北海道が「遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例」を公布
●遺伝子組換え体の農業利用を巡る問題
遺伝子組換え生物を野外で生産したときに,導入遺伝子が他の生物に非意図的に移って野生生物の遺伝子を変化させたり,導入遺伝子から作られた毒性物質が野生生物に影響を与えたりする可能性が問題になっている。こうした遺伝子組換え生物の野外利用にともなう野生生物への影響を防止するカルタヘナ議定書が2003年9月に発効した。これに対応して,2003年6月に日本は「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」を施行して,遺伝子組換え体の第一種使用(野外/開放系使用)と第二種(施設内/閉鎖系使用)に関する手続を法的に整備した(関連情報掲載サイト)。第一種使用には,部外者の立入を禁止した隔離圃場において組換え体の生態系影響を調べる実験のための使用と,その実験結果に基づいて生態系影響のないことが確認された組換え体の一般圃場での生産がある。農業利用の組換え体の第一種使用については,主務大臣である農林水産大臣に必要なデータ等を添付して申請して承認を受けることになっている。
ところで,有機農業は遺伝子組換え作物や家畜の生産を排除している。有機農業者が遺伝子組換え作物を栽培していなくても,別のところで栽培された組換え体の導入遺伝子が花粉の飛散によって有機生産圃場に混入して,遺伝子の交雑が起きると,有機農産物としての純粋性が疑われてしまう。JAS法の有機農産物加工食品の日本農林規格では,5%未満の非有機農産物の混入であれば,法的には有機農産物として認められる。しかし,遺伝子組換え体に対する消費者の嫌悪感が強い現状では,5%未満であっても混入が起きれば,有機農産物としての健全性が損なわれたと受け取られる恐れが高い。事実,アメリカにおいて飼料用に認可された組換えトウモロコシ品種のスターリンクの遺伝子を含んだ種子が1%未満だが,一般のトウモロコシに混入し,それが日本に輸入されていることがわかって大きな問題になった。こうしたことから,「食の安全・安心条例」で有機農業をクリーン農業とともに推進する際には,組換え体の野外での生産が関係してくる。
北海道は,2004年3月に「北海道における遺伝子組換え作物の栽培に関するガイドライン」を定めた。その理由として,「道民はもとより全国の消費者が,遺伝子組換え食品に強い不安感を抱いており,また,遺伝子組換え作物の花粉の飛散による一般作物との交雑などが懸念される。こうした状況の中で,道内において,開放系で遺伝子組換え作物の栽培が行われることは,道産食品に対する風評被害や本道農業の著しいイメージダウンにつながる恐れがある。」という基本認識を示している。これは有機農産物への導入遺伝子の混入だけでなく,北海道内で組換え体が野外で生産されることになれば,クリーン農産物にも導入遺伝子が混入しているとの風評が立って,道産農産物の売れ行きが大幅に凋落することを警戒していることを示している。
●「北海道遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例」
国で定めた上記「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」では,国の承認を受けるだけで,隔離圃場での実験や一般圃場での生産を行うことができる。しかし,北海道の条例は2005年3月31日に公布され,道内で第一種使用を行おうとする場合には,国の許可に加えて,知事の承認を求めることを義務化した。知事は承認に際して,「食の安全・安心委員会」の意見を聴取する(下図)。条例は2006年1月1日から施行されるが,それ以前に遺伝子組換え体の第一種使用を新たに行う者や研究機関の申請は2005年10月1日から受け付ける。また,現在,隔離圃場などで行っている研究機関の第一種使用については,2006年12月31日まで本条例を適用しない。
条例は,国の法律に上積みして次を規定している。(1)知事が交雑混入防止措置に関する基準を定める。このため,申請に要するデータは,国の法律とその施行規則などで求めているものと基本的には変わらないものの,道の基準次第では,同じデータに基づくとしても,国の承認と違った結論を導くことがあり得る。(2)条例は,承認を受けた後に第一種使用が行われて,当初予想できなかった遺伝子の交雑や遺伝子組換え体の一般圃場への混入が生じた場合は,必要な措置を講じて,直ちに知事に報告して指示に従うことを規定している。(3)承認後に,科学的知見が集積して,交雑や混入が圃場で実際に生じていないものの,その起きる危険が予測される場合には,承認を取り消すことを規定している。(4)独立行政法人の研究機関が開放系で組換え体を栽培するときは,これまでも地元住民に説明会を開催しているが,本条例ではすべての第一種使用者に説明会を義務化することを規定している。
関係文書は <http://www.pref.hokkaido.jp/nousei/ns-rtsak/shokuan/conf.html>から入手できる。
「遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例」の概要(北海道農政部:「遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例」の概要より)
●条例の課題
2004年2月に,国の研究所(独立行政法人)が行う第一種使用で,組換え作物からの花粉の飛散による遺伝子交雑を防止するための規定として,「第1種使用規程承認組換え作物栽培実験指針」が作られている。このなかで,遺伝子組換え作物と当該一般作物との間に置くべき最低の距離として,イネ20m,ダイズ10m,トウモロコシ600m(防風林がある場合は300m),西洋ナタネ600m(花粉および訪花昆虫のトラップとし,栽培実験対象作物の周囲に,1.5m幅の非組換え西洋ナタネを開花期間が重複するように作付けた場合は400m)が規定されている。ただし,イネについては,2005年4月12日に,最近の実験結果に基づいて26mとし,出穂期を2週間以上ずらすように植え付け時期を調整するように改訂された。
ただし,この指針は独立行政法人にしか適用されていない。民間研究所などには敷地面積の狭い隔離圃場もあり,作物の種類によっては,自己の圃場内においてこれだけの距離を確保できないところもあるからである。独自の条例を交付した北海道は,交雑混入防止措置に関する基準で,この点をどのように設定するかが一つの問題点となる。というのは,日本ではイネを除くと,この安全距離に関するデータの集積が乏しく,上記指針も欧米のデータに基づく。交雑率を明記していないが,恐らく交雑率を0.1%未満としていよう。安全距離は交雑率を何%に設定するかで大きく異なる。北海道が交雑率をどれくらいに設定するかによって安全距離も大きく異なってくる。知事が承認に際して意見を聴取する「安全・安心委員会」の委員がもしも,交雑率はゼロでなければならないという結論をだしたとしたら,組換え作物の野外栽培は事実上一切できなくなる。この点の基準を科学的にどのように設定するかが注目される。
●組換え作物の生態系影響に関する今後の課題
植物の遺伝子が他の植物に移ることは自然界では日常的なことで,遺伝子が移ること自体が問題なのではない。問題は,自然界での交配では生じない遺伝子の生物間移動がバイオテクノロジーによって可能になったために,本来植物になかった遺伝子が植物に組みこまれ,それが花粉の飛散によって他の植物に拡散して,野生植物の遺伝子構成が知らないうちに大きく変わってしまう危険性である。そして,その遺伝子が生物に有害な物質を生成する場合には,問題がさらに大きくなる。
現在,組換え作物に導入されている遺伝子は,非植物由来で,Bt毒素や除草剤といった昆虫や植物に有害な物質の生成やそれに対する耐性にかかわるものである。それゆえ,これらの遺伝子が組換え植物から他の植物に移って行くとすれば問題になる。だが,植物に元々存在し,有害物質に関係せず,植物の光合成などを高める遺伝子であったら,どうであろうか。こうした遺伝子が植物間を移動しても問題は少ないだろう。また,花粉による遺伝子の移動距離は,自家受粉植物と他家受粉植物で異なる。植物と遺伝子の種類によって,遺伝子の飛散距離や,遺伝子が移ったことにともなう環境や人間の健康にかかわるリスクが異なる。そうしたリスクを評価して,より安全な植物と遺伝子の組合せと危険の高い組合せを整理することが必要である。そして,より安全な組合せについては規制をゆるめ,より危険の高い組合せについては規制を強化することが今後必要である。一律に遺伝子組換えに反対したり,賛同したりする姿勢は科学的ではなかろう。