の女性で,規則正しい月経周期(28日)で,投薬治療を受けていない者を募集し,最終的に19人の参加者のデータを解析した(平均20歳(標準偏差SD 2),平均体重62.7 (SD 10.3)kg,平均BMI22.5 (SD 3.8) (ベースライン時)であった。調査は2012年の9月から12月にかけて行なった。
参加者を2グループに分けて,高硝酸野菜または低硝酸(対照)野菜をまず1週間毎日自ら調理して摂取するように依頼した。高硝酸野菜は,レタス,ルッコラ,セロリ,リーキ,フェンネル(ウイキョウ)とサラダ葉菜ミックスとし,低硝酸野菜は,ニンジン,キュウリ,キヌサヤエンドウ,タマネギ,ピーマン,トマトとした。各野菜は同一供給者から購入して,秤量した上で箱に詰めて参加者に配布した。参加者には配分された箱の中の野菜を用いて,できるだけ自分の日ごろの食事を調理して,通常の食事を変えないように要求した。そして,栄養物含量を保持するために,参加者には野菜を生または強火で素早くいためて食べるように要求した。また食事の際に,1回7日間行なう食事日誌に,毎日食べた食事の重量と食べなかった野菜の量を計量し,残った野菜の重量を記入するように要求した。
1週間の試験後に3週間の洗い出し期間(休止期間)を設けて,その後、再び2回目として1週間の試験期間を設けた。この2回目の試験では,高硝酸野菜と低硝酸野菜の摂取を1回目と交換し,同様に調理して食べてもらった。
3週間の休止期間を設けたのは,1回目の1週間の試験と3週間の休止期間を合わせて4週間とし,2回目の試験を1回目の月経サイクルと同調させるためである。
それぞれの高硝酸および対照の食事の前後に,参加者の体重,血圧を測定するとともに,静脈サンプルを採取して血漿の硝酸と亜硝酸濃度を分析した。
参加者には調査期間中,体重減少が血圧に及ぼす影響をさけるために,通常の体重を維持するように要請し,運動日誌に毎日の運動内容を記録し,通常の運動内容を調査期間中維持するように要請した。 参加者には,抗細菌性口内洗浄液が血漿の亜硝酸の上昇を弱めることが知られているので,調査期間中は使用しないように要請した。
B.実験結果
▽ 高硝酸食事を摂取した参加者は,平均で高硝酸野菜およびサラダを毎日180 g (SD 75 g)を摂取した。摂取された果実や野菜の標準成分表に基づく栄養分析から,参加者は,対照食事に対して高硝酸食事では,平均値の対照:高硝酸の値/日が,硝酸 (8 : 339 mg),全ポリフェノール(227 : 432 mg),蛋白質(2 : 4 g),K(362 ; 836 mg),Ca(29 : 150 mg),Mg(22 : 43 mg)で,これらを対照食事よりも有意に多く摂取したが,両食事での全エネルギーや炭水化物の摂食量には有意差がなかった。なお,摂取した平均の硝酸339 mg/日(5.5 mg硝酸/kg体重/日)の量は,1日3.7 mg硝酸/kg体重のADIを超えていた。
▽ 参加者の体重には,調査期間の終わりまでベースライン(平均62.7 (SD 10.3) kg)から有意な差がなかった。同様に,対照と高硝酸食事の間で実施した運動時間(対照食事で平均4.0 (SD 2.6) 時間/週;高硝酸食事で平均4.2 (SD 2.6) 時間/週)で有意差がなかった。
▽ 血漿の硝酸濃度は高硝酸食事で7日後に平均で61.0 (SD 44.1) μmol/L)となり,対照食事後(平均26.0 (SD 9.8) μmol/L)よりも高くなった。血漿亜硝酸濃度は高硝酸食事を7日間摂取した後に平均185 (SD 146 nmol/Lとなり,対照食事後(平均101 (SD 76) nmol/l; P=0・048)よりも高くなった。
▽ 平均収縮期血圧(最高血圧)は,対照食事後の106 mm Hg (SD 8)に比べて,高硝酸食事後には103 mm Hg (SD 6)に有意に低下した。ただし,拡張期血圧(最低血圧)では有意な差が認められなかった。
▽ 各参加者の対照食事時の最高血圧(ベースラインの最高血圧)と対照食事後に比べた高硝酸食事後の最高血圧の低下程度の間には有意な相関があり(r=− 0・74, P<0・001),ベースラインの最高血圧が高い人ほど,高硝酸食事後の最高血圧が大きく低下した。
▽ 以上のように,本研究の主たる結果は,毎日180 gの様々な高硝酸野菜を7日間摂取することによって,健康で閉経前の若い女性の最高血圧が約 4 mmHg低下した。そして,ベースラインの最高血圧が高い人ほど,高硝酸野菜の摂取によって血圧が大きく低下することが示された。血圧を5 mmHg低下させることはイギリスで脳卒中を23%減らすことに匹敵し,これは年間13,700人の死を防ぐことに相当する。
▽ 参加者の摂取した全ポリフェノール量は,対照食事よりも高硝酸食事で有意に多かった。ポリフェノール(抗酸化物質)は消化管における酸化窒素の発生量を増やして血管を拡張し,一方でその抗酸化作用によって酸化窒素が酸化されるのを防いでいると提案されており,高硝酸野菜に含まれている硝酸とポリフェノールの両者が血圧を下げている可能性がある。
・おわりに
以上のように,硝酸含量の高い野菜を摂取することによって,硝酸から人体内で生じた酸化窒素 (NO) が血管を拡張して血圧を下げる。そのことによって冠動脈性心疾患や脳卒中のリスクが引き下げられ,余命が伸びることが示された。では,野菜から摂取した硝酸は人体に対して,メトヘモグロビン血症や発ガンなどを生じないのか。
野菜の摂取は硝酸と同時に,抗酸化物質を摂取しており,抗酸化物質によってメトヘモグロビン血症や発ガンの発症リスクが大幅に低下するので,乳児を除けば,野菜からの硝酸摂取の弊害はないと考えられている。食物や飲水からの硝酸の健康に対する影響の概要を,「No.300 野菜の硝酸は有毒ではないのか」で紹介する。
なお,これらの実験で高硝酸野菜の摂取によって,硝酸摂取量がADIを超え,ADIを見直すべきだと意見も出されている。しかし,EUの「フードチェーンにおける汚染物質に関するパネル」(CONTAM Panel)は,ADIを改正する必要があると確認する新しいデータを何ら認めなかったとして,改正の必要性を認めていない(EFSA (2008) Opinion of the Scientific Panel on Contaminants in the Food chain on a request from the European Commission to perform a scientific risk assessment on nitrate in vegetables. EFSA Journal 689, 1-79. )。