●これまでの土・水・大気の優良農業規範
イングランドは様々な農作業について農業者が守るべき優良農業規範を作成している。土・水・大気を保全する農作業については,(1)土壌保護のための規範 (Codes of Good Agricultural Practice for the Protection of Soil)(1993年策定,1998年改定:66頁),(2)水の保護のための規範(Codes of Good Agricultural Practice for the Protection of Water)(1991年策定,1998年改定:97頁)と,(3)大気の保護に関する規範(Codes of Good Agricultural Practice for the Protection of Air)(1992年策定,1998年改定:80頁)の3冊の規範を刊行していた。
これらの規範は,農業者に対するアドバイスであって,硝酸脆弱地帯の外の全ての農業者が自主的に守るべきマナーで,規範を守らないと直ちに違法行為になるわけではない。ただし,イングランドの法律と関係する部分については,法律を遵守した農作業の仕方を記載しており,法律に対する違法行為が発覚すれば,裁判沙汰になるとの警告がなされている。
特に水の保護のための規範では,硝酸指令に基づく硝酸脆弱地帯での家畜ふん尿や施肥に関する部分もあり,そうした部分はshouldやmustで記載されていて,守らなければ法律違反になる。つまり,硝酸脆弱地帯では硝酸汚染防止規則,有機農業ではイギリスの有機農業基準など関連法規の規則が,優良農業規範に上積みされて課せられている。そして,農業環境プログラムなどに参加して所得補償を得るには,優良農業規範を守ることが条件の一つとなっており,国から補助金を得ようとするなら,優良農業規範を守ることが事実上義務になっている。
●土・水・大気の優良農業規範の改正
これまでの土・水・大気の優良農業規範は,家畜ふん尿窒素の年間施用量を,硝酸脆弱地帯外の全ての農地で250 kg/ha,硝酸脆弱地帯内の草地で250 kg/ha,耕地で170 kg/haを超えてはならないとのイングランドの独自の規定に基づいて作成されていた。しかし,環境保全型農業レポート「No.121 イングランドが硝酸汚染防止規則を施行」に記したように,硝酸脆弱地帯内の全ての農地で家畜ふん尿窒素の年間施用量が,EUの硝酸指令に則して,一律170 kg/haに改正され,対象農地も大幅に拡大された。また,EUの国別排出上限指令を踏まえたイングランドのアンモニアの排出上限規則が2002年に施行された。こうした新たな規制を踏まえて,優良農業規範を改正する必要が生じた。そして,施用した家畜ふん尿や化学肥料の窒素は土壌中でアンモニアや硝酸になって,大気に揮散したり,水系に流入したりするため,これまでの3つの規範を一本化した改正案が作成されたのである。
土・水・大気の優良農業規範の改正案は2007年8月に公表されて意見公募がなされ,その集約結果に基づいた政府の対応も2008年1月に公表されていた。しかし,その最終承認は硝酸汚染防止規則の成立を待って行なうことになっていた。
硝酸汚染防止規則が2009年1月1日に施行されたのをうけて,新しい土・水・大気保護のための優良農業規範(DEFRA (2009) Protecting our Water, Soil and Air; A Code of Good Agricultural Practice for farmers, growers and land managers. 118p.)が2009年1月13日に刊行された。なお,新しい版が刊行された現在では,旧い3冊の規範がDEFRA(環境・食料・農村開発省)のホームページから削除されて入手できなくなってしまった。
●土・水・大気保護のための優良農業規範
新版は次の構成となっている。
第1章「緒言」では,農業活動が如何に環境を汚染しうるかなど,農業と環境の一般的な関係,農業環境保護に関する法律の概要,農業環境事業の概要や,環境保護に対する農業者の責任などを述べている。
第2章「土壌肥沃度と作物養分」では,土壌肥沃度の維持,窒素・リンの管理,土壌汚染,養分の水系への排出や大気への揮散などの問題を取り上げている。
第3章「管理計画」では,リスク評価を行なって,ふん尿管理計画,養分管理計画,土壌管理計画,作物保護管理計画を如何に策定するかを述べている。
第4章「農場建築物と構造物」では,建築物・構造物を使って行なう農作業として,サイレージ貯蔵と排液の取扱,家畜ふん尿と汚水の収集・貯留・処理,羊の洗液と洗浄,農薬・肥料・燃料の貯蔵と取扱,畜舎とその管理などの問題を取り上げている。
第5章「圃場作業」では,土壌管理と栽培,泥炭土の管理,家畜ふん尿・汚水の施用,有機廃棄物の施用,石灰・化学肥料の施用,農薬の散布,家畜管理,芝の生産の問題を取り上げている。
第6章「特殊園芸」では,施設園芸で行なう養液栽培,苗生産,キノコ栽培などでの廃液処理問題などを取り上げている。
第7章「廃棄物」では,廃棄物を最小化させる必要性,廃棄物の貯蔵・回収・廃棄,希薄廃液・廃油の処分,家畜死体の処分などを取り上げている。
第8章「農場への水供給」では,農場の水の取水の仕方,水の使用と環境問題とのかかわりなどの問題を取り上げている。
各章の主要問題ごとに,(a)なぜこの問題が大切かの説明,(b)この問題で守るべき主なアドバイス,(c)この問題に関する法的義務があれば,それを満たすために実施しなければならない作業や行為の概要,(d) 環境への悪影響を最小にして農場管理全体を改善するために採用を考慮すべき行為や作業(優良農業行為)の概要を記述した後,(c)や(d)でより具体的に説明する必要な問題が記述されている。旧版に比べて,問題別に関連する様々な事項をまとめて説明しているので分かりやすい。
●リンの管理
例としてリンの管理の概要を紹介する。
(1) なぜリンの管理が大切か
▽農地から排出されたリンが,表流水の水質悪化の原因になっている。リンの排出量は「水枠組指令」(環境保全型農業レポート「No.34 欧州の水系汚染対策」参照(未施行))の目標値以内に抑えなければならない。肥料やスラリーなどの有機質資材でリンを過剰施用しなければ,リスクを減らすことができる。
▽施用する有機質資材中のリン量を考慮して,必要なだけのリン肥料を施用すればコスト削減も可能になる。
(2) リンの管理で守るべき主なアドバイス
▽肥料や有機質資材の効率的使用を確保するために,養分管理計画を守る。
▽表面流去を起こしやすい条件のときや場所には有機質資材を散布しない。
▽土壌侵食や表面流去を防止する。
▽飼料中のリン量を家畜の要求量に合わせる。
(3) リンの環境インパクト
リンは淡水の富栄養化の原因となっており,農地は河川に流入するリン量の約25%を占めている。リンは農地から下記のいろいろなルートで河川に流入するが,どのルートによるかは河川の集水域によって異なる。
▽土壌侵食による,リンを吸着させた土壌粒子の流出
▽散布したスラリーや肥料が土壌表面に残っている場合には,特にトラクタの走行路に沿った表面流去水による流出
▽スラリーの亀裂から排水路への流入
▽浸透水に溶解したリン,または浸透水に懸濁した微小粒子に吸着したリンの排出
(4) 優良行為
家畜飼料 飼料中のリン量を家畜の要求量に合わせて無駄に給餌しない。これによって土壌に還元するふん尿中のリン量を最小にでき,ひいては農地から水系へのリンロスのリスクを低くできる。農業コンサルタントや飼料会社の技術者からアドバイスを得ることができる。
有機質資材と肥料 土壌侵食,表面流去水や排水によってロスされるリン量は土壌中のリンレベルによって異なる。ロスを減らすには,化学肥料や有機質資材によって施肥基準を超える量のリンを施用してはならない。大方の作物では,土壌の可給態リン指数が4以上(オルセンリンで46 mg P2O5/L以上)ならリンを施用する必要はない。土壌の可給態リン指数が3以上(オルセンリンで26 mg P2O5/L以上)で,有機質資材で養分を供給したいなら,輪作体系で施用するリンの総量が,作物が吸収して搬出するリン量を超えないようにしなければならない。これによって土壌のリン貯蔵量を作物生産に必要なレベル以上に上がるのを防止できる。土壌を3ないし5年ごとに土壌を採取して分析しなければならない。
表面流去水 ふん尿資材および化学肥料からのリンが表流水に流入するリスクは,それぞれふん尿管理計画と養分管理計画に記したアドバイスに従って最小にする。裸地または刈り株状態の耕地では,ふん尿資材や肥料を施用した直後か24時間以内に土壌に混和すれば,表面流去水によってリンが流出するリスクを減らすことができる。土壌管理計画に従って,表流水に流入する土壌の侵食量と土壌に吸着したリンならびに顆粒状のリンの量を減らす。
●日本との比較
日本では,基礎GAP(環境保全型農業レポート「No.81 農林水産省が基礎GAPを公表」)が公表されている。しかし,基礎GAPはあまりにも限られた事項を束ねて記述していて,具体性に乏しい。それに比べて,イングランドの優良農業規範は,前述のように具体的に記述している。そして,上記に例示したリンについても,その削減の必要性が研究サイドから指摘されながら,日本では過剰施用が恒常化しているのに比べて,イングランドでは農業現場においてリン施用を削減しようとする努力がうかがえる。